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昭和版『北斗の拳』はなぜ今見ても面白すぎるのか――名台詞・トリビア・「ひでぶ」、そして私はジャギが好き!

「お前はもう死んでいる」

この一言だけで作品名が分かる。

そんなアニメが、日本にいったいいくつあるだろう。

1984年にテレビ放送が始まった昭和版『北斗の拳』。

久しぶりに見ると、とにかく濃い。

筋肉。

血。

爆発。

絶叫。

愛。

哀しみ。

兄弟喧嘩。

そして、なぜか大量発生するモヒカン。

核戦争後の世界でガソリンや食料が不足しているのに、モヒカンを維持する整髪料だけはどこから調達しているのだろう。

世紀末最大の謎である。

しかし昭和版『北斗の拳』の魅力は、単なる「昔の過激なアニメ」ではない。

笑わせる。

興奮させる。

そして泣かせる。

しかも40年以上経った今でも使われる名台詞が、とんでもなく多い。

そして先に告白しておこう。

私はジャギが好きだ。

ケンシロウでもない。

ラオウでもない。

トキでもない。

よりによってジャギである。

■「お前はもう死んでいる」――これ以上ない主人公の決め台詞

『北斗の拳』を象徴する言葉といえば、やはりこれだ。

「お前はもう死んでいる」

何が凄いって、戦いが終わってから言うのである。

普通のヒーローなら、

「覚悟しろ!」

「これで終わりだ!」

などと言って必殺技を放つ。

ケンシロウは違う。

もう終わっている。

相手だけが気づいていない。

悪党が、

「何も効いてねえじゃねえか!」

と笑っている横で、ケンシロウは静かに背中を向ける。

数秒後。

「あべし!」

ドーン。

この「静」と「動」の落差が最高なのである。

■神谷明の「あたたたた!」は、もはや声優の仕事なのか

そしてケンシロウ役・神谷明。

普段は低く抑えた声なのに戦闘になった瞬間、

「アタタタタタタタタタタタタタ――ッ!」

人間の発声なのか怪しくなる。

さらに、

「ホワッチャー!」

ブルース・リーを思わせる怪鳥音。

ケンシロウのキャラクターそのものにもブルース・リーを想起させる要素があるが、そこへ神谷明の声が乗ったことで、テレビアニメ版独特のケンシロウ像が完成した。

普通の人なら10秒叫んだだけで喉がおかしくなる。

それを毎週やる。

アフレコというより修行である。

■「ひでぶ」「あべし」「たわば」――断末魔まで日本語を発明する

そして『北斗の拳』には、普通の作品では絶対に生まれない言葉がある。

「ひでぶ!」

「あべし!」

「たわば!」

ちなみに、これらを「アニメ声優のアドリブで誕生した」とする話も見かけるが、原作漫画の時点ですでに登場している。

つまり武論尊・原哲夫コンビの発想が最初からおかしい。

もちろん褒めている。

普通なら、

「ぐわああ!」

で済む。

『北斗の拳』では人間が死ぬ直前に新語を発明する。

そしてテレビアニメでは、それに声まで付いた。

秘孔を突かれる。

「効かねえなあ!」

ケンシロウが背中を向ける。

「ひでぶっ!」

爆発。

恐怖と笑いの境界線が消滅する。

■人体破裂を「光らせる」という謎の映像革命

原作漫画では人体が豪快に破裂する。

しかしテレビではそのまま放送できない。

そこでアニメスタッフが使ったのが、シルエットや原色を利用した表現だった。

ピンク。

紫。

赤。

悪党の身体が膨らむ。

光る。

そして、

ドーン!

人体破裂なのに妙にサイケデリック。

これは「昭和だから何でも放送できた」という話ではない。

テレビ放送の制約の中で原作のバイオレンスをどう映像化するか工夫した結果、逆に『北斗の拳』独自の映像表現が生まれた。

見せないことで、もっと怖くなった。

■「てめえらの血は何色だーっ!」――レイという男

個人的に『北斗の拳』屈指の名台詞だと思うのが、レイ。

「てめえらの血は何色だーっ!」

文字だけなら物騒極まりない。

しかし、この言葉が胸に刺さるのは、レイの怒りが自分のためではないからだ。

他者を踏みにじる非道を目の当たりにし、怒りが爆発する。

『北斗の拳』の男たちはよく怒る。

しかし本当に格好いい男ほど、

自分のためではなく、誰かのために怒る。

だからレイは格好いい。

そして彼の生き様と最期を知っている人間には、この男の優しさまで伝わってくる。

■「命は投げ捨てるものではない」――トキだけ作品が違う

北斗四兄弟の次兄トキ。

この人だけ人格が完成しすぎている。

ラオウが覇道。

ケンシロウが哀しみ。

ジャギが嫉妬。

トキは慈愛。

病に侵されながら、自分の拳を人を殺すためではなく救うために使う。

世紀末である。

周囲では、

「ヒャッハー!」

とか言っている。

その世界でトキだけ診療所を開いている。

聖人である。

北斗神拳という暗殺拳を医療に使うという発想そのものが面白い。

そしてトキの存在があるからこそ、兄ラオウとの関係が悲しい。

二人は単純な善悪ではない。

兄弟だからこそ戦わなければならない。

『北斗の拳』が単なるバトル漫画ではないことを象徴する関係だと思う。

■原作に追いつく!――その結果、KING軍が巨大企業みたいになる

昭和の週刊漫画原作アニメには宿命がある。

放送が原作に追いつく。

そこでテレビ版『北斗の拳』では、原作の物語を大幅に膨らませ、オリジナルキャラクターやエピソードを投入した。

特にKING編。

シンとの戦いがテレビ版では巨大化する。

ジョーカーなどアニメ独自のキャラクターまで登場し、

「シン、お前いつの間にこんな巨大組織を作ったんだ」

というレベルになる。

しかし結果として、シンはテレビアニメ序盤の巨大な宿敵になった。

引き延ばしがキャラクターを育てた珍しい例でもある。

■「愛などいらぬ!」――と言っている男ほど愛に飢えている

そして聖帝サウザー。

「愛などいらぬ!」

これだけ聞けば、とんでもなく冷酷な悪役である。

ところが過去を知ると意味が変わる。

サウザーは愛を知らなかったのではない。

むしろ逆だ。

愛を知りすぎたから捨てた。

尊敬し愛していた師オウガイとの悲劇。

愛することが苦しい。

失うくらいなら最初から愛さない。

だから、

「愛などいらぬ!」

になる。

子供の頃は、

「サウザー悪い奴やな」

だった。

大人になって見ると、

「お前、めちゃくちゃ傷ついてるやん……」

となる。

『北斗の拳』はこれがある。

■シュウ――「未来」を背負って死んでいった男

サウザー編をさらに悲しくするのがシュウ。

この人の生き方は、『北斗の拳』という作品のテーマそのものだと思う。

自分が生き残ることではなく、次の世代を生かす。

未来を子供たちへ託す。

だからシュウの最期はキツい。

『北斗の拳』では、

強い男=最後まで生き残る男

ではない。

何のために生きるのか。

誰のために死ねるのか。

そこで男の強さが決まる。

レイもそう。

トキもそう。

シュウもそう。

フドウもそう。

だから子供の頃と大人になってからでは、刺さる人物が変わる。

■フドウがラオウに教えた「拳より強いもの」

そして私が昭和版『北斗の拳』で特に泣けるのがフドウ。

ラオウは恐怖によって人間を支配してきた。

しかしフドウの周囲には子供たちが自ら集まる。

なぜか。

強いからではない。

愛されているからだ。

フドウは子供たちを守る。

傷ついても守る。

命を懸けて守る。

そこでラオウは、自分が持っていない種類の「強さ」を見る。

拳ではない。

誰かのために命を懸けられる強さ。

そして子供たちの「哀しみ」が、拳王の心を揺らす。

あれほど巨大なラオウが、精神的にはフドウに追い詰められていく。

ここが凄い。

強さとは何なのか。

『北斗の拳』は筋肉だらけの画面で、実はかなり哲学的なことをやっている。

■「我が生涯に一片の悔いなし!!」――これ以上の退場があるか

そしてラオウ。

『北斗の拳』最大級の名台詞といえば、

「我が生涯に一片の悔いなし!!」

だろう。

この言葉が凄いのは、ラオウの人生そのものだからだ。

天を目指した。

覇者を目指した。

ケンシロウと戦った。

愛を知った。

哀しみを知った。

敗北まで受け入れた。

そして最後に拳を天へ突き上げる。

悪役の死なのに、完全に主人公の最終回みたいになっている。

むしろケンシロウより目立っている。

だが、それでいい。

ラオウだから。

■北斗七星の横には、本当に星がある

ここで通好みのトリビア。

『北斗の拳』でおなじみの「死兆星」。

作中では、死期が迫った者が見る不吉な星として描かれる。

北斗七星の柄の部分にあるミザールの近くには、実際にアルコルという星がある。

条件が良ければ肉眼でも確認でき、歴史的には視力を見る目安として語られてきた星でもある。

もちろん、

アルコルが見えたら死ぬわけではない。

安心してほしい。

そこから先は北斗ワールドである。

ただ、一度『北斗の拳』を知ってしまうと夜空を見上げて、

「あれ……見えたらヤバいやつじゃないよな?」

と思ってしまう。

作品による風評被害が40年以上続いている星である。

■そして私はジャギが好きだ

さて。

ケンシロウ。

ラオウ。

トキ。

レイ。

シュウ。

フドウ。

サウザー。

これだけ格好いい男たちについて書いておいて、私が好きなのはジャギである。

北斗四兄弟。

長兄ラオウ。

次兄トキ。

三兄ジャギ。

末弟ケンシロウ。

並べるとジャギがかわいそうになってくる。

上にラオウ。

隣にトキ。

下にケンシロウ。

無理ゲーである。

■「俺の名を言ってみろ!!」――北斗史上最高の承認欲求

ジャギといえば、

「俺の名を言ってみろ!!」

知らんがな。

自分で名乗れ。

しかし私は、この台詞が大好きである。

なぜならジャギという人間を一言で表しているからだ。

認められたい。

ケンシロウより上だと思われたい。

自分こそ北斗神拳伝承者にふさわしいと思いたい。

つまり、

承認欲求の塊。

ラオウは世界を欲しがる。

ジャギは「俺を認めろ」と言う。

スケールが急に小さい。

そこがいい。

■しかも拳法家なのにショットガンを持つ

ジャギの素晴らしいところは、勝つためなら手段を選ばないところだ。

北斗神拳を学んだ男である。

拳法家である。

なのに、

銃を使う。

ショットガン。

いや拳法は?

となる。

ラオウなら絶対にやらない。

トキなら触りもしない。

ケンシロウなら必要ない。

ジャギは使う。

「勝てばええやろ」の精神である。

潔いほど潔くない。

だから好きなのだ。

■実はジャギ、物語への影響だけなら相当デカい

しかもネタキャラ扱いされがちなジャギだが、物語上はかなり重要である。

ジャギの嫉妬や策謀は、シンとケンシロウの関係を決定的に悪化させる方向へ作用する。

つまり、

本人の戦闘力以上に、人間関係を破壊する能力が高い。

嫌すぎる特殊能力である。

ラオウは拳で世界を変える。

ジャギは陰口で世界を変える。

現代社会で出会いたくないのは、案外ジャギの方かもしれない。

■『愛をとりもどせ!!』が流れたら悪党終了のお知らせ

そして昭和版を語るなら音楽。

クリスタルキングの、

『愛をとりもどせ!!』

あのイントロ。

ケンシロウが歩く。

悪党が笑う。

筋肉が盛り上がる。

視聴者はもう分かっている。

はい、終了。

悪党側だけがまだ気づいていない。

そしてエンディングの『ユリア…永遠に』。

さっきまで人間が「ひでぶ!」と爆発していたのに、突然もの凄い哀愁をぶつけてくる。

さらに続編『北斗の拳2』ではTOM★CATの『TOUGH BOY』。

「Welcome to this crazy Time」

作品説明終了。

本当にCrazy Timeなのである。

■昭和版『北斗の拳』は「熱量」という名の化け物だった

現在のアニメは作画も撮影も音響も進化している。

だから「昭和の方が全部良かった」と言うつもりはない。

しかし昭和版『北斗の拳』には、今とは違う種類の圧倒的な熱量がある。

声優が叫ぶ。

悪党が叫ぶ。

ナレーターまで叫ぶ。

ケンシロウが殴る。

人体が光る。

爆発する。

「ひでぶ!」

笑う。

そして次の瞬間、レイやシュウやフドウで泣かされる。

感情が忙しすぎる。

だが、それがいい。

『北斗の拳』は暴力の物語に見える。

しかし本当に描いていたのは、

愛と哀しみ

だったのではないか。

愛を失ったシン。

愛を拒絶したサウザー。

愛を背負ったフドウ。

愛と哀しみを知ったラオウ。

そして愛する者たちの哀しみを背負い続けるケンシロウ。

だから40年以上経っても名台詞が残っている。

「お前はもう死んでいる」

「てめえらの血は何色だーっ!」

「愛などいらぬ!」

「我が生涯に一片の悔いなし!!」

そして――

「俺の名を言ってみろ!!」

最後だけ明らかに毛色が違う。

やっぱりジャギ最高である。

『北斗の拳』とは、

「お前はもう死んでいる」と言いながら、誰よりも熱く「どう生きるか」を描いた作品だった。

そして数々の英雄たちに交じって、仮面を被り、ショットガンを持ち、猛烈なコンプレックスを抱えながら「俺を認めろ!」と叫んでいた男がいた。

ジャギ。

情けない。

卑怯。

嫉妬深い。

だが忘れられない。

だから私は今日も言いたい。

俺の好きなキャラを言ってみろ!!

ジャギである。

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