ポケモンキッズと旅する 第160回 ヤドキング|東京・新宿
本記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。
第百六十回、ヤドキングと新宿です。

新宿西口にそびえる東京都庁舎は、かつて広大な旧淀橋浄水場があった場所に建設されました。

この浄水場は明治後期に稼働を開始し、戦後まで長きにわたり都民の生活を支える水道水を供給し続けた場所です。

そのため、浄水場跡地である新宿副都心は、超高層ビルが低層部に建ち、道路が高い部分を通るという立体的な構造が特徴となっています。

都庁第一本庁舎の45階に位置する北・南展望室は、地上202メートルからの眺望を楽しめます。

展望室からは、間近に迫る新宿副都心の超高層ビル群に加え、晴れた日には遠方に富士山の雄大な姿を望むことができます。

南側には代々木公園や明治神宮の深い緑が広がり、都市の建築物とのコントラストを生み出しています。

東側に目をやると、新宿御苑の緑や丸の内方面のビル群が一望でき、東京の歴史と現代が重なり合う景観を感じられます。

そしてそんな東京の中心部に広がる広大な緑地・新宿御苑は、江戸時代に信州高遠藩・内藤家の下屋敷があった場所にあります。

その始まりは、徳川家康が江戸に移ってきたのち、家臣の内藤清成に、現在の新宿御苑を含む広大な土地を与えたことに遡ります。

この土地が与えられた理由としては、江戸城西側の警固など、戦略的な重要性もありました。

明治維新後、「内藤新宿試験場」を経て皇室の庭園・新宿御苑となり、戦後に国民公園として一般に開放され現在に至っています。

新宿御苑の最大の特徴は、イギリス式風景庭園、フランス式整形庭園、日本式池泉回遊庭園という趣の異なる三つの様式を一つの敷地内に調和させている点にあります。

これらの三様式が、それぞれが持つ境界を感じさせないように配置されており、多様な文化の美意識をシームレスに体感できる空間構成を実現しています。

新宿御苑に広がる日本庭園は、江戸時代から続く歴史の重層性を伝える池泉回遊式(池の周りを歩き回ることで景色の移ろいを楽しむ形式)の庭園です。

玉藻池は、江戸時代に内藤家が玉川上水の余水を利用して造営した大名庭園の貴重な面影を今に伝える遺構です。

周囲は、深い森に囲まれた景勝地の様相を呈しており、池には小島が浮かび、多様な樹種が繁茂しています。

このような池や築山を巧妙に配置した空間は、江戸時代の大名庭園の典型的な要素を凝縮しています。

日本庭園の西側に位置する上の池は、明治時代に新宿植物御苑として整備された際に鴨池として造られました。

この池は、自然の地形を活かした池泉回遊式庭園の中心的存在として設計されており、周囲を巡りながら、移りゆく四季折々の景色を鑑賞できる構造になっています。

また、上の池には大きな石灯籠が威厳をもって配され、水面には優美な橋が架けられています。

これにより、どの角度から眺めても絵画のような美しい景観を創り出しています。

中の池は、上の池と下の池の間に位置しており、三つの池やさらに他の池を結ぶ通水システムの要として機能しています。

隣接するツツジ山と共に景観の核となっており、水面に映る木々や空の様子を眺めながら散策できます。

日本庭園の池畔に佇む旧御凉亭(台湾閣)は、昭和天皇の御成婚を記念して台湾在住邦人の有志により献上された建造物です。

この建物は、中国南方・閩南建築様式を取り入れた本格的な中華式建築です。

平面構成に特徴があり、屋根の反りや色彩など日本建築には見られない様式美を随所に表現しています。

新宿御苑の東側に広がるフランス式庭園は、左右対称の幾何学的配置が特徴で、格調高いヨーロッパ宮廷庭園の美意識を体現しています。

整然と配置されたプラタナス並木の中央には、バラの植栽された花壇が設けられています。

春や秋の開花期には、上品な香りと色とりどりのバラが優雅な空間へと彩ります。

新宿御苑の背景には、この地と「新宿」という地名の成立を巡る経緯があります。

甲州街道の日本橋と高井戸宿の間隔が長すぎたため、内藤家の敷地の一部だった場所に、新しい宿場町が開かれました。

元々あった「内藤宿」に対して、この宿場は新たに設けられたことから「内藤新宿」と名付けられました。

時代を経るとこれが単に「新宿」と呼ばれるようになり、開設された鉄道駅も「新宿駅」となりました。

現在も新宿御苑の周辺には「内藤町」という地名が残り、江戸時代の庭園遺構とともに、内藤家と新宿の歴史的なつながりを今に伝えています。

ということで今回は、新宿という地名は文字通り新しい宿場町という由来ですから、新しい宿というキャラ選定理由でした。
原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。
ここまでご覧いただきどうもありがとうございました。次回もお楽しみに。

