後悔が募るこの季節に、それでも書くことを肯定したい回【#灯火杯4th応募作】
「実りの秋」とはよく言いますけれど。実るのは何も、成果ばかりでは無いよなぁと思います。
私がよく実らせるのは、後悔。ああすれば良かった、こうしたら良かったと、何かを経験する度に小さな後悔がぷつぷつ募って、稲穂みたいに心が重く垂れ下がっていくんです。
秋は、私にとって後悔の季節なんです。
その中でもとりわけ、長く長く引きずっている後悔があります。
高校時代のことなので、もう10年以上は経つでしょうか。
当時、夏休みの課題の1つに読書感想文があったんです。
私はそういう文章を書くのに強く、有り難いことに何度か表彰して頂けたこともありました。
しかし反面、そういったものを書くのが不得意な人もいるわけです。読書感想文が苦手だった友人は、原稿用紙を何とか無理やり埋め、呻きながら提出していました。
その友人が言っていたんです。
「スミレちゃんは文章書くの上手くて良いよね。私の読書感想文、絶対誰にも見せられない。マジで書く意味無かったと思う……」
ンなわけないでしょうが!?!?
少なくとも私はめちゃくちゃ読みたいんですけど!?!?!?
危うく肩を揺さぶって訴えるところでしたが、長女なので我慢しました。
実際、そんなことを言ったって友人に響く気がしませんでした。それどころか変に慰めるような感じがあって、とても口に出せなかったんです。
結局その時は何も言えなくて、曖昧に誤魔化すことしか出来なかったのを覚えています。
めちゃくちゃ後悔していました。そしてずっと悩んでいました。
あの時、友人に何て言うべきだったのかと。
「あなたの書いたものに意味がある」って、一体どうやって証明できるんだろう、と。
……実はですね。天啓が、ついに下りてきてくれたんです。
それもつい最近。
それは「灯火杯」の作品を――つまりはこの記事を――書こうと思い立って、参考に過去の記事を読んでいた時です。
「灯火杯」の応募作を片っ端から読もうと、タグから記事一覧にジャンプ。
過去作品のサムネイルがずらりと並んでいるのを見ていると、何だか画廊に来たような気になります。
美術館のように統一された雰囲気とは少し違うんですよね。個々の作風が主張し合って、混沌としているあの感じが近い気がします。
そんなことを考えつつ、展示品でも眺めるような調子で記事に目を通していきます。
当然ながら、どの作品にもそれぞれ違った魅力がありました。
語彙の選び方から描写の仕方、伝えようとしている主題まで、当たり前ですけど1つとして同じ作品はありません――。
そこではた、と思い至りました。
そうです。同じ作品が一切無いんです。
たとえば、もしこの記事を書き上げて投稿したとして。
そこに、同じような作品が並んだとしたら。
同じような言葉遣い、同じような流れで、同じような主張をしている記事を見つけたとしたら。
一瞬でも、盗作を疑うでしょう。
それは転じて「私が書く文章は、私以外が書くことのできないものだった」という証明になるのではないでしょうか。
そして逆もしかり。
友人が苦し紛れに書いた読書感想文だって、そうだったはずなんです。
私が選ばなかった言葉で、私が書かなかったような書き出しで、私とは違う考えで書かれた、私には書けない作品だったはずなんです。
どうしてこんな簡単なことに気づけなかったんでしょう。
目から鱗が落ちたような、胸のつかえが取れたような、視界が開けたような、晴れやかな気分です。
この記事だって私だから書けるのだと思うと、何だか面白く思えてきます。
あるいは、これこそが芸術の一端なのかもしれません。
これまでに積み重ねてきたものが、そして今この瞬間にも思考していることが、その変遷こそがアートの根源たるものなのかもしれません。
これでようやく、かつての友人に胸を張って言えます。
「あなたが書いたものにも絶対意味がある!」と。
だってそれは、私には絶対書けないものだから!!
毎度滑り込みで申し訳ございません!!!
暁野スミレです。名字の読み方はアキノです。
すみませんご挨拶だけで失礼しますね急いでるので!!
↓↓#灯火杯4thに応募します!何卒よろしくお願いします!!
それでは!!
