チタンで言葉をギュッと締める日常
こんにちは。葛城です。
全然近況報告をしていないし、することも特にないと思いつつ、でもnoteを開いてしまったので書いていこうかなと思います。
書きたいまま徒然に書いていくので、順番などバラバラかも。かんにんね。
1.骨折した
1回目は2年前くらい。階段で転倒してそのまま救急車になった。
全治半年という大怪我で、その日のうちに帰れたのは良かったものの、しばらく松葉杖生活になるという、個人的には大怪我だった。
折った骨は後述のものにくらべるとなんてことはないが、右ひざの小骨をやってしまったらしい。
しばらく右足はピリピリと麻痺した感覚で、すごく不便だった。
ちなみに麻痺は残っていない。ただ、毎日手すりに捕まって生きている。
2.骨折した(2回目)
大事なことなので2回書きました。
ではなく、骨折しました。今年3月のこと。
これも大怪我も大怪我、自転車で転倒し、オペをする羽目になった。
自分的に過ぎた事故なので、そんなに大怪我ではないかと思っていたのだが、昨日か今朝見たニュースで「骨折という大怪我」という言葉が聞こえていた。
どうやら骨折は大怪我のうちに入るらしい。ということは、二本骨が折れた自分は大怪我をおったうちに入るだろう。
転けたとき、「ボキッ」という人間からは有り得ない音が出たので自分としては、「あ~確実に折れたなぁ」という感じだったのだが、夜だというのに何人か集まってくれて「大丈夫ですか!?」と言ってくれたのは不幸中の幸いだった。
最初に駆けつけてくれたお兄ちゃんは地元《ココ》の人間ではなかったらしく、「お姉さん話せる!?」(痛すぎて話せなかったら)「あかん、日本語通じないわ」と言われた。いやいや、日本人。全然。めちゃくちゃ日本人なのに。でも、救急車呼んでくれてありがとう。
ちなみに駆けつけてくれた警察官はニヤニヤした顔で「お姉さんなんで転んだの~???」と言ってきて、その前に救急隊員に「お姉さんここの神経は生きてる!?」だの、「ここは感覚ある!?」だの言われてたのに呑気なものだなと思った。
悔しくて、「あそこに歩道がありますよね!?でも、街灯がないじゃないですか!!!」と反論したら「暗いもんね~」と言っていた。
怪我から復帰し約3か月。未だに夜道、街灯はつかない。何してん。
3.手術した
2の話の続きだ。
まず、動けず救急搬送になった。(上記の通り)
そして、骨がボキッといっていて、ハリーポッターの骨が抜かれたロンの腕みたいになってて『あ、これは逝ったね』と思った。
最初に運んだ医者曰く、早く手術できればその方が回復が早いということだったのだが、残念ながら家の近くの整形外科医は手術に10日はかかってしまうということだった。つまり、私はその怪我した日から、10日間はギブスもされないまま、三角巾と心もとないあて木だけで過ごしたわけだ。本当にこれだけでいいの?良いわけないだろ。
ただ、人間痛みには強いもので、この10日間で案外怪我の痛みは引いてきた。
たまに身体を起こすときや、歩き出すとき、立ち上がるときに左腕の中が『ズレる』感覚があった。ほら、すぐに手術できないって言われたから……。
そして、手術日。
もう、めちゃくちゃ痛かった。とにかく、死ぬほど痛かったかもしれない。
お医者さんに痛くないのを0としたら100まででどれくらい痛い?って聞かれた。もちろん、200痛いですって答えた。100までで収まったらどれだけマシなんだろう。
そりゃそうだ。
だって一回骨折した骨(ズレている)を皮膚切開して、またえいや!で骨を揃えてしかもボルトとプレートを中に入れ込むんだもん。
医者から「死ぬほど痛いよ」と言われていた。
実際、死ぬほど痛かったし、プレート手術をした日は全く寝られず、(一瞬気絶したらしいけど)夜勤の看護師さんが回ってきたら
「す、すみません……痛み止めの点滴をぶち込んでください……」
「前〇時間前に入れたので、こらえてネ」などのやり取りをしたのだから……。
ちなみに、最後の点滴をしたのが確か朝6時くらい。
病院・かつ入院なのでご飯が出てくる。これが確か7時か8時。そして、帰れる?と無理矢理言われて帰らされた帰れたのが10時。ありえんスピード感。
ヘロヘロだったのと、病院と入院というストレス、死ぬほど痛いよ?を転院前の医者にも執刀医にも言われ、怖くて眠れなかったのでほぼ2日間寝てなかった。そのためか家に帰って14時間くらい寝た。途中、痛みで飛び起きたのは書くまででもない。
とにかく痛すぎてあまり記憶がない。骨折なんてするもんじゃない。(したくてする人はいないだろう)
なお、これで4回目の骨折になった。
まだ傷痕は生々しい。早く治ってほしい。別に痛みを重ねて人間強くなるわけじゃない。でも、死んで骨になったときにもしチタンが残ってたらおもろいかもしれないと思って、そのまま体内にいてもらおうかと思う(あと、せっかく閉じた傷をまた開ける意味が分からない)
4.転職した
何回目の転職やねん。
自分が一番思ってる。でも、会社から「要らない」と言われるまでは居座りたい。ちなみに、毎日辞めたいと思っている。やりたいこととそもそも労働したいことはイコールではない。
ただ、ビックリすることに、本当にビックリすることに、やっと念願の会社(職種)に就けた。
それから約半年、早かったような辛かったような……。
入って一週間くらいで、就活でめちゃくちゃ行きたかったのに呆気なく落ちた某会社(本当に行きたい会社だった)のお偉いさんと対等にMTGしてるときは自分はずっと何をしてたんだろう?という気にもなったし、逆にあのとき、就活が上手くいって、行きたい会社に行けていた人はこの気持ちは分からないのだろうなというセンチメンタルな気持ちにもなる。
ちなみに、ある人からお前は文では食っていけないという暴言めいたことを言われたこともある。
別に文で生きていこうとは思っていないが、私のこの、熱狂とも言える、なんらかの文や言語に対する執着心※1 で生きていけたらこれ幸いと思って生きてきた。
例1 ※ここ数年は英語と向き合い、ネイティブでもなしに毎日英語を使って生きていた。
今まで、なにくそ精神で生きてきた。
可愛げがない。可愛かったこともない。自分がもし人並みに可愛くて、女の子女の子してたら、多分こんなに苦しんで生きてない。
ただ、変に運は回ってきているもので、私は今、名立たる作家や学者を相手にして、文を捏ねて生きている。
ある本の奥付に私の名前が載っている。
名立たる編集者が名前を連ねて、名立たる作家が寄稿してきた。(夏目漱石・三島由紀夫・etc…)。そして志賀直哉や武者小路実篤ともつながっている歴史もある。梶井基次郎とか。
労働は嫌だが、これらの作家の名前を見ると身が引き締まる。私は恐らくこの会社で全く本を読んでない方だが、「書く」ことに対しては多分、かなりの自信がある。
実はもうすでに「この先生とタッグを組めたら、死ぬまでの誇りかも」という方と仕事をした。これからもそういうタイミングがあるかもしれない。
労働は苦しいが、出来上がったものを見ると生きていて良かったなという気持ちになる。文章を捏ねてできたものが、そこで生きている。
私が来年死んでも本も、文化も死なない。本というメディアは、そういうものだ。
5.統括
他にも色々あった。
今更Oasisにドハマりして洋楽を聴きあさったり、すごくショートにしたり、初めて会う人と終電まで飲んだりした。
でも多分、根っこは18歳くらいのときと全然変わらない。ガキ過ぎる。
変わりたいと思っている。いつも、大学生だったらこの選択をしたのにというたらればばかりの夢を見る。残念ながら、夢なので何も変化はない。起きてまた職場に行って、労働をしてまた帰る。それだけだ。
でも、ここで変わらなかったから、やっと就きたい職に就いて、作家・学者の先生から一《イチ》「プロ」の視点としてメシを食っている。
2026年のスタートは、自転車で転倒し、骨折した。
手術で左腕に埋め込まれたチタンのプレートは、死後も私の骨格に異物として残るだろう。それは私がこの不条理な日常を生き抜いた証だ。
異物と共に生きている。体内も、体外も、異物ばかりだ。
私は今、名立たる作家たちの言葉を扱う職場で、文章を「捏ねる」仕事をしている。
私の体内で骨を繋いだプレートのように、誰かの言葉とそれを読む読者が揺らがないよう、ギュッとボルトを締める作業。
労働は苦しく、毎日辞めたいと思って出社している。
それでも、出来上がった文が誰かの人生の一部として残るたったその瞬間に、生きていて良かったと思う。
18歳の頃と何も変われない。
けれど、変わらないからこそ私はここで書き続ける。
骨折の痛みも、心の痛みも、全部抱えたまま、この社会という骨組みに、私という楔を打ち込み続けていたい。
やっぱり変わりたくない。
ずっと文を捏ねていたい。
ずっと文と向き合いたい。
