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オリジナリティがほしい時、探してはならない

 斬新なアイデアが思いつかない。オリジナリティを求められ四苦八苦する。誰も考えつかないような発想を出してみたい。そういう時、それが「1つのもの」であると考えてしまうところからが、つまづきの始まりである。
 斬新さやオリジナリティというのは、そういうものとしてあるものではない。それは結果であり、あるアイデアなり発想なりがそうであった時にそう呼ばれるというものだ。だから最初からそれを目指すことはできない。重要なのは、それがいかに奇抜かということではなくて、どのように奇抜かという中身の問題であるから。

 そして、「その結果が出せないのだ」という悩みもまた、多くの人が考え違いをしてるもので、唯一無二の発想というのは確かに結果の話だが、その結果は、どこかに転がっているものをポンと拾ってくるのではない。それは頭の中で作られるものなのだということを忘れてはならない。頭の中とは、記憶であり、経験であり、インプットだ。
 見聞きしたものがアイデアとして出てくるという根本の過程を忘れてはならない。つまるところアイデアとは、そういったインプット達の「組み合わせ」によって、新しく作られる。だから、すでに斬新なものとして突然出てくるのではない。「あれ」と「これ」と「それ」という、1つずつでは見たことあるようなものが組み合わさることで、新しいものとして作られるのである。
 そしてその結果、斬新だったり、独創性だったり、そういった評価を得ることになる。本当に、それだけだ。

 究極的には、斬新なアイデアなどどこにもない。なぜならどのようなアイデアも、最初から完成されておらず、結果を見なければ何者かは評価しようがないからだ。そして最初から何者でもないということは、それは様々な頭の中の材料から組み合わさってできるということである。
 そうして、いくつもの合体が、独創的な何かへと、その瞬間にしかなしえない何かへと昇華されていく。
 そういうものだ。
 斬新さ。オリジナリティ。誰もなしたことがない何か。
 全ては最初からあるものではない。見つけるものではない。どこまでいってもアイデアとは、その頭の中で材料を集め、組み合わせ、くっつけて、完成とするしかないものである。

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