憧れの先生と、卓球部の友達との思い出
中学二年生の頃、私は世界中の嫌われ者になったような気分でいました。
前回の記事では、そんな頃の私にも優しく接してくださった伊原先生(仮名)と関わるきっかけとなったエピソードを綴りました。
今回は、そんな伊原先生に私が憧れている理由となる出来事や、その頃の私の大切な友達のことなどを記事にしていきます。
最初は、伊原先生と私とのエピソードです。
その頃の私が伊原先生と交流する機会は、実は前回の記事で紹介した宿題を忘れたとき以外にもありました。
それが部活の時間でした。

中学時代の私は、卓球部に所属していました。
私の中学校では、専用の卓球場はなく、普段の練習は空き教室と廊下で行っていました。

部員は、かろうじて団体戦にエントリーすることができる人数しかいたかったため、レギュラー争いもなく、穏やかなメンバーばかりが集まっていました。
そんな事情も影響していたのか、運動部というカテゴリーに属する部ではあったものの、強さをを追求するような雰囲気はあまりなく、むしろ真逆のほんわかした空気が常に漂っていました。
そして、私が所属していたその卓球部では、ときおり、とても長い「休憩時間」という名前の自由な活動があることもありました。
その長い「休憩時間」では、鬼ごっこや読書、イラスト制作に興じるメンバーもおり、非常に多様性に満ち溢れた活動が営まれていました。

私は、その卓球部のほんわかした雰囲気に助けられたり、居心地の良さを感じたりすることもある一方で、長い休憩時間のノリにはなかなか馴染めず、暇を持て余すことが度々ありました。
そのため、卓球部での休憩時間中、私は暇を紛らわすために、卓球部が練習をしている教室から少し離れた廊下で、一人で壁打ちをしていることが多くありました。

幸運にも、私は壁打ちが好きで、その時間を楽しむことができる才能に恵まれていました。
一人で壁打ちをしている時間は、鬼ごっこに参加できない寂しさを感じ過ぎることもなく、それなりに幸せに過ごしていました。
そして、その壁打ちをよくしていた廊下が、偶然、美術室と家庭科室の近くだったのです。
美術と家庭科を担当していた伊原先生は、放課後にもその近くをよく歩いていました。
伊原先生は、一人で壁打ちをしている私を発見すると、その度に、私のことを「さーちゃん」と呼び、声をかけてくれました。

一人きりで卓球の練習をしていることも多かった当時の私にとって、応援してくれる人が一人でもいるという事実は、とても大きなことでした。
伊原先生と出会ったばかりの頃は、私と会う度に「今日もさーちゃんと一緒だ」と喜ぶ伊原先生を不思議に思っていましたが、気がつくと、私も「伊原先生と会えると嬉しい」と心の底から思うようになっていきました。
伊原先生と廊下で過ごすわずかなひとときは、私にとって、勇気や頑張るエネルギーがわいてくる特別な時間でした。
◆◆
そして、そんなほんわかな雰囲気の卓球部には、私のほかにも、独自の個性を持つメンバーが多数在籍していました。
その中の一人が乃々佳ちゃん(仮名)です。
乃々佳ちゃんは、とても真面目な性格で、部活への参加率は誰よりも高く、学級委員などのリーダー的な役割にもときどき立候補するような積極的な生徒でした。

乃々佳ちゃんは、女の子の友達よりも、男の子の友達と過ごしているときが多く、華奢で清楚な見た目であるにも関わらず、「俺」という一人称が抜群に似合うかっこいい女の子でした。
乃々佳ちゃんの自宅には、流行りの少年漫画がたくさん置いてあり、それらの漫画に登場するキャラクターのイラストを描くことが、当時の乃々佳ちゃんの趣味でした。

私は小学校五年生のときにクラスが同じになった頃から、乃々佳ちゃんとは、学校の外でも、ときどき遊ぶことがあるような仲でした。
小学校でも、中学校のときも、修学旅行の自由行動班では、乃々佳ちゃんと私は同じ班になりました。

そして、どちらの班でも、乃々佳ちゃんと私以外のメンバーは、全員男の子でした。
私はそんな男の子ばかりの賑やかな班に入っていながら、乃々佳ちゃん以外のメンバーとは、普段から会話を交わすような仲ではありませんでした。
私は友達がとても少なかったのです。
小学生時代も、中学生時代も、乃々佳ちゃん以外から「同じ班になろう」と誘われることはありませんでした。
乃々佳ちゃんは、ほかの同級生と違う言動ばかりする私のことを「面白い奴」として受け止め、よく笑ってくれていました。
乃々佳ちゃんは、普段から私と親しく接してくれる数少ない貴重な友人の一人でした。

そんな乃々佳ちゃんは、部活へは毎日欠かさずに足を運んでいたものの、実は、卓球は、あまり好きではないようでした。
実は、私と乃々佳ちゃんが通う中学では、当時は、文化部は吹奏楽部しかなく、ほかは全て運動部でした。
乃々佳ちゃんは、真面目に練習には参加していたものの、積極的な理由で、卓球部に入ったわけではありませんでした。
そして、こうも言っていました。
「卒業したら、◯◯高校の漫画部に入る」と。

乃々佳ちゃんは、そのために、中学生のうちからその高校の漫画部の展示会に行ったり、暇さえあればイラストの練習をしたりして、日々努力を重ねていました。
私は、そんな乃々佳ちゃんのことが大好きでした。
だから、乃々佳ちゃんの描くイラストも大好きでした。
ただ、乃々佳ちゃんの隣で、私がそのことを伝えると、乃々佳ちゃんは決まって「下手の横好きですから」と謙遜するのでした。
乃々佳ちゃんのイラストは、一般的に「上手い」と言われるような作風とは、少し異なっていました。見本のイラストよりも、線がかたく、まっすぐになりがちで、形も歪になっていることがよくありました。

乃々佳ちゃんのイラストは、誰しもが「上手い」と、絶賛するタイプの画風ではなかったのです。
しかし、私は、そんな乃々佳ちゃんのイラストが、お世辞ではなく、本当に好きでした。
乃々佳ちゃんのイラストは、どれもとても丁寧に描かれており、キャラクターへの愛が伝わってくるものばかりだったからです。
乃々佳ちゃんは、イラストのことをなにも知らない私が側に近寄っていくと、イラストを描くための「コピック」という専用のペンのことや「トーン」という背景を装飾するためのシートのことなどを詳しく教えてくれるのでした。

好きな人が好きなものについて語っているのをみるのは、私にとって、とても幸せな時間でした。
そんな話を日頃から聞いていたからこそ、乃々佳ちゃんのイラストは、私の心により刺さったのかもしれません。
私は乃々佳ちゃんのイラストが、心から好きでした。
そして、そんな乃々佳ちゃんのイラストを、前のめりに楽しみにしている人が、私以外にも、もう一人いました。
それが伊原先生でした。
伊原先生は、あるときから、乃々佳ちゃんのイラストを額に入れて、美術室の目立つ場所に飾るようになりました。

そして、乃々佳ちゃんに会う度に「また書いたら教えてね」と、声を掛けるのでした。
乃々佳ちゃんは、そう言われる度に、大真面目に謙遜するのですが、美術室へ飾られる乃々佳ちゃんのイラストは、少しずつ増えていきました。
そして、増える度に、乃々佳ちゃんのイラストの線はどんどん柔らかくなり、見本のイラストに似るようになっていき、一般的に「上手い」と言われるような画風に近づいていったのでした。
乃々佳ちゃんのイラストが日々上達していることは明らかでした。
美術室へ飾られた乃々佳ちゃんのイラストを見る度に、私は自分のことのように誇らしく、幸せな気持ちになっていました。

また同時に、伊原先生への憧れや尊敬も強くなっていきました。
伊原先生の行動は、当時の私の目には、まさにヒーローのような、そのくらい格好いい存在に映っていました。

というのも、考えてみれば、ほかの部員と同じ行動ができない私も、休憩時間中とはいえ運動部での活動時間中にイラストを描く乃々佳ちゃんも、一般的な基準からみれば「問題児」と捉えられてもおかしくない行動をしていました。
しかし、伊原先生は、私に対しても、乃々佳ちゃんに対しても、短所に目を向けることなく、長所を伸ばしていくような接し方をしてくれたのでした。
私も伊原先生のように、誰かのいいところをみつけて、そこを大切にしてあげられるような人になりたい。
私はいつしか、真剣にそう考えるようになっていきました。

【記事の本文は以上です】
以下はこの記事のクリエイターである私からの挨拶です
こんにちは。
私の大切な人々との物語をお読み頂き、ありがとうございます。
この記事に登場した伊原先生も、乃々佳ちゃんも、私にとっては、辛かった時期に優しく手を差し伸べてくれた大切な恩人です。
記事を書くことで、昔の大切なエピソードを改めて振り返ることができ、とても貴重な経験ができました。
あの頃の気持ちを忘れずに、これからも生きていきたいです。
次回は、怒られてばかりいた私が初めて褒められたエピソードを記事にまとめる予定です。楽しみにして頂けたら嬉しいです。
もし記事が気に入って頂けましたら、ぜひ「スキ」や「フォロー」をして頂けると、とても嬉しいです。
次回は7月31日頃に更新予定です。
今後も、どうぞよろしくお願いいたします。
(2024年8月31日追記)
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