私事日記/続いた不運には意味があった話
引っ越してから1か月が経った。
とにかく毎日、心身ともに負担がかかることばかり起きて、疲弊していた。
私の母は、仕事もやりながら調理師免許を持っていたためか、毎日、まるで小料理屋に来たかのような一汁三菜の食卓を用意する人だった。
ずっと台所で何かしてるか、どこかを掃除している。
母が自分だけの娯楽時間を使っている所を見たことがない。
それを父は当然だと思っているし、また褒められることもなく家族のために時間を費やしてきた母自身も、それを当たり前としてきた。
そんな家庭で育った私は、夫と別居するまでの20年間、無意識に母と同じことを続けていた。
それが苦にならない人は、立派な主婦なんだと思う。
でも、私は、自分が好んでしていたことじゃなかったと最近になって気づいた。
毎日続いた不運は、私の時間を奪って、料理や家事に時間をかけている余裕をなくした。
引っ越してからすぐ包丁で利き手を負傷したことも後押しになった。
「丼物や一品料理」中心の食卓に変えた。
「あれしなきゃ、これしなきゃ」も「あとでいっか、利き手もケガしてるし」と思考が変わってから時間が余るようになった。
以前は時間に追われて、愛犬を毎日散歩に連れて行くことすらできなかったけど、今は朝晩の愛犬との散歩が日課になった。
辺りは田んぼが広がっている。
近くで電車が走る。
昨日はヤギを見つけた。
散歩が楽しい。
余裕ができたことで、見える景色が変わった。
みんながいう余白というのは、このことか…
この1か月続いた不運は、私の思考や行動を強制的に変えるための出来事だったのかもしれない。
終わりよければすべてよしだ。
毎日続いた不運の話↓
今まで作ってきた弁当たち↓
いいなと思ったら応援しよう!
いつも、応援ありがとうございます。