ポケモンキッズと旅する 第72回 ラッキー|岡山県倉敷市
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第七十二回、ラッキーと倉敷です。

倉敷美観地区は、江戸時代から続く風情ある街並みが今も息づく場所です。
倉敷川沿いのこの地域は、周辺で採れた米の集積地として賑わいを見せ、商業の中心地として発展しました。

周辺地域で生産された米などの農産物が運ばれてきて、ここで一時保管されたのち、各地へ運び出されていきました。
川沿いには豪商たちの蔵や豪壮な屋敷が並び、繁栄の象徴となっていました。

現在残る建物の多くは、当時の豪商の商家を原型としており、独特の景観を形作っています。
明治時代に入ると、洋風建築の建物が加わり、和洋折衷の町並みが生まれました。

美観地区の特徴的な風景の一つに、倉敷川沿いに植えられた柳並木があり、風情ある景観を演出しています。

倉敷の水運の歴史は、古代の地形と深く結びついています。
かつて、この地域には「吉備の穴海」と呼ばれる広大な内海が広がっており、瀬戸内海よりもさらに内海として海上交通の要衝となりました。

吉備の穴海は、旭川、高梁川、吉井川など大きな河川の水が注ぎ込む、堆積作用の強い場所でした。
河川の運ぶ土砂の堆積や、また江戸時代に特に大規模に実施された干拓事業により、吉備の内海は次第に陸地化していきました。
それでも、倉敷川は長らく瀬戸内海への水路として機能し続けました。

吉備の穴海は今や姿を消しましたが、その名残は地名に残されています。

例えば、その内海に浮かぶ一つの島が、現在の児島半島の前身となる「児島」でした。
日本神話のうち国生み神話において、第2段階で産み出された島々の一つとして、児島が独立した島として挙げられています。

本州と陸続きとなっている、かつて島であったことを示す地名:「児島」の他にも「早島」「連島」などが、その名残として残っています。

そんな倉敷美観地区の一角に、レンガ造りの建物が立ち並ぶ倉敷アイビースクエアがあります。
この施設は、かつて倉敷紡績株式会社の工場跡地だったものです。
1889年に操業を開始した、当時の最新技術を取り入れた紡績工場は、倉敷の産業発展の象徴となりました。

約80年間稼働を続け、1967年に閉鎖されました。
赤レンガの外壁と白い窓枠が特徴的な建物は、明治時代の面影を今に伝えています。

その後、この歴史的価値のある建造物群を保存し活用する計画が持ち上がります。

現在は、結婚式場、レストラン、ショップなどが入る複合施設となっています。
レンガ造りの建物に絡みつくツタ(アイビー)が、独特の雰囲気を醸し出しています。
原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。
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