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プレーを磨けるのは練習の場面だけじゃない。学びの姿勢が、プレーの質を変えていく。

僕はスポーツが好きだ。
だからこそ思うことがある。
伝えたいことがある。

でも、なかなか整理できない部分もあった。
おそらく以前から伝えたいことは同じはずだけど。

最近、ポジティブなケースとネガティブなケースを見て、改めて考えてみたいと思った。

僕は競技者として何かの実績を残したわけでもないし、そういう現場での指導経験もない。だから、素人が何を言ってんだって思われるかもしれない。
けど、そんなことは気にしない。
その道のプロの方々からもこれまでに色んな話を聴かせていただいたし、それは現在進行形でもある。
加えて、僕自身、我が子がガチでスポーツに打ち込む姿をずっと見てきたし、そういう学生たちの姿も見てきた。
その一方で、僕は、実践型教育の現場で、比較的先進的なことにこれまで携わってきたし、そういう面での実績は残してきたつもりだ。
だからこそ、その道のプロだという自負は持っているし、過信ではなく、これからも学び続けながら向き合っていきたいと思っている。
そういうスタンスだからこそ言えることもあると思う。
だからこそ伝えたいという想いがある。


部活に打ち込む姿勢は素晴らしい。でも…

日々、部活動に一生懸命取り組む学生の姿を見るたびに、本当にすごいな、と思う。仲間たちと共に、毎日毎日地道に練習を積み重ね、チームが掲げている目標に向けてひたむきに努力するその姿勢、そして、試合の際の真剣な眼差しには、見る人を惹きつける魅力やパワーがある。
長年にわたって、そんな姿を見てきたからこそ、そう感じる。

だけど、その一方でこんな場面にも出くわす。
競技シーンでは目が輝き、真剣そのもので、凛々しい姿を見せているのに、それ以外のシーン、特に講義のときなんかは、どこか他人事のような雰囲気で、あまり集中できていない様子。あくびをしながら、「どうせ部活には関係ないし」といった空気で、ただ時間をやり過ごすように座っているのを見かけることもある。

そのたびに思ってしまう。
正直、それは本当にもったいないなって。
なので、結果的には同じようなことを言ってるかもしれないけど、大切だと思うことをショートコラム的にいくつか書いてみた。

競技の場以外にも、学びの種はある

一見、関係なさそうに見える授業や活動にも、スポーツに活かせる学びはたくさんある。例えば、論理的思考、逆算思考、環境分析や目標設定をもとにした戦略づくりだったり、様々な理論、物事の構造や展開の仕方など――どれもすべて、実は部活動等にも活かせる。

つまり、学びというのは「スポーツとは別の存在」ってわけではない。
むしろ、競技のパフォーマンスを高めるためのヒントが、至るところに散らばっていると考えた方がいい。
しかし、それは「拾いに行こう」とする姿勢がなければ見つからない。

短絡的な思考で、「これは関係ないから、別にいいや」とシャットアウトしてしまえば、新たな学びの機会を自ら閉ざしてしまうことになる。

大事なのは、「これ、何かに活かせないかな?」という視点であらゆる経験を自分の中に取り込もうとする姿勢。
そうやって貪欲に吸収しようとする人こそ、最後には大きく伸びていく。

「一般的に、試合の時間よりも練習の時間のほうが長い。弱いチームは長い時間を無駄にしている。」by ザキオカ先輩

この言葉を拡大解釈すると、競技の場以外にも学びの種はあるっていうスタンスで日々の生活に向き合うことが大切って捉えることができると思う。

自分自身の人生の“経営者”であるという意識

僕が常々学生に伝えていることのひとつに、「自分の人生を自分で経営しているという意識を持とう」というものがある。

部活も、勉強も、日々の生活も、すべてが“自分自身の人生”にとっての経営資源。その中でどこに力を入れ、何にどう時間を配分するのか?それぞれが独立したものとは捉えずに、どう結びつけるか?どう活かすか?
そういう意識を持っているかどうかで、その後の人生の広がりはまるで違ってくる。

そもそも、真剣に部活に打ち込めているというのは、恵まれていることだと思う。そして、ものすごく価値のある経験が積めていると言える。
だけど、その姿勢や熱量を「部活だけ」の世界に限定するのはもったいないし、それ以外のシーンにも別の形で活かせるといいのになって思っている。

日常の姿勢、学びに向かう態度、人との関わり方。
そういった、部活の時間以外のすべてが、実は競技の内側にも影響を与えていると思う。

そのことを理解した上で、視野を広げれば広げるほど、自分のプレーも人間性も、深くなっていくはず。

応援される選手には、理由がある

プレーの技術や試合の結果だけで人は応援されるわけじゃない。むしろ、それ以上に重要なのが日々の姿勢だ。これは個人としてだけでなく、チームとしても。

例えば、目を見てあいさつをする。ありがとうをきちんと伝える。場を整える。話を聞くときは姿勢を正す。こういった基本的なふるまいを積み重ねているかどうかが、その人の“応援され度”みたいなものに直結していく。

逆に、プレーはすごくても、日常の態度が雑だったり、礼儀に欠けていたりすると、それだけで「もったいないな」「残念だな」って思われてしまうだろう。チームスポーツであれば、メンバー個々の言動や態度がチーム全体の印象を大きく左右することにもつながる。

どれだけ人として信頼され、応援される存在になれるか。
それは、試合結果や各種データのように、単純明快に示されるものではない。
けれども、人生という長いスパンで見ると、そんな尺度では表せないような「ジンブツ」としての存在感を左右する大きな源泉になるだろう。

人として成長していくために

僕がよく言うのは、「とにかく打席に立ち続けよう」ということ。
部活でも、授業でも、地域活動でも、どこであっても、挑戦する機会を逃さないでほしい。失敗してもいい。うまくいかなくてもいい。だけど、その都度、「そこから何かを学び取ろう」とする姿勢が、すべてを糧に変えていく。

部活を頑張っている、その姿勢は素晴らしい。
でも、その努力の熱量を、他の場面にも拡張していってほしい。

多くの人が、競技スポーツの世界でずっと現役を続けられるわけではない。
むしろ現役以降の人生のほうが長い。
だからこそ、少しだけ意識しておいて欲しい。
スポーツだけじゃなく、人としての深みや幅を育てていけるチャンスが、日常の中にはあふれているってことを。

そして、様々なシーンにおける学びを拒まず、日常的な態度を大切にして欲しい。それがプレーの質を向上させるだけじゃなく、人としての成長に繋がるはずだから。

リスペクトされる選手って、きっとそういう人物なんだと思う。
そして、そんな人物は、他のことをやっても同じように信頼され、結果を残せるんだろうと思う。

さいごに

今回の記事、うちの学部の部活生たちにも読んでもらいたいし、現在ガチでサッカーに打ち込んでいる次男みずきにも読んでもらいたいなって思っている。
決して押し付けるつもりはないけど、タイトル見て気になった人に読んでもらえればOKかな。

っていうことで、今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

編集後記

今回の記事を書こうと思ったきっかけは冒頭で触れた通り。
ただ、その断片については、これまで小出しにしてきた気がする。
だから、できるだけストレートに伝えたいなって思い、chatGPTの助けをかりて、こんな方法を試してみた次第。

具体的にはこんな感じ。
僕が書き続けたnote記事約500本全てを参考にしてもらいつつ、伝えたい思いの柱となる2〜3つのことを音声入力で1分間ほど伝え、記事のテーマを示した上で、chatGPTに1,500-2,000字程度の文章を提案してもらった。
そこで出てきた文章に対し、修正や改善の指示を出して内容を磨いてもらうってのを4〜5回繰り返して、文章の素案を作成。
その上で、こんなイメージでっていうスタンスを入力して、タイトル案も提案してもらい、そこから3回ほどやりとりした結果をヒントにして、最終的には自分で今回のタイトルを考えた。
その後、小見出しや本文について、自分のテイストや言い回しとなるよう、色々と修正して出来上がったのが、今回の記事。
よくよく見ると、流れのある文章というより、箇条書き的な構成になってしまっている気がするけど、まあ、現時点での総集編的に捉えていただければと思う。

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