ママ友とうまくやれない私は、母親失格だと思っていた
私は、日本にいた頃、人間関係にとても疲れていた。
特に、息子が幼稚園に入ってから。
「ママ友とうまくやらなければ」
そんな思いに、いつの間にか圧倒されていた。
園のママたちの輪に入れなければ、息子が寂しい思いをするんじゃないか。
友達と楽しく遊んだり、休日にお出かけしたり、そういう“楽しい園生活”を作るには、母親同士のつながりが必要なんじゃないか。
だから私は、
「息子のために」
ママ友を作らなきゃいけない、と思っていた。
でも、その思いから行動する人付き合いは、どこかいつもしんどかった。
本当は疲れているのに話を合わせる。
行きたくない集まりにも参加する。
断ったら悪い気がして、無理をして予定を入れる。
そうやって、自分のエネルギーをどんどん使い果たしていた。
特にしんどかったのは、グループLINEだった。
家に帰っても、気持ちが休まらない。
スマホが鳴るたびに、また“集団”の空気が自分の中に入ってくるような感覚があった。
返信を考えたり、会話の流れを気にしたり、誰がどう思っているのかを勝手に想像したり。
自分の時間なのに、自分の心がどこにもいないような感じだった。
でも、その頃の私は、
そんな自分を責めていた。
他のママたちは、楽しそうに見えたから。
自然に友達を作って、
子ども同士も遊ばせて、
園生活を楽しんでいるように見えた。
なのに私は、
うまく輪に入れない。
だんだん、園終わりの公園遊びに行くことすら苦痛になっていった。
息子は、「遊びたい!」というエネルギーでいっぱいだった。
本当は連れて行ってあげたい。
でも私は、公園に行くたびに、自分のエネルギーが削られていく感覚になっていた。
だから、雨の日に少しホッとしてしまうこともあった。
今日は公園に行かなくていい。
今日は誰とも会わなくていい。
そんなふうに思ってしまう自分に、また罪悪感を感じていた。
「息子を楽しく遊ばせてあげられないのは、私がちゃんと集団に馴染めないからだ」
あの頃の私は、本気でそう思っていた。
でも今振り返ると、
息子自身は、そこまで困っていなかった気もする。
困っていたのは、
“集団にうまく馴染めない自分”
を許せなかった、私自身だったのかもしれない。
子どもの交友関係まで、母親がちゃんと繋げなきゃいけない。
ちゃんと輪に入れなきゃいけない。
空気を読んで、
みんなとうまくやらなきゃいけない。
そんなふうに、私はずっと「集団に馴染めることが正しい」と思って生きてきた気がする。
だから、馴染めない自分を見るたび、
自分が“ちゃんとしていない人間”のように感じてしまっていたのかもしれない。
移住して、しばらく経った頃、日本人の友人たちと食事をしていて、子育ての話になった。
それぞれに、それぞれの考え方がある。当たり前のことだけど、以前の私なら、どこかで「私はこう思う」を主張していたと思う。自分の正しさを、そっと守ろうとしながら。
でもそのとき、不思議とそうしなかった。
「そういう考え方もあるんだな」
ただ、それだけだった。否定もしない。肯定もしない。その人の考えは、その人のもの。自分の考えは、自分のもの。それだけのことが、すっと腑に落ちていた。
家に帰っても、引きずらなかった。
以前なら、「でも、あの考え方は…」と頭の中で反芻していたと思う。それがなかった。「そうなんだね」で、本当に終わっていた。
あ、私、変わったのかもしれない。
そう気づいたのは、そのあとだった。
もしかしたら、あの頃の疲れは、人間関係のせいじゃなかったのかもしれない。
頭の中で、ずっと戦っていたのは、私自身だったのかもしれない。
「ちゃんとした母親でいなければ」と思っていた私と。
ママ友と上手くやれることで、それを証明しようとしていた私と。
母親失格だったんじゃなくて、ただ、「ちゃんとやれてるよ」と思える場所を、外側に探していただけだったのかもしれない。
外側に答えがある限り、どこへ行っても苦しかったのかな、と今は思う。
そして、移住して、初めて少しだけ 「そのままでも大丈夫かもしれない」と思えるようになったのかもしれない。
