東京紀行2025/加瀬伊助|エッセイ(31,000字)
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東京紀行2025/加瀬伊助|エッセイ(31,000字) | 加瀬伊助 @TATSUnoTV #note https://note.com/kaseisuke2024/n/nc51560318452
~Paradise City, I want you please take me home~
初日 5月16日金曜日
1.蚊
同日午前2時。前日は一日暑い中で外仕事をしていた。5月になってから急に暑くなったり寒くなったりと、非常に過ごしにくい季節ではある。新緑は心地よく、遠くの山々の景色は素晴らしいものがあるが、体調は季節の変化についていけていないと感じる。仕事が終わって夕方にはもうくたくたになっていた。
帰宅してまだ途中になっていた旅行の準備を済ませて、そして寝た。ところが、夜中蚊に起こされた。寝ていたらいくつも刺していて痒くて起きるのだ。ぷーんときてパチパチと繰り返す。これがたまらなく腹立たしい。五月に入って二回目である。3月4月はまだ寒い。3月には雪も降った。まさか5月初旬の夜に蚊が出ると思ってもいなくて驚いた。そして今回は蚊が出る予感はしていたが、疲れて寝たため蚊の対策を怠ってしまった。それが非常に仇となった。体のかゆみとともに体の疲れが取れていないとも感じたのである。布団から飛び出していそいそと蚊取り線香を探しに一階に降りた。すぐに見つけて急いでガスコンロで火をつけ部屋に戻り、その線香を炊いた。もう大丈夫だろうと思ったが痒いやら腹立たしいやらなんだかだるいやら、苦しんだ。今朝は朝から大変不安な東京行きなのである。腕と顔の刺し傷を掻きながらなんとか眠りにつくことができたようで、あっという間に夜が明けた。
2.起床
目が覚めた。最近はアラームが鳴る前には起きていることが多い。蚊取り線香の火がまだ半分以上残っているので消した。机にあるコップの水を飲み干して急いで東京行きの支度にかかる。持っていくもの、着ていく服、バスと飛行機と宿泊時間などの予定を再度確認して各時間にアラームもセットした。時刻は8時。我が町のバスセンターまでは10時に着けばよいのでまだ少し余裕がある。忘れ物や思い残しがないかを確認しながら準備を補完しつつ時を待った。スーツのスラックスにワインレットの長袖のシャツにネクタイ。普段しないカシオの腕時計も左手首に巻いた。ベルトにはいつものより少しおしゃれな革製のブルーの腰バックを通して、中にはスマホを入れた。朝はいつも不愛想な母に「行ってくる」と一言残し、自転車に乗って駅近くにあるバスセンターへ向かう。自転車に乗るのは久しぶりなのでタイヤの空気を入れなおすためにUターンして少し時間を食ったが大丈夫だ、問題ない。5月の朝は空気が澄んでいてひんやりと涼しく、曇り空ながらも日差しは肌にぬくもりを感じさせた。上り坂を少しこぐと若干汗ばんだ。そして風を切って下り坂を自転車で突っ切るととても清々しい。空気はすかっと澄んでいる。それでも、とにかく不安なのである。ちゃんと東京につけるだろうか。バスも飛行機も長距離の移動も久しぶりでかつ、一人旅は初めてに近い。最後に関東に行ったのは20年前の彼女と一緒に行ったディズニーランドが最後だ。引きこもり体質の私には不安しかない。常にそうして不安を抱きながらも、ほどほどにスピードを出しつつも4キロほど先にあるバスセンターへと向かった。
3.バスセンター
自転車で15分ほど行くとわが町の駅があり、そこに自転車を停めた。駐輪場はばらばらと誰かが適当に自転車を停めてある。3日くらい停めても平気だろう。自転車に鍵をかけて、鍵をハンドバッグに入れるか腰のミニバッグに入れるか思案した。今回持っていく荷物はこれだけだ。ロンティー一枚と靴下一足がバッグの底に押し込められて入っている。めぼしい荷物はそれだけで東京の3日を過ごすつもりだ。男一人旅のネットカフェの旅。足りない物は買って捨てて帰ればよい。そのつもりで極力手荷物は減らした。実はそれも不安材料ではあったがそれは大したことではない。問題は17日のフェスに間に合うこと。そう考えれば、バスも飛行機も、成田からのバスも乗りミスしてはいけない。特に飛行機は致命傷になる。絶対に時刻通りに到着せねばならないのだ。そう思ってバスセンターの看板を眺めつつだんだん歩み寄って近づき、それと同時にだんだんと緊張してきた。ここでバスのチケットを買うのは10年ぶりか。
バスセンターの入り口付近に立つと、建物の角を曲がって一台の大きなバスが入ってきた。これではないと思うが、このくらいのサイズの高速バスに乗るのだろうかなと思い、建物の中に入った。建物内にはバスに乗る以外の用事で何度か来ていたのでさほどの懐かしさはないが、相変わらず閑散としているのかなと思いきや以外に客が大勢いた。すると入り口から韓国人団体客が列を作て入ってきたのでさらに少し賑わった。コロナ禍前までは激増していた外国人観光客も、コロナ禍でぱったりと止み、そしてまた客足が増えてきた格好である。子供はいなかったが若い女性から禿げたお年寄りまでいるので、会社の慰安旅行を思わせた。韓国人かどうかは言葉を聞けばすぐにわかる。たいていの外国人観光客は何かしらを話しているのでその連中が外国人であるし、また、どこの国の者かも意外にわかりやすい。だいたいがみすぼらしくはないがあまり上品でもない格好をしていることが多く、海外旅行を満喫しているというよりも近所のスーパーにお買い物に来たというようないでたちをしていることが多い。周りの目は気にしない。私は海外に行かないから何とも言えないが、わざわざ日本に来て何を楽しみになんもないうちの地元をプラついていたのかと余計な心配をしてしまう。
そんなことよりチケットを買わなければならない。案内人の方に聞いて福岡空港行きの高速バスのチケットを一枚購入した。壁に掛かっている時計のほうをちらっと見ると、韓国人旅行者たちが割合とおとなしく次のバスを待つ列に並んだので、私は近くの椅子に腰かけてスマホを片手にバスを待つことにした。どうやら同じバスらしい。出発時間少し前に建物の角を曲がってバスが来たので彼らと一緒にそのバスに乗り込んだ。
4.高速バス
中型くらいの青いバスの入り口に足を踏み出し、階段になっている入り口の通路を進んで適当に座席を見つけて腰かける。韓国人たちもぞろぞろと乗り込んできてほぼ満席になってバスはセンターを発った。まず第一の関門突破である。"バスに無事に乗ってそこから空港で降りて、飛行機の搭乗手続きをして飛行機に乗り、成田空港に着いたらバスを探してそこから新宿駅まで行く"。そのことを何度か頭の中で反復しながら、絶対にミスの無いように時間に余裕をもって行動することを念押しした。でなければ2か月間の構想が水の泡である。お金も無駄になる。大変な事態だ。そう思うと、ビデオを撮ろうとか写真を撮ってやろうとか余計な動作をする気力はハタと無かった。体調面の不安も常にある。風邪は問題ないと思うが、右手首の筋張った痛みは相変わらずだし、乗り物酔いや片頭痛など考え出したらきりがない。そうして気が抜けると忘れ物などもしてしまうものだ。万全の状態で目的地まで行かなければならない。旅とはそういうものだ。だからあまり好んで家を離れるようなことはしない。しかして、人生とはこうしたイレギュラーな重要な長旅が急に舞いこんだりするもので、なかなか自身を困らせてくれる。慣れている人からしたら大げさ極まりない些事かもしれない、だが私にしてはこの旅は一大事中の一大事となっている。とにかく気が抜けたものではない。ここまで心配に心配を重ねているのは実は幼いころに大きな失敗をしてしまったことがある意味トラウマになっているのだが、ここでは紙面の都合上割愛する。とにかく、尋常ではなく緊張しながら東京へと歩みを進めているのである。
高速バスは出発してからずいぶん快適で、各停車場に停まりながら順調に高速道路に進入していった。福岡空港へ向かう。この道は10代の頃は家族や友達とよく通っていた慣れ親しんだ道ではあるが、大人になってからは意外と通る機会は少なく、この道を通るとどうしても10代のあの頃を思い出す。何を買うというわけでもなく、みんなとゲームセンターやいろんな雑貨を見に行くのにわくわくしたあの頃を。福岡の都心部へは高速道路ではなく下道でもよく行った。途中暫くは田畑の平野が続いて山並みも美しい。高速道路はというと道幅も広く車線数も都心に向かえば多くなるが、田舎の平野道を開発して作られているため、比較的直線の道路が続く。また、山地もそれなりに多くてところどころ大きなコンクリート桁の高架橋の上を走る。今回高速バスには久しぶりに乗ったが、思った以上にスムーズな走行で、座席も柔らかく座り心地が良い。雑音も少なくスーッと走っていくので頭の中も随分と整理できた。また、同行しているはずの韓国人たちが非常におとなしいのだ。どうやら旅の帰り道のようでお疲れモードといった感じ。多分寝ているのだろうと思われる。私もまだ眠い頭で今回の旅の道中をあれやこれやと思い浮かべつつ、バスはだんだんと都会の方へと入っていき、ビルも立ち並ぶ街並みの中の立体道路を快走する。窓の外を見ていると、ちょうど大きなビルの大きな窓いっぱいに飛行機が反射して映り込んでいるのが見えた。普段は点でしかない飛行機が空港の近辺だと大きく見えるため、福岡空港が近くにあるということを知らせてくれる。あれが空港だ。遠目に広大な空港の土地が見える。かつてガルーダ空港の機体が事故を起こしてその残骸が残っていた思い出の箇所が見えてきた。久しぶりに来たな。そうして間もなく空港の入り口でバスは停車した。
5.福岡空港
12時過ぎの時刻通りにバスは到着。荷物は少ないが、念のため忘れ物がないかを確認してバスを降りた。席を立つときは必ず後ろを振り返る。これは大人になってもなかなか身につかないが非常に大事な習慣だ。空港の正面には大きな看板がいくつも建ち、バスが頻繁に出入りするだけあって、また都心からも近いこともあって空港入り口すぐそばの道幅は幅の広い数車線の道路になっている。何車線かは忘れた。
入り口から空港のロビーに入ると、広々としたロビーを人が大勢行き交っている。若い人も多いが老若男女がいる。そしてまた一見してわかる外国人が多い。おそらく中国・韓国人もいるのだろう。そうすると日本人客は3割くらいかもわからない。ただ、航空会社の人はこの先も日本人しか見なかったように思う。先ずは私の乗るPeach航空の便の乗船手続きをしなければならない。本当はANAにしたかったのだが、往復2万円以上の差額だったため断念した。3万円と5万円の差はあまりにも大きい。価格競争はシビアだ。ちょっと嫌だったが妥協してPeach航空にしたのである。
手続きをするのは初めてだ。なので前日にその方法などを電話で確認して臨んでいる。電話対応はあまり丁寧ではなかった。だがきっと大丈夫だ、と言い聞かせて電話の説明で教えてもらった手続きの機械へと足を運んだ。手順通りに入力してからQRコードのあるレシートみたいなのが出てきたのでそれをひったくってそのままカウンターへと前進した。列に並ぶための青いベルトの仕切りの案内に従ってすすむと、カウンターの近くで数人が前の人が手続きをするのを待っている。私も並んだ。ちょっと待って私の番になると、どうやら荷物を預けるための待ち合わせカウンターだったらしく、私には無関係だった。後ろには数人が列を作っていたので、こりゃまたしつれいしましたと受付けの人に愛想笑いをして階段を上がっていった。
腹が減っている。何か食べたいと思うが、まだ搭乗手続きが済んでいないので昼飯をどうしようかと考えていると、階段を上がってすぐのところにハンバーガー屋がある。一見して美味そうでかつ高そうであった。すぐ隣には搭乗手続きのための列がある。出航時間は13:20で今は12:30。この後どのくらい時間がかかるかがわからなかったのでちょっと迷ったが、背に腹は代えられないとか思ってしまってハンバーガーを食べることにした。人が並んでいたので近くのメニューをみるとハンバーガーのセットが1500円であった。高いなあと思ったがそれにした。会計をすると、焼くから5分くらい待てと言われてちょっと焦った。引き換えの機器とおつりを貰って待つこと5分。東南アジア風の店員から旨そうなハンバーガーのセットのお盆を引き換えてもらって近くのテーブルに座った。周囲の客は一見して外国人とわかる人が多く、何語かをしゃべりながらも楽しそうにハンバーガーをむしゃぶりついて過ごしていた。私は時計をちらちら見ながら、大口でハンバーガーを食べた。結局はポテトとジュースを半分以上残して席を立ち、搭乗手続きの列へと急いだ。
成田国際空港行きの搭乗口である。白人やアジア人風の外国人が多い。小さい子供の家族連れや若い女性の一人旅っぽい人もいた。いろんな格好をしている。近くを通ると国際風の匂いがふわっと香る。私の様に成田から新宿に行く人もいるだろうし、そのまま故国に帰る人もいるのだろう。人の旅の目的はそれぞれだが、人が志向して何か行動を起こすには費用が掛かるものである。飛行機やバスや食費や宿泊費やお土産代など、外国人達はそれらをどのくらい自ら負担しているかは知らないが、わざわざ外国から日本にやってきて費用を掛けて過ごすだけのよっぽどの価値や意思があるのだろう。私は前述の通り、今回相当の覚悟で東京くんだりまで足を運ぶつもりである。それがどれだけ大変な障壁であったかをここに残したいと思ったのだが、この空港の列に同列している彼らはどうも平然としてこの列に立っているように見えるのである。
まあ、ただそう思っただけのことである。列はスムーズに進み、時間には余裕がありそうなことがすぐに分かった。さっき食べたハンバーガーは高いだけあって肉汁がジューシーで非常においしかったが、ポテトとジュースをほとんど無駄に廃棄してしまったことを少し後悔した。
6.検閲
列を進んで入り口のドアを開けると検閲場であった。空港の緊張の風景である。本で読んだことがあるが、どこかの国の空港でマフィアが胃の中に麻薬を隠して運ぼうとしたところ、胃の中で破裂して空港の検閲中に狂い死にしたそうである。貧しい黒人の青年が不正をする末路のシーンが瞬間呼び起された。
通路横に梨の選果場のようなベルトコンベアにプラ製の青の網のトレーが並び、多くの人が自分の手荷物をそれに入れて奥へと流していた。検閲の職員も多くいてロボットの様に何かを伝え続けている。乗客はみんないそいそと自分の荷物の中ををガサガサと探りながら無機質に作業をこなしている。私は焦った。何にも悪いことはしていないのにどうすればいいのかが全然わからないの焦るのである。とにかく前の人の動作を真似して荷物を送る。私がゲートをくぐる番になった。「腰のミニバックも入れてください」と言われ、その通りにしてゲートをくぐるとビーッと音が鳴った。実はポケットにいろいろ入っていた。すぐに検閲官の職員が歩み寄って来て両手で私の体をはたはたと触り、行ってよいですよと前に進めてくれた。隣のベルトコンベアの上にはさっき乗せた荷物が流れ着いていた。それを選び出して身に着けて前に進み、機内への入口へと進んだ。テロ対策特別警戒中の看板がありその隣に警官風の警備員が暇そうに突っ立っている。これだけの多様な人種の外国人がニコニコと空港を闊歩しているのである。日本は平和だ。
7.機内
検閲所を出るといよいよ飛行機の中へ。向かう途中の窓からは普段見ることのない大きな飛行機の姿を見ることができる。甥っ子たちが喜びそうだと思ったが写真を撮る余裕がなく、そのまま通路を進んだ。アトラクションのような搭乗通路を進み機内へ近づく。機内への入り口に立っているPeach航空の制服を着た若いCAの女性がにっこりと挨拶をしてくれて私はピンク色の飛行機の客室に乗り込んだ。
20年前に乗ったANAの機内より狭い気がした。手続きの時にもらった紙に示してある座席に座ると非常に狭い。隣に二人の客が座る真ん中がその席で、とりあえず座った。少しすると50前くらいの黒服の清楚な格好をした女性が席を尋ねてきたので奥へ通した。格好の割には白いスニーカーを履いていたが凛とした感じが好印象だった。思ったより狭いため肩と肩が近く、少しだけ緊張した。その後すぐ隣の席に20代前半くらいの若い女性が座った。ジーパンでどことなく韓国人風恰好だがどうかわからない。手に書類を持っていてどうやら学生らしいがあまり確認はしなかった。二時間の狭いフライトの両隣りに奇麗な女性が座って嬉しくないわけはない。体臭のするデブなおっさんが座るよりはよほどうれしいよなどとと思っていたら機械音がしてきてゆっくり動き始めた。久しぶりの飛行機に緊張感が漂ってきた。
今は行っていないそうだが、高校の時に初めて飛行機に乗って恐怖した。あの時私は同級生たちが犇めく福岡空港のロビーで、『堕ちたら絶対に死ぬ』とかワーワー言って怖がっていた。怖がりすぎだと茶化されたが、実はみんなビビっているだろうと思って敢えて怖がって見せたのだが実際に怖かった。あの時の心境は今でもはっきりと覚えている。飛行機の墜落事故は現実ではほとんど起きていない。髪の毛くらいの細い確率である。だが、ガルーダ空港機は瓦礫になっていたし、最近は韓国でも旅客機の大事故は起きていたし、つい先日自衛隊のヘリが墜落したばかりだ。嫌なことが脳裏をよぎればそれは実現していなくても懸案事項として防衛線を貼るのが人間の本能である。この世で最も大事なものは自分の命である。その命を守ること、その命の周辺や取り巻きの人物はすべて大事なものであり、それらは自らの命の限りに大事にしていくべきものである。飛行機に乗るということは家にいるよりも自分の命が危うくなる瞬間なのだ。だから特に飛行機には乗りたくなかったのである。単純に嫌な思い出なのであった。多分、隣の女性達は私がそんな怖いなあとか考えているとは夢にも思わないであろうくらいにキリっとクールなたたずまいでピンと席に座っていた。割と美人なCAの女性2人が機内のアナウンスをしている。本日は満席だそうだ。つまりは先ほどいた老若男女がこの機内にすし詰めになっているとのことだった。CAさんはほぼ機械的に救命胴衣とか脱出路とか説明しているが、その緊急時にそんなものは役に立たないであろう。飛行機事故の緊急時は人はまず助からないし、緊急時のパニックは今の平和人たちには荷が重すぎるミッションだ。機内モードにすらできない乗客たちにその言葉は届いていないであろう。だが彼女たちはアナウンスが仕事だ。ただそれだけのことである。大事なのはせいぜい『間もなく発進いたします』という情報くらいであろう。
8.フライト
一旦動き出した機体はゴーッという空調全開のような音を出し続けて停まっていたが、CAさんのアナウンスが終わったと同時にまた動き出した。今度は一気に速度が上がり、窓の外を見ると普段あり得ない速度で景色が流れていった。低音のゴーッという音がさらに強くなったその瞬間に体が下にグンと引っ張られたかと思うと飛行機は離陸した。体が斜め上を向いているのがわかる。これは本当に不思議なことだ。空を飛ぶということはこういうことだろうが、嫌に体が引っ張られて気分が悪い。左のマダム越しに見える窓の外の景色は眼下に住宅街と山が小さく見え、どんどんと遠ざかって上空へと昇っていく。耳が詰まるので喉の奥のほうを操作して耳抜きをする。
アナウンスで、天気が良くないから揺れますが心配はないということを伝えてくれた。機内ではそう言うだろうということはわかっている。墜落する可能性はゼロではありませんが頑張ってまいります、ということだ。心配がないわけではないが落ち着きなさいということだ。問題は天気である。実は予報ではあまり天気は良くないということだったが、本日の天気はところどころ曇り空ではあった。風が吹く日かどうかは地上ではあまり良くわからなかったが、上空ではおそらく風が吹くのであろう。アナウンスからはそう読み取れたが、何とも言えなかった。飛行機は割と大きな重低音の機械音と風を押しのけて進んでいるようなゴーッという音とうっすら聞こえるピー音の高音が鳴り響いていた。空気は空調をよく回しているがこれだけのすし詰めの状態なのでいろんな人々の体臭と口臭とでむせかえっていると思うとさらに気分は悪い。
途端に機体がカタカタと細かく擦れる音がして上下に細かく揺れ動いた。そしてゴゴゴゴという音はしないが機内がガタガタと揺れだした。ええっと思った瞬間左向きに機体が傾き急に下降しだした。堕ちる!!と思って心臓が急に負担がかかった。たが実際にはおそらくそんなに傾いたわけでも下降したわけでもなく、ちょっと飛行機が揺れただけだったようだ。すかさずアナウンスで、『本日の気候は今のような揺れが続きますが安全性には全く問題がない』だとか何とかを言っているが、そんな言葉には騙されないと思ってしまった。やばいよやばいよと思って仕方がなかった。2万円をケチったことを激しく後悔した。こんなことならば、、、。とも思ったが、機体はあと2時間かけて成田へと向かうのである。もうどうしようもないこともわかりきっていた。腹をくくるか、と言い聞かせて私は一ミリも動くことができない座席で秘かに覚悟を決めながら飛行機と共に乗っている老若男女と運命を共にすることを誓った。
途端、ドスッと腹の下を殴られたような感覚になったと思った瞬間に今度は機体が左右に揺れだした。まるでそろばんの珠をゆっさゆっさと揺らしたかのように座席から伸びている乗客の頭がみんな仲良く左右に揺れて動いた。離陸して30分から1時間の間にそれが何度か起きた。そのたびにマジか!と聞こえるか聞こえないかの声を発して死を恐れた。後ろの席から『ウヒョイ』という変な女性の悲鳴声が聞こえたときは非常に気味が悪かった。
窓の外は雲の中だからなのか景色はあまり見れない。機体は雲の中や上を縫うように運航していて、直線上をまっすぐ成田に行っていないように体感した。どことなく左に旋回しながら嵐を避けて航行しているようにも感じた。とにかく機体がガタガタと揺れるのである。ガタガタと音はしないが体が揺れるのと常にゴーっという音が鳴っているので感覚がおかしい。20年前はこんなではなかった気がするが、もうずいぶん昔のことだからどんな様子であったかは忘れた。ただ飛行機は怖いということはしっかり覚えていた。しかしここまでとは。そんな嫌な時間はしばらく続いた。機内は消灯すると言っていたがいつのまにか消えていたようで、薄暗くなっている。外を見るといつの間にか雲を抜けて青空の中にいた。上空およそ1万mくらいとさっき機長が言っていたような気がするが、ずいぶんと高いところに来たようだ。東京大空襲では約1万mの高さからB29の編隊が爆弾を落としていたらしい。当時は無かったが、現在はGPSやレーダーなどで座標管理しながら、天候など適格な情報をもとに飛行機は確実に目的地に着くことになっているのだろう。実に安全だ。敵機に掃射されることもない。そう言い聞かせていたら今度は窓から真っ白な雲が近づいてきた。よく見ると遠くの方は雲海のような雲の海が飛行機の下方に無限に広がっていた。5月の強い紫外線を雲が反射してまぶしい。そして機体は雲の絨毯に胴体から乗り上げるようにして突入するとまた上下左右に揺れた。だが離陸してすぐのような大きな揺れは起きなかった。どうやらようやく航行が安定してきたようだ。隣のマダムも飛行が落ち着いてきたからか手荷物からハンバーガーのようなものをガサガサ取り出して上品に食べ始め、右隣の学生も講義の問題集のような書類を眺め始めた様だ。私はというとやっぱり生きた心地がしなかった。かつて米軍の空母を見事に撃沈したという潜水艦乗りの方の証言では、その後護衛の逐艦から7時間狙われ続け、対潜水艦爆弾を落とされるたびに機体が大きく揺れるたびにまるで死刑台に首を差し出したようだったとのことである。その話が何度かよぎったが、同じ心境でもあるし、その方に笑われてしまうなとも思った。だが、怖いものは怖いのである。そうこうしているうちにCAさんから間もなく成田に到着するとアナウンスがあった。マダム越しに窓の外を見ると、関東上空であろうか住宅や田園が眼下に見えた。機体が前のめりになったと思うと左に大きく旋回し始めた。座っていても良くわかるが窓の景色がぐんぐんと近づいて見えた。そして成田空港内に入るとそのまままっすぐ滑走路に降りて行った。機体はランディングギアを出していたらしく、ドスンと着陸してそのまま走り抜けた。ギュンと急ブレーキをしてその後ゆっくりと停まった。助かった、と思うと一気に安堵感が胸の奥に広がった。それにしてもあらためて空を自由に飛べる飛行機とは凄いものだなと思い、同じ恐怖を体感した乗客と共に機体を降りる列に加わった。席を立った際に左のマダムの顔を初めて見たのだが思った以上に美人だったので少し驚いた。
9.成田空港

飛行機を降りたらすぐバスに乗るように指示された。乗ってわかったが空港内はとてつもなく広い。この立地は千葉県だからできるということが改めて分かった。かつての『新東京国際空港』はその成立においていろいろなことがあったと聞くがほとんど何も知らない。ただ、千葉県にあるということは知っていたので、新宿までは高速バスに乗ってい金ければならない。この詳細については現地で確認しようと思っていたのでバスを降りたら案内の職員を尋ねよう。ここまでくればもうずいぶんと安心できるものである。だだっ広い空港内にはジャンボジェット機が何台も停まっていた。飛行機という最大の難所をクリアした私はようやく余裕が出てきたために、ここに泊まってある色とりどりの飛行機たちを写真に撮った。一眼レフで撮りたかったが当然持ってこれる余裕がなかった。いつか写真を撮る旅行もいいかもと思ったが、やはり家にいたほうがいいといって一生やらない気がした。
バスを降りるとターミナル入口に降ろされた。そしてそのまま建物内に入り、バスに乗るために出口を目指した。ロビーには福岡空港以上に人が多くさらに外国人で溢れかえっていた。割合としてはもう9割以上が外国人であったと思う。黒人から白人まで全ての人種がそろっていたと思う。まるで何とかのバーゲンセールの様に外国人が溢れかえってそしてワーワーとでかい声で騒ぎまくっていた。もう私としてはここからすぐに出なくてはと思ってしまって早足になった。なんでこんなことになっているのだろうか。まあよくよく考えればここはかつての『新東京国際空港』なのでそりゃあ外国人の蝟集する場所である。国際人が来るところなのだ。そう思って落ち着こうと思ったらどこからともなく妙な臭いが漂ってきた。なんというか、6月の流し台の下においてあるゴキブリの毒餌の匂いというと例えが悪いが、はっきり言って嫌な臭いであった。どこから匂ってるのだろうか。飛行機に2時間以降揺られた身としてはたまらないと思い、さらに早足で案内所を目指した。その後も香水や体臭や何やら嫌な臭いがやたら漂うロビーを早足にて出口に向かって進むと、ちょうど出口付近に高速バスの案内所があったため、急いでチケットを求めて出口へ進んだ。どうやらすぐに出発する時間になったためさっさとバスに乗り込んだ。
10.新宿へ
バスに乗ったほぼすぐに出発した。空港からすぐに高速に乗って約一時間で新宿駅に着く。朝起きてからここまでずいぶんとシミュレーションしてきたがこれでもう今日のほとんどのミッションは終了である。バスに乗りながら思いっきり安堵した。後は新宿で降りさえすればよい。そこから目的地の高田馬場のネットカフェまでは歩いていけるだろう。これまでの気苦労がなくなった瞬間だった。そう思うとなんだかどっと疲れが出た。今思えば機内から若干頭が痛かった。それでも後は何をすることもない自由時間だ。今日は誰に会う予定もないため気楽な一人旅をすることもできる。そう思うとなんだか色々東京を見て回るのも良いのではないかと思うようになった。高速道路の外の看板や道案内の版には、木更津や浦安など何やら聞き覚えのある地名が所々に出てきた。新宿も高田馬場も八王子なども聞き覚えがあり、なんだか響きがかっこいいと思ってきたのである。そこで何をするということもないがぷらついているとそれだけで良い雰囲気を得られそうな気がしてきたのである。なるほど、日本に来る外国人とはそういう気分で我が地元をうろうろしているのかもしれないなと思った。一番前の席に乗ったので気付かなかったが多分大勢外国人が載っているのであろう。変な臭いは特にしてこなかったのでバスは快適に新宿へと向かっていた。
成田空港を出てすぐの土地は田んぼや山が多く、関東の郊外とはいえ田舎味を感じることができたが、やはり住宅は多くベッドタウンという感じかと思われた。道も福岡の都心へ向かう高速道路とほとんど同じ構造というか、全国一律の第一種道路という感じだった。交通量は相当多いので、一種の2級道路ぐらいだろうかなどと思いながら外を眺めていた。
すると左手にお城のような巨大な建物が見えてきた。なんだなんだと思っていたら、なるほど、ディズニーランドであった。一度行ったことのある思い出の地だ。懐かしいなと思ったが、良き思い出はともかくディズニーランドそのものは私は好きではないのだ。見るも豪華なディズニーリゾートホテルとアトラクション施設が車窓いっぱいに広がっていた。
地図を特にみていなかったので細かくはわからないが、千葉を出て東京に入ったかと思われたころから急に都会の様相を呈してきた。ビルが立ち並びそのビルが高い。ただ、福岡の都心とそこまでそん色はないなと思ってはいた。福岡もかなりの都会だが、東京はその範囲が広く、都心がいくつも連なっているというイメージである。関東圏というくくりを嫌う人もいるようだが、関東圏は世界最大規模の都市構造であるということだ。だがそれもひとえにいいことばかりではない。高速道路から見られる施設の老朽化はおそらく近い将来未曽有の耐久性能の危機に陥るだろう。鉄製の施設はさびが泣いたように発している箇所が複数ありそれがあらゆるところで多く見られる。コンクリートも経年30年以上たっている施設は相当あると思われるが、コンクリートの寿命は50ねんといわれているのを理解している人は世の中には少ないであろう。極端な話、50年経ったコンクリートは剥がして取り壊して再度打ち直さなければならないということだ。そんな予算や人材が今の我が国にはあるだろうかというと、はっきり言って無い。これは本当に危機的な状況にある。東京の高速道路からちらっと見えるところだけを見ても相当に危機感を新たにした。もっとひどいところはたくさんあるだろうし、これは東京圏だけでない全国的な都市部の大問題なのだ。都市部には都市部の、山間部には山間部の都市問題が山積していることを確認しながら私は新宿へと向かった。そろそろ新宿着くかなと思う頃には立体交差の連続した大都会の真ん中にいた。車線は狭いのに複雑な道路構造の2種道路と思われる道路を走行していると、右手に都会の森林が見えた。皇居だ、と思ったが確認はしなかった。不思議な空間である。ちょっと気付いたのだが、施設の外の空間に意外に人がいないのである。皇居と思わしきところの周りにもあまり人がいる気配が少ない。そんなもんなのかなと思いながら乗っていると高速を降りて一気に人だかりの中に出た。歩道にはうわさ通りの『息が詰まるほどの人波』に出くわした。さすがは東京のど真ん中である、そう思ったがやはり博多のど真ん中とそこまでの差はないのかなと思ってしまった。これもまた規模の問題で、東京の都心はこの規模の都心施設がいくつもあるということであろう。人が多く老若男女ではあるがやはり若者が多い。そして一見して外国人も多い。道路はタクシーやバスが多く一般車はあまり走っていなかった。また、見かける一般車はベンツやBMW等の高級車が多かったように思う。こんな道路は運転したくない。ある交差点は三車線道路が二連で繋がっていて、交差点の進入口が3車線×6の18車線交差点になっていた。ぽっときて観光できるような場所ではないのである。そうこうしていると巨大なビルがみえて驚いたらどうやらそこが新宿駅だった。バス停に到着したので降りた。終に東京新宿に到着したんだと思った。家を出てから新宿まで、8時間の時間を経てここまでたどり着いたと思うと、なんだかあっけない気持ちになった。
11.ラーメン十味や

新宿の百貨店前というバス停を降りた途端なんだか寂しくなってきた。とにかく無事に新宿まで到着することが今日の最上命題だったため、それが終わって急に徒労感が生じてか、急な喪失感に襲われた。周りを見ると人だらけでみんな何かを求めて彷徨っているようで、自分みたいに何も目的もなく佇んでいるのはなんだか申しわけない気分になったようだ。そうこうしていると、とにかく目的地に近づこうと思い、目的の高田馬場を目指すことにした。スマホの地図を見ながら目的地を見ると、新宿からすぐ近くにあるように思われる。ここから歩いて十分行けると思うと、そんな急ぐ必要も無いのだからと思って適当に歩いてみた。そういえば久しぶりに後輩から電話がかかってきていたのでかけなおすことにした。普通に今新宿だということを伝えるとあまり驚く様子もなく淡々と用事を話した。電話を切ったらまた用事もなく都会に佇む人になった。花金の夕方六時の新宿である。サラリーマン風の集団や奇抜な格好の女子などとにかく若い人が多かった。言わなくてもいいと思うが外国人も常にいた。全く身に覚えもない町だが、スマホの地図があるために全く何も恐れるものはない。地上の徒歩とは意外に落ち着くものである。そうこうしていると急に腹が減ってきたため、どこかで何かを食べようと思った。見せは選びたい放題ではあるが、なるべく手ごろなものがいいと思いきょろきょろしていると目についたのが『ラーメン十味や』。味噌ラーメンの店だ。新宿のど真ん中で出している店だ、まずいわけがなかろうと思い迷わず入っていった。中は狭く、カウンターの中で若い女の子のバイト風の店員がラーメンを作っていた。普通の味噌ラーメンを頼んでセルフの水を注いで飲んでいた。ちなみに、飛行機の中以外の時間では常にスマホでXやyoutubeのアナリティクスを交互に見ていた。本当にスマホは便利だが、その便利さを覆い隠して何かを失っているとは思う。それが何かはわからないが、健康であったり人とのつながりであったりコストであったり、便利の裏には何か良からぬものが潜んでいるという感覚は常に持っておきたい。
そうこうしてラーメンが来た。見た目からして非常においしそうだったが、その通りに十分美味しかった。名前を覚えようと思い調べて初めて名前が『とおみや』と読むことを知った。850円で大盛りが無料だったので大盛りを食べたので腹いっぱいになった。店を出て地図を片手に高田馬場の方向へ歩いて行った。

12.新宿を歩いた

私のイメージでは、新宿といえばシティーハンター。そして冴羽獠のヒーロー観は私の配信活動の根底にある正義そのものでもある。闇社会の悪を非合法で裁くというのは今の私には無用のものだが、漫画を読んでいた頃にはかっこいいなと思っていた。だが現実世界では悪が栄え正義はその芽が出る前に打たれるということが良くわかってきた。悪が巨大すぎて立ち向かうということをはなっから諦めてしまうのが当たり前になって社会を構築している。それが今の社会というのを今ではよく知っているのである。冴羽獠のいない新宿。私は冴羽亮のいない新宿を歩いた。
ラーメン屋を出てとりあえず高田馬場に行けばよろしいと思ってその方向と思しき方向に向かった。その方向には常に人がいる。どこを見ても人ばかりで時たますれ違いざまに軽くぶつかる。駅前の巨大な交差点を抜けてとにかく方向に歩けばそのうちつくだろうと思いながらプラプラ歩く。一日の飛行機とバスの乗り継ぎはただ座っているだけだが中々に疲れがたまっていて、歩く時間と共に疲れがたまっていくのがわかった。都会の風はどこか臭く、通行人の匂いではなく下水の匂いというところだと思うが、アーケードっぽいところや高架下のような閉じた空間を歩くときはところどころ下水の匂いがした。周りは飲食店や雑貨屋やコンビニなど所々にあるのだが、場所によってはいろいろなにおいが混じて非常に微妙な臭いを醸し出していた。糞尿ほどではないが、それに近い嫌味のある匂いがプンと鼻をついてきた。学生やおっさん、女の子や様々な国の外国人の集団が常に隣にいながら歩いた。ただ街ですれ違ったり同じ方向を向いて歩いたりしているだけでなんの関係性もない。まさしく通りすがりの者たちの巨大集団と共に歩く。この感覚はなんというか、何も意味のないことだと思った。彼らは空気であり自分には何にも恩恵のないものだと思ってみた。声を掛けてくれるわけでもないし、お金をくれるわけでもないし、極々低い確率だが中には悪さをしてくる人がいるかもしれないがそんなことに遭遇はしないだろうから実質な無関係な諸君である。無関心でいられるのである。というか関心をもってはあまり良くないものである。実はそれというのは政治的無関係という理解と似ているとふと思った。社会共同体とは通行人の関係だと思わされているようだ。しかし、本質的に通行人と社会共同体は違うのだ。納税したり公共サービスの恩恵を受けたり会社を共有したり直接的に接触したりするのが社会共同体だが、一方的に恩恵だけ受けて面倒くさいことは放置したり無視したりしている。そういう人間は社会共同体の構成員ではなくてダメ人間だ。そのダメ人間とただの通行人の関係で付き合いをしようとして我が国の共同体運営は失敗しているのだ。新宿を歩いていてそんなことを思った。『知らない。俺に悪さしなければ無関係』と思っている。そう思っている傍らでいろんな人がしわ寄せを食らっているのではないか。じりじりと後退させられてがけっぷちに立たされているのではないか?がけっぷちを転落している人を放置してさらに悪さしているのはその無責任な奴らだぞ。そんなことを思ってしまった。そう思いながら私は私に全く縁もゆかりもない大勢の人たちと空間を共有し、そして高田馬場へとさらに歩みを進めて向かっていった。

13.大久保通り
何時ぐらいだったかは忘れたが、バスから降りて15分くらい歩くと新宿の駅前のような喧騒は減ってずいぶんと人は減ってきた。よく見ると巨大なビルは無く、割と郊外の住宅街のような雰囲気の場所に出た。隣を歩く人の数も減ってきたが一つおやっと思った。さっきまではおっさんとか学生とかが混じっていたが、この辺りには若い子と明らかな外国人しかいないなと思った。目の前には若い女の子が二人で楽しそうにおしゃべりしながら歩いていた。
周りを見るとハングルとかk-popのアイドルの店等が急に散見されるようになった。二十代の時に麻雀漫画の『聴牌』を好んで見ていたときに大久保通りというところが出てきたなあと思ったのを思い出した。かなり危険な雀荘があったと記憶しているが、今こうして歩いてみると危険というよりも韓国人街という印象を持ったということと、韓国人だけじゃなくて他の人種の外国人があちらこちらにいるということに気づいた。東京は怖いところだという言葉は田舎者としてはよく聞いていたのだが、東京は外国人だらけのところというイメージに変わってしまった。この通りに今歩いている人のほとんどはパッと見たところほとんど外国人だ。もうどっと疲れてしまった。新宿から20分以上歩いている。スマホの地図をちらほら確認しながらこうして歩いているのだが、現在地のマークから察するにようやく半分を超えたかそのくらいだった。私は測量士なので地図は見れるよと思い込んでいるが、ざっと地図をながめて見た程度では大事な情報を見失っていた。この感じだと高田馬場の目的地までは5キロくらいあるな。5キロ歩くとなると田舎でも車で10分以上はかかる。電車に乗る練習のつもりで電車に乗ればよかった。革靴なので足は重いし汗ばんできたので服も汚れる。そう思いながら大久保通りの道をコツコツと歩いた。目の前を日本人の女の子が楽しそうに歩いている。さっきからずっと二人のストーカーの様に一緒に歩いていたようだ。聞こえてくるのは日本語だが何を話しているかまではわからない。東京の人たちは日常からずっと外国人たちと共存しているのだろう。私はそれがとても耐えられないと思った。無関係でいたいと思った。しかし、社会共同体とはどこに住んでいようが無関係ではいられないということをよく知っている私は、自分の置かれている現実に非常に残念な気持ちになった。この時目的地まではまだ10分以上歩く必要があるようであった。

14.ネットカフェへ
トイレに行きたい。もうどうもまずい。新宿で最後に用を足してからそんなに経っていないのに、運動をしたからかトイレが近くなったようである。コンビニに立ち寄ると、トイレは貸してませんとの張り紙がトイレに貼ってある。そりゃそうですよねと思いながらコンビニを出る。少し歩くと目の前に目的地のビルがあるのに入り口がわからない。どうしようもなく辛いがそれはもう我慢をするしか仕方がなかった。
我慢しながら落ち着いてビルに歩み寄り、入口らしき場所を見つけて安堵した。後は案内に従って目的地のネットカフェへと"なるべく"急いだ。7階のカフェのカウンターについてすぐトイレを貸して下さいと伝えてから用を済ませ、入店の手続きをした。新宿駅からここまでに相当の汗をかいた。早く横になりたい。
手続きはやや手間取ったが無事に入店でき、ブースに入った。正にイメージ通りの普通の狭い部屋で、値段も安いため文句は無かった。敢えて言うと、店員が不愛想でサービス精神のかけらもない日本人店員であったくらいで、それでも仕事をちゃんとこなしてくれていたので文句はない。そこを削ってコストを抑えているのだ。そもそもネットカフェの店員にそこまでを求めてはいけないと思っている。だがそうしているとネットカフェの店員はもう時期に職を失うであろう。それも文句は言えないのである。さらに言うとその負担は社会が担うのである。弱肉強食というか自然の摂理というか、因果応報なのである。
とにかく最終目的地に到着したため私は冷静さを取り戻した。サービスのジュースとソフトクリームとお茶を注いでブースに戻り、さっさと頂いて荷物の整理やシャワーの準備をして寝る準備にかかった。時刻はまだ8時過ぎ。わざわざ東京くんだりまで来て、そしてまだ夜は長いのはわかっている。だが、もうこれ以上何もしたくないという気持ちが強く、この空間から出る気力を完全に失っていた私は、さらにお茶を注ぎ、シャワーを浴びて、またソフトクリームをうねうねとコップに落とし込んでからだらだとブースの中でくつろぐことにした。シャツを着替えてパソコンを見ながらソフトドリンクを飲んでスマホのチェックをして椅子に腰かけた。まるで家にいるかのような安堵感があったのは、多分ずいぶんと疲れていたからだと思う。靴下がとんでもないことになっていたのでごみ箱に捨てた。毛布は薄いタオルケット一枚だけは使えるらしい。そうだ、これまでの旅の記録をまとめよう。手帳にも走り書きをしていたのでそのあたりのスケジュールのチェックももう一度しておこう。手記のタイトルはどうしようか。『東京紀行2025』にするか。
2025年5月16日金曜日 20:30頃迄

東京紀行2025 ~Paradise City , I want you please take me home~
復路編
5月18日日曜日
15.起きた
午前9時30分頃に、私はネットカフェのブースの中にて目覚めた。昨夜カラオケから帰ったのが3時半くらいで、いまだフェスの感動と皆さんとの交流会とカラオケの余韻を感じながら、それでもどっぷりと疲れていた私は、ネットカフェに着いてから寝る準備をしてからあっという間に寝てしまった。夜中の3時頃までわいわいと騒いで遅くに帰るのは、30代の前半の頃にライブ前のスタジオで20人くらいで練習をしていた時以来かも知れない。二十代の頃は毎週そんな感じだった。10年近くそんな経験はなかったように思う。私は基本的に早く帰るので。昨日の出来事だが、朝から晩まですべて楽しい思い出ばかりで、非常にいい思い出になったことを少し反芻して、眠い朝にも再び昨日のフェスの満足感が少し脳裏をよぎった。
予定では準備をしてすぐにここを出て、そのまま成田行きのバスに乗らなければならないことになっている。帰りの飛行機の出発時刻は16:30だ。十分余裕がある。あまり詳しく調べていなかったのだが、ここまで来ているのでもうどうにでもなるだろうと思い、ゆっくりと帰り支度をした。シャワーは就寝前に済ませてあるので今朝は必要ない。気温は空調のおかげで少しだけ肌寒いほどで、割とさっぱりと起きることができた。前回はパソコンもドリンクも元を取ってやるとばかりに多用したが、今回はほとんど手を付けていない。ブースの引き戸を引いてのそのそとドリンクコーナーへ向かい、ホットコーヒーをディスペンサーから注いでまたブースへと戻る。壁に貼っている萌え系アニメのvtuber風の女の子のキャラクター達が賑やかだ。お客もそれなりにいるようで、沢山あるブースの入り口には使用中の雰囲気のものがちらほらとある。奥の方のビリヤードスペースには既にビリヤードを楽しんでいる若いグループがいた。十代のころ友達とビリヤードをしたことがあったがあまりはまらなかったな。すたすたとマイブースに戻ると狭いスリッパ置き場のスペースにスリッパを脱ぎ、寝床兼用のマットの上にあぐらをかいてコーヒーを飲んだ。やっぱり朝は温かいコーヒーを飲みたくなる。お茶でも可である。
再び飛行機の出発時刻16:30を確認する。まだ早いな、と思ってはいけない。ここは東京、見知らぬ街である。そして空港へは発時間の90分前には着いていなければならない。バスの時間も自分の行きたい時間に着くわけではないのだ。猶予と余裕が必要なのである。侮ってはいけない。昨日のフェスは最高であった。だからこその帰るまでがフェスなのである。家に帰り着くまでが運動会なのであった。そのような思いを噛みしめながら私は荷物整理をして着替えをした。ちなみに着替えはロンティー一枚しか持ってきていない。靴下は一足は捨てたが二足目はもう一日履くしかないのでその厳しいものを履いた。ロンティーはビニール袋に入れてバッグの底に押し込んで、私は昨日買ったオレンジのシャツを肌着の上に着た。しっかりした生地の参政党Tシャツである。参政党のカラーは橙色なので、中にはオレンジという表現を嫌う人がいる。私はそれでもオレンジという表記を好んで使いたい。もちろん橙色という表現には参政党の想いが込められているためこだわりを持ちたい人の気持ちはわかる。だが、一見して明らかに間違っているとは言えないものをむやみに否定して回るのは良くないことだ。人にはその人それぞれの想いがある。そのそれぞれの想いに至るにはその人独自の経緯があり、人生や運命があるというバックグラウンドを慮ることが大事なのだ。『私がそう思うのだからあなたもそうしなさいよ、そうしろ!』というのは利己的で傲慢なことである。オレンジ色と橙色とを明確に見分けられて指摘できる人がこの世に果たして何人いるだろうか。そんな人はあまりにも少数派で受け入れてもらえるかどうかもわからない狭い思考の中の住人なのである。こだわりは大事だが固執してはいけない。特に、社会を導いていくリーダーたるべき参政党の支持者の人たちにはそこをしっかりわきまえてほしいものである。そういえば『オレンジボーイズ』という名前の漫才コンビも参政党には所属しているようである。そんなことを思いながら私はオレンジ色のシャツを装備した。新品のシャツの柔らかい心地と爽やかな布の匂い。オレンジ色の戦士に今私は初めてなった。やはり装備品はただ持っているだけでは意味がない。装備して初めてその効力が発揮できるというもの。参政党のシャツの装備効果は『目立つ』である。茂木誠さんも認めた『参政党の戦士』という非常に強いアピール効果で味方には勇気を与え、そしてモンスターを引き寄せる。まるでピラミッドに眠る"黄金の爪"のような勇ましい思いを抱かせる装備品である。実に不思議な気持ちになった。この気持ちは一生忘れることはできないであろう。大げさではなく本当にドキドキした。そんなことを思いながらブースの中でパシャリと一枚カッコつけてシャッターを切り、Xに投稿した。感無量である。そうして準備をしているともう既に11時半を過ぎていた。まずい急がねば。お土産などの荷物をすべて持って、忘れ物がないかをしっかり確認した後、私はネットカフェを出る時に『さらば東京!楽しかったぜ』と思った。

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