ポケモンキッズと旅する 第106回 ワカシャモ|長野県諏訪市
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第百六回、ワカシャモと諏訪です。

「水城」と呼ばれる諏訪・高島城です。

高島城の表門にあたる北側の冠木門は、両脇の石垣が当時の威容を今に伝えています。

冠木門から延びる冠木橋は、幅約4メートルの木製橋が往時の参入路を再現しています。

三重五階の天守閣は堀にその姿を反射させ、堂々とそびえ立ちます。

現在の高島城には北側と東側に堀がありますが、西側には堀が見られません。

この状態でどのように防御力を確保していたのでしょうか?
実は高島城の西側は干拓によって陸地化したものです。

元々は、干拓前の諏訪湖の湖面が天然の堀として機能し、高島城は文字通りの「水城」でした。

現在の天守閣最上階からは、ヨットハーバーまでかつての高島城直下より約800メートル後退した諏訪湖の姿を望めます。

豊臣秀吉の天下統一が完成した直後の1592年に高島城の築城が始まりました。
諏訪の地を与えられ築城した日根野高吉は、安土城や大坂城の築城経験を持っていたとされています。

1600年の関ヶ原の戦いで徳川方に付いた諏訪頼水が、諏訪氏がかつて治めていたここ旧領への復帰を許され、代わりに高島城に入ります。

以後約270年間、諏訪藩を諏訪氏が治め、11代藩主のときに廃藩置県を迎えました。

諏訪湖の東岸に位置する湖畔公園は、地形の変遷を体感する絶好の展望所です。

高島城から約1キロメートルのこの場所も、かつては湖底でしたが、陸地化されたエリアです。

諏訪湖は糸魚川-静岡構造線の左横ずれによって形成された断層湖であり、最盛期には現在の2倍以上の面積がありました。

江戸時代初期に始まった干拓事業によって湖岸線が後退し、高島城も水城としての景観が変化していきます。

湖岸からは、湖越しに山脈を望む展望が広がります。

水面には本物の水鳥の群れに混じり、水鳥型のボートが優雅な弧を描きます。

冬には、全面結氷した湖面が「御神渡り」という現象を引き起こします。
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