ポケモンキッズと旅する 第84回 ワルビル|山形県山形市
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第八十四回、ワルビルと山形です。

山形市の中心部に広がる霞城公園は、山形城跡を整備した広大な都市公園です。

キャラ選定理由は特に考えていませんでしたが、この木目とよく合う写真が撮れたので、結果的に良かったのでしょうか。

さて、山形城は、1356年に斯波兼頼が築いた館を起源とし、中世末期から近世初期にかけての遺構を今に伝えています。

築城時(室町時代当時)は山城が主流でしたが、山形城は平地に築かれた平城でした。

その理由は、山形城の元々の立地として、室町幕府の羽州探題として出羽国を統治するために、交通の便が良く、周囲との交流が容易な平地が適していたためです。

また、山形城は西に月山や、東に蔵王連山という山々に囲まれた盆地の中央に位置します。

この背景から、周囲の山々が天然の障壁となる一方で、平地であるため統治や経済活動にも利便性をもたらすという、地理的条件にも恵まれていました。

戦国時代に入ると、山形城は戦国大名・最上義光の時代に特にその規模を大きく拡張され、東北有数の城郭となりました。

最上義光の治世下では、山形城を中心に大きく発展しました。

山形城が最も重要な役割を果たしたのは、1600年に起きた「長谷堂の戦い」においてでした。

この戦いは「北の関ヶ原」とも称され、関ヶ原の戦いと同時期に行われた戦いです。
(関ヶ原の戦いの東軍・西軍に合わせた言い方をすると)東軍に属した最上義光は、西軍側の上杉景勝と対峙することになります。

上杉景勝の重臣・直江兼続が率いる大軍が迫ります。
圧倒的な兵力差でしたが、最上軍は直江軍を食い止め、伊達政宗の援軍到着もありました。

最終的には、関ヶ原の戦いで西軍の敗北という結果を受けて直江軍が撤退したため、山形城は陥落を免れました。

このあと、最上義光は反転攻勢し、上杉領の庄内地方へ攻め込み、徳川家康から庄内地方などの領有を追認される大幅な加増を認められ、その地位を確固たるものとしました。

江戸時代には山形藩の政庁として機能し、その後も地域の中心的存在であり続けました。

現代では、堀沿いを走る新幹線という珍しい光景が見られます。
山形城のあたりでは、山形新幹線の軌道が堀沿いに敷設されているので、堀に反射する新幹線がゆっくり走る姿という稀有な光景が見られます。

夜の帳が下りたばかりの、空がまだ薄紫色を保つ微妙な時間帯に、霞城公園を訪れました。

東日本の冬は日没が早く、午後5時台にはすでに辺りは暗闇に包まれます。

この時間帯にはわずかに残る光が、この城跡に幻想的な雰囲気を与えていました。
原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。
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