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ポケモンキッズと旅する 第126回 マクノシタ|東京・両国

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第百二十六回、マクノシタと東京・両国です。

ここ両国という地名は、かつて武蔵国と下総国という二つの国を結ぶ場所であったことに由来します。

江戸時代初期まで隅田川がその境界となっており、橋梁が架設された後に、橋のあたりが「両国」と呼ばれるようになりました。

のちに現在の江戸川下流以西までが下総国から武蔵国へと所属が変更されたことで、全ての範囲が同じ武蔵国となりましたが、国境を意味する両国という地名は定着しました。

隅田川西岸には、かつて幕府の御米蔵が置かれていた前あたりということに由来する蔵前という地区があり、そこにはかつて蔵前国技館が存在しました。

1985年に両国国技館が隅田川東岸に開館したため、蔵前橋は新旧の国技館を結ぶ位置にあります。

ということで、今回記念写真代わりに写し込むため両国に連れて来たのはマクノシタにしましたが、これはあえて言及する必要もないほど適任だと思います。


両国の地にある旧安田庭園は、本庄宗資によって築造されたとされています。

この庭園は、中央に「心」の字を象った池を配し、隅田川の水を引き入れて潮の干満によって変化する景観を楽しむ、潮入り式の池泉回遊式庭園として整備されました。

池泉回遊式庭園とは、庭園の中の池の周りを歩いて散策しながら景色の移ろいを鑑賞する形式の庭園を指します。

この庭園を築造した本庄宗資は、徳川綱吉の生母・桂昌院の弟で、その庇護を受けて大名に立身した人物です。

館林藩主である甥の徳川綱吉に仕え、徳川綱吉が将軍となったのち、本庄宗資は度重なる加増を受け最終的に常陸国笠間藩の初代藩主となりました。

明治維新を経て、この地はかつて備前岡山藩主であった池田章政の邸宅となりました。

その後、1891年に安田財閥の創始者である安田善次郎がこの池田邸を購入し、自身の本邸としました。

安田善次郎は旧安田庭園以外にも、匿名を条件として現在の東京大学に巨額の寄付をしたことで安田講堂に名を残すほか、鶴見線の安善駅も安田善次郎に由来する駅名です。


原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。

Makuhita in Ryogoku, Tokyo 4 (Kyu-Yasuda garden)

ここまでご覧いただきどうもありがとうございました。次回もお楽しみに。