ポケモンキッズと旅する 第156回 ラムパルド|栃木県小山市
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第百五十六回、ラムパルドと小山です。

小山城の最も印象的な特徴は、その立地の巧妙さにあります。

思川の東岸に位置する河岸段丘の台地上に築かれ、西側には思川が天然の外堀として機能していました。

この思川は現在でも城跡のすぐ西側を蛇行しながら流れており、城の西面はその浸食作用によって形成された急な崖となっています。

一方、東側の台地部分は比較的緩やかな地形でしたが、ここには人為的に深い空堀と高い土塁を組み合わせた強固な防御システムが構築されていました。

南北朝時代に小山泰朝が居城としてからは、小山氏が代々この城を本拠地としました。

戦国時代になると小山城は、小田原を本拠地として関東で勢力を拡大していた北条氏照の攻撃により落城し、当時の城主であった小山秀綱は城を追われることとなりました。

小山氏を追放した後、北条氏照は関東制覇の重要拠点として小山城を位置付け、大規模な改修と拡張を実施し、城郭を大幅に強化しました。

その後、本能寺の変前後の混乱期に小山氏が城に復帰を果たしますが、それは北条氏の傘下に入るという条件付きのものでした。

小田原征伐で北条氏が滅亡すると、小山氏も改易となり、小山城は一時廃城状態となりました。

江戸時代初期に徳川家康の側近・本多正純がやって来ると、小山城の最終的な縄張りが完成しましたが、のちに本多正純は宇都宮に移ることとなり、小山城は廃城となりました。

現在の城山公園には、中世から近世初期にかけての城郭遺構が良好に保存されています。

最も見応えがあるのは、各曲輪を区切る大規模な空堀群で、祇園橋の下にある空堀は特に深く刻まれています。
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