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ポケモンキッズと旅する 第138回 エレザード|福島県二本松市

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第百三十八回、エレザードと二本松です。

二本松城は、二本松市街の北に位置する、標高345メートルの小高い丘「白旗が峰」に築かれています。

阿武隈山系の裾野にあり、南・西・北を丘陵に囲まれ、東側がやや開けた自然の要害をうまく活用した構造が特徴です。

本丸跡からは、二本松市街地を一望する眺望が広がります。

箕輪門から本丸までの高低差は約120メートルに及び、小高い位置に築かれた平山城としての性格を持っています。

安達太良山の峰々から二本松市街地、そして遠くには阿武隈川の悠々とした流れを望むことができます。

裏を返せば、この高い位置からは360度にわたって周囲の動きを監視することが可能で、特に東側の眺望は、奥州街道を通る勢力の動きを把握するのに最適でした。

二本松城の歴史は、室町時代初期に奥州探題として陸奥国に移住した畠山氏が、15世紀に白旗が峰に居城を移したことに始まります。

室町幕府の権威を背景に栄えた二本松畠山氏は、当初は広大な領地を治めていました。

戦国時代、伊達政宗が大内定綱を攻撃した際、その姻戚関係にあった当時の城主・畠山義継が伊達政宗の次の標的となります。

畠山義継は伊達輝宗を人質に取り、二本松城へ連れ去ろうと画策しましたが、伊達軍に追いつかれ伊達輝宗ごと発砲されました。

この「粟ノ巣の変」によって父・伊達輝宗を失った伊達政宗は、二本松城への攻撃を決意し、人取橋の戦いを経て、二本松城はついに開城しました。

これにより、室町時代から続いた二本松畠山氏の歴史は幕を閉じました。

時代が下り各地で大名の配置換えが行われる中で、二本松城は会津の蒲生氏郷、ついで上杉景勝の支城として機能しました。

そののちいくつかの交代を経て、織田信長の重臣であった丹羽長秀の孫に当たる、丹羽光重が二本松に赴任します。

丹羽光重は二本松城の大規模な改修を行い、箕輪門の建造、石垣の整備、霞ヶ池を中心とした庭園の造営など、藩の拠点にふさわしい壮麗な姿へと整えました。

城内中腹の西側には、丹羽光重によって造園された霞ヶ池が静かに水を湛えています。

この池は、周囲の回遊式庭園と相まって、四季折々の美しい景観を創り出しています。

城の正門にあたる箕輪門は、1982年に木造で復元されました。

門の位置で導線は四角く囲まれた空間(桝形)となり、その先が三の丸へ続く入り口となっており、攻城者を混乱させる巧妙な防御構造を持っています。

幕末、二本松藩は奥羽越列藩同盟の一員として新政府軍と対峙することになります。

しかし、主力部隊が白河口の戦い(⇒第23回)に派遣されている隙を突かれ、新政府軍は三春藩などの離反によって二本松城下へと迫りました。

二本松城攻防戦では、二本松少年隊が決死の防戦を展開するなどしましたが、城は短い間に陥落し、城内の建物は多くが焼失しました。

このときの藩主・丹羽長国は米沢へ逃れて降伏しました。

霞ヶ池を見下ろす高台に佇む洗心亭は、江戸時代から現存する貴重な建物です。

元々城内に茶亭として建てられたものが、山崩れで一時的に阿武隈川畔へ移築されていたため、戊辰戦争の戦火を免れ、そのあとで城内へ再移築されました。


原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。

Heliolisk in Nihonmatsu, Fukushima 43 (Nihonmatsu castle)

ここまでご覧いただきどうもありがとうございました。次回もお楽しみに。