見出し画像

ポケモンキッズと旅する 第99回 メラルバ|群馬県高崎市

本記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。

第九十九回、メラルバと高崎です。

高崎市役所展望台は、地上90メートルの高さにある、21階建ての市庁舎最上部に位置しています。

ここからは、関東平野の北西端に広がる地形が一望でき、烏川とその支流である碓氷川が合流する様子を見渡せます。

北東には赤城山の雄大な山容が眼前に迫り、西側には榛名山から妙義山にかけて連なる山の稜線が浮かび上がります。

かつて中山道と三国街道が分かれる交通の要衝であったこの地は、現在では上越新幹線から北陸新幹線が分岐する地点として、その地位を引き継いでいます。


高崎城跡は現在の市役所や中央図書館などが建つ一帯に広がっています。

元々は東海地方にいた徳川家康は、小田原征伐によって北条氏が滅亡したことで空いた関東に移ることになり、江戸城に入りました。

これに伴い、重臣の井伊直政はここの近隣の箕輪城に移ります。

その後、井伊直政は徳川家康の命により箕輪城から高崎城へ移ることとなりました。

新しい城の築城とともに、住民も箕輪から引き連れてくることで、新たな城下町を形成しました。

高崎城主となった井伊直政は、関ヶ原の戦いで徳川家康率いる東軍として参戦した功績により、西軍総大将・石田三成の居城だった佐和山城を与えられ異動していきました。

井伊直政は佐和山城に在城した後、琵琶湖畔の小高い丘に新たな彦根城の築城を計画し、ここに彦根藩井伊家の基礎を確立しました。(⇒第62回)。

江戸時代、高崎城は高崎藩の藩庁となり、酒井氏や松平氏など譜代大名が入れ替わりで藩主を務めました。

現在では「高崎城址公園」として整備され、石垣と堀の一部が往時の面影を伝えているほか、乾櫓が現存しています。

市役所や市民会館が建つ区域は、かつての城郭の南方に位置しています。

先ほどの市役所展望台から見ると、城の西側は烏川を天然の堀とし、川の河岸段丘を利用した天然の要害だったことがわかります。


原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。

Larvesta in Takasaki, Gumma 12 (Takasaki city office)

ここまでご覧いただきどうもありがとうございました。次回もお楽しみに。