美しい視野を羅針盤に 〜ルビコンを渡る息子と、私の小さな船の航海〜
とてとて ちって
とって たって
ゆかいな小人が やってきた
片手をだして おどる
息子が通っていた藤野シュタイナー子ども園チトで、毎年夏の祝祭の時に、園庭で梅の木を大人と子どもでまあるく囲んで、子どもたちがケラケラ笑いながら踊った歌です。
幼稚園でつけてもらったマークが「小人」だったひょうきんな息子にとっては、特に好きな歌でした。
年々小から4年通っていたチトでの時間があまりにも恋しすぎて、卒園してからもチトで歌っていた歌を、息子と一緒に歌うことがありました。
一年も経っていない去年の夏も、この小人の歌を歌ったと思います。
でも先日、
私がその歌を何気なく歌ったとき、息子が
「何そのおもしろい歌」と聞いてきました。
「え?覚えてないの?」
「うん、知らない〜」
そうか。
あんなに何度も歌った歌を、
すっかり忘れるということがあるんだ。
思い出せないけれど忘れることはない彼の奥深いところに、チトの記憶は沈んでいったんだ。
「ルビコン期」という、二度と戻れない境界線
そんな彼を見て、私は彼がついにルビコン期を迎えたのだと確信しました。
小学3年生頃の9歳前後に訪れる、子どもが自分と他者や環境を客観的に区別し始める内的な転換点で、ファンタジーの世界から現実世界へ移行する「9歳の危機」とも呼ばれ、二度と元に戻れない大きな成長の節目。
シュタイナー教育ではこの時期を「ルビコン期」と呼ぶそうです。
今までお母さんと同一であることが心地よかった状態から、いつ分離して「一人にして」とか「ベタベタしないで」と言われるか、ヒヤヒヤしながらこの9歳から10歳になる時期を過ごしていましたが、こんな形で彼のいる世界が変わったのだと知るとは思いませんでした。
二人乗りの小さな船で、灯台を頼りに漕ぎ出した日
シュタイナー教育の大切な基礎を教えてくれたチトはいつも、私たちの心の中を明るく照らす灯台のようでした。
チト出身の子はみんなシュタイナー学園に入学していたので、我が家も家族のように育ってきた幼稚園の仲間とともに、18歳の卒業まで息子を一緒に育てていくと思っていました。
シュタイナー学園という大きな船に同乗して、誰かが舵をとってくれるその大きな乗り物に身を委ねていれば安心と思っていたのが一転、私と息子だけその船に乗れないということになり、沈まないとも限らない二人乗りの小さな船に乗って、心細く航海を始めたのが小学校入学でした。
右も左も分からない、進んでるのか後退してるのかも分からない、経験したことのない波や嵐に何度も飲まれながら、不安でふと後ろを振り返ると、そこにはいつも変わらず海岸沿いで、小さくても必ず届くやさしくてあたたかい光を灯してくれていたのが、チトという灯台でした。
私たちの航海の始まりの場所。
「チトがまだ見えてるから大丈夫、
そんなに針路は外れてない。」
そう自分に言い聞かせる日々でした。
灯台を見上げなくても、前を向いて進める理由
アドヴェントの時には、毎年チトから大天使たちが私たちのところまで飛んできてくれて、りんご蝋燭や、もみの木の枝や、美しいカードがそっと贈り届けられて、それを受け取って心にまたひとつ明かりが灯り、航海を続けていくことができました。
チトで歌っていた歌を忘れた息子は、
きっともう後ろを振り返って、
チトの灯台を探さなくてもいいところまで来たのだと理解しました。
その灯は、
しっかり彼の内側で灯り続けていて、
わざわざ後ろを振り返って確かめる必要がないのだと。
きっとこれがルビコンを渡った証なのだと思います。
そして息子の中に灯してもらった消えない灯りが、
世界中どこを探しても見つからないくらい、
やさしくてあたたかい光だったこと。
それをチトで与えてもらえたことが、
今でも本当にありがたく、幸せに思います。
息子は9歳10ヶ月になった今でも、
小人さんも、天使さんも、神さまも、
心から信じています。
そんな美しい視野を羅針盤に、
これからも私は、
彼がまっすぐ見据える世界を渡っていけるよう、
毎日お弁当をせっせと作って、
送り届ける日々なのです。

(この航海が、本当の意味で私たちの魂を”自由”にするための壮絶な始まりだった話は、また別のおはなしで。)
