見出し画像

ポケモンキッズと旅する 第63回 ルカリオ|東京・浜松町

本記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。

第六十三回、ルカリオと浜松町です。

浜離宮恩賜庭園は、江戸時代には「浜御殿」と呼ばれた由緒ある庭園です。

当初は甲府徳川家(徳川将軍家の分家)の下屋敷だったこの地は、後にその甲府徳川家出身で6代将軍となった徳川家宣の時代に「御浜御殿」と呼ばれる将軍家の別邸として幕末に至りました。

江戸時代を通じて、この地は徳川将軍家の鷹狩場などとして使われていました。

明治時代に皇室の所有となり、離宮として使用されたことで、浜御殿から浜離宮となりました。

その後、東京都に下賜されたことを「恩賜」という言葉で表し、「浜離宮恩賜庭園」となります。

日本庭園の技法として本企画でも度々触れてきた「借景」は、ここ浜離宮恩賜庭園では、結果論として独特の活用法がなされています。

借景とは、庭園の敷地外の景観を取り込んで庭園の一部として見立てる手法です。

それがここ浜離宮恩賜庭園では、周囲の高層ビル群が現代的な借景となり、江戸の庭園と現代の東京が融合する独特の景観を生み出しています。

また、池泉回遊式庭園(池の周りを歩きながら景色の移ろいを楽しむ様式)としても、浜離宮恩賜庭園ではさらに特別な手法が用いられています。

東京湾の海水を引き入れた「潮入りの池」で、池の水位が潮の干満に合わせて変化することで自然の変化を庭園内に取り込んでいます。

潮の満ち引きに伴う景観の変化は、訪れる人々にとって時の流れによっても目に入る風景が変わるという趣深い演出となっています。

「中島の御茶屋」は、潮入りの池に浮かぶ小島に建つ風雅な建物です。

ここを見ると、伝統的な日本庭園の景色と、借景となった高層ビル群との対比が楽しめます。

「富士見山」は、庭園内に設けられた人工の小山です。

この地は江戸時代に埋め立てによって造成されましたが、あえてさらに盛土をして富士山を望める場所を作りました。

現代に至っても、浜離宮恩賜庭園は東京湾に面した位置を保っています。

このことで、周囲の埋め立てが進む中でも、江戸時代の埋め立て地である浜離宮恩賜庭園において汐入の池は今も海水を引き入れ、潮の満ち引きを感じることができます。


浜離宮恩賜庭園から程近い場所に、旧芝離宮恩賜庭園があります。

この庭園は、江戸時代初期に造られた大名庭園です。

1678年に老中の大久保忠朝が将軍から拝領した土地に、数年後「楽寿園」と呼ばれる庭が作られました。

その後、清水徳川家や紀州徳川家の所有となり「芝御屋敷」と呼ばれるようになりました。

明治に入り皇室が買い上げ、芝離宮となっています。

その後は浜離宮恩賜庭園と似たような変遷をたどり、「旧芝離宮恩賜庭園」として現在に至ります。

そして旧芝離宮恩賜庭園も、浜離宮恩賜庭園と同様に、現代的な借景を楽しむことができます。

庭園の周囲に立ち並ぶ高層ビル群が、江戸の風情と現代の東京を融合させた独特の景観を作り出しています。

さらに、かつてこの旧芝離宮恩賜庭園にも、海水を引き入れた汐入の池がありました。

しかし、周辺の埋め立てが進んだ結果、旧芝離宮恩賜庭園は海との直接的なつながりを失ってしまいました。

現在の池は、かつての汐入の面影を残しつつも、海水の出入りはなくなっています。

旧芝離宮恩賜庭園には、中国の伝説や景勝地にちなんだ見どころがいくつもあります。

池の中央にある「中島」は、別名「蓬莱山」と呼ばれています。

蓬莱山は中国の伝説に登場する不老不死の仙人の住む山であるとされています。

中島へ渡る橋は「西湖堤」と名付けられています。

西湖は中国浙江省杭州市にある湖で、古くから風光明媚な景勝地として知られています。

園内に置かれた「雪見灯籠」も、庭園の風情を高める重要な要素で、雪景色を照らし出すために設計されたから独特な形状なのでしょうか。

旧芝離宮恩賜庭園は、江戸時代の大名庭園の典型的な様式を保ちつつ、中国の名所や伝説からインスピレーションを得た要素を日本的に表現したうえ、高層ビル群が借景となった姿は、時代の重なりを感じさせます。


増上寺は浄土宗の大本山で、その歴史は徳川家との深い結びつきによって彩られています。

創建はかなり古いですが、1590年に徳川家康が江戸に入府した際に、徳川家の菩提寺として定められたことで、江戸時代を通じて徳川将軍家の庇護のもと、大規模な伽藍を有する一大寺院として発展しました。

増上寺の門前には「大門」と「御成門」という駅名があります。

増上寺の東にある「大門」は増上寺の総門で、参詣する人々を迎える表玄関として機能していました。

一方、増上寺の北にある「御成門」は、さらにその北にある…と言うと江戸城のことですね。
つまり、徳川将軍家が増上寺を訪れる際に専用で使用した北門です。

この存在からも、増上寺が徳川将軍家との特別な関係を持っていたことが窺えます。

現在の増上寺は、背後に東京タワーを従えた風景が象徴的です。

東京タワーが奥にそびえる構図は、先ほどの日本庭園に高層ビル群の借景と通ずるものがあります。

三解脱門は1622年に建立されたという古くからある建物で、この門をくぐることで「むさぼり・いかり・おろかさ」の三つの煩悩から解脱するという意味が込められています。


東京タワーは、1958年に完成し、テレビ電波塔としての機能を主な目的として建設されたものです。

高さ333メートルというその姿は、戦後日本の復興と高度経済成長期の象徴として、東京の街に君臨しています。

赤と白のコントラストが美しい塔体は、時代とともに変化する東京の街並みの中で、変わらぬ存在感を放っています。

周辺の高層ビル群に囲まれながらも、東京タワーはその独特のシルエットで存在感を示し続けています。

ということで、大名屋敷の庭園から高度経済成長期の象徴まで、時間軸に取った旅路でした。


原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。

ここまでご覧いただきどうもありがとうございました。次回もお楽しみに。