その23「人気演目 暫、土蜘蛛と新作 日蓮」 Archives『THE NIKKEI MAGAZINE Ai』プレミアムクラブ会員向けメールマガジン/歌舞伎編
(2015年11月~2023年3月配信/文:Katsuma Kineya、編集:講談社、配信元:日本経済新聞社)
※俳優名と公演情報は配信当時のものです
※敬称略
『暫』と『土蜘』の見どころと見せどころ
2022年5月13日配信
5月は歌舞伎座が『團菊祭五月大歌舞伎』。團菊祭は九代目團十郎、五代目菊五郎の功績を称えるために始まった興行です。毎回両家ゆかりの演目などが上演されますが、今年は歌舞伎十八番の内『暫(しばらく)』と新古演劇十種の内『土蜘(つちぐも)』が披露されています。今回はこの2作品をご紹介します。
若きヒーローが活躍する『暫』
歌舞伎十八番は、七世團十郎が市川宗家代々の当たり狂言(一場面、一局面を含む)を集めて制定したもので、こうした制定集の先駆けです。そのひとつ『暫』は、初世團十郎が初演した狂言の中で「しばらく、しばらく」と言って悪人を追い払った荒事の場面が始まり。二世のころ、顔見世でこの荒事を含む演目の上演が決まり事となり、新歌舞伎十八番の公表後は『暫』として定着しました。現在の脚本は九世が演じた福地桜痴の改訂版で、十代のヒーロー、鎌倉権五郎景政が悪をこらしめる物語です。
この権五郎は、袖、背中、胸などに大きな紋を入れた武家の礼装、大紋(大素襖)の、袖を強調した独特の衣裳を一番上に着て花道に登場します。3年前の『市川海老蔵』展や今年の『体感!日本の伝統芸能』展で実物が出展されていましたが、袖の大きさに驚きます。大紋を含めたこの衣裳全体について、十二世團十郎は「実際に量ってみたら60キロもありました。(中略)実は重さの要因は『染め』にあるんです」と著書で述べています(以下コメント同)。特に、大紋で使われている市川家の家の色である柿色は染まりにくく、染料に長くつけ込むため重くなるそうです。大紋の下には、厚綿(ふき返しに厚く綿を入れたもの)の向鶴菱模様の着付(長着)、赤の胴着、白の襦袢、胸鎧を着込み、紋の入った腰帯の先を前に垂らします。また舞台中央に出て肌脱ぎになった際に見える、しめ縄のような仁王襷(におうだすき)も、十二世いわく「これがまた重い」。さらに3.5キロの大太刀も持ちます。 権五郎役は、こうした衣裳を着け、18歳ぐらいを想定して「童の心で」演技をしなければなりません。問題は大きな袖だと十二世。「袖の内側を竹で十文字に凧のように張っている。花道にいる間、これがきちんとバランスが取れていないと袖が開こうとするんです。ぐっとこらえていい形になるように押さえる。(中略)これがたいへん」。今回権五郎を勤めるのが7回目となる海老蔵が日々のトレーニングを欠かさないのもうなずけます。
能の演目をアレンジした『土蜘』
新古演劇十種は、五世菊五郎が9種まで選び六世が1種を選んで完成。『土蜘』は、五世が祖父三世の三十三回忌追善にあたり、河竹黙阿弥に依頼してできあがった舞踊劇。能の『土蜘蛛』を題材にした松羽目物です。 土蜘物は初世松緑が四世鶴屋南北の『四天王楓江戸粧(してんのうもみじのえどぐま)』で当たりを取って以来菊五郎家、音羽屋が得意としています。土蜘物はまた、源頼光とその四天王(渡辺綱、坂田金時、碓氷貞光、卜部季武)の武勇伝である四天王物から派生した作品群でもあります。『土蜘』は蜘蛛を音読みにした名を持つ僧、智籌(ちちゅう)が実は土蜘の精で、頼光と四天王がこれを退治する話。 松羽目物なので、衣裳にも能装束の要素が取り入れられています。智籌は黄色地の格子模様の着付に、能装束の上衣である水衣。土蜘の本性を顕すと、唐花亀甲模様と雲模様の織り柄の入った金地の法被に、赤地に金の山道模様と渦模様が配された大口(横に張った形の大口袴の略)で登場します。髪型も能と同じで、毛の長く垂れた鬘の黒頭(くろがしら)。そして蜘の糸を模した千筋の糸を敵に投げかけます。隈取は、鬼や妖怪など人ならざるものに用いられる茶色の代赭隈(たいしゃくま)。 第五期歌舞伎座のこけら落としで菊五郎が智籌、実は土蜘の精を演じており、筋書きのコメントで、土蜘の精となって登場する能舞台ふうの場面を「夢の間のようで、演じていても面白い」と語っています。昨年5月は松緑が演じており、格調高い智籌と迫力のある土蜘の精が印象的でした。このときの演技は、令和3年度芸術選奨新人賞の贈賞理由のひとつにもなっています。今月は菊之助がこの役を演じています。 今年の團菊祭での松緑は、絢爛豪華な『祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき)』のスケールの大きな役、松永大膳を勤めています。

(https://jpsearch.go.jp/item/cobas-48860)

(参考資料:『市川團十郎代々』講談社、『歌舞伎の衣裳 鑑賞入門』東京美術、『歌舞伎ハンドブック』三省堂、『團十郎の歌舞伎案内』PHP新書、『歌舞伎 家と血と藝』講談社現代新書、『演劇界’96年5月号』演劇出版社、『増補版 歌舞伎手帖』/角川ソフィア文庫、『2022年版かぶき手帖』/日本俳優協会・松竹・伝統歌舞伎保存会、筋書き、展覧会パンフレット)
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日蓮の見どころと見せどころ
2021年6月11日配信
6月は歌舞伎座で仁左衛門と玉三郎の黄金コンビによる『桜姫東文章 下の巻』、南座で海老蔵歌舞伎、博多座で菊之助の与三郎(『与話情浮名横櫛』)と眼福にあずかれる演目が目白押し(笑)ですが、さらに新作も登場しています。それが「六月大歌舞伎」の日蓮聖人降誕八百年記念『日蓮』。スーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』などでもタグを組んだ横内謙介さんと猿之助のコンビ再来とあって話題の的です。では歌舞伎と日蓮宗はどのような関係があるのでしょうか。
一大エンターテインメントの開帳
まずは宗教的な側面から見てみましょう。鎌倉時代から行われ、江戸時代に普及し、現在まで続いている宗教行事に、開帳があります。江戸時代にはこの開帳が盛んで、18世紀後半になると、見世物小屋が出るなど、エンターテインメント色が強くなりました。開帳参詣者のなかには信者のグループ“講”のメンバーである講中が多数おり、そうした講中が幟を立てながら出開帳に向かう様子が、1857(安政4)年の広重『名所江戸百景 金杉橋芝浦』(画像1)に描かれています。図中にある身延山とは日蓮宗総本山身延山久遠寺のこと。
開帳を当て込んだ演目、開帳もの
開帳に乗じて、歌舞伎も特別な興行を行いました。たとえば前述の広重画の開帳の機会には、8月森田座で『当南身延妙利益(ときにみんなみのぶのごりやく)』(画像2〜4)*が上演されています。日蓮聖人(画像3)等は六世市川團蔵(画像4)*。このほぼ100年前の1759(宝暦9)年には、三月の顕本法華宗総本山妙満寺の出開帳にこと寄せて九月市村座が『道成寺』をかけています。なぜ天台宗の道成寺かというと、道成寺ものに縁のある梵鐘が妙満寺へ納められ法華経によって供養され安置されているためです。
こうした開帳を当て込んだ歌舞伎狂言や人形浄瑠璃の作品を開帳ものといいます。
ミラクルストーリーが彩る日蓮記もの
日蓮聖人は数奇な運命をたどった人物で、現代人からすればその人生を描くだけで十分ドラマティックに思えますが、エンタメ性を重視した江戸時代の歌舞伎では、霊験や奇瑞を好んで題材として取り上げています。清澄山に登り薬王丸と名を改めた少年時代、佐渡へ流される途中に斬首されそうになったところを霊験が現れ難を逃れた“龍口法難”、鵜飼の亡霊を救った“鵜飼勘作”、龍の姿をした七面天女が説法を聞いて身延山の護法神となる“七面山”……。こうした題材に奇想天外な脚色を加えたり、ほかの狂言と絡めたりしてまとめたものを日蓮記ものといいます。
明治時代も日蓮記ものは人気が継続
明治に入っても日蓮記ものは人気を集め、昭和初期までコンスタントに上演は続きます。勝俵蔵作『日蓮大士真実伝』、福地桜痴作『日蓮記』などの新作も登場。森鴎外も一幕もの『日蓮聖人辻説法』を書いています。初演は1904(明治37)年、配役は日蓮が七世市川八百蔵(七世中車)。異色の戯曲でした。
戦後は、1965(昭和40)年に、並木正三作初演1832(天保3)年の『日蓮聖人御法界海**(ニチレンショウニンミノリノウミ)』を、日蓮聖人三世左團次、勘作妻お伝を六世歌右衛門で上演しています。また1979(昭和54)年には、日蓮聖人第七百遠忌記念として前進座が『日蓮』を東京や関西で巡演しました。
連獅子の間狂言にみる宗教事情
歌舞伎では日蓮宗の僧の話や庶民の信仰の様子も描かれています。1901(明治34)年、『連獅子』に加えられた間狂言(あいきょうげん)「宗論」もその一つ。二人の僧が登場し、一方は法華宗(日蓮宗)で団扇太鼓を叩き南無妙法蓮華経と、もう一方は浄土宗で鉦を叩き南無阿弥陀仏と唱え、優劣を競います。そのうち混乱しついには互いに相手の題目を唱えてしまうという喜劇です。日蓮宗と浄土宗は対比の面白さを表現できる利点もありますが、書かれた当時、人気宗派の一つが日蓮宗だったということでしょう。なお、日蓮宗という名称は1872(明治5)年に公称された宗派名です。
日蓮宗と歌舞伎。その関わりは深く、今回の『日蓮』も、歌舞伎史のみならず日蓮宗との関係史に、新たな一ページを加えることでしょう。
*2025年10月3日訂正
**2025年10月6日訂正

(参考資料:『新版 歌舞伎事典』平凡社、『歌舞伎ハンドブック 第三版』三省堂、歌舞伎公演筋書、『歌舞伎|日蓮聖人降誕八百年特設ウェブサイト』)

画像3 国貞(三代豊国)、『当南身延妙利益』/Actor Ichikawa Danzo V in the play Toki ni minna Minobu no ryaku (Nichiren on Mt. Minobu or Sometimes Everyone's Eyes Become Blurred) by Kunisada - Finnish National Gallery, Finland - CC0.
画像4 国貞(三代豊国)、『当南身延妙利益』/Actor Ichikawa Danzo V in the play Toki ni minna Minobu no ryaku (Nichiren on Mt. Minobu or Sometimes Everyone's Eyes Become Blurred) by Kunisada - Finnish National Gallery, Finland - CC0.
*画像2、3余白トリミング
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