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ポケモンキッズと旅する 第110回 ゴチルゼル|長野県長野市

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第百十回、ゴチルゼルと長野です。

602年、本田善光(ほんだよしみつ)は難波の堀江において一光三尊阿弥陀如来像を発見しました。

その如来像は最初に現在の長野県飯田市にある元善光寺で祀られましたが、後に長野市にある現在の善光寺へと遷座しました。

善光寺という名称は、その創建者である本田善光の名に由来しています。

本堂は1707年の再建で、東日本最大級の木造建築物として知られます。

「撞木造(しゅもくづくり)」と呼ばれる独特の構造様式です。

鐘楼は南無阿弥陀仏の6文字に因んで6本の柱で建てられています。

善光寺が戦火に巻き込まれることを懸念した、甲斐国(現・山梨県)の戦国大名であった武田信玄は御本尊を地元甲斐国へ遷座させました。

甲斐国に移された如来像のために、武田信玄は新たに甲斐善光寺を創建しました。

武田氏滅亡後、織田信長の長男・織田信忠により如来像は甲斐から美濃・岐阜へ移されました。

本能寺の変で織田信長・織田信忠親子が亡くなると、今度は次男・織田信雄が如来像を甚目寺へ移しました。

その後、織田信雄から徳川家康の手に渡り、三河を経て浜松に安置されましたが、元の場所にいたいという徳川家康が見たという夢により甲斐善光寺に戻ったと伝えられています。

天下人となった豊臣秀吉の要請により、如来像は京都の方広寺へ移されましたが、ついに善光寺へ帰還することとなり戦国時代の流転の旅を終え、現在に至ります。

ただし、戦国期で移動したのは模造像だったという記述も見られます。

まあ、徳川家康が見たという夢「元の場所にいたい」により甲斐善光寺に戻されたとのことですが、そこは長野の善光寺ではなくてですか?


原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。

Gothitelle in Nagano, Nagano 9 (Zenkoji Temple)

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