ポケモンキッズと旅する 第95回 アブソル|奈良県橿原市
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第九十五回、アブソルと橿原です。

藤原京は、大和三山(香久山・畝傍山・耳成山)に囲まれた平野に位置しています。
(藤原京とは694年に造営された都で、藤原宮はその中心となる帝の宮殿を指します。)

この地が選ばれたのは、大和三山が天然の城壁となる、風水思想に基づいて理想的な地形とされた、などの理由が考えられています。

藤原京の建設に際しては、君主が北を背にし南に向かう「天子南面」の思想もあったのでしょうか。
この理念に基づき、藤原京の中に藤原宮が耳成山を背にして位置し、南北軸を基盤とした設計が採用されました。

藤原京の設計においては、地形を神獣に擬え都市を守護しようとする「四神相応」の思想が採用された可能性も考えられます。
四神思想の本格的な導入は平城京以降とされますが、大和三山を三方に配する地形が後の四神相応の都市設計に影響を与えた可能性はあるのでしょうか。
藤原宮においては、東の香久山を「青龍」、西の畝傍山を「白虎」、北の耳成山を「玄武」に見立てることもできます。

さらに、藤原京は本格的な条坊制の都としても知られています。
条坊制とは、東西・南北に走る大路によって都市を碁盤目状に区画したまちづくりのことです。
この碁盤目状の条坊制は、中国の都のまちづくりを参考にしているという、当時の最新情報を持ち帰った遣唐使の報告を反映していると考えられています。

壬申の乱の後、天武天皇は豪族勢力の影響が強い飛鳥京からの脱却を図り、新都建設を計画しました。
694年にその皇后であった持統天皇が引き継いで飛鳥京から遷都し、710年の平城京への遷都までの16年間、藤原京は日本の中心地となりました。

16年後、平城京へ遷都されてしまった理由については、律令制の完成に伴う大規模な都が必要となったという理由がありますが、藤原京が抱えた地形的問題も一要素として指摘されています。

藤原京は南東から北西方向に低い地形のため、藤原宮の方向に水が貯まりやすく、排水不良が懸念されたと考えられています。

水が貯まりやすいということで、都には向かなかったものの、田畑には適した土地でした。

現在では田園地帯の中に菜の花が咲き誇り(訪れた時期は菜の花の季節柄ではありませんでしたが)、かつての中心地を偲ばせています。

藤原宮跡の東に位置する香久山は、『万葉集』などでは「天の香具山」と詠まれることが多く、「天」の称号を冠するほど特別な存在でした。

山頂からは藤原京の遺構が一望でき、直線的な区画整理が実現可能だった理由がわかります。
西側に目を向けると畝傍山と耳成山とで三角形を形成しているのが見て取れます。

持統天皇も藤原宮からこの香具山について
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山
という百人一首にもある歌を詠んでいます。
この歌は「春が過ぎて夏が来たらしい。真っ白い衣を干す(習慣がある)という天の香具山(にその真っ白い衣が干してあるよ)」という意味です。

夏の頃には、緑溢れる香具山において、積雪さながらの白い布が干される光景が、当時の風物詩として広く見受けられたのでしょうか。
香具山にアブソルを連れて来たのは、この歌の風景を再現しようとして白いキャラを選んだから…というわけではないですが。

この地を訪れる際は、ぜひ山頂から大和三山の調和を体感し、古代の風景に思いを馳せてみてください。
原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。
ここまでご覧いただきどうもありがとうございました。次回もお楽しみに。
