ポケモンキッズと旅する 第165回 ニンフィア|秋田県横手市
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第百六十五回、ニンフィアと横手です。

横手城は、標高約107メートルの朝倉山山頂に築かれた平山城で、奥羽山脈を背にしながら、眼下に横手盆地を一望できる戦略的な要衝に位置しています。

特に、城の南~西側を蛇行して流れる横手川や、東側の明永沼・牛沼といった水系が天然の堀として機能していると言えます。

これにより、城を攻めるとしたら、横手川や沼地という自然の防御線を突破しなければなりませんでした。

横手城は、盆地の隅という特殊な地形を利用し、朝倉山の南北二つの頂上を用いて築かれた城郭です。

中央の低い場所にある武者溜を挟んで本丸と二の丸が配置されるという、非常に独特な縄張りを持っています。

この山頂からは横手盆地を一望でき、広大で肥沃な平野が、盆地を取り囲む雄大な山並みを背景に広がります。

眼下には、優美に蛇行する横手川の流れ、市街地、そして広大な田園地帯が一望のもとに収まります。

この立地は、城がかつての主要街道の交差地点を見下ろす要衝に位置していたことを、視覚的に理解できます。

この要衝の地を治めた小野寺氏でしたが、関ヶ原の戦いで西軍方と見なされた小野寺義道の代に改易となりました。

しばらくして、秋田の久保田城に移ってきた佐竹義宣により、横手城は久保田城の支城として再編成されます。

佐竹氏に連なる戸村義連が入城してからは、戸村氏が明治維新まで約200年間にわたって城代(本城の城主の代理人)を務めました。

また、戊辰戦争においては、奥羽越列藩同盟から新政府軍側に離脱した佐竹氏の久保田藩と、同盟に残った庄内藩などとの間で、横手の戦いが繰り広げられました。
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