土井さんのはなし
お風呂に入っていない人のニオイをちゃんと嗅いだのは、この時が初めてだったかもしれない。
中学に入り、クラスが一緒になった土井さん。
ドイ
と
ナガオ(私)
で、出席番号も近かった。
くるくるの天然パーマにふくよかな体型。
そして、お風呂に入っていないニオイ。
すぐに、いじめの標的になった彼女。
「臭い、風呂入れよ」
「デブ」
「馬鹿」
どんなに酷い言葉をぶつけられても、
彼女は笑っていた。
本当に屈託のない笑顔なのだ。
私は不思議でたまらなかった。
そして、とても興味が湧いた。
出席番号順で給食当番が分けられる。
重い容器を運ぶ時、もちろん彼女と一緒に運ぼうとする者は居ない。
私は声をかける。
「土井さん一緒に運ぼう」
すると、彼女は心の底から嬉しそうに
「はぁ〜い」
と、ちょっと顔を揺らしながら(アイドルとかがやるアレ)笑顔で返事をする。
給食室から教室まで、たくさん話しかけてみる。
彼女は、何でも答えてくれる。
嬉しくて嬉しくてたまらない、というふうな、
まるでスキップでもしそうな勢いで。
私は馴染んでいるかは別にして、一応なにがしかのグループには属していた。
休み時間にはみんなでトイレに行き、悪口を書いた手紙を回し、好きな男子の話をした。
面白くないし逃げたかった。
しかし、同じ学校の図書室に母が勤めており、
絶対にいい中学生で居なきゃいけないと思い込んでいた。
いい中学生って何だよ。
ある日のホームルームのこと、
担任の男性教諭が、こう切り出した。
「土井さんに酷いことを言ってる人がいます」
教室がシン…とした。
担任は、
土井さんの家は目の見えないお父さんしかおらず、苦しい生活をしているというふうなことを話した。
「なのでみなさん、クサイとか言ったらいけません」
と。
続けて、
「土井さんも、なるべく、お風呂に入りましょうね。」
と言った。
心底クソだなと思った。
私だったら、私が土井さんだったら、死ぬ。
土井さんは、
「はぁ〜い」
と、いつもの様に顔を揺らしながら笑った。
私はずっと傍観者でいる自分が嫌だった。
だけど、問題に巻き込まれるのも嫌だった。
興味本位で話しかけたりして、最低だ。
卒業が迫ったある日のこと、帰宅した母が私に言った。
「今日、図書室に土井さんが来てね。あんたのこと、友達だって、嬉しそうに言ってたよ。」
心が締め付けられるような、15歳の自分では表現できない、叫び出したいような気持ちになった。
結局、卒業するまでイジメはなくならなかったし、ニオイも変わらなかったし、私もかわらなかった。
高校入学前の春休み、
「明日、土井さんが名古屋に出発するらしいから、駅まで見送りに行こう。」
そう母が言った。
職員内で伝達があったらしかった。
高校へ進学せず、名古屋で就職するという。
どんな顔で、どんな言葉をかけたら良いだろう。
全くわからない。見送りなんて行きたくない。
翌朝。
まだ答えも見つからない中、重い足取りで駅へと向かった。
ホームには数人の教師、そして、土井さんが居た。
その日も彼女は笑っていた。
何を話したのかは全く覚えていない。
しかし、
朝の駅の風景、たった数人の見送り、大きく手を振る彼女の姿は、脳裏に焼きついている。
今まで生きてきて、ふっ…と
(土井さんどうしてるかな…)
と思い出す瞬間があったが、知る由もない。
私は40歳になった。
夫が運転する車で隣町を走っていた時のこと、小さな橋の上に見覚えのある後ろ姿を見つけた。
くるくるの天然パーマにふくよかな体。
自分の全細胞がヴワァァっと動くのがわかった。
車の中から、その人の顔を見る。
「…土井さんだ!!!!」
橋の上を一人歩きながら、
彼女はあの日のように笑っていた。
(おわり)
