さようなら、ジャンボ餃子は1つだけ 【エッセイ】
半年ほど前、ボヤ騒ぎがあった。
自宅のすぐそばにある、町中華の店で起きてしまった。
店主はひどい火傷を負い、煤だらけのシャッターには、
「≪おしらせ≫ 体調不良の為、当面の間 臨時休業させていただきます。 青木飯店 店主.」
と、今もなお貼ってある。
けれども、耳ざとい父の話によれば、やめてしまうらしい。
油でギトギトの床。
太すぎるマジックで書かれたメニュー。
店がなくなることはさびしい。
だがそれ以上に……
幼いころ、両親が離婚した。
新築3年目、真新しい自宅への愛着。
同居していた祖父母への愛情。
父と暮らすことを兄とともに選んだ。
当初は、父が精力的に料理をした。
しかし限界に達し、祖母がおもにわたしたちの世話をするようになる。
祖母は料理が下手だった。
本人も自覚しており、なにかと口実をつけて、青木飯店で出前をとることが多かった。
そういうとき、わたしたちのいる部屋に来て、
「青木でとるけど、餃子の他になにかいるかい?」
餃子は確定事項だった。
ベタベタした皿に5つ。
はみ出んばかりのそれはまさに「ジャンボ」。
大人になってさえ、1つか2つで十分なサイズだった。
それを二皿頼む。
わたしと兄、祖父で一皿を食べ、祖母が一皿というのがお決まりだった。
祖母はふとっていた。
「あおひの餃子は、やっぱりおいひぃねぇ。」
入れ歯についた食べかすをとりながら、祖母は食後いつも同じことを言う。
親戚が来るたびに。
誕生日のたびに。
初午、お彼岸、お盆のたびに。
コロナ禍の直前、祖母が特養に入所することになった。
その前夜、出前をとる。
ジャンボ餃子は一皿。
祖母は1つしか食べなかった。
面会制限もあり、祖母に会うチャンスは限られた。
入所してから1年後、特養で集団感染が発生し、祖母は入院することに。
ようやく病院で会えたとき、祖母はわたしのことを覚えていなかった。
祖母はやせていた。
祖母が亡くなって4年。
ジャンボ餃子がなくなる。
祖母が入所してから頼まなくなった青木飯店。
くたびれた店の前に立つ。
「≪おしらせ≫ 体調不良の為、当面の間 臨時休業させていただきます。 青木飯店 店主.」
ありがとうございました。
さようなら。
祖母が大好きでした。

(終)
※作中の店名は仮名です。
