「無理やり」SDGsに当てはめる授業
「無理やり」SDGsに当てはめる授業。
私の学校では「探究活動」の授業であった。
自分なりに今の探究活動の授業について、考えてみたいと思う。
ぜひ、教員を目指したい方や現職で教員の方にこの記事を読んでもらいたい。一高校生の意見として、考え方として…頭の片隅においてほしい。
どうしてSDGsに「無理やり」当てはめちゃうの?
私の学校は中高一貫校。中学校のときも、高校のときも、「探究活動」が授業としてあった。週一で一時間だけある。
中学三年生のころから自助具を研究し、開発、デザインしていたので、高校になっても引き続き同じテーマでやりたかった。
だが高校生になって、びっくりした。
気になるテーマをSDGsから一つ選んで、研究を始めましょう。
え?
個人で自由に自分の研究を進めるんじゃないの?
どうしてSDGsっていう制約がついているの?
どうやらSDGsで気になるテーマ同士で教室分けが行われるらしい。研究のグループもSDGsで決まってしまう。
正直、すごい嫌だった。どうなってしまうかは目に見えていた。私の研究はSDGsのためにやっているのではない。SDGsを目指してやるなんて意味が分からない。なんていうのだろうか。
SDGsは研究テーマ一覧ではない。個人の純粋な「興味」をどうしてSDGsで縛ろうとするのか。
自分の研究は
SDGsが目標じゃない
SDGsの枠なんかに囚われない、もっと広くて自由な世界。
その世界に隠された、一人の悩み声を解決することが自分の研究なのに。
世の中のために…!なんて大きなことを思いながら正直やっていない。
私は目の前の困っている人が笑ってくれたらそれでいい。
少しでも誰もが過ごしやすい世界へ…ちょっとずつ近づいていきたい。
どうしてSDGsなんかでくくられてしまうのだろう。本当に嫌だった。違う。研究の本質はそれじゃない気がする。
自分の研究が後からSDGsの解決に当てはまったのなら良いのだが、SDGsの解決のために研究をするのはなんか違う気がする。SDGsが研究の全てではない。
もやもやしたまま高校での研究授業スタート
私はSDGsの3「すべての人に健康と福祉を」を選んだ。
そうすると、SDGsの3を選んだ人たちが一つのクラスに集められる。
SDGsの一つ一つのカテゴリーは、実に広い。そもそもSDGsのテーマからして漠然としているのに、その人たちを教室に集めて、しまいには
興味の似ている人を集めて、4人か5人のグループを作ってください。
と言われた。絶対に一緒の人はいない。もう薄々わかっていた。高校生で「自助具」を知っている人はまず少ない。内進の人は私のプレゼンで知っているはずだが、外進の人はまず知らない。
知っていても、それを「研究しよう」と思う人はあまりいないのが現状だ。周りの人たちは薬やスポーツ、病気などのテーマばかりだった。自助具は私だけだった。介護もリハビリもいなかった。
私のように、他にテーマが合う人がいなくて彷徨っている生徒はたくさんいた。この時点で「探究活動ってなんなんだろう」ともっともやもやしてくる。
結果的に、テーマの合う人は先にグループを組むので、バラバラなテーマ同士でグループを作るしかなくなる。だが、重要なのはこのグループの中で研究テーマを「一つに絞らないといけない」ことだ。
自分の興味があるテーマを選んでここに来たのに、人によっては、自分の興味を押し殺さなくてはならなくなる。4か5人グループが最小値なのに、8人グループなんてみんなの意見を全て活かすことはとても難しい。
私のグループは5人だったが、私を除く班員全員は自分の「興味」にこだわりがなかった。薄々予測はついていた。SDGsの一覧から半強制的にテーマを決めなければならないのだ。
この場では一人ひとりの興味も、SDGsにとらわれたものになる。だから中には自分の「仮の興味」にそこまで関心をもてない人もいた。
SDGsは「反応の連続」である
個人的に、SDGsは連鎖であると思っているからもやもやしているのかもしれない。「SDGsの中で一つに決めて研究をする」。「一つ」に引っ掛かっているのかもしれない。
決してそれだけではないが、もやもやを紐解いていこうと思う。
まず、SDGsは反応の連続だと思っている。例えば自分の自助具の研究。SDGsの3「すべての人に健康と福祉を」について関連するとともに、自助具を使えば普段学校に通いにくい人でも通学できるようになる。
片手麻痺の人でも持ちやすいペンを作ると、より勉強しやすい環境になるかもしれない。そうすると、SDGsの4「質の高い教育をみんなに」やSDGsの10「人や国の不平等をなくそう」にも解決に近づける。
SDGsの反応は一つでは終わらない。どんどん異なるSDGsに応用していき、全体的に課題を解決していく。解決しに行くという感覚より、自分のやっていた研究が偶然SDGsの解決に役に立った感覚。
悩み声を一人ひとり聞いていき、目の前の課題を解決していたらいつの間にかSDGsというものも解決に近づいていた…みたいな。
一つの目標ではなく、道中にある目標。
だからSDGsの一つのテーマだけで研究しましょうはどこかおかしい気がする。活かす場所は、一つだけじゃない。それは自由に研究を「やってみて」初めてわかる。
調べ学習と研究は違う
漠然としたSDGsをテーマにして、課題発見をネット検索で済ますと、「調べ学習」がはびこるようになる。
SDGsを前提として、テーマを決める。漠然としたテーマの中、課題を「ネットで調べた範囲」だけで研究を始める。そして解決策を「ネットで調べる」。
本で調べる人もまれにいるが、最終発表を見ている限り、サイトからの引用が多い。ネットや本に書いてあることをまず疑わなくなる。立証してみようと思う余地もなく、すぐに答えのようなものを信じる。
その答えへの疑問が浮かばない。浮かんだとしてもすぐにネットで調べる。仮説をほぼ立てない。自ら動かない。
それをポスターにそのままはっつけて終わり。確かに知ることは研究の第一歩だが、そこから先へ一歩踏めない。そこから派生する新しいものがない。
新しいものは毎学年1割あるかないか。少なくとも7割はコピペで終わっている。
非常に面白くないなと、私は思った。
少なくとも高校二年生のときに見た一個上の学年の発表は、面白くないなと思った。聞いても、本当に現実でできるの?みたいな次元の話をしだすし、質問しても「やったことないんでわかんないです」ばかり。
もっと研究は深いのに。ネットでは可視化されない課題が、この世界にはたくさんあるのに。だから、楽しいのに。
そこで私は
この学校の探究活動を変えてみたいと思った。
めちゃくちゃにしようと思った。
めちゃくちゃと言っても、暴れるわけではない。探究の「楽しさ」と「自由さ」を伝えたい。過去には絶対にないくらい…聞く人がびっくりするくらい誰よりも「行動」してみようと思った。
「なっとうの自助具」に込めた想い
とある一人の悩み…「片手生活になったら好きなものを食べることができない」というもの。この悩みから、テスターの話を聞きながらじっくり自助具を作っていく。
SDGsなんかじゃ括られない広い世界。ネットで答えなんか出てこない。答えを見てしまっては面白くない「なっとうの自助具」。
実際に自分が感じたり、聞いたりした疑問や不便さから、分析をして実際に作ってみて、どんどん研究していく。
「なっとうを食べる」一つでも、ここまで研究をすることができる!
最初から巨大な課題に立ち向かわなくてもいい。
日常の小さな課題を解決していくことの積み重ねなんだ!!!
それをどうしても伝えたかった。
SDGsは初めから目指すものじゃない。
研究したその先で、偶然SDGsも解決できた。このくらいのマインドでいいんじゃないかな。解決したい…目指したい世界の道中にSDGsがあった。それだけ。
はじめての研究で、SDGsや持続可能がなんちゃら…なんて
小学生や中学生、高校生の研究はSDGsや持続可能よりも、「生徒自身の興味」を尊重してほしい。その研究の先にSDGsの解決という「選択肢」があるだけ。
生徒の未知数な興味を、SDGsなんかで縛らないでほしい。
その生徒の興味から生まれた研究が、どんな花を咲かせるかはわからないのだから。
「研究」というから硬く聞こえる。純粋に自分の疑問や興味、趣味でいい。学生の純粋さをSDGsで染めないでほしい。
のびのびと書いてみたが
まだしっかりと言語化できていない気がする。でも書く前よりはもやもやが晴れた気もする。言語化の繰り返し。書いて読み直して、また書いて。
ここまで読んでくださった方へ、ありがとうございました。コメントで感想をいただけるとうれしいです。
まだまだもやもやを、のびのびと書いていきます。
これからも、はらのnoteをよろしくお願いします。
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