絶望を遠巻きにしない
新しく始めたエッセイの連載です。
毎月、15日と30日の夜に、アップします。
今回は、「絶望」について。
バックナンバーは、『人生は「何をしなかったか」が大切』というマガジンに入れていきます。
「絶望」は禁句だった
『絶望名人カフカの人生論』という本を出したのは2011年のことで、東日本大震災のあとだった。
当時は、「絆」とか「がんばろう」とか、ポジティブな言葉ばかりが世の中に満ちていて(「絆」は「今年の漢字」にも選ばれた)、ネガティブな言葉を使うと顰蹙(ひんしゅく)を買った。
実際、『絶望名人カフカの人生論』は書店でのフェアの申し出が、書店側からあったのに、「上から『絶望』と入っている本をたくさん並べることはダメだと言われまして」と中止になったり、ラジオ番組に呼ばれたのに、「パーソナリティの方が、『絶望』という本には手もふれたくないとおっしゃっているので」と帰されたりした。
これらはまだ、フェアをやろうとか、ラジオに呼ぼうとしてくれただけ、ずいぶんありがたいことで、そもそもあちこちで拒絶されていたことと思う。
担当の編集者さんも、他の用件で会った作家さんや書店員さんに「最近、担当した本です」と手渡そうとして、ずいぶん受け取りを拒否されたそうだ。
今は、「絶望」という言葉がタイトルや帯に入っている本は多いが、当時はほぼなかった。
ある編集者さんからは、「雑誌で『絶望』と入った特集を見たことがあります? そんな特集を組んだら売れないからやらないんですよ」と、タイトルへのダメ出しもされた。
しかも大震災後だから、なおさら拒絶反応があったわけだ。
私はタイトルのせいで拒絶されることは覚悟の上だった。
それでもタイトルに「絶望」と入れないと、絶望している人に気づいてもらえないと思った。
とはいえ、これほどポジティブ信仰が強く、ネガティブ排斥が強いとは、予想以上だった。
出版社の社長さんは原稿を読んで気に入ってくれていた。だから「絶望」というタイトルを入れたまま本を出すことができた。
しかし、その社長さんでさえ、売れるとは思っていなかったらしく、お会いしたときに「うちも売れる本ばかりではなく、こういう本も出すんですよ」と言われた。
ところが、10万部以上売れた。読者からの反響も驚くほどたくさん届いた。その中には被災地の方からのものも多かった。被災地の方々から怒られるどころか、喜んでもらえたのだ。
被災地の方々にも受け入れてもらえたことは、意外ではなかった。なぜなら、私も難病という個人的な災害にあって苦しみ、そこから「こういう本があってほしい」と思って書いた本だったからだ。苦しんでいる人から、この本が嫌がられるはずはないという確信があった。
実際、こういう本を求めていた人は多かったわけだ。
絶望をポジティブの真綿でくるんで
と書くと、売れる企画を立てた自慢話のようだが、もちろんそうではない。
絶望の本を求めている人は多いはずと思っていたが(自分がそうだったので)、それがどれくらいの人数なのかはまったくわからなかったし、そういう人たちは読書どころではない場合がほとんどなので、売れるかどうかというのは、さっぱりわからなかった。
ただ、必要な本だと思っただけだ。
自分が欲しかったのだ。
「出版時期をもう少し先にしては」という提案もあった。
ポジティブな風潮が少し冷めるまで待つということだ。
しかし、それも嫌だった。
災害が起きたり、病気になったり、不幸な出来事が起きると、それ以上、その人たちを傷つけないように、周囲は気を使う。
ポジティブなことばかり言って、ネガティブなことを言わないようにするのも、そのひとつだ。
しかし、それはどうなのだろう?
絶望を、ポジティブの真綿でくるんで、遠巻きにしているように思えてしまう。
絶望している側としては、遠巻きにされたくない。
それでは、いつまでも孤独なままだ。
絶望と自分とで抱き合って、転げ回るだけだ。
多摩川水害を描いた『岸辺のアルバム』
『絶望名人カフカの人生論』を出したあと、作家の山田太一さんとお会いして、お話する機会があった。
山田太一さんは『岸辺のアルバム』という、テレビドラマ史の転換点となった伝説的なドラマの脚本を書いている。1974年に起きた多摩川水害をモチーフに、その実際の映像も使って、1977年に放送されたドラマだ。
マイホームを持つことが庶民の夢だった時代に、この多摩川水害ではそのマイホームが一軒、また一軒と流されていく様子が、映像としてテレビで流され、多くの人たちに衝撃を与えた。
その多摩川水害をモチーフに山田太一さんは、家族がだんだんに崩壊していき、ついに洪水で家まで流されるというドラマを書いた。
私は多摩川水害のことはよく知らなかったし、『岸辺のアルバム』も何度目かの再放送で、昔のドラマとして見たので、災害をモチーフにしていることを、とくに何も思っていなかった。
しかし、考えてみると、まだみんなの記憶の中に生々しい災害をモチーフに、家族の崩壊というネガティブなテーマを描くというのは、かなり反撥があるかもしれない、危険な挑戦だ。
東日本大震災を描いた『時は立ちどまらない』
お会いしたとき、山田太一さんは、東日本大震災をモチーフにドラマを書こうとしておられた。
それを聞いて、私は驚いた。山田太一さんだから、当然、みんなの絆とか、復興へのがんばりとか、苦しみを乗り越えて立ち直っていく希望だとか、そんなドラマを書くはずがない。また『岸辺のアルバム』のような、誰もが口にできない本音のところを描くにちがいない。
それはさすがにまずいのではないかと、私でさえ思った。
テレビドラマというのは、視聴者の数も膨大だし、番組を選んで見る人ばかりではなく、たまたま流れているのを見てしまう人も多い。苦情が殺到しかねないのではないか。
それであらためて『岸辺のアルバム』のすごさにも気づいた。
山田太一さんは「震災を書かないわけにはいかない」とおっしゃっていた。それをドラマの義務のようにさえ思っていた。
そして、『時は立ちどまらない』というドラマを書いた。
ドラマの放送後、こう語っている。
あの惨状を前にして空疎な励ましのドラマなどとても書けません。宗教や哲学を動員して聞いた風なことも書けない。それでも尚ジタバタしましたが、うまく行きませんでした。
その間に、3・11についてのドキュメンタリイをテレビで沢山見ました。浴びるように見たといってもいい。秀作が次々に現われました。あれほどの災害です。事実をとり上げるだけでも胸を打たれます。ひがんでいうわけではありませんが、ドラマにしたら歯の浮くような美談でも、その体験の当事者が「どんなに励まされたか分らない」と涙を浮べて語るのを見せられれば文句のつけようもなく感動してしまいます。
いえ、そういう素朴な記録が多出するのは当然で、しかしその一つ一つがなまじのドラマより胸を打つことに圧倒されていました。その上、方法や認識に深度のあるドキュメンタリイも少くなかったと思います。やはり起ってしまったことの無常無惨が映像をつくる人たちをも鍛えるのだろうかという感慨が湧いたりしました。
それから、やがて、というか、やっとというか、それらのドキュメンタリイから欠落しているものに気づいて来ました。今更、いい齢をしたドラマライターの告白として情けない限りですが、そしてごく当り前のことなのですが、ドキュメンタリイは映像になる事実や人物がいなくてはどうにもならないこと、そして撮影を許してくれた人のマイナスはなかなか描けないこと、見せたがらない内面には立入れないし、ましてや本人も気がついていない暗部などは描きようもない。
そして、そこにこそのドラマの領域があるのではないかということ。われながら高校生にでもなったみたいですが、そんな当り前の役割を、あの途方もない津波の惨状をつきつけられて、ほとんど無意識に封印していたことに気づいたのでした。
ノンフィクションとフィクションについては異論もあるかもしれないが、肝心なのは「人のマイナス」「見せたがらない内面」「本人も気がついていない暗部」を描こうとしていることだ。
「そんなことしていいの?」と思う人もいるかもしれない。
ただでさえ、ひどい目にあって深刻に傷ついている人の、暗部に手をつっこんでいいのか?
それは傷口に塩を塗ることにならないのか?
絶望がそこにあるのだから
しかし、先にも書いたように、絶望をポジティブの真綿でくるんで遠巻きにされたのでは、絶望している側はどうにも救われない。
イイ話にせずに、絶望そのものも描いてほしい。そうすることによってしか救われない気持ちもある。
だって、絶望がそこにあるのだから。
これはいつも説明が難しいのだが、文学などの芸術だけが、人の本当に暗い気持ち、絶望をとことん描いてくれる。
自分の内にある、どうしようもない気持ちを、そうやって外に描いてもらうことによって、ようやく生きていけることもある。
私は芸術が存在するのは、そのためとさえ思っている。
返事はいらない
だが、これは表現者だけの問題ではない。
不幸を体験した人の身近にいる人たち。自分はその人に比べれば不幸ではない人たちは、遠慮して、つい遠巻きにしてしまいがちだ。さらに傷つけてしまわないように。
そして、なるべく明るく励まそうとする。暗いことは言わないようにする。
しかし、できることなら、暗い話を聞いてあげてほしい。
暗い話をされると、どう返事をしていいか困るかもしれないが、返事などしなくていいのだ。
いい返事なんて、誰にもできないのだ。
カミュの『ペスト』にこういう一節がある。
かりにわれわれのなかの一人が、ふとしたはずみで、自分の感情上の何かのことを打ち明け、あるいは話そうと試みたとしても、相手のそれに対する返事は、どんな返事であろうと、たいていの場合、彼の心を傷つけるのであった。彼はそこで、その話相手と自分とは、同じことを話していなかったことに気がつくのである。彼のほうは、実際、長い反芻と苦悩の日々の奥底から語っているのであり、相手に伝えたいと思うイメージは、期待と情熱の火で長い間煮つめられたものである。これに反して相手のほうは、あり来たりの感動や市販の商品みたいな悲しみや、十把ひとからげの憂鬱などを心に描いているのである。好意的であろうと、反発的であろうと、その返事はいつも的をはずれていて、結局あきらめるよりしようがなかった。
だから、返事なんて、しなくていいのだ。
ただ、聞いてあげればいい。
何か気をつけたいなら
「何も返事しないのも難しい」という人は、次の2つだけ気をつけるといいと思う。
オープンダイアローグという対話の方法に
「相手が言ったことは否定しない」
「アドバイスをしない」
というルールがある。
これらは日常会話でもぜひ取り入れたほうがいいルールで、人の話を聞くときには、とくに気をつけたほうがいい。
たとえば、「もうとても耐えられない」と言われたとき、つい「そんなことはないよ。大丈夫だよ」と励ましてしまいがちだが、これは否定になってしまう。
「もっと明るく考えたほうがいいよ」と励ましてしまうこともよくあるが、これはアドバイスになってしまう。
このふたつをやらないように気をつけるだけでも大ちがいだ。
「何も言えなくなってしまう」と思うかもしれないが、それでいいのだ。
言わなくてもいい、聞けばいいのだ。
わかってあげられなくていい
聞いても、本当はわかってあげられないだろう。
それでもいいのだ。ただ、耳になってあげれば。
真っ暗な夜道を歩くとき、ひとりとふたりではおおちがいだ。べつに気の利いた話をしてくれなくてもいい。ただそばにいてくれれば、それだけでぜんぜんちがう。
聞いてあげること、語らせてあげることを、もっと大切にしてほしい。
絶望している人を遠巻きにしないで、どんどん近づいていって、その人の暗い気持ちを聞いてあげてほしい。
希望も明かりも必要だが、まずは暗さをちゃんと受けとめてあげてほしい。
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