見出し画像

父の日の夜、言えたことだけ抱きしめて眠る

なんてことはない、普通の日曜日だった。

朝はいつもより少し遅い光がカーテンを透かして、昼には読みかけの本が膝の上で何度も閉じかけて、夕方には買い物袋の音がリビングに戻ってきた。

ただひとつ違っていたのは、今日が父の日だったこと。

それだけで、いつもの家の中に、見えない糸が一本張られているような気がした。触れれば揺れる。揺れれば、わたしの胸の奥まで伝わってくる。そんな細い糸。

夜になって、部屋の明かりを小さくした。

窓の外には、遠くの街の灯りが滲んでいる。雨が降っているわけではないのに、ガラス越しの夜景は少し濡れて見えた。ベッドサイドのランプが、白い布団のふくらみにあたたかな色を落としている。

ネネは、わたしの腕の中で丸くなっていた。

七歳の白猫。普段は、撫でようとするとするりと逃げるくせに、こういう夜だけは当然みたいな顔で近くに来る。ツンデレ、という言葉はネネのためにあるのかもしれない。

わたしが抱きしめても、今日は逃げなかった。

柔らかな毛に頬を寄せると、日なたに干したタオルみたいな匂いがした。小さな体から伝わる温度が、ゆっくり腕に染みていく。ネネの喉が、かすかに鳴っている。

ごろごろ、というより、夜の底で小さな機械が静かに動いているみたいな音。

「ねえ、ネネ」

小さく呼ぶと、ネネは目を閉じたまま、耳だけを少し動かした。

返事はそれで十分だった。

父の日。

毎年ある、家族の中の恒例行事。

わたしが小さい頃は、もっと簡単だった気がする。画用紙に似顔絵を描いて、下手な字で「いつもありがとう」と書いて、何も考えずに渡せた。お父さんは大げさに喜んでくれて、冷蔵庫に貼られたその絵を、わたしは少し誇らしい気持ちで見上げていた。

あの頃のありがとうは、軽かった。

軽いから、何度でも投げられた。

今のありがとうは、少し重い。

その中に、言えなかった時間が入っているからだと思う。

いつからだろう。

お父さんと、あまり話さなくなった。

嫌いになったわけじゃない。むしろ、嫌いなんて言葉とは遠いところにいる。朝、洗面所ですれ違えば「おはよう」と言うし、夜、リビングで顔を合わせれば「おかえり」と言う。

でも、それだけ。

それ以上の言葉が、うまく見つからない。

学校のこと。友だちのこと。進路のこと。なんとなく悩んでいること。話そうと思えば、話せることはいくらでもあるはずなのに、お父さんの前に立つと、言葉が急に制服のポケットの奥へ隠れてしまう。

お母さんが、間を取り持ってくれていることは薄々感じていた。

「日菜子、最近学校どう?」と聞くのはお母さんだけれど、その少し後ろで、お父さんがテレビを見るふりをしながら耳を傾けていること。

「お父さん、駅まで迎えに行けるって」と言う時、本当はお父さんの方から先に言い出してくれていること。

「今日、日菜子ちょっと元気なかったね」と、台所でお母さんに小さく言っていたこと。

全部、ちゃんと知らないふりをしてきた。

知らないふりをする方が楽だったから。

近くにいる人の優しさは、正面から見ると少し眩しい。眩しいものから目をそらしているうちに、いつの間にか、それが癖になってしまった。

思春期、なのかな。

そう片づけられたら、たぶん楽だ。

そういう時期だから。
年頃だから。
そのうち戻るから。

そんなふうに言えたら、わたしの不器用さも、何かの通過点みたいに見える。

でも本当は、時期のせいだけにしたくない自分もいる。

わたしは控えめで、考えすぎるところがあって、でも変に頑固だ。苦手なことを苦手なままにしておくのが嫌で、未経験のことに触れるたびに、勝手に一喜一憂して、勝手に傷ついて、勝手にまた立ち上がろうとする。

だから今日のことも、ちゃんと自分のこととして覚えておきたかった。

夕方、リビングでプレゼントを渡した。

赤いリボンの箱に、一輪のバラを添えて。

「お父さん、いつもありがとう」

言葉は短かった。

声も小さかった。

たぶん、ドラマみたいにはならなかった。

お父さんは少し固まって、それから「うん、ありがとう」と言った。それっきりだった。お母さんが少し冷やかして、お父さんが「照れてない」と早口で言って、わたしも少し笑いそうになって。

それだけ。

でも、それだけで十分だった。

わたしも、お父さんも、たぶんあれ以上は持て余してしまったと思う。長い言葉を並べたら、せっかく差し出した気持ちが、照れくささの中で転んでしまいそうだった。

不器用な家族には、不器用なまま届く言葉がある。

今日、わたしはそれを少しだけ知った。

ネネの背中を撫でる。

白い毛の流れに指を沈めると、ネネは目を閉じたまま、前足を少し丸めた。昼間はお皿の前でお行儀よく待っていたのに、夜になるとわたしの腕の中にすっぽり収まっている。

「ネネさん、どう思う?」

わたしは少し笑いながら言った。

「これで、達成できたってことでいいのかな」

ネネは答えない。

答えない代わりに、わたしの胸元に額を押しつけてきた。

その仕草が、まるで「知らないけど、今日は寝なさい」と言っているみたいで、少しおかしかった。

それでも、夜は考えごとを連れてくる。

今日ひとつ言えたからといって、明日から急にお父さんと自然に話せるようになるわけじゃない。朝になれば、また「おはよう」だけで終わるかもしれない。夕飯の時も、学校の話をする前に、わたしはスマホを見てしまうかもしれない。

でも、今日の一回は消えない。

たった一回でも、道は少し踏まれる。

何度か同じところを歩けば、そこはいつか、ちゃんと通れる道になるのかもしれない。

この先、進路の相談をする日が来る。

どの学校に行きたいのか、何をしたいのか、まだ輪郭も曖昧な未来について、家族の前で言葉にしなきゃいけない日が来る。

いつか、誰かを好きになって、その人を家に連れてくる日が来るのかもしれない。彼氏です、なんて、今は想像しただけで布団にもぐりたくなる。お父さんはどんな顔をするんだろう。今日みたいに少し赤くなるのかな。それとも、分かりやすく黙り込むのかな。

わたしは、その時ちゃんと言えるのだろうか。

逃げずに、目を見て、わたしの人生に関わる大事なことを。

「ネネさん教えて」

小さくつぶやく。

自分で言って、少し笑った。

ネネは相変わらず何も言わない。けれど、その沈黙は冷たくなかった。むしろ、何を言っても、言わなくても、そこにいてくれる沈黙だった。

子猫の頃から、ネネはわたしのそばにいる。

泣いた日も、怒った日も、何かに失敗して布団にもぐった日も、テスト前に机に向かっているふりだけしていた日も。ネネは慰めるわけでもなく、励ますわけでもなく、ただ同じ部屋のどこかで眠っていた。

それが、今思うとありがたかった。

誰かに見守られるというのは、ずっと見つめられることじゃない。

必要な時に、そっと同じ場所にいてくれることなのかもしれない。

お父さんも、そうだったのかな。

あまり喋らなくなったわたしを、無理に引っ張り出さずに、少し離れた場所で見守ってくれていたのかな。お母さんを通して、さりげなく気にかける形で。

だとしたら、わたしは今日、ほんの少しだけ、その場所に向かって歩いたのかもしれない。

窓の外の灯りが、ひとつ、またひとつと滲んでいる。

夜の街は遠い。けれど、遠いからこそ安心する。誰かの部屋にも、きっと今日みたいな小さな出来事があるのだと思えるから。

言えた人。
言えなかった人。
言おうとして、明日に回した人。

みんなそれぞれの夜を、誰にも全部は説明できないまま過ごしている。

わたしはネネを抱き直した。

白い体はあたたかく、重さはちょうどよかった。重すぎず、軽すぎず、今のわたしの腕に収まるだけの確かさがあった。

「今日は、がんばったよね」

返事はなかった。

でも、ネネの喉が小さく鳴った。

それを勝手に肯定だと思うことにした。

明日から、急に変われなくてもいい。

お父さんと普通に話せなくても、今日の「ありがとう」がどこかに残っていればいい。次に何かを言う時、その小さな残り火が、わたしの背中を少しだけ押してくれたらいい。

人生の大きな場面は、きっと突然やってくる。

でも、その時のわたしを支えるのは、今日みたいな小さな練習なのだと思う。

赤い顔で差し出したプレゼント。
短すぎる返事。
お母さんの冷やかす声。
ネネのそっけない背中。
夜のベッドのあたたかさ。

全部、何でもない日曜日の欠片だ。

父の日を除けば。

そして、その父の日があったから、何でもない日曜日は、少しだけ忘れたくない日曜日になった。

ベッドサイドのランプを消す前に、わたしはもう一度ネネの名前を呼んだ。

「ネネ」

今度は、ネネが薄く目を開けた。

眠そうな顔で、ほんの少しだけわたしを見る。

「次も、そばにいてね」

ネネは目を閉じた。

それは約束ではなかったかもしれない。

でも、わたしには約束に見えた。

夜の部屋に、静かな寝息が重なっていく。窓の外の灯りはまだ滲んでいて、ランプの明かりは布団の端でやわらかく揺れている。

わたしは今日言えた言葉だけを胸の中で抱きしめて、ゆっくり目を閉じた。

ありがとうは、上手になるための言葉じゃない。

大切な人の前で、少し不器用な自分を許すための言葉なのだと思う。


いいなと思ったら応援しよう!