おばけなんているさ
18歳の冬まで姉、母、祖父母と5人で暮らしていた。もともとは群馬の田舎で生まれたのだが、物心つく前に両親が離婚。3つ年上の姉は重度の知的障害を持っており、母ひとりで僕たちを育てるのは難しかったことから、母の故郷である北海道に出戻りしたのだ。
こうして揃った川野家。我が家では科学で証明できない不思議な現象がたびたび起きた。
誰もいないのに耳元で声がしたり、玄関を写した写真に顔の形をした白いモヤが写ったり、いわゆる心霊現象である。その数は決して多くなかったものの、家で怖い出来事があった際は「またかよ」と完全に慣れきっていた。
といっても家族全員に霊感があるわけではない。祖父に関しては石像と同じくらい無口で不動の人間であるため、心霊体験の話はおろか何の話も聞いた覚えがなかったし、我が家で怖い体験をするのは圧倒的に祖母が多かった。
祖母は我が家で最も(ほとんど唯一といっていい)アーティスト気質があった。
小学生の頃、玄関の壁に学校机の天板くらいのサイズをした流氷の写真が飾られており、祖母に「これどこの写真なの?」と聞いたら、「これは昔ばあちゃんが書いた絵だよ」と返された。
「まさか」と思って目を凝らせば筆で描いた跡があり、それはたしかに絵だったのだ!驚愕のあまり心の中でひっくり返りバク転した。
家には大小様々な額に入った写真(だと思っていたもの)がいくつかあったが、のちにそれら全てが祖母の描いた絵だと知ることとなる。
祖母は歌も上手かった。祖母が生まれ育ったのは田舎の小さな街だったが、若い頃は街で開催された絵や歌のコンテストを無双していたらしい。
リビングにある天井につきそうなくらい大きなショーケースの中には、トロフィーや盾、メダルの数々が並んでおり、その無双具合は一目瞭然だった。
僕は大いに嫉妬した。こちとら天は二物を与えずと聞いているのだが?二兎を追う者は一兎をも得ずという言葉だってあるだろうに。

そんな才能に恵まれた祖母が「わたしにゃ、霊感もあるぜい(この北海道弁はフィクションです)」となるのだから、僕の嫉妬は最高潮に達した。
祖母はテレビを見ていて「ここに人がいる」と誰も写っていない場所を指さしたり、写真を見て「足元に男の顔がある。髭が生えてるねえ」と真剣な表情で言ったりした。
どうやら祖母は神様から三物を賜り、兎を二匹追いかけた結果三匹捕まえたらしい。
思い返せば祖母の霊感については疑うべきであったが、まだサンタクロースの存在すら信じていた幼い僕は、祖母のことをトロフィーてんこ盛り霊能力ばあばだと思っていた。
才能のある祖母のような人になりたい。そう願って自由帳いっぱいに絵を描きなぐり、年長のときから習っていたピアノを続けた。徐々に、徐々に、祖母のように絵と音楽ができる人間に近づけていることが嬉しかった。足りないのはあとひとつ、幽霊を見ることだけ。
やがて僕は小学校のクラスメイトに「幽霊が見えるんだ」と嘘をつくようになった。まだ見えてはいなかったけれど、将来的には見えるはずだから何も問題はないと思っていた。体が大きくなることを見越して、ワンサイズ大きめの服を買ったようなものである。
だが、幽霊を一度も見ることがないまま小学校を卒業。友達には「小学生のとき幽霊見えてたよね。今は見えないの?」と聞かれたが、今更「あれは嘘だったんだ」と白状するのは酷く恥ずかしく、「今は見えないんだ」と苦し紛れに答えた。その頃にはもう幽霊が見えることへの憧れも無くなっていた。

ある日、2階の自室にいると慌ただしく階段を駆け上がってくる音が聞こえた。扉がこんこんとノックされる。
「開けていい?」母だった。
「今電話あったんだけど、ばあちゃんの弟が亡くなったって。お母さん今からじいちゃんとばあちゃんを連れて病院に行ってくるから、悪いけどお姉ちゃんを見といてもらえる?夜ご飯は置いてあるから」
母は落ち着きがない様子だった。急なことのため動揺しているのかもしれないと思ったが、理由はもう1つあった。
「もしかしたら自殺かもしれないって」
亡くなった大叔父は、我が家から車で1時間ほどのところにある霊園に埋められた。2回ほどお墓参りに行ったが、すごく広い場所だった。
棚田のように段差ができた地面に、お墓が弧を描いて並んでいて、春になると敷地にある桜並木が満開になるのだ。死後の引っ越し先がこんなに綺麗な場所なら大叔父はきっと嬉しいだろうなと、なんだか僕も嬉しくなった。
大叔父の死因は一酸化炭素中毒だった。ガレージの中で練炭を燃やし、椅子に座った状態で亡くなっていたらしい。状況的にはじめは自殺が疑われていたものの遺書のようなものは見つからず、最終的には事故死と判定された。
「何かを燃やそうとして眠っちゃったのかもね」
祖母の言葉は、まるでそうであってほしいという願いにも聞こえた。

大叔父の遺影は祖母の息子家族の家で保管されることになった。僕から見るところでいう叔父の家であり、特に従兄弟が生まれてからは何度か遊びに行ったことがあった。
しかし、遺影が叔父の元に渡ってから、叔父の家では心霊現象が起きるようになった。誰もいない場所から視線を感じたり、叔母の背中に何かがおぶさって来たり、当時3歳くらいだった従兄弟は誰もいない階段を指差して言った。
「階段のおじさんはだあれ?」
その話を聞いたとき、大叔父が出たんだと思った。叔父家族は酷く怖がってしまい、話し合いの結果、遺影は我が家へ移すことになった。
でも不思議と、我が家でも何か起きるかもしれないという恐怖はなく、むしろ嬉しかった。もしうちで大叔父の幽霊が出れば、祖母は弟と再会できるから。
しかし、そんな都合の良いことは起こらなかった。現在に至るまで我が家で大叔父の幽霊は一度も出ていない。
生きている人は、死んだ人には二度と会えない。
知っていたはずのことを痛感した。神様なのか、仏様なのか、とにかく空よりも高いところにいる存在に「死ってそういうものだから」と、思い知らされた気分だった。
遺影が我が家に移されてから、叔父の家での心霊現象はぴたりと止んだ。

以前、テレビでイタコを見たことがある。イタコとは、死者の魂を自らに憑依させ「口寄せ」を通じて死者の言葉を生者に伝える巫女のこと。
家族を亡くしたゲストがイタコに依頼する。自分の大切な人が、天国で何を思っているかを知るために。死者の魂がイタコの体を借りて言った。
「この世の人にあっちは見えないけれど、あっちからは見えるんだ。だからいつもあなたをそばで見ているよ」
残った家族を安心させるような優しい言葉だった。私は思わず感動した。
イタコの能力が本当なのかどうかは、もはやどうでもよかった。その言葉で残された人たちがこれからも強く生きていけるならば、真実よりも、信念のほうが重要な気がした。亡くなった大切な人が死んだ後もそばで見守ってくれるなら、残された人はきっと心強い。
我が家には物心つく前から父親がいないが、父親を除くと僕は26歳になった現在まで家族を誰一人として失ったことがない。全員、現役バリバリの生者である。
いつか誰かを失うなんて考えたくはないけれど、でもいつか、いつかその日が来たならば、僕のそばで見守っていてほしいと切に思う。
決してこちらからは見えなかったとしても、いつもそばにいてくれているんだと信じて、僕は強く生きていくから。
