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鈴ヶ森刑場遺跡に行ってきた👣虚無僧になった鳥取藩士☆平井権八の人生を辿る🐾其の三

虚無僧になった白井権八(本名・平井権八)が処刑された最期の地、鈴ヶ森処刑場跡地に行ってきました。


シリーズ其の一、其のニはこちら↓


平井権八はお尋ね者になってから江戸に向かう途中、鈴ヶ森近くを通りかかっている。その時、雲助たちに取り囲まれ襲われたが、見事に一人残らず斬り捨てた。それを駕籠の中から幡随院長兵衛が見ており、声をかけられるのは、落語などでも有名な一場面だ。


さて、江戸時代、この辺りはどんな風景だったのでしょう。

『江戸名所図会』に描かれている。

海が近い。


中央左寄り辺りにある建物の脇にあるのが、題目供養塔と思われる。


こちらは浮世絵の『鈴ヶ森 行列之図』豊原国周

右端にひときわ大きな題目供養塔が描かれている。



虚無僧、平井権八の最期の地を見届けなければ!
と思っていたので勇んで行ったものの…、

処刑場…
誰かが憑いてきたらどうしようかしら…

なんて思っておりましたが、この辺りはマンションがずらりと建ち並び、道も広く車もビュンビュン走り、高架の線路も走りで、そんな恐ろしい場所であったとは思えないほどすっかり様変わりしておりました。



平井権八は1679年に処刑された。25才の若さだ。
裸馬に乗せられ、鈴ヶ森の刑場に引かれ、磔にされ、三日三晩刑場に晒されたという。
そして遺体は目黒の虚無僧寺の東昌寺の随川に引き取られ、寺の一隅に埋められ、墓石の代わりに石が置かれた。平井権八と権八の墓の前で自害した恋人の小紫が祀られた遺跡は、現在二ヶ所ある



鈴ヶ森刑場は1651年に開設され、最後に処刑された渡辺健蔵が1871年というから、200年以上も東海道の道の端で罪人といえども公開で処刑されていたのだから、日本もずいぶん野蛮な国であったことが分かる。それが今でも「死刑」があるのだから野蛮さはまだ続いているのだ。


今は、磔台の土台が遺されている。

お線香をあげてお参りする🙏


もう一つの磔台跡。


右隣には、火炙台。

八百屋のお七など。生きたまま焼き殺されたのだと。
なんと残酷な…。


その他、色んな石碑がある。



こちらは立派な六十六部供養塔です。

天下泰平、国土安全
頼みます🙏


実はこの日は、鈴ヶ森刑場跡地にだけ来たのではなく、平和島骨董市に掘り出し物を探しに、尺八研究家の神田可遊師からお誘いを受けやってきたのでした。


刑場のあとに「平和島」は有難い。
(「平和島」の由来はここでは置いておいて…)



東京モノレール流通センター駅集合。


会場は平和島東京流通センター第1展示場2F。


会場内、くまなく廻りましたが、古管ではない尺八が二管。
尺八の根付けが一つ、見つかりました。買いませんでしたが。

神田師曰く、この骨董市は以前よりもずいぶん縮小されたとのこと。
今やネットの時代なのでしょうね。


こちらは故山田悠師所蔵の写真で、1992年に平和島骨董市で売られていた三幅の掛軸で相阿弥筆の『普化禅師』。

鑑定書付き。

こんなのあったら、そりゃびっくりです。




せっかくなので、浜松町へ出て、日の出桟橋から水上バスで、浅草まで行くことに。
神田師の粋なご提案です。



レトロな船内。



レインボーブリッジを背に進んでいく。

私は、未だかつてレインボーなレインボーブリッジを見たことが無い。


タワマンそびえ立つ佃島。


どちらが先に手を振りだしたか分からないが、墨田川沿いをのんびり散歩する人々と船客が手を振り合う。

なんて平和なんだ。


と思っているうちに、浅草到着。

浅草神社で子ども歌舞伎が上演されておりました。
未来の国宝が舞っておりました。

そして、神谷バーにて本日終了。


以上、
鈴ヶ森刑場遺跡に行ってきた👣虚無僧になった鳥取藩士☆平井権八の人生を辿る🐾其の三
でした。



白井権八「浮世絵特集」で目の保養をどうぞ↓

平和島骨董市、次回は5月開催だそうですよ。


おススメお散歩コース。
JR大森駅、もしくは京急本戦大森海岸駅→鈴ヶ森刑場跡
その後、平和の森公園、平和島公園に立ち寄り、東京モノレール流通センター駅まで歩き、平和島骨董市へ。(東京都大田区平和島6-1-1 平和島東京流通センター第1展示場2F)
東京モノレール流通センターから浜松町駅まで行き、日の出桟橋から水上バスで浅草へ。


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