怖いのは、新しいからでなんてなくて
新しいものが怖いのは「触れ得ぬもの」だからであって、「新しい」からではない。
私たち人はあたかも、新しいことを警戒する生き物かのようにその性質を語られることがある。最新情報や技術、流行り、制度、あるいは新人、新商品。
それらを見定めようとして警戒心を抱くことは誰にでもある。だが、それは新しいからではなく「分からない」からだ。むしろ私たちは新しいものをこそ受け入れて今日まで生きてきた存在であり、自らが創造力をもって新しいものを生み出してきたのだから、新しいものを遠ざけるような性質はあるはずがない。
生き物としてまだまだ新しい私たちは、まさに新しさとともに歩んできた。新しさは人間であり、人間は新しさなのだと言えるほどに。
それを忘れ、つまり自らを古いものだと考えるようになり、その価値観があまつさえ良いものだなどと思い、結果として新しいものを遠ざけるというのであれば、それは自惚れ以外のなにものでもない。
固着し、固定化し、古いまま変えられないものは人間社会の中ではすぐに過去となる。そのことがどうであれ、人はそういう性質としているのである。
だから新しいものは必然として人間の中に入ってくるし、古いものは取捨選択を受ける。もちろんやがて、かつて新しかったものもそうなるだろう。そうやって代謝していきながら、「今」という時を恒常的に支え、徐々に適応し命を繋いでいくことが、人の人たるゆえんである。
新しいものが怖いのは「新しい」からではなく「触れ得ぬもの」だからだ。私たちはそれにこそ警戒せねばならない。なぜなら触れ得ぬものは新しさや古さに関係なく、私たちの「今」にどう作用するかも分からないからだ。
それが意図的に隠されているなら、なお恐ろしい。そのことを忘れて新しさにばかり警戒しても意味がない。古くとも、新しくとも「分からない」ことだけは避けねばならない。
時代を生き延びる知恵を手に入れた人間として、理解ができないことをこそ、そこに相応しくないものとして認識する。
新しさに目眩ましをされずに目を開けていられるか。そのことが、今こそ求められている。
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