記憶の猫
そういえば、私が子供の頃実家にいた猫は石鹸の泡を舐めるのが趣味だった。
我々が風呂に入っていると、ドアをガリガリやってあけてくれろとせがむ。
あけてやるとおもむろに侵入してきて、そこらを念入りに検分する。
それが済んだら、壁や床についている泡をシラシラと舐め始める。
泡にもいろいろあるらしく、検討に検討を重ねたうえでこれぞという泡を舐めるのだった。
体に悪いのではないのかと思って止めるのだけれども、たいへんな執着だ。
猫が入ってくる前に泡を流すようにしたが、そうすると猫はどことなく不服そうだった。
*
この猫は虫が好きで、特にゴキブリをよく捕まえた。
近所にフリーダムなお家があって、ゴキブリはそこから無限に供給されていた。
私は猫がゴキブリを捕らえるのを見たことがあるが、その辛抱強さといい、鮮やかな手並みといい、こいつは真正の狩人だなと思った。
猫はゴキブリの中身だけ食べる。
夜間に食べた場合は、抜け殻を私の枕元に並べていく。
朝起きると、ゴキブリの殻だの、バッタの足だの、トンボの羽だのが行儀よく枕元に並んでいる。
なんというか、きれいにまっすぐ並べるというのは人間的なふるまいなのかなと思っていたが、猫にもきれいに並べたがるのがいるらしい。
虫の殻は毎回わりとまっすぐ並んでいた。
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猫は他猫とよく喧嘩をする。
生傷が絶えない。
耳の先に傷がついているなと思ったら、かさぶたみたいなのが耳全体に発生し、ついにはべろんと毛ごととれて皮膚が丸見えになった。
もう片方の耳も同じ経過をたどり、猫は両の耳だけハゲてしまった。
たぶん一年ぐらいハゲてたんじゃないかと思う。
いやずっとハゲてたんだっけな。
耳がハゲている顔しか思い出せない。
ハゲている箇所はつややかにつっぱっているので、撫でると抵抗を感じるのだ。
あと髭がピエールみたいにカールしていた。
これはお袋が飯を作っているときに、コンロに顔を近づけすぎるので髭がチリチリになってしまうのだ。
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その猫がいきなりいなくなったことがあった。
母は「雄猫は旅に出るものである。ついに自分の危惧していたことが現実のものとなってしまった」と言って嘆いた。
失せ物探しに特異な才能を見せる母をもってしても、猫を探し出すことはできなかった。
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三ヶ月ほどして、私がひとりで「なるほど・ザ・ワールド」を見ていたら、外で聞き覚えのある猫の声が聞こえた。
はてなと思い窓を見ると、旅に出た猫がそこにいるではないか。
私が窓を開けると、猫はさも当然のごとく入ってきて、落ち着き払って各部屋を見回り始めた。
なんとまあ、たいした奴だ。
私は寝ていた家族を起こして、みんなで猫の帰還を喜んだ。
以前はたぬきみたいに太っていた猫が、あばらが見えるぐらい細くなっていた。
一ヶ月もすると、猫はもとのたぬき体型に戻った。
旅に出たのはこれぎりで、それからはずっと家にいるようになった。
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