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【言霊学連載10/10】エデンの園は高天原だった?聖書と古事記が明かす「生命の樹」の正体

【言霊学連載全10回ー最終回ー】

人間が得る情報の八割から九割は視覚に頼っていると言われます。自ずと残りは聴覚や嗅覚、味覚、全身に張り巡らされた神経のそれ以外の末端です。これを五官感覚と言います。

しかしこの表現はかなり不正確で、『稼働中の感覚の中で、情報変化が豊富で意識が向きやすいのが視覚である』と表現する方が本質に近似しており、この表現を感覚に置き換えてみると99%視覚を起因にフィードバックをしているように思います。

人間とは朝に夕に、量子を素粒子に確定させる必要がある観測者なのであり、また視覚即脳の関係を成立させて危険を察知し回避しています

さらに思考即視覚と言う逆向きのベクトルも同時に働いています。これは思考が視線に変わること=意識を向けると言えば分かりやすいと思います。

人が何かに意識を向ける時、例えば何気なく朝起きてすぐ携帯を触ってエックス(SNS)の投稿をチェックする場面を想定すると、まず無意識であっても携帯を触らないと気がすまないと言う欲求からスタートしますが、欲望の次元は言霊ウ(うごめく)に対応し、天之御中主あめのみなかぬしと言います。

ここで心のアマテラスが起動又は再起動し携帯を見ると言う動作に至ります。その携帯が目に入ると、それは観測者によって携帯があったという次元がウツシヨに確定します。

そうやって五官感覚から始まる心の中で休むことなく無限の物語を生成しています。

これを古事記では『天地初發時(アメツチノハジメノトキ)』と呼びます。の目が地に付く(着地)で、私()の意識のヒビキが対象のヒビキと〆縄しめなわで結ばれた瞬間のことで、これを現代の我々は対象に意識が向くと言います

『見る』と言う漢字は目に人の身体(ひとあし)の上に大きな目を乗せた姿(象形)の最終形態なので、目そのものが主体(人)となって歩みを進める概念が『見』です。目から生えた足が対象に着地して離れないこと=意識することを昔の人は『アメツチ』と言ったわけです。これはアマテラスのアとツクヨミのツでもあって陽陰二手に別れて思考が開始される天(アメ)と地(ツチ)でもあるのです。

大和言葉の意味を漢字に当てはめて訓読みを作ったのは聖徳太子です。この同定は、言霊学者・小笠原孝次氏によるもので、歴史的・考古学的に確定したものではないですが、時代背景や権力や教養を総合的に考えると史実に該当する候補者がいないように思います。

太安万侶おおのやすまろは4カ月で古事記を編纂しており、訓読みを一々発明しながらでは、なし得ない脅威のスピードであり、音(オン)で書くか訓(くん)で書くか悩んだのも発明済みだからでしょう。

古事記本文は『天地初發時』から始まります。古事記以降の膨大な万葉仮名から本居宣長もとおりのりながが『アメツチノハジメノトキ』と大和言葉による解答を見つけだしてくれました。宣長の人生をかけた古事記翻訳の土台のおかげで、明治天皇の古事記ふることぶみ研究は、神とカナ五十音の結びつきの発掘につながりました。

いそのかみ ふることぶみは 萬代(よろづよ)も さかゆく國の たからなりけり

出典:神道本局『惟神道の栞』所収
明治天皇御製類聚

山腰明將やまこしあきまさ氏は「言霊学は本来天皇が学ぶべきもの」という理由でほとんど資料を残さなかったと言いますが、50音図仮名と古事記神名の結びつきはすでに宮中で解読され民間の山腰氏が託されたもので、『五十神(いそのかみ)が記された古事記(ふることぶみ)は、世の繁栄が約束された国の宝である』と明治天皇が明言されているように、古事記こそが、ロゴスが眠る霊本ひのもとの国体原理と五十鈴宮運用の教科書兼正史であり、政治運用は叶いませんでしたが、2000年以上眠っていた言霊原理を明治天皇の代で解き明かしていたことは日本の歴史的意義の計り知れないことなのです。

『国』というと今は国家のような狭い意味しかありませんが、音を切りんでくぐらせてせる、と言うクと二の言霊(ヒビキ)に内在する法則を合わせたもので『森羅万象に名をつける』という音の原理を表し、心のシステムから言えば、『ヒビキを使ってアマテラスから現象を生み出す=ウツシヨに投影する』というアナロジーになります。そしてその性能を國之常立(クニノトコタチ)と言います。

古事記で『國之常立神(カミ)』とは言葉を生み出し、ウツシヨを生成する原理の名前で、日本書紀は『國常立尊(ミコト)』から物語が始まりますが、主体的に運用していく人間のことを言うのです。國は囗(くにがまえ)なので、50音図の中の必要な言霊(ヒビキ)を囲って常に音を成立させるわけです。これは主体性能言霊エ(選)の次元の原理です。

選ぶ方式になるのが豊雲野神とよくもぬのかみで、5母音+8父韻+ワの十四とよ音を組んで子音が成立します。十四方式の受け皿が伊勢外宮の豊受大御神とようけのおおみかみ=客体性能言霊ヱです。アマテラスの次元エの音図が天津太祝詞音図でそのトヨからヒビキを選択(囲み組んで似せる)してウツシヨに素粒子が生まれます。

現象である子音が生まれる時は必ず父から選びますね。母から選ぶと、そこに道理(ロゴス:父韻)が生じない、鳴らしても鳴らしても鳴り余る一時が生じる(ナリナリテ鳴り余るトキ、ヒトトキニあり)。だから伊邪那美(母)から声をかけるとひるに血(父:道)を吸い取られる、これを古事記で水蛭子ひるこが生まれると表現しています。

また母音(ア行)と半母音(ワ行)は、父がなくても成立するものなので伊邪那岐は不用であると言う事で、生んだ淡島(アハシマ:アワシマの謎かけ:アとワの行:ア行ワ行の縞)と水蛭子を子(子音)のかずに入れないと表現しています。『淡』は火(霊:ひ)に水をかけて炎が消えるというアナロジーにもなっています。

ヤ行は母音イが先行する二重母音ですが、この古事記の淡島を子音に数えないと書かれたロジックから、中今なかいまの次元イというものは、母音の中で男性神・伊邪那岐という両性兼ねた特殊な音だと認識していたことが分かります。

中今の次元は生命の次元で、あなたの全ての言動はうごめく心から始まります。『蠢』の漢字は、春の到来によってへびがモゾモゾと活動を開始することを意味します。『惷』と言う異字体は春の暖かさで心がワクワクしながら動く様子です。心の活動開始がウです。アメツチ初めの時は必ずウから始まります。

これを図にすると、宇宙を表す丸の中にチョンを描きます。この姿が天之御中主神と言う原理でアメツチの(意識と対象が結びつく)前段階です。

円とその中心の点で表された天之御中主神の言霊数理図。上部に「天之御中主」、右に「惷」、左に「ウ」から「ワ」「ア」へ分岐する樹形図、下部に「アワ道の火の狭別嶋」の文字が配置されている。
【図1】天之御中主(ウの次元)からア・ワ(陽陰)へ分化する前段階の言霊数理図。円と点で心の宇宙を示す。アワ道の火の狭別嶋の中の蠢が天之御中主。

また伊邪那岐神と伊邪那美の島産みでは淡道之穂之狭別嶋(アワジノホノサワケノシマ)と呼びます。この心の宇宙の狭い点からア系(母音)とワ系(半母音)の音(火:ホ:音図と言う田の穂)が湧き別れるから、アワ道の火の狭別の嶋と呼びます。ワ=ウとアの二重母音です。

嶋・島・縞は一つの区分のことで、区切りをつけることを締める(締切)・閉める(閉塞)・占める(占有)と言います。また、『示す』というのも範囲がないと出来ません。

そしてウから陰陽に分化した心の宇宙を伊豫之二名嶋(イヨノフタナシマ)と呼び、丸い宇宙が二分された図で表します。

中央の縦線によって左右に二分割された正円で表された伊豫之二名嶋の言霊数理図。円の右半分に「高御産巣日」と「ア」、左半分に「神産巣日」と「ワ」、円の下部に「伊豫之二名嶋」の文字が配置されている。円の左側には「ウ」から「ワ」「ア」へ分岐する樹形図が描かれている。
【図2】ウから陰陽に二分した心の宇宙を表す言霊数理図。主体(高御産巣日・ア)と客体(神産巣日・ワ)への主客分化を示す。伊豫之二名嶋とは意識が対象に向かう宇宙のこと。

『豫』の左『予』は機織はたおりの横糸を通す舟形の道具(杼:ひ)を表します。右『象』はゾウの姿を表しますが、心の動きや概念も象と書きます。''象''形文字は概念を形にした文字ですね。古代の動物『ゾウ』と『心の動き』が同じ音だったので文字を借用したのです(仮借)。

それでこの嶋の形は最終的に伊邪那岐・伊邪那美の嶋と同じなので、イ段の心を表す(イからヰに横糸を通す)予定の嶋と言う名付けになっています。

そして、御覧の通り丸い心が一つで嶋が2つにも関わらず、この嶋は身が一つで面(オモ)が4つあって面毎(オモゴト)に名がついていると書かれています。以下四つを古事記傳ふることぶみのつたえに従って読み下しをつけます。

○伊豫国愛比賣
(イヨノクニヲエヒメと言う)

土左国建依別
(トサノクニヲタケヨリワケと言う)
○讃岐国飲依比古
(サヌギノクニヲイヒヨリヒコと言う)

粟国大宜都比賣
(アハノクニヲオホゲツヒメと言う)

暗号解読は以下のようになります。

【主体性能】高御産巣日

杖もった聖人(伊)の霊(ひ:杼)の国は叡(え:愛)を秘め(比賣)ている。
=機織りの才能を持っている(心に杼を携えている)=生きる智慧を具備する

○土が左(霊足りひたり:日足り)た国は田気たけ(建:猛:勢い)に依って湧く。
=日光の当たる土壌の田(霊足るひたる音図:言霊エの配列:叡)はその陽気により勢いをもって粟の芽がかれてたける。

主体性能は伊邪那岐イと伊邪那美ヰの間を杼(ひ:霊)を順にともして(先の表現ではよこいとを通す)音図の田の8つの霊が足りた状態で現象が生まれることを言い表しています。その活動が予定された区分であるというのが伊豫之二名嶋と名付けられた所以です。

【客体性能】神産巣日

○蛹(さぬぎ:讃岐)の国は良い糸をる(イヒヨリ)事が出来る。かいこは吐いた糸(意図:イ)を身体にまとってさなぎになる。蛹は蛾(成虫)になる前に茹でて糸は衣へ蛹は食料になる。
衣食安泰(飲依)霊子ひこ。主体性能の杼で機織りができる。

○粟の国は、主体性能の日の当たる大地に種をけば、栄養で大いなる食料の祭壇(宜)となり民を潤すみやことなる可能性を秘め(比賣)ている。

客体性能は「国名(サヌギ・アハ)」を物質のシンボル(蛹・粟)その物質を生成・加工するハタラキ(糸を撚る・祭壇で民を潤す)として役割分担させています。

左右に二分割された円の周囲に、伊豫国、土左国、讃岐国、粟国の名と、蚕、杼のイラスト、および「身一・面四」「アマテラス」「ウツシヨ」などの文字が配置された伊豫之二名嶋の言霊数理図。
【図3】伊豫之二名嶋(身一・面四)の主客構造に、対応する四国の名は主客の心に由来、主体性能(霊)と物質シンボル(蚕・粟)はアマテラスとウツシヨの階層を配置した言霊数理図。

古事記物語の島産みより後に、須佐之男命が殺した大宜津比賣神おほげつひめ(漢字違いで、神=原理の話)から生じた蚕や粟などを客体の神産巣日が、それを手にすると種(田音たね)が生(鳴)ったと言う下りがあります。

【原文】速須佐之男命立伺其態爲穢汚而奉進乃殺其大宜津比賣神故所殺神於身生物者於頭生於二目生稻種於二耳生於鼻生小豆於陰生麥於尻生大豆故是神產巢日御祖命令取茲成種故
【本居宣長による読み下し】須佐之男命(スサノヲノミコト)立伺其態爲(ソノシワザヲタチウカガヒテ)穢汚而奉進乃(キタナキモノタテマツルトオモホシテスナハチ)殺其大宜津比賣神(ソノオホゲツヒメノカミヲコロシタマヒキ)故所殺神於身生物者(カレコロサレタマヘルカミノミニナレルモノハ)於頭生蠶(カシラニカヒコナリ)於二目生稻種(フタツノメニイナダネナリ)於二耳生粟(フタツノミミニアハナリ)於鼻生小豆於(ハナニアヅキナリ)陰生麥(ホトニムギナリ)於尻生大豆(シリニマメナリキ)故是(カレココニ)神產巢日御祖命(カミムスビノミオヤノミコト)令取茲成種故(コレヲトラシメテタネトナシタマヒキ)

出典:『古事記傳九之巻』

次にア行からオとエ、ワ行からヲとヱが発生します。意識が対象に着地したら記憶領域(オヲ)や次の行動選択の領域(エヱ)を働かせる必要がありますね。これを図に表したものが更に分割した小宇宙です。これを隱伎之三子嶋(オキノミツゴシマ)、又の名を天之忍許呂別(アメノオシコロワケ)と言います。

十字に四分割された円の内部に「天之常立・オ」「国之常立・エ」「豊雲野・ヱ」「宇摩志阿斯訶備比古遅・ヲ」の文字が配され、左側に「ウ」から八方へ広がる三階層の分岐樹形図を伴う隱伎之三子嶋の言霊数理図。
【図4】オ・エ(純粋理性・実践理性)の階層への発展と、それに対応する「天之常立」「国之常立」等の四神名を十字に配置した隱伎之三子嶋の言霊数理図。

隠れて人を支(伎)える理性で、欲望(ウ)や感情(ア)のまま動くのではなく、心の上に刃(忍)をおいて万物の事象を断つ(太刀)判断の心を分けている区分です。

オを純粋理性=自立、エを実践理性=自律と呼び、理性を基準に見たとき、自立と自律は実は意味が真逆になります。

聖書でイブとアダムが神から食べてはいけないと言われていたのに『善悪の知識の樹』になる実を食べるという有名な話があります。彼らがそむいた神の法とは己の生命の次元(イ)からくる道徳(エ)のことで、道徳に従って行動することを実践理性、又は自律と言います。道徳を演繹の軸に行動することです。

他方、生命の道徳を犯したということは道徳を捨て客観データのみで判断していく自立の道です。神はもういないから自立です。これを純粋理性と呼びます。これは客観知性(オ)と言って、客観的な視点を以て恥ずかしい気持ちが芽生え服を着るという行動になります。だから一つを取ればもう一方を失う、そういう関係性があります。

十字に四分割された円の周囲に「経験知による自立」「純粋理性」「実践理性」「道徳による自律」などの哲学概念が追記され、左側の分岐図に「欲望」「感情」「理性」のハタラキを配定した隱伎之三子嶋の言霊数理図。
【図5】隱伎之三子嶋(天之忍許呂別)の四分構造に、客観知性(オ)に属する「純粋理性・自立」と、道徳(エ)に属する「実践理性・自律」の対立概念を示す言霊数理図。

聖書では『生命の樹』と『善悪の知識の樹』は沙羅双樹のような立て方(相対観)で物語を進めていきますが、実際には善悪自体(道徳)は生命の樹に宿るので、双樹ではなく一本の樹と言う絶対観で進行し、樹の実を食べた瞬間から二本の樹として現れてきます。

ここに聖書と古事記の面白い対立があります。古事記で伊邪那美は50音産み終わって死んで黄泉国よもつくにに行きます。黄泉国は四方津国よもつくにと書きます。これは50音図の外の国の言葉や文字のことで、伊邪那美が口にした(=発した言語)のは日本語以外の知識の樹の実に他なりません。

そして、伊邪那岐は生命の樹(母音)と知識の樹(半母音)のある高天原に戻ってきます。伊邪那岐が結界とした千引岩(ちびきいは)とは父と母の血を引く『血引き五十葉(いは)』を意味しており、すなわち子音を置いて父と母の原理を外国から守ったと言う訳です。他方''外国''の聖書では生命の樹と知識の樹のあるエデンから人間が自立の道を選択した為、追い出されましたね。古事記を当てはめると四方津国に追い出されたので、エデンの園とは高天原なのです。

そしてここに事実として皇室は二千年以上続いています。日本だけです。それ以前に一万年続く縄文期があります(古神道)。皇室にはアマテラスの原理があり二千年守ってきました。多国からの侵入を防ぎ大和言葉は外国語に置き換わることはありませんでした

日本には古事記があって言霊の原理と日本語で仏教の悟りが説明できます。すでに説明しました。聖書のメタファーも日本語の悟りの原理で説明できます。これも音図の母音半母音、そして父韻からその義を生命の樹、知識の樹、ロゴスだと説明しました。

ここからは傍証による人類史再構築の推論です。エデンの園高天原とは日(霊)の本の国です。厳密にはアマテラスの原理を保持する皇室です。我々国民は皇室が発明した日本語を用いながら外国の知識の樹の実をツクヨミの原理で咀嚼し、諸外国と共に物質文明を築いてきました。偽書とされる古史古伝では、モーゼ、イエス、釈迦、伏羲、孔子、老子はすべて彼らの時代に来朝留学し言霊の原理を学んで帰ったとしています。

言霊の原理、特に生命の次元を指して布斗麻邇ふとまにと言います。その原理から生まれた言語が麻邇(真に似せたもの)です。聖書ではManna:マンナです(ユダヤ・キリスト・イスラム共通)。仏教では摩尼です。

日本語は生命の原理から言葉が作られていて、そういう完璧な原理から各宗教の説明ができますが、その逆は不完全でできません。部分的にしか原理を持っていないからです。日本語を理解できないから自分たちの知識の実に味付けするしかありません。つまり、古史古伝の来朝留学説は正しいのではないか?と言うことです。正しくないとしても神代(超古代)史を窺い知る手がかりにはなります。古事記ふることぶみ奈良時代から見て幾百年か幾千年か前の古い時代の日本の歴史に関する記録です。

加えて、これから説明する儒教が用いる五経の1つ易経も『日本語の原理』の派生のようだということなのですが、世界の宗教は全く別物のようで古神道を中心に枝分かれしたような構造になっているのです。

次に生まれるのは筑紫嶋(ツクシノシマ)で身一つで面四つと書かれていますが、古事記冒頭の身を隠した神の内、ロゴスの八律で妹背いもせ(2柱1組)の関係を当てはめると、と言うか見事に当てはまり8分割されます。まずは嶋の図を御覧ください。

放射状の直線によって8つの扇形に等分割された正円の、上部に「筑紫嶋」、下部に「身一・面四」の文字が配置された言霊数理図
【図6】ロゴスの八律による8分割の展開を示す、身一・面四の構造を持った筑紫嶋(つくしのしま)の言霊数理図。

『筑紫』は『津霊(つくし)』です。古語で『霊(くし)び』は不思議な、霊妙な、という意味があります。しかしこれは『霊(たま)』を動詞化させて『霊ぶ(くしぶ)』、形容詞化して『霊び(くしび)』と活用させた意味で、『霊』の本質は言霊50音、ヒビキのことです。『としての言霊くし』とは、現象を産みだす循環の拠点(津:プラットフォーム)として言霊を尽くしている8つのヒビキに他なりません。

〇筑紫国白日別
(ツクシノクニヲシラビワケと言う)
〇豊国豊日別
(トヨクニヲトヨビワケと言う)
〇肥国建日向日豊久士比泥別
(ヒノクニヲタケヒムカヒトヨクジヒネワケと言う)
〇熊曽国建日別
クマソノクニヲタケビワケと言う)

面四つの分け方がコード化されています。
シラ=サ行とラ行のシ・リ
トヨ=タ行とヤ行でチ・イ(ィイ)
ヒネ=ハ行とナ行でヒ・ニ
クマ=カ行とマ行でキ・ミ

8分割された円の周囲に「筑紫嶋」「津霊嶋」「八尋殿」「身一・面四」「白日別」などの文字が配され、円の内部に「ヒ・チ・リ・シ・ミ・キ・イ・ニ」の八律と神名、左側に4階層の分岐樹形図を伴う言霊数理図
【図7】筑紫嶋の8分割構造に、対応する「筑紫・豊・肥・熊曽」の四国名(面四)と父韻の八律(チイキミシリヒニ、神名コード)を完全配置した、別名「津霊嶋」「八尋殿」の言霊数理図。

チイキミシリヒニは便宜上の配列です。古事記の神の登場順と妹背関係が分かるように配置し、見やすいように樹形図も合わせています。主客分化の意義からはヒチキシミリイニとなり、不思議なことに音響学と整合性のある配列になります(割愛)。

また、この嶋を神殿として類推したものを四角形で表して八尋殿やひろどのと呼びます。丸は宇宙を意味し心もまた小宇宙なのでこの図形は八尋殿でもあり、また八角形で表して母音と子音を配列した50音図を八咫鏡と呼び、大和(八間統やまと)の原理も八父韻から五十音への展開に由来します。

多数の同心円と放射状の直線が描かれた茶色い正八角形の内部にカタカナが同心円状に配列され、右側に「八咫鏡」「小笠原孝次氏による」の文字が配された言霊数理図。
【図8】小笠原孝次氏の説に基づく、母音と子音を八角形に配列して50音図を構成した「八咫鏡(やたのかがみ)」の言霊数理図。実際には神代文字が刻まれている。

粘土板に神代文字の50音を書いて素焼きにしたものを甕神(みかがみ)と呼びます。これが御鏡みかがみの語源で、伊勢内宮の御神体の『かがみ』とは、顔を映すものではなく、まことの心をうつった神代文字の粘土板(布斗麻邇ふとまに二十真似ふとまに)です

これは、そう言う物質があってもなくてもどちらでも良く、客体があると信じ込ませて大衆に拝ませて、言霊の原理を護り抜くことが重要なのです。2000年に渡って物質を誰も目にしたことがなく信仰の対象になっているのがファクトです。

次に伊伎嶋(イキノシマ)、又の名を天比登都柱(アメノヒトツバシラ)を生みます。伊伎嶋は伊邪那岐(イ)・伊邪那美(ヰ)の区分で、嶋とは言っても一つの精神の柱(天の1つ柱あめのひとつばしら)で、その本体を天之御柱あめのみはしらと言います。

左右に二分割された円の右半分に「伊邪那岐・イ」、左半分に「伊邪那美・ヰ」、周囲に「伊伎嶋」「天比登都柱」「天之御柱」の文字が配され、左側に「キ」「イ」の父韻が最下段に加わった5階層の分岐樹形図を伴う言霊数理図
【図9】精神の主体(伊邪那岐・イ)と客体(伊邪那美・ヰ)の合一による絶対的な精神の柱の成立を示す、別名「天比登都柱」「天之御柱」の伊伎嶋の言霊数理図。

『人』の語義は霊留ひとで、そのヒトがウオアエイと成長するために登るべき1つの柱が己の心の嶋オノコロジマにはあります。

天之御柱はアを天にイを地にした時の母音配列アオウエイに並べると伊勢内宮の心御柱しんのみはしらを意味し、5分の2(エイ)を地中に眠らせた姿となり、大祓祝詞おおはらへのことばでは『下津磐根爾(したついはねに)宮柱太敷立(みやばしらふとしきたて)』になります。

白背景に浮かぶ、青い八角形の土台と、その中心に垂直に立つ円柱の3Dアニメ風イラスト。円柱は等間隔に5分割され「アオウエイ」の母音が刻まれており「天之御柱」「御家柱」の解説が添えられている。八角形の土台は8等分に線が引かれ「下津磐根」「八尋殿」と記されており、平面と垂直の交点から五十葉音が展開する言霊の立体仕掛けを解説している。
【図10】主観世界における子音創造の仕掛け:「下津磐根(八尋殿)」と「天之御柱(五母音)」の立体構造モデル

したっ子から出てくるイの次元(律法)の五十葉音いはねに[したついはねに]、二十(ふと)の原理を敷き心御柱(天之御柱)を立てる[ふとしきたて]』と言霊の整理について言及しています。

出来上がった嶋を元に樹形図を左に付与してきました。これを心の先天構造と呼びます。母音・半母音・父韻と言う原理(神)が鳴って剖判ぼうはんした様子を示すと樹形図が出来上がり、これを天津磐境(アマツイワサカ)と呼びます。

この17の先天から後天の現象=子音32(ワ行のウの代わりにンを入れて33)が生まれます。五十音図、母音、半母音、父韻というのは日本語由来の数理です。これは理解できますよね。

易経で使われる八卦の樹形図がコレです。

左側に太極・陰陽・四象から坤・艮・坎・巽・震・離・兌・乾へと分岐する「八卦」の樹形図、右側にウから始まる5階層の「50音の創造原理」の樹形図が並び、中央下部に「創造がない」の文字が記された比較図
【図11】易経の「八卦(大衍の数50)」の展開図と、言霊学の「50音の創造原理(先天17音・イキによる産霊)」の樹形図を並置し、現象創造における数理の有無を対比した比較図形。

易の占(世界・宇宙のすべての現象のシミュレーション)を行う際に用いる、50本のめどぎ(竹の棒)の総数を「大衍の数(たいえんのすう)」と呼びます。実際に使用するのはここから1本を抜いた49本ですが、宇宙の根元・全要素を表す数理としての総数は「50」なのです。

日本には伊勢五十鈴宮いすずのみやや石上(五十神いそのかみ)神社、そして五十音図と、アルゴリズム50の根拠があります。また古事記50番目の神は火之迦具土(ホノカグツチ)で、火に陰部を焼かれた伊邪那美は子音を産めなくなります。コレが神代文字50音(甕神みかがみ)の根拠となっており、土に書いて火にかけるからホノカグツチで、古事記にも数理が伺えます。

しかし易経の大衍の数50には根拠がどこにもなく、ただその数が宇宙の数理だと言っているだけです。数字が唐突過ぎます。そして古事記には、伊邪那岐と伊邪那美の現象創造(産霊むすび)の物語がありますが、八卦にはありません

約2500年前の孔子の注釈書とされる『繋辞下伝けいじかでん』によれば、八卦を編み出したのは約5000年前の伏羲ふっきだとしています。しかし、これは吉凶を占うようなものではないのです。占いの起源は更に2000年後の話です。

伏羲の人物像は『あおいではすなはしょうてんしてはすなはほう』とされていて、宇宙の法則を理解したということなのですが、まさに、象=天=心、地にイ段のロゴスの話であることは、自覚芽生えつつある読者の了承されるところでしょう。下津磐根爾(したついはねに)宮柱太敷立(みやばしらふとしきたて)その結果50の数理が得られるという話そのものです。伏羲にはアマテラスの自覚があった、或いは自覚はないが教わって知っていたと考えられます。

その大元の言葉が後世まで残る中で、これに続く文言は、真の意味を理解できない人間の客観知性が加わり、2000年という時間をかけて、本来の数理から「占いや易(えき)」という形へ変貌を遂げながら完成していった可能性があります。したがって、これが孔子の表現かどうかも怪しいのです(実際に現在の学術界でも、孔子本人の著作ではないとする見方が強い)。それは伏羲、孔子ともに来朝説がある人たちだからということに尽きるのです。

【結び】

人は何故争いいがみ合うのか?

それは、アマテラスの自覚がないからです。
太陽は暗黒です。森羅万象には実体がないのに、その森羅万象に翻弄されて生きているからなのです。

自らが現象の創造主であることを知り、ロゴスに従い善悪を言動の判断基準にすれば、紛争はなくなります。それが自律の道です。
そのヒントは聖書にも仏の教えにもあるのに、いつまでも知識の樹の実を食べ続けて、脳を肥やし続けて、論破に快感を覚え、主義主張の繰り返しで、欲望や感情の心からくることすら知りません。

目にするもの全てが、あなたの脳が創りだす物語だと自覚する時、あなたの天岩戸(五十葉音:いはと)が開き始めます。

自らの生命の父韻ロゴスの名の下に「光あれ」とエの次元を意識し生きることで高天原のアメツチが始まります。それが光と陰、アマテラスとウツシヨ、観測者であるあなたの小宇宙が現象を創造する唯一無二の操作法です。

これを惟神の道(かんながらのみち)と言います。あなたは八百万の神なのです。

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