見出し画像

赫然と (かくぜんと)


1,彼女が見下ろしたから俺は見上げたんだ

 

放課後の「誰もいない教室」というのは、本当に誰もいないものなんだな。
 いないと言いうのだから当然なのだが、実際は部活や委員会やらで、もっと居残っている生徒がいて、話し声や笑い声が、もう少し
聞こえているものだと思っていたけれど。
 グランドから微かに、ちょっとしたリズムネタにも思える、運動部の掛け声が繰り返し聞こえてくる。
 隣りの棟の音楽室から、管楽器の厚みのある幾つかの音色が、各々揃わずバラバラと、中庭に響いて落ちる。
 冷たくシンとしていた教室に、音が届き、色が入った。まだ上手くは塗れていないようだけれど。
 それでも、そんな『ザ中学校』といった効果音も、この伽藍堂とした教室では、放課後のBGMとしたら、丁度いい雑音だ。
 こんな時間まで教室に残っている事なんて久し振りで、いつもは、さっさと帰宅していたし、午後の授業はフケて、奥山ん家の離れでファミコンやっている事が多かったから、担任に呼び出されて珍しく居残る事になって、忘れていた放課後の風景も、その中に自分がいるのも歯痒くて仕方ない。
 開けっ放しの窓からカーテンを揺らして入る風が少し冷たくて、もうすっかり秋だと実感する。
 学校の周囲では、小さい頃から続いている港北ニュータウン開発が、遠くに聞こえる、造成工事のショベルカーの音が、ガタガタと窓を越えて届いてくる。
「遅っせーなー」つい口にして、椅子を倒して伸びをする。
 さっきまで担任に、職員質でねちねちと説教されていて、やっと終ったと思ったら「渡す物があるから教室で待ってなさい」と、放置されたままだ。
 今日も、無視して帰ろうかとも思ったけれど、以前にバックレた時は、担任が家まで訪問して来た。そう毎度々家に来られるのも却って面倒なので、今日は仕方なく居残ったんだ。
 担任は、女の先生らしい執拗さが有る。もう新人の熱血教師って訳では無いけれど、学年主任に、ねちねちと俺の事を言われてるからなのか、どーでもいい様な事でもいちいち五月蠅くて、とにかく曲がらない。
 アクティブな雰囲気は好印象だけど、いつも、そのまま登山にでも行けるような恰好、いや、数日は山中に行いた様な感じで、流行りの『ボディコン』を着ろとまでは言わないけれど、せめて髪くらいは、ちゃんと梳かせばいいのにと思う。
 それでも、生徒には結構人気があるらしいが。
「あー、ダメだ帰ろう」
 思わず声に出し、椅子から跳ね起きて、教室の出口へ向うと、目前で扉がガラっと開いた。
「うわあっ」
 扉の前で鉢合わせになった担任の横山が、驚いて変な声を上げた。
「ちょっと青野、帰る気だったの?」
 横山が眉を寄せて、手で教室に押し戻す。
「なんだよ、おせーよ先生」と、ふて腐れながらも従って戻る。
「ごめんごめん」と、片手を出して謝るポーズかと思ったら、差し出した手で封筒を渡して寄越した。
「これ、青野が割ったガラス代の請求書。お母さんにお渡しして」
「えー、俺が渡すのかよ」大袈裟に嫌がって見せる。
「ちゃんと謝って渡しなさいよ、自分がやった事なんだから」と、まっすぐ目を見て言われるから、従うしかない。
「わかったよ、ったく。でもあれは、俺が割った訳じゃないんだからな」
「わかってるよ、でも止めに入った遠藤先生も怪我されてらっしゃるのよ」と、横山が話し出したのを遮って
「もう分かったよ」少し声を荒げる。
 横山は、一瞬黙ったけれど、まだ何か言いたげで「青野の気持も分かるよ」とだけ、小さく言った。
 分かると言いながら、あの日に起きた事は分からない様にしている。誰が誰を止めたって言うんだ。ガラス代を弁償してお終いって事だ。
「もう帰っていいの?帰って『夕ニャン』見なきゃいけねーから」と、ふざけて返す。
「ちょっと待って、三者面談のプリント、青野は学活に居ないから渡して無かったでしょ」そういってプリントを寄越した。
「高校くらいは行こうよ、青野は勉強出来ない訳じゃないんだから、もう最終決定の時期だぞ」
「わかった、わかった」と、適当に返事を返して教室を出る。
「わかった、わかったって、本当に分かってんの?」
 教室の扉を開ける背中に投げ掛けてくる
「授業、サボんないで出なさいよ、青野春彦、分かったのー」
 横山の声が、運動部のダサい掛け声に混ざって、廊下に響いた。
 まったく、二人で『分かった』って何回言うんだよ。
 委員会が終ったりしたのか、先程よりは生徒が増えた気がする。 これから遅れて部活に向う生徒だったり、帰宅する生徒だったり、大体が昇降口に行くから、裏の渡り廊下側には人があまり居ない。
 あーイライラする。横山先生は嫌いじゃないし、むしろ好きな先生だけれど、イライラした。
 あの人は先生っていう職業ではあるけど、教師ではないと思う。教師というのは『教える人』の事で、横山先生には何も教わる事が無い。
 先生と、そう呼んでいるだけで、ただの『呼称』に過ぎない。
 そんな事を考えてると余計にイライラするので、校舎裏でタバコを一服してから帰ろうかと、外階段を降りて行く。
 反対側から渡り廊下を渡って、階段を女生徒が二人並んで登ってくる。
 こちら側にでると、吹奏楽の音が大きく聞こえる気がする。ずっと『Song for U.S.A.』を演奏してたんだと、今、気付いた。
 階段を登ってくる娘たちと、チラッと目が合った。クスクスと笑っている。
 知っている娘だ、あの娘だ、一個下の・・・確か名前は松田・・・松田菜穂だ。隣りの娘は・・・ちょっと分からないな。
 二人でキャッキャ言いながら歩いている。すれ違い様に、また一瞬目が合って、小さく笑った横顔に思わずドキッとした。通り過ぎて飲み込んだ息が漏れた。
「先輩」
 階段を下りる途中で、不意に後から声を掛けられて、手をポケットに突っ込んだままで、振り返る。
 数段の先の踊り場から、通り過ぎていった筈なのに、一段降りて戻った彼女が見下ろし、俺が見上げている。
 夕暮れにはまだ少し早いけど、だいぶ陽が傾き、西日が彼女に射して光って見える。
 紺色の制服を、肩まで伸びた髪を、陽の光が赫く染める。
 悪戯っぽくも、照れ隠しにも見える小さな笑顔で彼女が言った。
「私、青野先輩と付き合う事にしたから」
 中庭に響いていた、不揃いの管楽器の音も、運動部の掛け声も、この瞬間、消えた。
 無音の中、心臓の音が階段の上の彼女に聞こえて仕舞いそうで、彼女の鼓動も下にいる俺に届きそうなくらいで、時間が止まったみたいだ。
 彼女が、赫(あか)く、輝く様に見えたから、俺は眩しくて、目を細めて睨んでいた。
 キレイで眩しかった。だから、見とれて、何も言えなくて、ただ彼女を見上げていた。
 彼女が振り返って、駆け足で階段を登って戻って行くと、喧騒が戻り、時間が動き出す。
 彼女が居た踊り場が、終幕の後のステージみたいで、残った高揚感と、終った後の寂しさが漂っているようだったけれど、俺も前を向いて階段を降りた。
 あれは告白なのか、揶揄っているのか、分からなかったけど、まだドキドキしていて、心臓の音と、吹奏楽の音がさっきより大きく、不揃いに聞こえて来て、耳障りだ。

「青野先輩、コンチハっす」
「おう」
 ここ最近は工事が本格化してきて、丘陵を切り崩して平たく広げていった造成地が一面に広がっていて、その端っこを巻き込むように、単管パイプで作られた、簡易的な歩行者通路を歩いて行くと、あちこちで声を掛けられ「先輩サヨナラ」「はいよー」と、繰り返しで嫌になる。
 やっぱり、とっととバックレて、市ヶ尾のマックでパイナップルバーガーでも食っていれば良かった。
 後輩が挨拶して来るのは良いんだけど、こっちも返すのが面倒くさい。中には、イチイチ気お付けして、直立不動でお辞儀してくる奴もいて、これは本当に止めてほしい。
 大袈裟すぎるし、俺には、バカにしてる様にも思えて、余計に腹ただしい。
 けれど、後輩達にしたら、宇田川とかが煩く言っているから、仕方ないんだろう。
 ちょっと前に「いちいち大袈裟な挨拶しなくていいよ」って後輩に言ったら、効果覿面で会釈程度の挨拶で済む様になった。
 気楽で良かったんだけれど、その後輩たちを宇田川が呼び出して「お前らちゃんと挨拶しろよ、ナメてんのか」と、怒って小突いた。
 俺は宇田川に「後輩イビってんじゃねーよ」と窘めた。
「挨拶は肝心だろが、お前が甘やかし過ぎるから付け上がるんだよ、そんなんじゃ、シマんねーんだよ」宇田川が食って掛かる。
「はぁ、俺が何だって、だいたいテメーは軍隊でも作るつもりかよ、大袈裟な挨拶させやがって、コントだぜありゃ、鬱陶しいんだよ」
「春彦、テメーは後輩のケツも持たねーのに出しゃばって来るんじゃねーよ、『アオハル』の癖に冷めてスカシやがってよ」
「誰が『青春』だ、やんのかコラ」
 宇田川の胸倉を掴む。
「上等だ、コラッ」
 宇田川が短ランを掴み返す。
 教室の扉が、ガラっと音を立て開く。
「お前ら、何やってんのよ」
 笑いながら室戸亘高が、中ランにワタリ40のボンタンをひらつかせて教室に入ってくる。
「便所まで聞こえてたぞ」手を払う仕草で「いいから座れよ」と、促す。掴みあっていた俺たちも、白けて椅子に座り直した。
「春彦が後輩に優しくしたいのは分かるけど、まあ、宇田もさ、よく知らない後輩が悪さしたりしない様にシメてる訳だからさ」
 貫禄のあるデカい身体で、優しく笑って話す室戸に諭される。
「5月頃にもあったろ、よく知らねー後輩が俺らの名前使って、連休中とかにカツアゲしまくってたって話。そんで連休明け早々に、南中の奴に掴まってボコボコにされたの」
「ああ、覚えてるよ、宇田川が一人で話し着けに行ったんだろ、後で後輩にカツアゲした金返させたって話だろ」
「そうだよ、テメーが何にもしなかったアレだよ」宇田川が噛みつく。
「あぁ、俺は絶賛『ダイアナフィーバー』真っ只中だったんだよ。そんなカツアゲした奴なんて、放っておけばいいだろが、プリセスの来日と、どっちが大事だと思ってんだよ」と言い返す。
「まあまあ、宇田が話し着けないとデカい事になってた訳だし、あの事もあって後輩に厳しくしてるの分かってやれよ、な、春彦」
「分かったよ」室戸に言われると納得してしまう。
「宇田も、シメ過ぎは只のイジメになっちゃうからな」
「おう」宇田川も、おそらく同じ様な気持ちで返事をした。
「お前らが揉めるとさ、周りはハラハラするんだから、特に学校でケンカすんなよなっ、ハルちゃん」そう言って肩に腕を絡めてくる。
「ヤメロよ」室戸の腕を払い除ける。
「なんだよー、アオハルちゃーん」また絡んでくる。
「ヤメロ、触んな」
 見ていた宇田川が鼻で笑う。
 ただ、挨拶が面倒くさいと言った事が、ちょっとしたイザコザになって、更に面倒臭い。
 後で後輩に謝りに行って「悪かったな」と言ったら「こちらこそスイマセンでした」と頭を下げて言われて、以前に増して凄く距離が出来ていた。
 コチラコソって、どちらかにお勤めですか?と聞きたくなった。宇田川の奴はどんだけシメたんだか。

2,公衆トイレでこんにちは

 いわゆる、昭和の大開発と言われる、横浜六大事業の一つの港北ニュータウン開発が始まったのが、俺が生まれた頃らしい。
 だから物心ついた頃には、あちこちで造成工事がいつも行われていて、この周囲には、土の盛られた新しい空地と、開発から外れた古い住宅地と、数件しかない錆びれた商店街しかなくて、本当に何も無い、横浜というには僻地が過ぎる町だった。
 最寄りの駅まではバスに乗った。時には、歩いて20分程の道を自転車でニケツして行った。駅まで行かないと何もなかったので、快速も止まらない私鉄の小さな駅へと足繫く通った。
飛び石連休の間の平日だけあって、スーツ姿で早足に行きかう人の姿は、左程多くないが、学生服姿は、いつも通りうろうろしている。あと、警察官も見かける。
寄り道や、買い物をするなら、2つ隣りの駅に行く人が多いから、ほとんどが、通り過ぎていく。
バスから降りてくる学生服の集団が、私鉄の改札に飲み込まれて行くのを、ベンチに座ってボーっと眺めていた時に、沢田が声を掛けてきた。
「青野くん、何してんすか」
シャツのボタン開けて、厚い胸板を見せつけるように歩いてくる沢田智則は、私立の進学校の相光学園2年で、駅前に溜まってるうちに、いつの間にか話す様になっていた。つっぱり君と言うよりも、私立の坊ちゃん校っぽい、おしゃれボーイと言ったところだ。
「探してたんすよ、マック行ったら居なかったから」
「バスで帰るか、ハンバーガー食うか迷ってたんだよ」
「また、切ないなー」と、白い歯を見せてニヤッと笑い、花壇のヘリに座り込む。
「で、何よ、俺は今腹が減ってて、それ処じゃないんだよ」と、ひもじそうに言って見せる。
「いや実はね、うちの学校の奴らがカツアゲされたんすよ、まあ、うちは坊ちゃん学校だから、タカられ易いけど、ただ、そいつらが、室戸さんの舎弟だつってタカって来たっつうんすよ」
「はっ、室戸って、室戸亘高?」興味無い話しかと思ったら、思いがけない名前が出てきて驚く。
「そうすっよ、この辺りで室戸っつたら、室戸亘高に決まってんじゃないすか。うちの奴らには、室戸さんはそんなダサい事しないって言っておいたんだけど、一応、室戸さんの舎弟の青野くんに訊いてみようと思って」
「だれが、舎弟だ、コノヤロウ」
「冗談すよっ」と、両手のひらを見せる「でも、うちの奴らもそうだけど、なんか最近、弱そうな奴ら狙ってタカリ掛けてくるってよく聞くんだよね、高校の奴らにも聞こえてるらしいし、放っておいたらマズイんじゃないすか。室戸さんとか青野くんが、タカリとかしないの分かってるけど」と、沢田が神妙な顔で心配する。
「いやー、腹減り過ぎて、よくわかんねーよ」と、大袈裟に参ったフリをして、横目ですがる様に沢田を見る。
「わかったよ、ハンバーガー奢るよ」と、大きくため息をつく。
「さっすが、沢田ちゃん、カッコイイ」と、肩を組んで立ち上がり、マックに向かって歩き出させる。
「やっぱり、タカってるじゃねーかよ」苦笑いで溢す。
「つーか、ダイアナ妃って、いつ来るんだっけ?」
「そろそろじゃないっすか?なんか、パトカーやたらと見るし」
「ポテトも付けてくれる?」
「つけねーよ」
 沢田は、一度は断わったが、思い直して「ポテト付けるから、うちの学校の奴の金、戻るようにしてやって下さいよ」
「マジで?さすが沢田ちゃん」と、お道化て、「ちょっと、駅ビルのトイレ行ってくるから、注文しといて。ポテト揚げたてでね」
 スキップでトイレに向かう青野の後姿を見送り「ったく、あの人は、とてもバケモノには見えないな」と、こぼす。

駅ビルのトイレは大混雑だった。そもそも駅ビルと呼ぶのも憚れるほどなので、商業スペースの裏の方にあるトイレは、長い廊下を歩く事もあってか、あまり利用者がいないはずだった。
 そんな、音楽室の先にある様な地味なトイレに向かって歩いていくと、入口に学ラン姿で立ってる奴がいた。
 気にせずにトイレに入って行こうとすると、まてまてと遮ってくる。
「あ、いま、トイレ使えないから」と、坊主が延びたような頭の奴がニコニコして止めに入る。
「あっそう」返事して、構わずに入ろうとする。
「おいおい、ダメだよ、何してんの」坊主が慌てて、腕を掴んで止めてくるので、睨んでみる。
 すると坊主は怯んで、「あ、いや、今、混んでて満員だから、並んでるんだよ、後ろに並んでくれる」と、目を泳がせている。お茶目さんだ。
「なんだ、早く言ってよ」と、優しく笑いかけてみる。
 ホッとしたのか、「じゃ、後ろね」と、笑顔で、坊主改めお茶目さんが自分の後ろを指さす。
「でも、手を洗うだけだから」と、中へ入ろうとすると、「ダメだって」坊主が大きい声を出す。
 トイレの中から、「うるせーぞ、何やってんだよ」と、怒鳴り声がした時には、もう中に入っていた。
「てめー見張ってろって言っただろうが」と、怒鳴られて、入口にいたお茶目さんが「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝っている。
「おーっ、本当に混んでるな」
 小便器が3つに、大便器が3つの、この施設の割には大き目のトイレに、学生服姿が4人。正しくは黒の学ラン3人が、紺の学ラン1人を囲んでいる。
「なんだテメーは」と、頭を上下に動かして凄んで近付いてくる。まるでニワトリだ。
「なんだって言われても、小便だけど、トイレだろここ」
 構わず小便器に近づき、チョロチョロと放尿する。
「ナメてんのか、やめろ」と、ニワトリ君が詰め寄ってくるので、放尿したまま「えっ、なに、止めるの?」と、横を向こうとするので、便器から逸れて、小便が床に跳ねる。
「バカ、止めろ、こっち向くな」と、ニワトリ君が慌てて跳ねて避ける。
その間に小便を済ませて、詰め寄ってきた奴の制服で手を拭く。
「汚ねっ」と、拭いた手を払いのけられる。
「で、うちの生徒囲んで何してんのよ」
「あっ、なんだあー」またニワトリが凄んでくる。
「そこ、小便」と、足元を指差す。
「うわ、汚ねっ」と、飛びのく。ニワトリが一人でバタバタと跳ねていてる様が笑える。
「お前ら、遊ばれてんじゃねーよ」
威圧感のある声がして、一番奥にいた、体格の良いオールバックの奴が、ゆったりと近づいて、一瞬にして緊張が走る。眼光が鋭く、他の者とは明らかに違う貫禄がある。デカイな、室戸と同じくらいの体格だろか。
「大原さん。今コイツに礼儀ってモンをキッチリ教えてやりますから」そうイキリ立つニワトリを、大男が遮る。
「お前のとこの生徒が、具合悪そうにしてたから、介抱してやってたんだよ、文句あんなら後はテメーが面倒見ろよ」と、蹲る紺の学ランを一瞥する。
「行くぞ」
 大原とか呼ばれた奴に付いて、ぞろぞろと、トイレを出ていく。

「で、青野くんは、トイレに行っただけで、何で2人も増えて戻って来るのよ、つーか誰っすか」
 沢田がマックのテーブルで呆れている。
「こいつは、うちの学校の生徒で、トイレで囲まれてた」と、俯いている同じ制服を指す。
「で、こいつは・・・知らん、誰?」と、恐縮して座っている奴に尋ねる。
「やだな、さっきトイレで一緒だったじゃないすか、見張りしてた」
「だから、見張り君はどこの誰なんだよ、説明しろよ」と、一喝する。
 お茶目さん改め見張り君が、軽く咳払いをし、座りなおして話始める。
「自分は南中の小林康夫って言います。自分は、ただトイレに寄って出るところで、さっきの3人にバッタリ会ったんです。同じクラスの奴の他に2人いて、そこの人を連れて入って来たんです」と、うなだれて居る隣りに目を向ける。
「偶然会っちゃって、ちょっと見張ってろって言うもので、関わりたく無かったし、嫌だったんですけど、大原くんが一緒だったもので、断われる訳ないですから」
「え、南中の大原って、あの大原?」と、沢田が「大原と青野くんが一緒になって喧嘩にならなかったのかよ」と驚き、奇跡だと言わんばかりだ。
「なに沢田、知ってるのかよ」
「まあ、名前くらいは、この辺りじゃ有名ですよ。青野くんは、市外からの転校組だから知らないだろうけど、まあ、かなり強いって話しですよ」
「ふーん、まあ、確かに強そうだったな、熊みたいで」
 すると、今度は見張りの小林が、「えっ、青野くんって言いました?まさか、あの川名の青野さんですか?」と、顔色を変える。
「おまえ、何で俺の事知ってるんだよ、気持わりいなぁ~」小林を,遠ざけるようにつま先で突く。
「何言ってんですか、川名の『UMA』の一角ですよね」と、小林が鼻息を荒くして興奮する。
それを見て「なんか、あんまり聞きたくないけど」と、目を細めて冷淡に言う。
「UMAって何よ」
「何言ってんすか」と、小林が饒舌に語りだす。
「川名と言えば、宇田川、室戸、青野の3人ですから、3人の頭文字を取って、未確認生物の怪物伝説と、御三人の伝説に準えてUMAと呼ぶんですよ」
「なんじゃそりゃ、伝説って言ったって、それは室戸だろ、俺は関係ないって、勘弁してくれよ」と、手をヒラヒラさせて呆れる。
「青野くん、ダサすぎる」沢田が笑う。
「宇田川にだけは知られたくないな、あいつ、好きそうだ」
「でも、話に聞いてた青野さんは、もっと大男だと思ってました。まさか、こんなサラサラヘヤーだとは意外ですよ」
「誰がこんなだ、コノヤロウ」
 小林の頭を小突く。
「いでっ、す、すいません」
「で、大原達が、この人をイジメてたって事なの」と、沢田が訊いて話を戻す。
「それが、そう言う感じじゃないんですよ、なんか、その人っていうか、その人達が、南中の生徒にカツアゲかましたらしいんですよ。『室戸さん知らねえのか』とか言ってたって。まあ、その人は一緒にいただけっぽいけど、殴った奴の名前言えって、そいつら何処にいるんだって、聞き出してる時に、青野さんが来ちゃって」
「で、青野くんが掻き回してった、ってところか・・・青野くんやっちゃったね」
「おい、お前いつまで俯いてんだよ、お前らカツアゲしたのかよ」と、足で椅子を小突くと、揺らされて顔を少し上げる。
「おい、泣いてるの、マジかよ、青野くん泣かしちゃダメでしょ」
「見張り小林が悪いんだよ、大原だとか、UMAだとか言って脅かすから、お前、小林っ、なんか飲み物買ってきてやれよ、可哀そうだろ」と、語尾を強める。
「えー、何で俺が・・・分かりましたよ、もう」と、席を立つ。
「俺、ポテトね」と、手を上げる。
「タカリじゃねーかよ」
「Sでいいよん」
 
 市営バスが、大通りから道幅の狭い街道に入って行く。帰宅ラッシュにはまだ早く、バスは割と空いていた。
「青野くん、なんで俺までバス乗ってんのよ、俺ん家駅の近くなんだけど」
 バスの一番後ろの席に並んで座り、沢田がため息をついて、勘弁してくれと、言わんばかりだ。
「おまえの学校の奴の金を、取り返しに行くんだろう、小林見張くんも来てるんだから、お前来ないでどーすんの」
「いえ、自分はお役に立てるなら、喜んでお手伝いさせてもらいます。それに自分の学校も絡んでるんで」と、小林はまるで太鼓持ちだ。
「でも、佐藤っての、帰しちゃって良かったんすか」
「ああ伊藤だろ、一応、関係してる奴ら連絡取って集まれって言っといたけど」
「斎藤ですよ」小林が訂正する。「南中と川名中の間にある、溜まり場にしてる公園は自分も知ってますんで。斎藤が言うには、南中の2年と川名中の2年が連るんで一緒にやってた事らしいですから」
 バスが右折して大きく揺れ、その振れに任せて青野に寄り掛かりながら沢田が口を挟む。
「なんで南中の2年と、川名中の2年が連るんでんの?そんなに仲良かったでしたっけ」
「なんでも、南中から川名に引っ越した山田ってのが、学期変わるまで川名町から南中に通ってるんですけど、奴を介して連るむ様になったらしいです。その山田ってヤツの家の近所に、川名中2年の高階ってのがいて、青野さんご存じですか?」
「うーん、聞いたことあるような、無いような」と。考え込む青野を見て沢田が、「この人は興味ないと覚えてねーよ、俺の名前も、なかなか覚えなかったんだから。俺が女と話してるの見かけたら、急に思い出した様に近寄って混ざって来るんだぜっ、いでっ」
 饒舌に話す沢田の脇腹に、青野が肘を入れる。
「まあ、それで、山田を介して高階と、南中の2年シメてる土井が繋がったって事らしいですね。後は斎藤が、集められるかどうかですね。あっ、次ですね」
 小林が窓枠にある降車ボタンを押すと、小気味よい音が鳴り、運転手がマイクで「ツギトマリマース」と、独特な言い回しでアナウンスした。

 公園の小高い丘が、ちょっとした森になっていて、その森の入口辺りにある東屋に学生服の集団がいる。ちょっと、近づきたくない。本来は自然観察などのための森林公園だけど、そこに集まる連中の目的は決してそれではない。
 遠目に見ても、ひと際大きい後ろ姿があり、その足元にうつ伏せで倒れているのが見える。
「あらら、誰かやられてんじゃないっすか」と、沢田が小声で言いながら、ゆっくり近づいていく。
「あの大きいの、大原ってやつじゃねーの」と、小声で返す。
「ええ、大原くんです。南中の方からの情報で来たんじゃないですかね、黒の学ランはうちの2年で、倒れてる紺色の学ランは川名ですよね、じゃあ、やられてるのって、やっぱり斎藤って人かな」小林が解説する。
「青野くん、穏便に頼みますよ、マジで」と、沢田が釘を刺す。
 集団の一部がこっちに気付いて、慌てて挨拶をしてくる。
「コンチャーッス」
 こんな時でも律儀なものだが、皆が気付いてこちらに振り返る。
「青野先輩、チャーッス」と、紺の学ラン。
「あ、小林先輩コンチャッス」と、黒の学ラン
「えーっ、見張くん、3年だったのかよ」衝撃的事実だ。
「ずいぶん腰の低い3年ですね、人が良いっていうか」沢田も驚く。
「青野だって?」集団の真ん中にいた大原が向き直り、「ほう、UMAとか言ってる、青野ってのはお前かよ」
「言ってねーよ」と、吐き捨て大原の前に立つ。
「で、これはどういう事になってんだ、説明しろよ、おいっ」と、語尾を強める。
「あ、なんだとコラ」大原が一歩前に出る。
 空気を読んでか、南中の奴が「お前のとこの、斎藤と高階とかいう奴が、うちの生徒からカツアゲしやがったんだよ、高階の野郎は逃げやがったから、斎藤をシメたんだよ」と、頭を上下させてイキがる。
「あれ、便所の人じゃん」指を差して笑い「ほら、そうだよな、ニワトリの」と、小林に聞く。
「おい、小林、何で一緒にいるんだよ」便所の人が小林に食って掛かる。
「いや、まあ、成り行きでね、ははは」と、笑って誤魔化す。
「早くこっちこいよ」と、小林を呼ぶけれど、「いやあ、カツアゲとか係りたくないんで、遠慮しときますよ」と、ひょうひょうと、躱す。
「でも、青野くん、その斎藤は、一緒にいただけで何もしてないし金も貰ってないんじゃなかったっけ」と、沢田が口を挟む。
「一緒にいたならコイツも同罪だろ、高階逃がしたしよ。そっちの高階と、うちの2年の土井が金持ってるって分かったから、もういいけど、まさか、うちの2年と連るんでたとは驚きだけどな」と、便所のニワトリの人が解説交じりに言い返してくる。
「まさかカツアゲした奴、庇ったりしねーだろうな」と、大原が睨んでくる。
「カツアゲなんてする奴どーなろーが知らねーよ」
 それを聞いて大原が鼻で笑って「そっちの高階と、うちの2年の土井はシメとくからよ」連れに、顎でクイッと示して「行くぞ」と、帰ろうとする。
「こらこら、待て待て、カツアゲとかどうでもいいけどよ、うちの後輩こんなにして、しれっと帰れると思ってんのか、おい」と、語尾を荒げる。一瞬緩んだ緊張が再び走る。
「青野くん、穏便って言ったじゃん」沢田がぶつぶつ文句を言う。
「うるせー、しょうがねーだろ」
「ぜったい、こうなると思ったよ、ケンカかよー嫌だなー」張り詰めた緊張の中で沢田がぼやく。
「なんだテメー、誰に言ってんだ、コラ。うちの2年も絡んでるみてーだから、見逃してやってんのが分かんねーのか」大原が詰め寄る。さすがに威圧感だ、肌にビリビリ来る。
「ごちゃごちゃうるせーな、いいから来いよ、熊公」
「テメー死んだぞ!」
 大原が怒声を上げて、長身から振り下ろすように殴りかかる。ポケットに突っ込んでいた手を出して、左手でカバーしながら避けようとしたが、思った以上に早くて避け切れず、左手ごと打ち抜かれる。左頬に痛みが走るり、バランスを崩して右手を地面についた。嘘みたいに重たいパンチだ。
「青野くん」沢田が焦って声を上げる。
「どうしたよ、UMA」大原はドヤ顔で見下ろしている。
 ゆっくり立ち上がり、手に付いた砂をはらい、右足で回し蹴りをするモーションから、軸足を半回転させて変形気味の前蹴りを入れる。大原が腹を蹴られて腰を曲げて2歩下がった。効いたと言うより驚いた様子だ。
「遠慮すんなよ、熊ちゃん」大袈裟に顎をシャクらせて、どや顔で返した。
「てめー」と、大原が叫びながら掴みかかる。左手で胸倉を掴んで右手で殴りつけてくる。掴まれてるので、避け切れずに、「くはっ」っと声が出る。
 胸倉を掴んでる腕の上に、左手を被せて顔に押し付けて押さえ、右手で顔を殴りに行くが、顔を捻られて浅くなり、躱されそうになった所で肘を立て打ち抜く。大原が「ぐっ」と、洩らす。
「凄いですね、いったいどっちが強いんだろう」小林がボソリと言う。
「いやいや、小林くん、夢中になってる場合じゃないよ、あれ、パトカーでしょ」沢田が、小林の肩を叩く。
 住宅地側から公園沿いに大通りの方へゆっくりと動く車の影が、街灯に照らされて、白黒のパンダカラーが目に飛び込んできた。
「ヤバイよ、青野くん、マッポだ」
 大通りに行ったから、通り側のトイレのある広場回って、絶対にこっちに戻ってくる。
「今、行ったから、早く」沢田が腕を掴んで引くが、熱くなっていて、大原を睨んだまま動かない。
「来いよ、オラ」この状況でも大原を威嚇している。
「やべーんだってば」と、前に回って、タックルする様に抑えて押し出して行くと、諦めて力を抜く。
「小林君、大原逃がさないと、そっち、皆やばいよ」
 2年じゃ抑えきれない大原を、小林が羽交い絞めにして引っ張っていく。
「誰か、斎藤連れて行けよ、ダメだそっち行くな、逆に逃げろ」沢田が的確に指示を出す。
 パトカーが後ろの入口付近まで来て、急に赤灯を回した。
「おいおい、やべーじゃんよ」我に返って焦りだす。
「そりゃ、アンタらが、あんだけ大声上げてりゃ、通報されるわ」
 回転する赤いランプを背に走る、目にチカチカと赤が刺さる薄闇の中を、全力で走って行く。

3,斎藤

 たまり場には、公衆電話とテレフォンカードが必須だ。
 街灯の灯りに群がる虫のように、神社の参道入口の電話ボックスが照らす、灯りの下に集まっている。青野春彦に言われて、斎藤浩介が連絡をして、急ぎ2年の仲間を集めたのだ。
 ボックスで電話を掛けていた奴が出てきて「ダメだ、高階のヤツ電話出ないよ」半泣きで報告する。
「なんだよ、やっぱり旅行でも行ってんじゃねーの」
「家族となんか出かけねーだろ普通」
「じゃあ、やっぱ、南中の方から話しいって逃げたんじゃねーの」
 集まった2年の面々が、所謂ウンコ座りで車座に、口々に苛立ちながら言い合っている。
「おい、ヤバいぞ、マジで殺されるぞ」
 顔をボコボコに腫らした斎藤が焦燥して訴えるが、口を大きく開いたので「いてっ」と、少し傷んだ。
 取り囲んで座り込んだ面々が、斎藤の顔を改めて見て、自分もこうなるのではないかと恐怖を覚える。
 石鳥居の台座に腰かけていた男が立って話の輪に近づき、斎藤の顔を一瞥して「その程度で済んで良かったじゃん」と、薄ら笑いを浮かべ、まるで、面白がっている様にいびつに口角を上げ「もう、うちの大原さんが出てきたら、もうお終いだよ、お前ら早く逃げた方がいいぞ」
 山田の言い草は、斎藤たちをイラつかせたけれど、高階と連絡が取れない事にはどうにも仕様がなかった。本当におしまいだった。
「おい山田、まるで他人事じゃねーかよ」車座に座り込んでいた4人の内の一人が、堪え切れずに言い返した。
「はぁ」山田が大袈裟に反応する。「他人事じゃねえか、俺は南中の奴ら紹介したけど、カツアゲがどうのなんて知らねえからな。ったく、うちの土井みてーなバカに良いように使われやがって」
 確かに山田の言う通りだと斎藤は思う、高階が色気出して土井に言いくるめられた感はある。けれど皆がなるほど、と納得する筈もなく山田に食って掛かり「テメー、もう一遍言ってみろ」といきり立つ。
「まあ、待てよ、俺らがモメても仕方ないだろ」と、割って入り「マジで高階見付けないと、本当に殺されるぞ、最悪、金だけでも返さねえと」
「冗談じゃねえよ、カツアゲしたのだって俺らじゃねえよ」と言い返してくるが
「お前ら、さんざん高階に奢ってもらってたじゃねーかよ、今更、関係ないとか言ってんの?それによ、本当に一度もカツアゲした事ねえの?今回たまたま高階だっただけじゃねーのかよ?」
 山田は自分が関係ないと思っているからだろうか、冷静で的をえているだけにチクリと刺さるが、ヘラヘラとニヤけて話す様は、皆をイラつかせる。
「マジで、もうバックレた方が良いんじゃねえの?」山田が嘲笑うと皆は動揺する。
「そんな事したら今度は、うちの先輩に殺されるんだよ」思わず想像してしまい、腫れあがった顔が引きつる。
「山田、お前は知らねえだろうけど、ウチの先輩、マジで怖えーんだよ、南中もウチも、上が出て来ちゃってるから、大事になる前に高階連れて詫び行くしかねーんだって」
 皆、一同にうなだれるが、山田は素知らぬ顔だ。
「ユーマ、ってか。未確認生物って事は、強いか弱いか分からないんじゃねーの」と、鼻で笑う。
「バカ、見た事も無いくらいの化け物って意味なんだよ」先輩達を思い浮かべたからか、微かに声が震える。
「まあ、俺も2学期から川名中なんだからよ、せーぜー、揉め事は解決しといてくれよ」と立ち上がる。
「なんだよ、帰るのかよ」斎藤も立ち上がってが追いかける。
「おい、ちょ、待てよ」
 山田が輪から少し離れた所で立ち止まると、斎藤に振り返り、口角を不揃いに上げて微笑する。 
「あとは当事者で、バックレるなり、金集めるなりの詫び入れる相談してくれよ。まあ、帰るついでに高階の家覗いておいてやるよ、どうせ土井と一緒なんだろうけどよ」そう言って、暗がりに向き直った。
「ああ、頼むわ」片手を軽く上げて立ち去る山田の背中に言った。
 山田が暗闇に消えかけた所で振り返る。
「大原さんもだけど、お前ら川名のUMAも、名前語る奴なんて他にもいるだろう。なんで今回はバレたんだろうな」
 暗くて表情がハッキリ見えなかったけれど、斎藤には山田が笑っていた様に見えた。
 車座の連中に戻ると、「何だって?」と、不満を露わに訊いてくる。
「ああ、帰りに高階の家を見とくって。あと、土井と一緒じゃないのかって」
「何だよ、じゃあ山田が南中の奴に連絡して探せばいいんじゃねーの」
 山田への嫌悪感むき出しで文句が出る。
「ちくしょう、部外者ぶりやがってよ」
 山田の言っている事は、確かにその通りだと思わせけれど、部外者と言うのは、本当にそう言い切れたものでもない。
 南中の奴にタカリかけようとした時も、川名にやらせようと誘導したのは山田だったきがする。そもそも、山田と会った頃から、川名を下に見ていたと言うより。そういう立ち位置に行けるように立ちまわる様な狡賢さみたいな物を感じたのを覚えている。
 
 ほんの1か月前、山田が声を掛けてきたのは、高階伸二の家の前で自転車のパンクを直していた時だった。作業に夢中になっていて近づいてきたのに気付かなかった。
「自分ら、川名中だろ、1年って感じじゃないよな、2年?」
 急に声を掛けられて驚き声の方を向くと、坊主頭に剃り込みをいれた奴が不均等に口角を上げて微笑していた。それが山田弘だった。
 思わず立ち上がって向かい合った。体格は決して大きくはないし、威圧感や敵意みたいなのも無かったし、特段、強そうには感じなかった。けれど、嫌な笑顔だった。
「ちょっと、恐いなー、そんな睨むなよ」
 斎藤は言われて、無意識に睨んでいた事の気付いた。本来、そんなに好戦的ではない。体格は小さい方ではないので、喧嘩をすれば2年生の中でなら強い方かも知れないけれど、好んで争う事はしない。3年の先輩達に憧れはあるけれど、とてもじゃないが、あんな根性は持ち合わせていない。町で目が合って「何だコラ」で喧嘩になるなんて事はした事が無い。そもそも、不良と言うよりも、デップつけてサイドバックにして、ボーリングシャツ着てる、ちょっとトッポイってだけの、いわゆる半ツッパってやつだ。それが睨み返すだなんて、何か嫌なものを感じての無意識に防衛本能だったのだろう。
 どちらかと言えば、高階の方が不良っぽくて憧れも強い。おしゃれ角刈りに細く整えた眉を寄せて睨む。
「何なの、お前」
 山田は絡んでくる訳でもなく、高階の自転車を見回して、
「何、絞りハンかよ、おっ、湘爆のステッカーじゃんよ、どーしたのコレ」急に馴れ馴れしくしてくる。
「懸賞、応募して・・・」高階は、悪い気はしない。
「すげーじゃん、本当に当たんのあれって。何、パンク?」
 距離を詰めてくるのに気圧され、呆気に取られているのに気付いて、
「悪い悪い、俺、そこの先の公園のトコに引っ越してきたんだけど」
 高階の家は古い住宅地の端の方で、一区画裏の道から先は、新しく造成された住宅地で、まだまだ住宅は疎らだけど、道路や区画整理の為に換地して引っ越して来る事が多くなったらしい。
 その新しい住宅地の公園の側に、山田は引っ越してきたらしい。
「やっぱ、タメかよ」と、同い年だと分かると、更にくだけてすっかり和んで、3人で座り込んで喋っていた。
「じゃあ、今は南中まで通ってんの?」何でも、1学期から転校するつもりだったけど、引っ越しとか諸々が間に合わなかったので、学期の途中で転校するのも何だしと、転校を延期したらしい。
「いちいち、駅までバスで出て、またバス乗り換えて行くんだぜ、かったるくてよー」
「へー、ウチなんか学校すぐそこだぜ」
「近すぎんのも嫌だな」
 すっかり笑い合って話している。
「二学期からは、川名中通う事になるからよ、よろしく頼むわ」
 山田が口の端を歪ませて引きつる様に笑う。嫌な笑い方だけれど、沁みついたもので、悪意のある笑いではないのだと思った。だとしたら、悪意がある時は、どんな笑い方をするのだろうか。
 それからは、高階の所にちょくちょく寄るようになり、すぐに川名中の連中とも連むようになった。
 いきがって大口を叩く様な事もあるけど、強気でとんがった所は、斎藤も嫌いじゃなかった。反発するかと思ったが、意外と高階と気が合ったようだった。
 それからしばらくして、川名の神社で屯っている所に、山田が南中の奴らを連れて来た。
 概ね友好的な面子だったけれど、土井という奴は違った。一人ずつ値踏みする様にねちっこく、下から上へと視線を這わせる。敵意と言うよりも端から見下している。
「おい土井、人のツレ威嚇してんじゃねーよ」山田が笑って文句を言う。本気で窘めるつもりなど無い。
「いやー、山田の転校先の人達がーどんなモンなんだか、気になっちゃってよー」
 短めのリーゼント風に流したサイドを撫でつけながら、ゆっくり身体を揺らして、そう大袈裟に言いながら顔を近づけてくる。
 こういう時は、最初が肝心とよく言うけれど、土井の仕掛けは結構な効果があり、川名の連中は完全に飲まれていた。
「おい、何のつもりだよ、お前」
 高階だけは違っていて、土井が寄って来ると、前に出た。
 顔を近づけて向かい合う。土井は笑っているが、高階はきつく睨む。
「おいおい、こえーなー、お前が高階だろ、聞いてるよー、川名にも使えるのがいるってよー」土井は顔を歪ませて大きく笑い、わざとゆっくり喋る。
 神経を逆撫でる様な喋り方で、腹ただしいのだけど、不気味で少したじろいだ。高階以外は。
「使えるってのはどういう事だよ、山田、お前かよ、言ったの」
 高階が声を荒げるが、土井には響かず、ヘラヘラと言う。
「そんないきり立つなよ、褒めてんだからよー。なあ、山田」
「高階よー、お前から見て土井は使えるか?南中にとってお前らが使えるって事は、お前らにとっても南中が使えるって事だろ、そういう関係がベストじゃねえ?」山田が珍しく真面目に話す。
「え、お互い様って事かよ、対等つうの?」
 山田がいつもの微笑を見せて、前に出て語りだす。
「たまたま、俺が隣りの学校に転校する事になったからよ、せっかくなら、その方がいいんじゃねーか、大原さんは別格としても、上の代に負けてらんねーだろ、ちったー名前売ってかねーとよ。そう思わねー」
 斎藤は、名前を売ってくだなんて考えた事も無かった。上の代の先輩は、歳は一つしか変わらない筈だけど、ものすごく上の人の様に思っていた。自分たちがそこに近づくだなんて、想像して、身体の中を震えが走った。
 高階も、実感が無いようで「おお・・・」とだけ答えた。
「ただよー対等通にはちっと、足りねー気はするぜー」土井が悪戯に挟んでくる。
「まあ、言われても仕方ねえ所もあるよなあ、斎藤」
 山田に急に振られ、焦って「はぁ」と言うつもりが喉がひっ付いて「ひゃっ」と返事をしてしまう。
 ひゃまだは斎藤に近づいて肩に手を回してくる。
「まあまあガタイもあるし、喧嘩も強いんでしょ?」挑発するような言い方だ。
「なのに、イマイチ気合足ねえって言うか、締まらねえっていうか、そういう所は高階まかせなトコはどうなのよ?」
 そう言って軽く身体を揺すってくる。
「高階の次は斎藤がビッとしねーと、他の奴らも続けねーじゃんよ、なんて言うんだ、そっせん?ってヤツだよ」
 言っている事は良く分かる。気にした事も無い訳じゃない。軽く笑いながら話す山田の言葉に、重さって言うか、結構な事を言っているのに、本心みたいなものが見えないと言うか、伝わらなかった。
「お前らもそうだぜ」川名の面々を煽る。
「そろそろ気合い見せるトコじゃねーのー」と、焚きつける。
 斎藤よりも、他の鈴木達の方が響いたようで、「おーっ」と、手を上げて返事をしそうな程、顔付が変わっていた。乗せられてる様にも見えた。
 土井がまた、ニヤけてゆっくり話し出す。
「川名によー、やって欲し事があんだよー。川名の気合い見せてくれよ」
 どこかで聞いたような言葉が、静かな公園に浮き上がり、まんざらでもない奴らの秘めた決意みたいなモノが、こっそり春の風が冷やした。
 最初は高階も、「ナメられたくない」「気合い見せてやる」そのことに必死で、その一心で引っ込みがつかなくなったんだ。
 山田は、「金には困ってねえよ」と、カツアゲにはそんなに係らなかった。そんな事の為に横で連んだんじゃねーといっていたけれど、知らなっかった様には思えなかったし、川名を煽って躍らせたのは山田の言葉だったし、皆には「俺ぐらいにならなきゃダメだぞ」と言われている様で、なんとなく、少し上に立たれている気分にさせていた。
 結局、カツアゲは高階と斎藤がやる事になった。鈴木や他の連中にまでやらせなくって済んだのは幸いというところだろう。ただ、土井たちが、先輩の名前を使ってやっていたのは知らなかった。信じられないほど身の程知らずの行為だ。昨日、トイレに連れ込まれて初めて知ったのだ。
「ダメだ、つかまらねーよ」
 電話ボックスで心当たりに電話しまくっていた鈴木が諦めて出てきた。
「どーするよ」半泣きで、少し笑える。実際、笑っていた様で「笑ってる場合かよ、そのボコボコ顔で笑うんじゃねーよ、怖えーって」
 周りの奴らも釣られて笑った。少し緊張がほどけた様だ。
「とりあえず、青野先輩に電話しろって言われてたからしてくるよ、土井と一緒だと思うって言うしかないだろ」
「金はどーするよ」
 立ち上がって電話ボックスに向かおうとした所で立ち止まり、音がする程に肩を落とした。
 夜の闇に小僧どもの大きなため息が「はぁ~」ともれて、うす暗い街灯の灯りが、ぱちりと揺れた。

4,ダイアナフィーバー

 風薫るって、風の香りが分かるほど年も食って無ければ、グルメでもないけど、それでも、新緑の生命力って言うか、夏に向かってるパワー見たいのを感じ出してきた頃だ。
 イギリスのチャールズ皇太子と夫人のダイアナ妃が大阪空港に降り立った。新緑の京都をご視察とか言って、テレビが騒いでいる。
「ワイドショーで、ダイアナ妃見るから休みだそうです」
校舎裏で、2年の斎藤が緊張して報告する。
「なんだそりゃ、あいつ、連休の中日に来てから、その後ずっと休んでんじゃねーか」
 宇田川健が不機嫌に言うものだから、報告に来た斎藤も恐縮してしまう。
「はいっ、パトカーから走って逃げたから休むって、一昨日に連絡した時は仰っていました」
「だから、その、オトトイの話を聞きてえんだよ、テメーは失神してたから、ボコボコの顔だけで、よく分かってねーんだろが、だいたい高階は捕まえたのかよ」宇田川が巻き舌で捲し立てる。
「すいません、まだです」斎藤が、気お付けで返答する。
「まだじゃねーよコノヤロウ」と、足で軽く小突いく。
「すいません、家にも行ってみたんですけど留守でした」
「帰って来ない訳ねーだろが、なめてんのかコノヤロウ」宇田川の声がどんどん、怒声になる。
「はいっ、連休に家族で泊りで出掛けてたそうです。今日の朝はもう学校行ったって聞いたんですけど、スイマセン」斎藤も、宇田川に併せて大きい声で返答する。
「多分ですが、南中の土井と一緒じゃないかと思います」続けて、大きな声で報告する。
「だから、そっから連れて来いっつってんだよ」宇田川が吠える。
斎藤には宇田川の顔が任王象のように見えて恐ろしかった、口を開き怒鳴っているさまの像は、阿だったか、吽だったかと、一瞬考えていたところに声がした。
「宇田川先輩、失礼します」「しゃす」2年の生徒が慌てて駆け寄ってくる。仲間が来たことに少しだけホッとするが、すぐに同情に変わる。
「なんだお前ら、高階見つけたんだろうな」
 宇田川の機嫌の悪さにたじろぐけれど、意を決して話し出す。
「スイマセン。駅前で高階と会って、先輩の所に一緒に来ようとしてたんですけど」
「あぁ、けど、どうした」と、宇田川がイライラして話を急かす。
「スイマセン。途中で南中の3年だと思うんですけど、捕まって連れて行かれました」怒られると思い、ビビッて早口で伝える。
「何だと、コラっ」宇田川が立ち上がって声を荒げる。
「南中の今西って人が、カツアゲした金持って、室戸先輩に詫び入れに、『天が谷』に来いって」
「なんだとっ」怒りで顔が紅潮する。
 2年生が、蹴られると思って身体を竦めるが、宇田川は横を向いて、校舎の壁に蹴りを入れた。
 蹴られはしなかったが、壁に蹴りを入れる宇田川の肩が怒りで震えていて、壁を蹴った振動が地面から伝って来るので恐ろしかった。
「斎藤、室戸は」宇田川が声を殺して聞く。
「はいもう帰ったみたいですけど、探してきます」と、斎藤が慌てて走りだそうとする。
「バカ野郎、違うよ、アイツには絶対に言うなよ」
 斎藤が呆気にとられ、「でもっ」と、言い淀む。
「あいつは、すぐ謝り行くんだよ、何も気にしねえでよ。こっちに非があるけどよ、うちの大将はそんなに安かねーんだ、俺が話しつける」
 宇田川が、怒りを抑えて言い聞かせる。
「3年の先輩集めて来ます」斎藤が言う。
「話ししに行くんだ、いらねーよ」
 斎藤は、いつも宇田川の事を、恐くて口煩い先輩だと思っていたけど、初めて、恐いけど格好良いと感じていた。ゆったりと歩いていく宇田川の後ろ姿に、「青野先輩は」と、声を掛ける。
「知るか、ほっとけ」
 
 「テレビの前で、ダイアナ妃のパレードが始まるのを待ってた筈なのに」と、何でこんなムサい奴らと睨み合ってるんだかと、消沈する。
「青野くんが、土井って奴を見つけたら連絡しろって言うから、電話したんでしょうが」沢田が文句を言う。
「だから、断わったじゃん」
「大原がいるって言ったら、電話切って飛び出て来たんだろ」と、沢田が呆れる。
「じゃあ、これはなんなんだよ」
 駅前公園に、大原と三人組が向かい合っている。そこに春彦と沢田が加わって三つ巴の様になっている。
「青野、テメー何しに来た」
 駅前公園の裏側のベンチ辺りは、樹々が茂っていて、周囲からあまり良く見えない。新緑に紛れて向かい合い、大原が声を張った。
「青野だぁ、川名の青野かよ、俺は市中三年の原ってモンだけどよ、川名が何の用だよ」と、凄んでくる。
「原だか、タツノリだか知らねえけど、土井ってのはどいつだよ」視線が一人に集まる。「てめーか、ちっと来い」と、顎で呼ぶ。
「青野、今こっちが話ししてんだ、引っ込んでろ」大原が吠える。
「あぁっ」足を踏み出して砂利がザックっと鳴る。緊張が走る。
 堪らず、沢田が割って入って前に出る。
「いやいや、そこの土井ってのが、うちの学校の奴からタカッた金、返して貰おうとおもって」と、控えめな笑顔で言った。
 それが逆効果で、「坊ちゃん学校がイキってんじゃねーぞ、コラ」
と、土井がナメられたと思って沢田に向かって行く。
「おい、そいつ、空手の黒帯だぞ」と、忠告した時には「ぐはっ」っと呻いて、土井が地面に崩れ落ちる。
「あー、言わんこっちゃない、沢田の胸板みたら分かるだろーに」
 蹲る土井に声を掛けて頭を掴んで立たせようとするが、足に効いてるのか、上手く立てない。
「沢田ちゃん、ダメでしょ手出しちゃあ、二発も入れちゃってぇ」
「勘弁してよ、道場にバレたら、メチャメチャ怒られるんだから」と、ため息交じりに苦笑だ。
「おい、てめー」市中の原が騒ぐ。
「うるせー黙ってろ」と怒鳴りつける。原が萎縮して黙る。
 横にいたもう一人が「ビビッてんじゃねーよ、原」と、吐き捨てて沢田に向かって行き「調子乗んなよコラ」と、掴み掛ろうとした所で、横にグイっと引っ張られる。
 大原が、不意に引っ張ったので、まるで軽そうに、ぐわっと体が横に動いた。大原は左手で目の前まで引き寄せて、右フックを木田に食らわし、崩れた所に踏み込んで更に右フックを打ち抜くと、地面にバウンドして倒れた。
「てめーは熊かよ」土埃が舞って、大袈裟に手で払う。
「なんだと、青野コラっ」
 二人が睨み合ってまた緊張が走る。
「おい、原とか言ったか」大原が視線を外して、原に向き直って「どういう事だか説明しろ、土井とお前らが何で一緒にいるんだ、お前らも共犯か」
 原はおどおど怯えて、キョロキョロするが、大きく唾を飲み込んで話し出した。
「違う違う」と、がぶりを振る。「土井だよ、土井。こいつ自慢してたから、相光の坊ちゃん相手にタカリかけたって。ダセー事すんなって言ったんだよ。今度は自分の学校の奴にもカツアゲしたって、流石にヤバイから川名の奴にやらせたらしいよ、そんで川名には南中の奴らにやらせたって」
「おい、本当かよ」と、土井の頭を引っ張って顔を上げさせる。
「ず、ずいばぜん・・・」土井が、何とか声に出した。
「それで、お前は何なんだよ」と、足で差すと、原は蹴られるのかと思って、目を瞑って「ひぃ」と、声を出して身を竦め、蹴られて無かったのをホッとしたが、声を出したので照れて答える。
「土井はニュータウンの区画整理で引っ越したけど、小学校はこっちで近所だったから、良く知ってるんだよ。川名が使えなくなったから一緒にやろうって話し持って来て」
「あ、川名がなんだって」
「いや、だから今、その話し聞いてたら、大原・・・くん、が来て、すぐ後から、あんたらが来たんだよ。だいたい、坊ちゃん校にこんな奴いるの知らねーし、お断りだって」と、言い終わって、腕で額の冷汗を拭う。
「おい、土井よ、金はどうしたよ」大原が、苦虫を噛んだ顔で、怒りを抑えて言った。
「・・・・・」
「そうだよ、金だよ、金」と、土井の顔を上に向かせて「ほら、金出せ」
「これ傍から見たら、まさにカツアゲの現場じゃん」沢田がチャチャを入れる。
「お前のとこの金だろが」
「そうだけどさ」
「ちょっと、うるせーぞ」大原が一喝して、「土井、何だって?」と、土井に詰め寄って身体を揺する。
「ちぇんふぁいが・・・いまにふぃ、ちぇんふぁいがあつめて」何とか喋ろうとするが、頬が腫れて上手く喋れない。
「さわだあ、何でこんなにすんのよ」と呆れる
「いや、カウンターで入っちゃいました、避けないんだもん」と、頭を搔く。
「今西せんふぁいが、全部、集めてまふ、ずいばせん」何とか喋ったが、それを聞いて大原の怒りが抑えきれずに、「なんだと、どういう事だ」と、激高して土井の胸倉を掴んでシメ落としそうになる。
 慌てて「ばかばかばかばか」と、引き剝がし、「話し聞けないだろうが、落ち着けよ、熊公」と、大原を窘める。
「おい原坊、お前聞いて通訳しろよ」
 新緑の公園に流れていた、刺々しい殺伐とした空気はなくなった。  沢田と並んでベンチに腰かける。失神寸前の土井から話を聞いた原が、ベンチの前に座り込んで説明を始める。
「前に聞いていいたのと、今聞いた話を合わせると、話はこうだ」と、原が前置きを得意げにしたが、大原と目が合って怯んで、慌てて続ける。
「土井たちがカツアゲしてる事を、今西ってのに知られて、シメられたんだけど、それからはカツアゲした金を全部今西に集めて、小遣いって少し貰うような形になったって。その頃ちょうど川名に引っ越したって奴を通して、川名と繋がって、それを今西が色気出したっぽいんだけど、川名をおだてて煽って上手い事カツアゲさせたんだと。しかも、そのネタで川名追い込む腹で、川名のアタマ呼び出すんだって」と、丁寧に説明した原に「何だとテメー」と、足で小突く。
「俺じゃないって」と、原が手のひらを向ける。
「俺と木田も、川名を追い込む話があるっつって呼ばれて来たんだ」
「あーっ、んだとコノヤロウ」と、原を足でグリグリする。
 原が「ヤメテ」と逃げようとしてウンコ座りのまま後ろに倒れって頭を打ち「ウゲッ」と、奇声を上げた。
 横に立っていた大原が、ベンチに向き直る。
「スマン、金は俺が必ず返させる」
 あの大原が、小さくだが頭を下げた。驚きだ。
「いやー、俺は金が帰ってくればいいんで」と、沢田が恐縮して返すと、大原が「約束する」と、歯を食いしばった。
「俺は今西の所へ行く」そう言って、大原は立ち去ろうとする。
 原が、これで開放されると思って笑みを溢して小さく手を上げた。
「ちょっと待てコラ」春彦が怒鳴って止める。
 思わず沢田が「え、なんで」
 無言で振り返る大原に、「てめー、なに勝手に解散しようとしてんだよ、おい」
「いや青野くん、もういいでしょ。金も戻ってくるし、今西ってのが元凶って分かったんだから」と、沢田が言い聞かせるが、もう、大原をまっすぐ睨んだんままで、沢田には目を合わせようともしない。
「うるせー、こっちはダイアナ諦めてまで来てんだよ」と、いきり立つ。
「たくっ、また訳わかんねえ事いって、駄々っ子かよ」沢田が呆れてため息をつく。
「うるせー、大原っ、勝負しろコラ」
 上着のボタンを外して短ランを脱ぎ捨て、大原に向かって飛び掛かり、右拳で顔面を打ち抜く。大原が躱しきれずに左頬にくらいグラつくが、足を踏ん張り右を打ち返す。左手でガードするが、そのまま殴り付けられバランスを崩す。
「コノヤロウ」アドレナリンが吹き上がってくる。全身の血が熱く、沸騰しそうだ。大原の目が血走って、薄く笑っている。
 お互い掴み掛り、拳を振り上げた、その時に「先輩!」全員が声の方に向く。
「青野先輩、探しました、大変です」息を切らした斎藤が公園に入って来る。
「あぁっ」止められて苛立って返事をすると、斎藤がたじろいで周りの光景に唖然とする。
 土井は顔面を腫らして座り込んでいたし、倒れている人は。知らない人だ。自分を殴った大原が青野先輩と掴み合っていた。震えがこみ上げてきて、続く言葉を飲み込んだ。
「何だよ、おい」黙ってしまった斎藤に、噛み付く。
「すいません」斎藤は慌てて、「南中に高階が連れて行かれました」
「なにーっ、タカシナって誰だ?」
 
 鶴見川の沿いの道は5月の爽やかな風が吹いて、水面を揺らしている。そんな爽やかさとはかけ離れた輩が、川沿いのサイクリングロードを自転車に二人乗りで走って行く。
「青野くん、行かないで良かったんすか」ペダルを漕ぎながら沢田が、後ろに訊いてくる。
「まあ、宇田川が一人でいいって言うんだからよ、それに大原が行ったんだから、ちゃんとするんじゃねーの」
「何、随分買ってるじゃないすか、大原。好きなの?」
「はぁ、好きじゃねーよ、馬鹿じゃねーの」照れ隠しだ。
「あいつ、斎藤のチャリ乗ってすっ飛んで行ったけど、熊がチャリ乗ってるみたいで笑えたろ」
「いや、好きでしょ」と、揶揄う。
「ちょっと待ってよ」と、息を切らして、原が走って付いてくる。
「俺の、チャリ、なんだけど」と、息も絶え絶えに抗議する。
「だって、お前らのせいで、ダイアナ妃のパレード見れなかったんだぞ、送っていくの当たり前だろ」
「ホント、無茶苦茶でしょこの人」沢田が笑う。
 原が、息を切らせながら、遠慮がちに、「それ、録画してるけど」

5,不良ですがなにか

 「お前が宇田川か、頭悪いの?一人で来やがって。室戸はどうしたよ」
 嫌味に笑う今西の前には、うなだれて蹲る高階がいる。
 天が谷公園の東屋の前に陣取って、南中の黒い学ランが6人、真ん中で今西が踏ん反り返っている。
今西は、目の前の高階を足蹴にして「こいつのケジメ、どう着けるんだ、金は持ってきただろうな」
 中ランにパーマ頭の今西が、どこかで聞いたような悪人のセリフを吐く。笑ってしまいそうなセリフの筈なのに、宇田川には笑えなかった。
「お前か今西ってのは、うちの高階がカツアゲしたってのは本当か」宇田川が、感情を抑えて訊く。
「おいおい、恐えー顔しちゃってよ、俺らに何するつもりだよ、被害者だぜこっちは」
高階の頭を持ち上げ「おい教えてやれよ、クックック」と、不気味にわざとらしく顔を歪ませて笑う。不快な笑いだ。
「す、すいません」と、高階がしゃがれた声で答える。
 宇田川には、信じ難い話しだったが、その答えで十分だった。一つ大きく息をついた。
「す、すいません」高階の声が消え入りそうな声で続ける「すいません・・・」
「ケジメは俺が取る。好きにしていいから、そいつを開放しろ」そう言うと、仁王立ちの姿勢を取る。
「はぁ、それで詫びてるつもりかよ」
今西は、立ち上がって宇田川に掴み掛り、殴りつける。肉を叩く鈍い音が響く。
 無抵抗で受ける宇田川に「カッコつけてんじゃねえぞ」と、怒鳴りながら右拳で殴る。
 宇田川はフラつきながらも、今西を睨みつけて、また仁王立ちの姿勢に戻る。
「UMAとか言ってイキがってねーで、跪けよコラ」
 今西が興奮して蹴りつけて地面に転ばせ、また蹴りつける。
 土埃が舞う中、宇田川が立ち、その目がまだ今西を睨むので「このやろう」と、殴りかかる。
 次第に疲れて肩で息をしているが、今西はまだ気が収まらずに「川名が調子に乗ってんじゃねーぞ」と、勢いよく蹴りつけようとした時だ。
「まて、今西っ」叫んで止める声がして、その場にいた皆が振り向いた。
今西の振り下ろした足は止まらずに、宇田川を蹴り抜いた。
「うぐっ」と、堪らず声が漏れる。
 自分の蹴りが効いたのだと、したり顔の今西に大原が走り寄る。
「大原、やっと来たのかよ、おせーよ」と、言い終わる前に詰め寄り、右で殴り、倒れそうな今西を左で捕まえて、更に右を3発入れた。今西が「ぐう」とも言わず、沈む様に倒れ込む。
 周りの南中の連中が挨拶も忘れて呆気に取られ、思い出したように後輩が「コンチャース」と声を張り上げ、3年が「大原どうした」と、声を掛ける。
「土井、来い」と、後から付いて来た土井を呼び、「ほらっ」っと顎で合図する。集まってた面々がザワつく中で、土井が、宇田川の前に膝をついて座る。
宇田川も同じく呆気にとられ、端で起きている事を見つめながら体を起こした。
「宇田川だよな、今回の事はこの土井と、今西がやった事なんだ、川名にカツアゲやらせたのもこいつらだ」大原が真相を簡単に話すと、集まった者達がザワつく。
 土井が、手をついて頭を下げて「ズイバセンでした」と、宇田川に向かって必死に声を張って謝罪した。
「か、川名なんぞに・・・あ、あたま、下げてんじゃねえよ」
 倒れたままの今西が、絞り出して声を上げた。
「今西、大丈夫か」その場にいた3年が駆けつけ、手伝って上体を起こす。息をついて今西が話す。
「大原、何の真似だ、せっかく川名潰せるところだったのによお」
「川名を潰すだと、誰がそんな事しろって言った」
 大原が、今西を見下ろして返す。
「お前がそんなだから、俺らが仕組んだんだろうが。おめえの強さがありゃあ、南中はもっと上行けるんだよ、ここら一帯だってシメられんだ。欲張らなくてどーするんだよ、おめえ一番目指すんじゃねえのかよ」
 今西の声に怒気が含まれ、前のめりになり声が大きくする。
「今西よお、俺だってつっぱってりゃ、自分がどれだけ強いのか知りてえよ、上目指せば一番になれるんならそれもいいよ。ただ、今回はよ、やり方が駄目だろ、そんなんじゃ一番になんてなれねえ、クズになるだけだ」
 大原は言い聞かせるように言った。
「チッ、おれら、不良だぜ、欲張って何が悪いよ」
 今西が力なく肩を落として溢す。
急な展開に、皆が理解が付いて行かないでどよめく。一番呆気に取られてたのは宇田川だった。
 頭を下げる土井の後から、斎藤が遅れて宇田川に駆け寄り「先輩」と、肩を貸して立ち上がるのを手伝う。
「あんたがアタマの大原か、なるほどの貫禄だな」と、立ち上がって大原に近づく。二人が対峙して、また緊張が走る。
「悪いのはこっちだ、気が済まないなら、好きにしろ」そう言う大原に敵意は無い。
「やらされたんだか、何だか知らねえけど、ウチの高階がカツアゲやった事は事実だろが」
 大原の肩をポンと叩き「これでケジメな」と、ふらっと歩き出す。
 思い出したように振り返って、宇田川が言った。
「お前らが来るなら、いつでも相手になるぜ。ウチにはよ、お調子者の優男と、すぐ一人でなんでも動こうとする大男がいてよ、こいつらホント勝手だから、まとめ役は結構大変なんだけど、でもまあ、ウチは強いぜ」
「知ってるよ」と、大原が鼻で笑った。
 斎藤が「大丈夫ですか」と、支えようとする。
「んだよ、平気だから、お前は高階を連れて来い」と、突き放す。
 斎藤が「あの、青野先輩が」と言いかけるが、宇田川がさえぎって、「知らねーよ」
 張り出すように繁った若葉の緑が、傾きだした西日に照らされてキラキラ光り、宇田川の背中に反射していた。
「おい、斎藤」
「はっ、はいっス」
「ゆーまって、何よ」

6,街区公園

「青野くん、ここの道って、暗くてちょっと怖いよね」
 薄暗い公園の脇の道を、自転車のペダルを漕ぎながら、御木本良太が呟く。
 住宅街の隅に、滑り台とブランコだけの小さな公園。宅地公園不足から都市計画に組み込まれたいわゆる街区公園の、大部分を覆っているカシの木のせいで、申し訳ない程度の街路灯の灯りもこちら側には届かない。
「あー、お墓あるしね。でも、こっちの方が近いじゃん」さも、満悦で青野春彦が笑う。
 いつもならバス通りから商店街を抜けて帰るのだけれど、青野の家を回って行くのには近道なので、寺の裏の道から公園へ抜けた。変えたばかりの夏服では、夜ともなるとまだ肌寒く感じるのは、気温のせいだけだろうか。
「いやー、御木本くんと会えてラッキーだったよ、もう、駅から歩いて帰るのダルくってダルくって、乗せて貰って助かっちゃったよ」
 二人分の体重を踏みこんでペダルを回す。自転車がキコキコと軋みながら、緩い斜面を進む。
「で、でも、青野くんと、ほとんど話した事なかったから、驚いたよ。こっ、声かけられて。隣のクラスだから、体育とかで、一緒になるけど、あ、青野くん、あんまり、いっ、居ないから」
「御木本くん大丈夫?息上がってるけど。代わるか?」
「だ、大丈夫」力が入ったせいで、御木本良太の声が大きくなる。「僕なんて目立たないから、青野くんが知ってるなんて思わなかったよ」
「はは、知ってるよ、名前くらいは。まあ、俺は転校生だから、小学校からの一緒組ほどは知らんけどね、もう川名来て二年近く経つのに、未だ名前も分からない人もいるけどね、ははっ」
 御木本は、春彦のように目立つ連中とはあんまり接点が無かった。と、言っても、川名中の学区は川名小学校だけなので、エスカレータ―式の様に上がるだけで、九割以上が同じ顔ぶれなのだ。それこそ幼稚園も一緒の者もいて、まったく知らない生徒などほとんどいなかった。
隣の中学が四つの小学校からなる学区で十クラスもあるって知った時は驚愕だった。自分たちが造成地に囲まれた、とても狭いコミュニティの中にいるのだと知ったのは、部活で他校に行く様になってからだった。
それでも、同じ顔触れの方が気楽でよかった。中学に上がると、関係性が顕著になり、次第にポジションが決まっていく。転校早々に一軍の席を不動の物にするような春彦の様には振舞えないが、そこまでも目立たないまでも、人気と裏腹に近寄り難い春彦たちに比べれば、しっかりとクラスに溶け込んでいる自負はあった。
接点が無いからこそ、春彦のような存在に密かな憧れを抱く事もあったので、塾の帰り道に駅前で、お願い乗せてって、なんて手を合わせて拝まれた時には、驚きもあったけれど嬉しかった。多少は人見知りだけれど、二人乗りで帰り道は、緊張しながらも楽しかった。
「でもさ、目立たないなんて言うけど、御木本くん、綺麗な顔してるから女子にモテるんじゃない?」
「え、まさか、そんな訳ないよ。か、からかわないでよ」
「またまた、照れちゃって、華奢で可愛いなんて言われてるんじゃないの、ニクイねこの」
春彦が御木本の脇腹をくすぐる。
「ちょっと、青野くん、アブナイよ」笑い声が暗い路地に響く。ふらふらしながらも先の灯りに向かって自転車を進める。
「御木本くん、お姉さんいる?」
「は?」
春彦の唐突な質問の、冗談めかした意図に気づいた時に、暗い道の先で人影が動いて、頼りない自転車のライトの中に飛び込んできた。
「うわっ」
驚いて、慌てて自転車のブレーキを握り、軋んだ音を立てて止まる。後ろの荷台に跨った春彦が足を出して抑えた。
「コンバンハ」「コンバンハッス」「コンバーッス」「コンチャーッス」
 暗闇から飛び出てきた人影が、大声をあげて、電話ボックスの灯りの下に出てくる。挨拶なのだとすぐに気づかなかった。
「てめー、びっくりしたじゃねーかよ、脅かすんじゃねーよ」
春彦が吠えるけれど、怒りは感じないので内心ほっとする。
「ス、スイマセンッス」
 自転車の目の前まで出て頭を下げてくるので、まるで御木本に頭を下げてるようで、居心地が悪い。暗闇から急に出てきた時は怖かったけれど、灯りの下に近くで見ると、なるほど、まだ、幼さを残している。一年生だろうか、四人もいたのは見えなかった。
「だいたい、コンバースって言った奴いるだろ、バッシュがどうしたよ、俺はバスケ部じゃねえぞ」
「スイマセン」
「サーセン。話し声から青野先輩の名前が聞こえたもので、はい」御木本の自転車の前に直立で、声高に申し述べる。
「うるせーよ!」春彦が更に大きな声で一喝するので、皆の肩が、ビクッと上がる。
「人ん家の近所で、デカイ声出してんじゃねえよ」
「ス、スイマセンス」少しだけ遠慮した声が応える。
「つうか、ウチの制服みたいだけど、お前ら誰だよ」
 春彦が灯りに照らされた、まだ、あどけない面々をのぞき込んで訝しむ。
「はい、自分らは1年で、市村です。何度か2年の高階先輩と一緒にマックで」
「あーあーあー」
 春彦の空返事で、覚えていないんだなと理解して、よくも御木本の事を、名前まで覚えてたものだなどと思い見る。改めて面子を見ると、顔を見た事ある程度だが知った顔が多い。市村は小学校の時に妹と同じクラスだった事があったはずで、確かお兄さんが僕らの一つ上にいたはず。で、あと後ろの・・・。
「御木本くん、知ってるの?」御木本の反応にきづいて春彦が訊く。
「まあ、うん。妹が1年生にいるから」
「御木本先輩、自分、同じクラスです」市村がグイと前に出て主張する。
「あぁ?」春彦が御木本の肩越しから割って入る。
「ひゃい」市村が変な返事で一歩下がる。
「何よ、御木本くん妹いるの?絶対美形じゃん」
 市村に「おい、美形だろ?」
市村が大きく頷いて「はい、マジでカワイイっす」
「あぁ、色気出してんじゃねーぞテメー、コラ」
「ス、スイマセン」
「妹か~、一年生か~、お姉さんいないの?」一人で盛り上がっている。肩越しに迫る春彦を「ちょっと」と肩で戻す。
「姉はいないよお。て言うか、青野くんと同じクラスの奥山いるでしょ」
「奥山、ああ、ベンか」もちろん知ってるというように小刻みに頷く。
 そう、勉蔵さんに似ているからベン。小さい時からそう呼ばれているから、本名は覚えていない。昌なんとかだったか。
「君、ベンちゃんの弟だよね」
御木本が市村の後ろにいた茶髪に尋ねると、茶髪の少年が照れくさそうに頭を下げて、チラリと春彦を見た。
「嘘、マジで」
 春彦が驚いて自転車を降りて近づく。市村がすっと下がる。奥山の弟が春彦を目の前にして緊張しているのか、華奢な御木本よりも、もう少し小さい体を固めて、気恥ずかしそうに眼を泳がせている。
「おおっ、本当だ。えっと、なんだっけ?」
「あっ、真次郎です」短い襟足を触りながら、ぼそりと答える。
「そうそう、次郎だ、次郎」真次郎の頭をくしゃくしゃっと撫でる。春彦がニヤニヤとしながら「なんだよ、茶髪になんてしやがってよ、分からなかったぞ」
「スイマセン」慌てて真次郎が謝る。
「なに謝ってんだよ、カッコイイじゃん」両手で更に頭をぐしゃぐしゃにする。
「ありがとうございます」真次郎の緊張がほぐれて笑顔が見える。やっぱり春彦に怒られると思っていたのだろうか。
「次郎が敬語って、気持ち悪いな~」
「か、勘弁してください」逃れようとする真次郎を、春彦が更に脇をくすぐって攻めていくので、ちょうど御木本が助け舟になった。
「青野くん、ベンちゃんの弟くんの事知ってるの?」
随分と親し気に見えたけれど、どちらかというとオタク系のベンと、いわゆる不良の春彦に接点がなさそうなので驚いた。とはいえ、御木本と春彦の組み合わせも、また希有だけれど。
「そりゃあ知ってるよ。俺が転校してきたばっかりの頃だから、次郎はまだ小学生だったよな、生意気でさ~」
 真次郎がまた襟足をいじる。小学生の時の話をされるのは、こそばゆいのだろう。
「奥山ん家は近所だったから、あいつの部屋に夜な夜な入り浸ってゲームとかしててさ、ベンはそういうめちゃくちゃ詳しいじゃん。次郎が時々遊び来て、なっ」
 同意を求めるけれど、真次郎が遠慮がちに口を開く。
「いや、違いますよ、先輩がうちのお姉ちゃんに会いに来たけど、ちょうど離婚した母親の方に行ったから、居なくって不貞腐れてましたよね」
「は?違うだろ次郎、勘違いしてんじゃねーよ」
「い、いや、なんだよ、お姉さんいねーのかよ、って言ってましたよ」
 春彦が自転車の御木本に振り返って、慌てて弁明する。
「違うんだよ御木本くん、こいつが勘違いしてるだけで、お姉さんなら誰でもいいみたいに言ってるけど」
「い、言ってないです」
「だから、姉はいないってば」
 春彦が転校してきたのは一年の時だから、もう、その頃からもう、そんな事を言っていたんだと思うと、関心する反面に、何とかして妹には会わせない様にしなければと、妹の名前何て言うの?という春彦の問いを躱しながら、御木本は強く誓った。

広がるニュータウンの造成地と住宅地の境に、旧い町並みがあり、そこに小さな里山というより丘がある。
その里山に遥か昔に城があって、今もその名残を残した寺がある。あの源義経の郎党の居城だったらしい。
それもあってか、下野の国を抜けて白河関を越して行く、古道、鎌倉街道の中道が通っていたし、鶴見川を使った水運もあり、交通の要所だったという。
各地から商人が集まり100店を連ねる市が立つほどに、たいへんな賑わいだったそうだ。そこまで栄えるには、地元でも有名な、江戸時代から代々続くという豪商の力が働いたのだろう、その豪商が昔から行っていた菊花の栽培が有名で、かつては皇族も訪れる程の名所になっていたという。
もはや、この町のどこに、その繁栄の名残があるのか、と言う程に、今では想像もできないけれど、古道・鎌倉街道と重なる、今のバス通りに、何々公会堂前とか、何々法務局とか、こんな所になんで、と言いたくなる停留場が、そういえばある。確かに通りの奥に、いくつか古びた建物があったけれど、それが、どの、何という建物かなんて考えた事もなかった。
 テナントにコンビニでも入っていれば覚えもいいのだろうけど、そんな気の利いた店はこの町にはなくて、その7時に開店して夜の11時に閉まるという何とも有難い店も、隣町まで行く必要があったが、自転車で15分くらいなので、結局は駅前まで行ってしまう事も多い。
 そんな古い建物から、川沿いに広がる平地のエリアに、いくつか工場がある。そのエリアから、バス通りを挟んで緩やかな丘陵になっていて、丘の斜面に工場と向かい合うように古い団地が建っている。かつての公共施設や工場の隙間に建った住宅と、その古い団地の、川とバス通りの間で街道沿いに開けた町。いわゆる、何々郡川名町時代からの旧い町が、西地区だ。
 川から緩やかに伸びる丘を削って切り開いた住宅団地、そこを中心に広がったのが東地区だ。
学校と小さな商店街くらいしかなく、丘の斜面を削って無理に造成したのか、道は狭く入り組んでいて、同じような大きさの住宅が、丘の斜面に沿って、緩やかに段々と階段状に建っている。
この東地区が行政区に編入して、郡から区に変わった頃の新しい地区だ。新しいといっても、二、三十年は経っている。住宅はこの町の一番高いところまで続いていて、その先は、今まさに造成中のニュータウンだ。
 その東と西を分断するように道路を通すらしく、丘をえぐり取った様な造成中の谷が丘の先まで伸びていて、その脇にある、本来の細い道の周辺が、この町の地主が多く住んでいて、田畑もある。手広く事業を広げている名士というべき地主もいれば、相続はしたものの、もうすっかり、昔から住んでいる家くらいしか土地も無い地主もいる。
どちらかといえば、後者のほうが奥山の実家だった。奥山の家は、その地主エリアの、車もすれ違いにくいほどの細道の坂を登って行った東地区との境辺りで、その東地区の外れにある街区公園の近くに青野家があった。
奥山の家に行くようになったきっかけは覚えていない。単純に、エリアが違うから気付かなかったけど、実は近所だったのと、あとは、まあ、転校してきたばかりの頃、家に居たくなかったんだと思う。
昼間に、誰かに連れられて行ったのが最初なんだろうけど、夜遅くにいきなり行った時には奥山も「な、何、何の用?」と、何だか警戒していたが、まあまあまあ、と済し崩しに上がり込んだ。
しばらくは「何しに来たんだよ」と、敵意むき出しで鼻息荒くしていた奥山だが、何か面白いもんないの?と、机の上を漁るろうとすると「そこ、弄るなよ」とか言いながらも、自慢のPCを褒めると、ちょっと機嫌が良くなる。
「何だよ、すげーじゃん。コンピューターってやつ?」
 机の上をほとんど占領している、無機質な生成色の箱と、無数のコードで繋がった小さなテレビの様な画面に、興味を向ける。
「パソコンだよ。いいから、触んなよ」
「何これ、何に使うの」
「まあ、ゲームとか、通信とか」もじゃもじゃの天然パーマをぽりぽり搔きながら、面倒臭そうに答える。
「何それ、ちょっと、やってよ」
「えー、やるのー」とか、言いながらも、オタク根性に火がついて、後は聞きもしないのに説明してくる。
PCキュウハチがどうとか、DOSがどうとか、ウチにはファミコンも無いくらいだから、もう何を言ってるのかさっぱり分からない。電話機を引っ張ってきて受話器をモデムとやらに繋げる、カセットテープを回すけど、音楽が流れる訳でもなく、ロードするとかなんとか。一つ一つは使い込んでいるんだか、汚れているんだか、イマイチぼろいけれど、ほとんど初めて見るので興味も沸いたし、それを、同じ年の奥山がやっているのは凄いと思った。けれど、まあパソコンゲームも一通りやったら飽きたし、ファミコンの方がやり易いし、そもそもゲームがそこまで好きでもないけど、暇つぶしに、時々は通った。
奥山は子供の頃からずっと「ベン」と呼ばれているらしいけど、その風貌が勉三さんぽいからで、そこまで見た目が似ている訳ではないし、眼鏡をかけてもいない。  
『いかにも勉三さん』だ、と言う事で『勉三さん』と呼ばれていたが、見た目が似ていた訳でもないので次第に簡略化されて『ベン』だけが残ったんだと、誰だかに「諸説あるけど」と、歴史的人物の逸話のように締め括って聞かされた。
そのベンの家は、旧町の地主エリアのはずれにある。土地がどのくらいあるのかは知らないけれど、他の姓の有力地主とは、相当の差があるのは端からでも分かるほどで、その象徴たる家屋がそれを物語っていた。
敷地はさすがに広いけれど、2/3は背の高い植木に覆われていて鬱蒼としている。腐食して開き放しの門扉から入ると、玄関まで結構離れている。優に、学校の教室がすっぽり入る程の庭があるのだけれど、伸び放題に繁った庭木でその広さを感じられない。
その間を玄関までの細い通路が伸びているけど、昼間でも日が届きにくく、夜にここを通るのは気持ちの良いものではない。
建物は古い平屋造りで、結構な大きさのようだけど、玄関を開けると奥がどうなっているのか想像出来ない程に、荷物で溢れていた。本来は広い玄関の真横が奥山の部屋だったので、その先の部屋を知らないが、あまり入りたいとは思えない。
奥山の部屋もとにかく物が多い薄汚れた布団は万年床になってるし、机というか、こたつのテーブルの上はPCが大半を占領し雑誌が散乱、食べ物のゴミもそのまま置いてある。積んである服は洗濯済みかどうかも分からない。どこに座ればいいのかも分からないし、あまり居心地が良いとは言えない。春彦も特別きれい好きという訳でもないけれど、最初は流石に戸惑った。
こういった片付いていない部屋の住人って言うのは、大抵が自分だけは何処に何があるか分かっているもので、奥山も同じで、その辺りを闇雲に動かしたり、邪魔なので片付けようとすると「やめろよ、分からなくなっちゃうよ」と、吠える。
「分からなくなる前に何とかしろよ」とは言い返すのだけど。
 いつだか、缶ジュースか何か、飲み物を溢したことがあった。
「お前、何やってんだよ」
「俺じゃ、ないよ」だなんて言い合っているうちに布団にも床のカーペットにも染みてしまう。慌ててティッシュで拭くが間に合わない。
「ちょっと雑巾持ってこいよ」
「え、いいよ、面倒くさい」
 前々から思っていたけれど、奥山は必要以上に部屋を出たがらない。と言うよりも、この家の奥に入りたがらない。親と仲が悪いのだろう、くらいには思っていたけどちょっと異常なほどだ。通りで部屋にゴミが溜まる訳だと頷ける。
「いいから、ちょっと何か拭くもの持ってこいよ」
 渋りながらも、流石に今回はと、雑巾を取りに部屋を出た。
 奥山がいない間に水没被害にあったテーブルの上の物を片付け、もともと染みだらけだが、濡れてジュースが染みている布団を捲った。
「うわっ、何だよこれっ」
 思わず声をあげた。奥山が慌てて戻ってくる。
「なに、なに、うるさいなあ」大きい声出すなと、顔を顰めるが、捲られた布団の下を見て「うっ」短く唸る。
 布団の裏には黒く黴が生え広がっている。床のカーペットは更にどす黒い黴が、何の液体がしみ込んだのか、もはや判別もつかない異様な色の大きなシミになっている。思わず嘔吐きそうになる。さすがに奥山もこの上で寝ていたのかと思うと信じられないといった顔だ。
「お前、こんなになるまで放っておいたのかよ」
「汚れているとは思ってたけど、ここまでとは・・・」奥山は意気消沈だ。
「これ流石にダメだろー」と、布団をどかして、カーペットの端を摘まむ。
「いいか、捲るぞ」気合を入れはするが、怖じ怖じと慎重にカーペットを捲っていく。
「うわ、下の畳までいってんじゃん」
「でも、畳はそこまでじゃないんじゃない」
「あほか、十分いってるわ」
 奥山は何とか現実逃避したいらしい。古い和風の建物だから、和室の畳も古くなるとササクレたりほつれたりするので、畳の上にカーペットを敷いたのだろうけど、そこそこ厚みがあったおかげで、畳の被害が少なかったのだろう。ウチにある物よりも高価なものだと分かる。どれもこれも汚いんだけど、この家にはまあまあ良い物が揃っている。
「とりあえず、バケツに水とマイペットだな」
「えー、ホントにー、いま?」
 まずは布団カバーを剥がして洗濯へ、敷き布団のカバーはダメだな、布団も洗剤で拭いてみて一応干してみるけど、もう煎餅布団だし変えた方がいいだろう。物が多くて床がよく見えてなかったけど、こたつテーブルをどけてみると、この部屋にはどうにも不釣り合いな柄のカーペットが現れた。カーペット、というより絨毯の、布団を敷いていた辺り、黴が広がった半畳ほどを切り取った。畳はマイペットで擦りまくって、ドライヤーをあてて乾かした。
 奥山は「そこまでするの?」と愚図ったが、せっかく荷物をどけて絨毯まで剥がしたので、掃除機をかけた。
「おい、なにやってんだ、夜によお」
 掃除機の音に負けない声量で不意に掛けられ、部屋の戸口を見ると大柄の男が立っていて、目が合ったので会釈をした。奥山の父親と会うのは初めてだった。てっきり家にはいないのだと思っていたけど、奥山をチラリと見ると、どことなく委縮した表情だった。なるほど、奥山が部屋を出たがらない理由は親父さんか。
「そ、掃除だよ」
「は、掃除?」怪訝に言いながら、部屋を覗き込んで畳の染みを見る「あちゃー、ちゃんと綺麗にしとけよ」
 そう言って、廊下に出したテーブルを押し退けて玄関へ出ていく父親に「わ、わかってるよ」と返した。
 どうにも奥山が、遠慮して話すのが気になったけれど、確かに変な威圧感は感じた。見た目でいったら、宇田川の親父の方がよほど恐ろしい。宇田川の家の前でとケンカしていたら「うえうせえぞガキ、他所でやれ」と、怒鳴られて、二人して意気消沈でケンカする気も失せてウヤムヤになった事があった。
「なに、親父さんこれから出掛けたのかよ」
「うん、機嫌よかったから、飲みにでも出掛けたんじゃないかな」
 あれで機嫌いいのかとも思ったけど、奥山が安堵しているのがよくわかった。
「さっさとやっちまおうぜ、お前は机の上を片付けろよ」
「え、机もやるの?」
 奥山の明るい声が帰って来る。
 断捨離するのに、いちいち愚図るか時間は掛かったけれど、大分荷物も減り、数日かけて部屋は見違えるほど綺麗になって快適に過ごせるようになった。
 日によって奥山のテンションは違っていたけれど、荷物で塞がれていた窓も開く様になり部屋が明るくなったので、心なしか本人まで明るく清潔になったように見える。
 部屋が快適になったからか、その頃から時々奥山の弟が顔を出した。
「すげー、部屋が生まれ変わってるよ」
興味津々といった顔の小学生が、ランドセルを入口に放り投げて入って来る。
「あっち行ってろよ、真次郎」奥山は、そんな弟を煙たがるが、弟は意に介さず中に入って来る。
「ねえ、あんた誰?」物おじしないで距離を詰めて訊いて来る。
「真次郎」奥山がスーパーマリオをやりながら声を荒げるけど「まあいいじゃん」と、青野と名乗る。
「青野、何年生」
「兄ちゃんと一緒だよ、中一。お前は何年だよ」
「おれ5年生。青野は彼女いるの?」と、隣りに割り込んで来る。
「あぁ、マセガキめ、どっかにいるんじゃねーの?会った事ねえけど」
「なあんだ、いないのか」
「真次郎、いい加減にしないとぶっとばされるぞ、ごめんね青野」奥山が気を遣い、ちょうどマリオを交代する。
「青野、ぶっとばすの?」
「ぶっ飛ばさねえよ」と、言うそばから、土管から出てきたパックンフラワーにぶっ飛ばされて画面から消える。
「てゆうか、青野マリオ下手じゃん」
「くそっ、じゃあ、何たら次郎、お前やってみろよ」
「真次郎だよ、おれ、青野よりは上手いよ」
「へっ、何がシンだ、次郎でじゅうぶんだねー」
「次郎じゃないよ」
「次郎ですーう」
「なんか小学生相手に大人気ない事言い出したよ、まあ、大人じゃないんだけど」
真次郎が気の抜けるジャンプ音を鳴らしながら、マリオを上手く操りステージクリアして見せる。
「見て見て、青野」真次郎が得意げな顔でじゃれつく。確かに上手いものだ。
 奥山の部屋へは、毎日行っていた訳ではなかったけど、行く度にどこからか真次郎はやってきて、奥山とは似ても似つかない、可愛らしい笑顔を見せていた。

7,在処

「すごい、腫れてるよ」
 奥山が恐々と頬に付いた血を消毒液で拭こうとする。
「いてっ」
「ご、ごめん、血が乾いていて上手く拭けないよ」
「こんなの平気だって、ほっときゃ治るって」顔を背ける。
「傷は大したことなくても、血ぐらい拭いた方がいいよ」
「お前は彼女かよ。彼女いた事無いから分からんけど」
「は?何それ。はい、絆創膏貼って終わり」と、最後は雑に貼って終わらせる。
 貼られてた絆創膏の上から触ると、けっこう腫れているのがわかる。
「室戸の野郎、靴で顔蹴るか、普通よ」
 蹴られてもいない奥山が、痛そうに顔を歪める。
「お返しに、脇腹に思い切り喰らわしてやったけどな」肘を畳んでフックの型で空を切って見せる。
「最近、室戸くんと宇田川くんとケンカばっかりしてるよね」
「よそ者が気に入らないんだろ」と、ふて腐る。
「青野から、突っかかってる様に見えるけどね」
 好きでケンカしてるわけじゃないと、言う所だけど、好きでやってる。どうにもあの二人には負けたくない。
 奥山が呆れたところに、真次郎がやってきた。当然、春彦の顔を見て驚く。
「どうしたの?殴られたの?」心配そうにのぞき込む。
「青野、いじめられてるの?」真次郎がまじまじと訊く。
「はぁ、いじめられてねーし」
「辛かったら、言うんだよ。僕は味方だからね」真次郎はあくまで本気で言っている。
「そいつは、どーもっ」力を入れて言い返したので、頬が張って、いてっ、となる。
「大丈夫?黒く痣になってるね。でも、僕と同じだよ」
 真次郎が明るく言った言葉の意味が分からなかった。
「ほら、一緒」
真次郎がおもむろにシャツを捲って見せる。華奢な身体の脇腹に青黒く大きな痣がある。殴られたのか、蹴られたのか。
「お父さんに怒られちゃった」
 怒られたってレペルじゃないだろ。かなりの力を加えられている、よっぽどの力の差があるか、無抵抗の状態じゃないと脇腹にあんな痣はできないだろ。奥山に目をやるが、目を伏せて口を結んでいる。まあ、知っていたのだろう。
うちの親もすぐ殴るけど、ここまではされない。子供の頃に神社の賽銭箱に悪戯した時は、近所のおっさんに鼻血が出るほどなぐられた。賽銭を取ろうとしたんじゃなくて、賽銭箱の中がどうなってるのか知りたくて仕方なかった。
 やたらとひっぱたいてくる大人は多いけど、大抵は平手打ちで、余程の事だとグーでやられる。真次郎のはそういうのとちがう、その痣の色のようにどす黒く感じた。人ん家の事は他人にはわからないけど、なんか、身体の奥の方がざわついた。
「青野、顔恐いよ」
自然と眉が上がっていたようだが、この痣見ればそりゃあ、そうだろ。極力明るい声で返す。
「おいおい、ひでーな。どんだけ、悪さしたんだよ次郎」
「言うこと聞かないから怒られちゃった」
 まるで、あっけらかんと話す真次郎と、痣とのギャップが殊更に痛々しい。
「痛いか」
「ううん、昨日までは痛かったけど、もう痛くないよ。青野の方が痛そう」
 真次郎が手を伸ばして頬をつつく。
「いてっ」
つついた方の真次郎が、ビクッと一瞬震わせ、すぐに笑顔を見せる。
「コノヤロー」
 真次郎に覆い被さって押さえ込んで、脇腹をくすぐる。
「まってまって」
 笑いが止まらない真次郎は、手足をバタバタとさてもがくが、ぬけだせない。
「まいった、まいった、ギブギブ」
真次郎がケラケラと笑う。

「最近、次郎来ねーな」
 もう桜も散ったって言うのに、億劫がって、梅雨明けまで仕舞わないと言っていた奥山の尻を叩いてこたつを片付けていた。もうここ何か月か、真次郎の顔を見ていない。
「もう6年だし、叔父さん家にも慣れたんじゃないかな」
 奥山が天然のくりくり頭をボリボリ掻きながら答えた。
「叔父さん?」
「うん、真次郎は叔父さんの家で世話になってる」
「はっ?いつから」
「今年になってから」
奥山は表情も変えずに眈々と答える。
「叔父さん家って、どこよ」
「向かい」
「はっ?向かい?」
「そう、向かい」
 なんだよ、紛らわしい言い方しやがってと、言ったが、勝手に勘違いしたんだろ、と言い返した奥山の表情は、弟の事が気掛かりなのだろう、あまり触れてほしくない空気をだしていた。
「俺は触れるぞ」
奥山がこちらを向いて小さくため息をつく。
「そうだよね」
 天井を見て、諦めたように話し出した。
「うちの親が離婚したのは知ってるでしょ」
「ああ、姉ちゃんが母ちゃんに付いて、一緒に行ったんだろ」
「そう」確かめるようにうなずく「お母さん達が出ていってから、ご飯がさ、誰も作れないから、けっこうひどくて、業を煮やしてっていうの?お向かいの叔父さんの家が食事を作ってくれる事になったんだよ。最初は、ご飯だけお世話になってたけど、そのうちこっちに置いとけないって事になって」
奥山の話が尻つぼみになるので、察した。
「親父さんか」
奥山が小さく頷く。言葉を探しているのか、次が続かない。どう話していいのか分からないのだろう。
そりゃあそうだろう、家族の込み入った話なんて他人にした事ないだろうし、こっちだって話された事もない。奥山に限らず、家族の話題なんて避けるのが常で、そういう話題はダサイとされていたところもある。そうは言っても、この閉鎖的な町では、けっこう知られてたりするらしいが。
「いつもじゃないんだ、いつも手を上げる訳じゃないんだよ。普段は普通、って言うのかな、普段でもすぐ怒るから恐いんだけど、理由もなく手を上げる事はないんだ。それに、真次郎も逆撫でするような事するから」
 奥山がくりくり頭をぼりぼりと激しく掻く。あまり気に掛けないから、寝ぐせなのか何なのか分からない程にくしゃくしゃだ。
「お前も殴られんの」
「まあ、それは殴られた事はあるけど、真次郎にするみたいにあそこまではやられた事ないよ。せいぜい平手打ちくらい」
「そうだよな」急に声が大きくなってしまって奥山がビクッとするが構わず「普通は平手打ちなんだよ、平手打ち」
「それがどうしたの」奥山が要領を得ない様子で窺う。
「だからさ、大人が平手打ち以外で、例えば、蹴りとかグーで殴るのは、もう鬱憤を発散してえだけだろう。大人って、これは躾だとか、お前が憎い訳じゃないんだとか言いながら、本当はもう殴りたくて殴ってんだって、絶対。だからやり返していいんじゃねえか、俺は今度殴られたらやり返す事にするぞ」
「もう、そんなに鼻息荒くしなくてもいいって。言う通りかもしれないけど真次郎には聞かせられないな、今でさえ反抗してるのに。ていうか、青野の場合は殴られるぐらいの事したんじゃないの」
「はあ、ふざけろ、殴られすぎてお釣り寄こせってくらいだよ。小学生の頃とかに『何で殴られるのか分かってるな』とか言って殴った先生いたけど、未だに何で殴られたか分からないし、一緒に殴られた奴が言うには、間違えられたんじゃないか、ってよ、そんな事くらいでバカスカ殴るんだぜ。大人なんて殴って早く問題を終わらしたいんだよ・・・。わるい、俺の話って訳じゃないけど逸れたな」
 久し振りに掃除をして、こたつ布団が無くなってすっきりしたテーブルに座り直して、話をつづけた。
「でも何で、叔父さん家なの。親父さんと駄目なら、母ちゃんとこ行けば良いじゃん。転校したくないとかか」
「転校はしたくないだろうけど、真次郎は僕のお母さんの子供じゃないんだ。母親は別なんだ」
「うそ、マジで」さすがに驚いて次の言葉が出なかった。流石に重いぞ。
「うん、マジ。でも、けっこう、って言うか、この近所の皆はだいたい知ってるよ」
奥山が照れ隠すようにさらりと言う。ていうか、知ってるのかよ。恐ろしいくらいの田舎的な性質だ、とても横浜とは思えないな。
「あんまり自分から話した事ないから、どう話せばいいのか分からないや」
 奥山が口元だけを少し動かして笑う。どう話していいのかなんて笑うけど、皆が知ってるって事は、どこぞの誰ぞが、この話を何度もしているのだろうに。当事者の一人の奥山は話した事が無いって事の方が笑える。
「真次郎の母親は、妾って言うか愛人って言うか、その人の子供で、家に来たのは真次郎がちょうど小学校に上がる年だから5年前。僕は詳しい事は聞かされていなかったけど、真次郎のお母さんが亡くなったからだと思う」
「思うって何だよ」
「大人が話してるのを、断片的に聞いただけだから」
「てか、次郎の奴・・・」想像以上に薄倖な境遇に深いため息が漏れる「大丈夫だったのかよ、次郎は」
「僕も8歳だか9歳だったから、良く分かってないかな。今ほどじゃないけど元気な子だったよ」
「おお、強いな次郎」何だか誇らしくすら思える。
「でも、夜になると泣くんだ。僕も何度か見た事があって、口を手で押さえて、布団にうっ伏して声を殺して泣いているんだ。」
 胸がバクンと鳴って奥の方にキュウと入っていく。チリチリとした小さな痛みを感じながら、泣いている真次郎を想像してみるが上手くいかない。いつも小生意気で悪戯な笑顔を見せていた、その顔しか知らない。そりゃそうだろう、母親が死んで辛いところに、更に、誰も知らない家に6歳で来る事になったんだから、そんなの普通は泣くだろ。真次郎の心情を考えるが、自分の薄っぺらな想像力に呆れる。情けなさもあってか、またチリチリと痛んだ。ふと、一つ違っていた事に気づく、誰も知らない訳ではなかった。
「父親はどうしてたんだよ、父親は」つい、声に苛立ちが表れる。
「お父さんは・・・」
 奥山がまた、頭をくしゃくしゃとやるから、元々くしゃくしゃの頭が更に乱れる。
「最初っていうか、真次郎が小さい時は可愛がっていたみたいだよ。叔父さん達もそう話してたし。でも、お母さん、ああ、僕のお母さんと上手くいかなかったんだ。お母さんが色々面倒見ようとはしてたんだけど、真次郎が嫌がったんだ。例えば、服を着替えさせようとしたら手を払って拒むし、お風呂に入れようとすると逃げ出したり、もう拒絶だよ。来たばかりの頃は、お父さんが居ないとご飯も食べようとしなかったって聞いた。もともとお母さんは、真次郎が家に来ることを嫌がっていたから、その事も大分揉めたらしいけど、それを相当に我慢して世話を焼いていたんだ。だけど、懐くどころか拒絶されるのに耐えきれなくなったらしくて、どんどん関係が悪化していったんだ。でも、分からなくもないよ、真次郎はまだ母親が死んだって分かってなかったんじゃないかな、理解までは出来て無かったと思う。急に僕のお母さんが現れても、素直に受け入れられないだろうし、お母さんが母親を追い出したとか、どこかにやったとか、考えてもおかしくないよね。そのくらい嫌がっていたもん。
最初は優しかったお父さんも、意固地になって拒み続けてる真次郎に、次第にきつく当たりだした。お母さんとも頻繁に揉めるようになっていって、すっかり僕の記憶では、いつも言い争ってる印象だよ。まあ、結局は離婚することになったんだけどね」
奥山はテーブルに視線を落として、天板の模様をじっと見つめる。
気遣いとか分からないし、出来ないし、せめて極力明るい声で言う。
「いやあ、俺ん家の環境もなかなかだけど、お前の家もスゲーな、やってらんねーだろ。こう、なんつうか、ウオーっとか、ならねえの」
 顔を上げた奥山が薄く笑う。
「ずっとこうだし、他の家の子供になった事ないから分からないけど、流石にちょっと他とは違うかなって気付いてきた。でも真次郎は他の家で生きていく事になった訳で、しかも上手く行っているとは思えない。でも、僕にどうこう出来る事でもないから。
 真次郎が家に来たときは、急に弟が出来たって、戸惑いみたいのもあったけど、やっぱり嬉しかった。でも、思っていたのと違って、家族と全然馴染まないし、父親はともかく、お母さんやお姉ちゃんを拒否してるのは、腹も立った。でも、寂しそうにしていたり泣いてるところを見ると『可哀そう』って思っちゃった。それって、家族っていうより他人事だよね」
 奥山の言葉が重くなる。家族とか他人とか、どっちも煩わしいものでしかない。そう思っていた。
「そんなの普通じゃん、可哀そうは可哀そうだろ。どう思ったとかあんまり関係ないだろ。お前が次郎の相手になってゲームしたりする事が家族とかなんじゃねえの。そうゆう相手が必要だったと思うぜ、まあ、家族とか、俺にもよくわからんけど」
 奥山が顔を上げて「青野が、そうゆう事言うなんてね」と笑い「うるせえ」と返す。
「でも、今ほど仲良くはなかったよ。真次郎は生意気だったし。青野にあんなに懐くなんて思わなかったよ。あんなに笑ってるのも初めて見た。誰にも懐かないと思ってたよ。去年くらいから青野と時々過ごすようになって、良く笑うようになって、僕や叔父さん達とも距離が縮まったと思うよ。お父さんとは相変わらずだけど」
「俺様のおかげだな」大袈裟に笑ったが、遠慮して「それでも良いんだけど、次郎が少し大人になっただけじゃねえの」
「僕もそう思う」と、奥山も顔を上げて笑い「でも、きっかけになったのは青野だと思うよ、小学生の真次郎には青野のケンカの話とか衝撃だったろうしね」
 開けっ放しの窓から、5月にしては少し冷たい風が入ってきた。こたつを仕舞うのは少し早かったかなと過るが、気持ちの良い風が頭を冷ますには丁度いい。
 身体をのけ反らせ、両腕を開いて伸びをする。
「ちょっと重たい話で喉乾いた。麦茶か何かくれよ」
奥山が席を立ちドアを開けると、部屋に漂っていた重たい空気が換気される。飲み物を取りに行った奥山の背中に投げかける。
「ベン、氷ケチるなよ」
 庭の空間を覆うように木々が生い茂っている。若葉を付けた夏椿の木が窓の外で揺れる。まだ花を付けるのは早いだろう。
「あ~あ、もう5月も終わりだなあ」思わず洩らすと、奥山が麦茶を持って戻ってきたところだった。
「5月の終わりって、まだ15日じゃない、半分だよ」
 テーブルに麦茶を置くと、グラスの中で氷が触れてカランと鳴る。
「ああっ」
 奥山の急な大声で、口に含んだ麦茶を吐き出しそうになって咽る。
「なんだよ急に」
何を思い出したのか、奥山が興奮気味に慌てて言い出す。
「誕生日だよ、今日が誕生日だった」
「あっそう、おめでとさん」
「違うよ、真次郎だよ。真次郎の誕生日」
「マジかよ」声の音量が上がる「次郎はどこにいるんだよ」
「わかんないけど、叔父さん家に居ると思う。自分の部屋を貰ったから」
「ちょっと連れて来いよ」
「あ、うん」
 一瞬躊躇した奥山だが、慌てて動き出す。
「あ、待て待て。叔父さんとか友達とかで、誕生日祝ってたりするのか」
「分からないけど、毎年大したことしていないと思う。僕も、今日こんな話ししていなかったら気にもしなかったし」
「じゃあ、何も予定していなかったら連れて来いよ、何か予定あったらそっち優先させるんだぞ」
「分かった、行ってくる」と、部屋を出ようとする。
「待て待て待て」
「な、なに」奥山が振り返って、肩を落とす。
「お前、いくらある?俺は300円ある。ヤマザキのショートケーキって100円だよな、あとジュースとかほしいよな、酒とか」と、言って手のひらを出す。
「1000円でいい?あと酒は駄目だから」奥山が戻って財布から1000円を渡すと、部屋を出て行った。
 そういえば、人の誕生日を祝うなんてしたことあったかな、とか思い返しながら部屋を出た。夏椿をくぐり、門の横にある錆び付いた奥山の自転車に跨る。
「あいつ、手入れしてないのかよ」
 錆びて重たいペダルを漕ぎだすと、耳障りな音を立てて進みだす

8,爆音

奥山の家から、車のすれ違いも厳しいような細道を、しばらく行くと、古道・鎌倉街道と重なる現在のバス通りに出る。自転車を軋ませ、異音を撒き散らしながら、バス通りまでの緩い坂を下る。少し遠くでバイクが走る音がしている。
 狭い割に車が行きかうバス通りを、左折して交番の方まで行くとヤマザキがある。目的はそこのショートケーキだ。
 通りに出る信号前の酒屋の駐車場に、見知った顔があった。
「キーキーうるせえチャリだと思ったら、お前かよ、青野」
 宇田川健が、あからさまに不機嫌な声を向けてくる。隣の無駄に図体のデカいのが室戸亘高だ。この忙しい時に鬱陶しい奴に会った、宇田川とは2年になって大分減ったけど、1年の特に転校してきたばかりの頃は、顔を合わせる度に喧嘩になった。室戸とも何度かあったけれど、どうにも宇田川の奴だけは、毎度毎度突っ掛かって来る。
「うるさかったら耳塞いどけよ、タコ」
「あぁ、何だあ」
 宇田川が即座に反応するが、室戸が割って入る。
「その目立つチャリ、どっから拾ってきたんだよ青野。なに、お前も見物に来たの」
「は、見物?」
 思わぬ問いに気もそがれて、気の抜けた返事をしてしまう。
「何だよ、聞こえて無いのかよ」宇田川が挑発するように言う。
「あぁ、なぁにがだよっ」喰いつくほどに言い返す。
「お前ら、ホントに仲いいなあ」室戸が呆れる。
「仲良くねえよ」
 張り上げた声が二人で揃ってしまい、バツが悪く舌打ちをする。室戸が一人でウケて大きな体を揺らして笑う。
「ほら、聞こえるだろ、単車の音」
 さっきから遠くにバイクの音が聞こえている。直管に改造したマフラーから独特なリズムを刻んで吐き出された爆音が、離れていても威圧してくる。
「な、すげえべ、俺らの3つ上の先輩らで、ペケジェイとバブだよ、ホークⅢな。バブの2気筒もいいけど、やっぱXJ4気筒の抜けの良い音がたまんねえよな、もうすぐこっち周って来るぞ」
 室戸が慣れられしく、興奮して捲し立ててくるが、バイクが好きなのが伝わってくる。室戸のこういう面は初めて見た。
「いや、最高なのはホークのバブーバブーって音の方だろ」宇田川が入ってくる。
「何がバブバブだ、赤ちゃんかよ、だいたいウルセエだけだろ」
「分かってねーなー、おまえ」と、室戸がデカイ体を大きく揺らして言い返したと思ったら、遮るように横から怒鳴り声がした。
「うるせえだと、この野郎、誰に言ってんだクソガキ」
 酒屋の方から学ランの短髪男が詰め寄って来る。うちの中学だ。良く知らないけど先輩だろうかと思っていたら、向こうから言ってきた。
「おう宇田川、室戸、挨拶はよ」
「ど、どうも」あからさまに嫌な顔をみせ、最低限の挨拶をする。嫌な空気が流れる、バイクの音が近づいてきた気がする。
「おい、お前、誰の事うるせえって言ってんだ、今走ってんの誰だか分かってんのか、コラ」
 にじり寄って来る短髪男に、無意識に睨み返していた。
「おい、なに睨み利かしてんだ、それが先輩に対する態度かよ。おい、室戸、どーなってんだ」
「はあ」室戸はそっぽを向いて空返事で、関係ありませんといった態度だ。
「つーかお前誰だよ、挨拶どーした」
 どうにもねちっこく、うるさいので取り敢えず「ウッス」と挨拶した。
「コンニチワだろ、ナメてんのか」
 短髪の男が言い放つと同時に、左頬を殴りつけてきた。
 大した痛みでは無かったが、驚いて頬がビリビリする。瞬間頭に血が上って、短髪男に掴み掛かろうと動いたところで後ろから宇田川に羽交い絞めされた。
「放せこのコノヤロウ」
「何やってんすか」
 叫んだ室戸が短髪の男を制する。
「な、なんだその態度は、せ、先輩だぞ」
 室戸の制した腕の後ろから吠えているので、隠れるように見える。
「知るか、コノヤロウ。放せ宇田川あ」もがいて抜けようとする。
 バイクの爆音がすぐ近くに来た。ブオン、バオンと突き抜ける音がして真っ赤で派手なバイクと紫にラメの入ったバイクが並んで止まった。アイドリングの音が、ドドドと地面から響いて来る。
 皆の視線が集まる。遠くに聞こえた空吹かしの音と違い、響いてくる振動に飲み込まれそうになる。
 捕まえていた宇田川の手が緩んだ、咄嗟にすり抜け、後ろに押し倒す。不意を突かれた宇田川はバランスを崩した。その隙に、目の前の短髪に飛び掛かる。
 室戸はバイクに見惚れていて、押さえていた手は下がっていて、何の役にも立っていない。
 短髪男は飛び掛かて来るのに気付いて顔を背けたが、もう遅い。思い切り踏み込んだ右ストレートが、捻り気味に短髪男の左頬を打ち抜いた。そのまま前のめりになって室戸の腕に支えられる格好になった。見上げた室戸は笑っていた。
体重を乗せてはいたけど、飛び込んだせいで派手な割には破壊力は無かったかもしれない。短髪男は尻もちをついてたおれた。お前誰に手を、とか、何か言っていた。
「おい、お前ら何してんのよ」
 皆がまた、バイクの方を向く。
「コンチワッス」
 室戸と宇田川が先程とはまったく違った挨拶をする。
「み、宮本せんぱーい」
 短髪男が、走り寄って、近くで何やら言っているようだけど、バイクの音で良く聞こえない。
「室戸、まさか、3人掛かりなのかよ」
 宮本と呼ばれた紫メタリックの男がバイクの音を超えて室戸に訊いた。
「いやいや、違います。コイツがいきなり先輩に殴られて、俺ら止めたんですけど、振り払ってこうなりました」
 バイクのエンジン音が重たく響く。
「じゃあ、しょうがねーじゃん、そんなんでイチイチ泣きついてくんなよ」
 深紅のホークに乗ったリーゼントパーマの男が言った。
「こんな奴の為に寄り道したのかよ、ミヤ」
「知らんよ、吉村の後輩だってさ・・・。お前もシャキッとしろよ」
 宮本に腰を曲げて諂っていた短髪男の顔に、ピシャリと平手打ちする。短髪男はもはや半泣きだ。
「おい、そこの君」青野を指す。
 自分の事だと思わず、自分を指さす。
「そう、君。あんまり先輩いじめるなヨな」
 笑顔で言っているけれど、どこか威圧感があって気おされてしまう。
そんなんじゃ、と言い掛けて、また近づいてきたバイクの爆音に消される。ババン、と小気味良い音を響かせて後ろに並んだ。アイドリングの音が重なり更に厚みを増す。
「おー、CBXだ」
 室戸が興奮した声を出す。
「スイマセン、遅れました」
CBXが前の2台に謝る。
「おせーよ、吉村、変なのに絡まれちゃったよ」
 宮本が冗談めかして目の前の短髪男に一瞥する。吉村も、何やってんだよと言いたげな顔を向ける。
「もう行くぞ~」深紅のXJが力の抜けた声で言った。
「はい、橘さんスイマセン」
「あ、亘高」
「はい」室戸が慌てて返事をする。
「おばさん、泣かす様な事するなよ」
 橘が告げると、ブオン、ボボンとアクセルを呷り、走り出す。
慌てて吉村が「おい黒沢、早く乗れよ」と、短髪を後ろに乗せて付いて行く。3台のバイクの爆音が重なり、あっという間に遠くなっていく。遠くでアクセルコールするのが聞こえた。
「いやー、格好良かったなあ」
「おお、ちょっと緊張したぞ」めずらしく宇田川も興奮気味だ。
「しかし、いきなり殴るかよ、あれでも一応は先輩だぞ」
「殴ってきたのは、あっちだろうが」と言い返す。
「まあまあ、二人ともジャレるなって」
「ジャレてねーよ」と、また揃ってしまう。
「ほら」
 室戸が缶コーヒーを投げて寄こした。不意だったのと缶が熱かったので慌ててお手玉しそうになる。。
「ああ、わりい」
 プルタブを起こすと、甘いコーヒーの香りと湯気が上がった。一口含むと、ほろ苦くて甘い缶コーヒー独特の味と、暖かさが身体にしみ込んでいく。
「そろそろ、アイスだな」
同じ缶コーヒーを一口飲んで宇田川が呟いた。
「俺はミルクティーだから、ホットだわ」
室戸がジョージアのロング缶を揺らす。コーヒーを飲みながら、いつのまにか3人で座り込んでいた。
「いやあ、あの先輩いつもねちっこいんだよ。お前は転校生だからあんまり絡み無いだろうけど、みんな小学校から知ってるからな、ウタなんか近所だったよな。俺とかウタにはあんまり強く言えないから、いつも他のヤツには当たり強いんだけどさ、まさか、いきなり殴って来るとはな」
「赫耶王の人らと約束してたから、イキってたんだな、あれは」
 室戸と宇田川が他人事のように、もう笑い話にしている。
「なんだそりゃ、くだらねえ」
 なんで、俺が絡まれなきゃいけねえんだと理不尽に呆れ、二人して笑い話の種にしているのがイラついたが、缶コーヒーをグイと飲んだ。
「お前、もしかして赫耶王も知らねえのかよ」
「あ、知るかよ」
 本当は名前くらいは知っていた。カグヤがどこと揉めたとか、何処かの誰かがカグヤにヤラれただとか、前に住んでいた隣の市でもちょくちょく話題になっていた。特に横浜を三分した抗争は語り草で、その強さを忌み嫌う連中や密かに憧れを抱く奴らもいた。
「格好いいべ、特に橘さんの赤いXJ」
「いや、やっぱり紫メタのホークだろ」
 また始まった、二人でバイク談議に盛り上がりだす。
「バイクはいいけど、所詮は族だろ、興味ねえな」
 吐き捨てた言葉に室戸が喰いついて言い返してくる。
「ばか、お前、分かってねなー、赫耶王は別なんだって、他とは違うんだよ」
 怒鳴るでもなく、普通に、ばか、と言われて気が抜ける。
「あの格好良さ分からないのは、ばかだな」
 宇田川に言われると腹が立ったが、どうでもいい、こっちは忙しいんだから勘弁してほしい。
「ああっ」
「な、なんだよ急に、びっくりしたな」
 ウンコ座りした室戸が、驚いて少しのけ反る。
「忘れてた、俺は忙しいんだよ」
 立ち上がって行こうとすると、室戸が手のひらを出してきた。
「なに」
「ほれ、百円」室戸が大きな手のひらを揺らす。
「はあ」
「コーヒー、飲んだろ」
「なんだよ、奢りじゃないのかよ」
「誰が奢るって、そんなに仲良しじゃないだろ」
室戸は、いたずらが成功したような笑顔を見せる。大きな身体を丸めて蹲んだまま揺れている。百円くらい払いたいトコだけど、ヤマザキで出来るだけ、いろいろ買って帰りたい。ここは流しておこう。
「ちょっと、買い物いくところだから今度な」
「おお、仕方ないから、貸しといてやるよ。ミジメな青野君に、天使のように優しい俺が、身を削って貸しておいてあげよう」
 室戸が立ち上がり、逆撫でするように、芝居じみて大げさに言う。
「チッ」
 思わず大きな舌打ちが出た。
「分かったよ、うるせーなー」
 しぶしぶポケットから百円を出して室戸に渡す。
「青野ちゃーん。友達だろ百円くらい奢ってよ、って言えないのかね、この意地っ張りは」
 室戸が小銭を財布に仕舞いながら溢して呆れてみせる。
「そうだよな」
 今度は青野が芝居がかって、反省した仕草をする。想定外の青野の反応に室戸と宇田川が顔を見合わせる。
「でさ、君たち、ちょっとお金もってない?」
「はあ、何で」
「俺はちょっとあるぞ、でも何で」
「これからパーティーなんだよ」
「何がパーティーだ、知るかよ」
「え、パティー?何の?」
「友達なら、奢ってくれるんだろ」
「はあ、室戸はそういう意味で言ったんじゃねえだろ」
「友達かよ、どうする宇田」
「いいから出せ、コラ」
「カツアゲかよ、コノヤロウ」
「7百円あるぞ」
 バイクの音はもう聞こえないけど、大型のダンプが造成した残土を載せ、埃を立てて通り過ぎた。

 庭の夏椿をくぐって戻った時には、もう真次郎が来ていた。
「この家ってベンの家だったのか」
 鬱蒼と生い茂った庭木に覆われた門を入るなり、室戸が言う。
「そういえば、この辺りだって聞いた事あるな、不気味な家があるって」
 宇田川が言いたくなるのも分かる。目の前の細道を挟んで斜面になっている、雑木林が道を覆うように張り出していて、道路側は昼間でもあまり日差しが入らずに薄暗い。日が暮れてくると知らない人は避けたい道だ。ましてあの門を入るのは勇気がいるかも知れない。夏椿をくぐれば、開けて玄関の手前まではだいぶ明るい。相当庭の木を切ったのだけど、玄関とか建物の周りは、切っていいものか判断つかない植木があって、記念に植えたような常緑の南天やアセビ、アジサイと庭の奥の柿木とかは、手を出していない。それでもかなり見違えたのだ。
「中はきれいじゃん」と、呟いかれて「そうだろう」と、思わず得意になる。本来は関係ないのだが。
 部屋にぞろぞろと入っていくと、奥山と真次郎の驚いた顔が笑えた、室戸を見ては宇田川を見て、また室戸を見てと、珍獣でも見るようにキョロキョロと視線が飛んだ。

「ベン、おじゃまさま」
「ああ、ど、どうぞ」流石の奥山も、室戸の圧には緊張するのか。
「君がベンの弟か」
「ど、どうも」あの生意気な真次郎も、流石に大人しい。
「おい、宇田川、お前の顔が恐えって、次郎がビビッてんじゃねーか、眉間の皴、消せよ」
 そう言って、次郎の隣にドカリと座る。
「え、恐いか、皴出てるか」
「恐くないよ、大丈夫」次郎が宇田川に声を掛ける。
「小学生に気を使わせてるんじゃないよ」
「ス、スマン」こんなに素直な宇田川は初めて見た。子供の力は凄いものだ。
「室戸、立ってるなよ、お前が立ってると部屋が狭く感じるんだよ」
「おい、聞いたかよ真次郎君、酷くないかこの悪党は」
「誰が悪党だ。つーか、お前、何一人でポテチ食ってんだよ」
 狭苦しくテーブルを囲む部屋に真次郎の笑い声が響いた。
「青野、うるさいよ」
 真次郎が、お腹を抱えてケラケラと笑う。
「そうだ、テメーはうるせえよ」
「うるさいね」と、奥山まで。
「春ちゃーん、うるさいよ」
「馴れ馴れしいな、誰が春ちゃんだ」
 真次郎が更に笑って、つられて皆が笑った。
「遅いからもう来ないかと思ったよ」
 テーブルにスナック菓子を広げながら奥山が言った。
「途中で、こんな奴らに絡まれてさあ、まいったよ」大げさに言っては「遅くなったのはコイツらのせいだからな、次郎」
 真次郎に向き直って言い訳をする。
「いじめられたの?」真次郎が青野を覗き込んで「あ、少し腫れてる?」左頬を差す。
「は、いじめられてねーし」
「青野の事いじめたの?」宇田川に向き、問い詰める。
「違う違う違う」顔の前で手をぶんぶん降る。
「変なのに絡まれちゃって、青野くんて、ほら弱いから、殴られちゃって、俺たちが助けてあげたんだよう」室戸が子供をあやすように言うが、胡散臭過ぎて嘘だとわかる。
「青野、弱いの?」真次郎が向き直って訊いてくる。頭をくしゃくしゃと撫でる。
「そんな訳ないだろ」そう答えると、真次郎が身体を寄せた。
「いやあ、ベンの弟くんは結構ビシバシ言うんだね、以外だな、兄貴はタジタジだな、なあベン」
 奥山が笑って流す。
「ベン無視かよ」室戸が奥山に詰め寄る。
「室戸君、ちょっと恐いって」奥山がのけ反って避ける。
 その、くだらないやり取りを見て真次郎が笑う。
「なあ、次郎」真次郎にだけ聞こえる様に囁いた。
「え、」と、見上げた真次郎に向かって続けた。
「お前は、俺以外にも言っていいんだぞ」
 真次郎が見つめている。
「誰にでも、何言っても、言いたいこと言って良いんだからな」
 真次郎は言葉を飲み込むようにしてから、ゆっくり俯いて、小さく「うん」と言った。
「おい、ケーキ食おうぜ、ベン、皿。次郎、主役だからお前2つ食べていいからな」
「ほんと?」
「イチゴのやつ1個は俺のな」
 奥山が奥から皿を持ってきてケーキを盛り分ける。
「次郎、どれにする?」
「じゃあ、これ」
「あー、それは、ダメ、俺の」
「ずるいよー」
 やりとりを見ていた室戸が細く笑う。
「なるほどねー」
「何が」
意味深な室戸の言葉に口を尖らせる。
「いやあ、べつにー」
「なんだよ」
「いやいや」
「なんだよ」
 真次郎がケーキを頬張って笑う。6年生にしては幼い笑顔だが、とにかく楽しそうだ。

9,回転

「おいおい、スゲー事になってるじゃん」
 なんだかんだと、しばらく室戸に連れ回されていたから、久し振りに奥山の家に来てみて驚いた。門扉を隠すように繁っていたツツジだかサツキも、しっかり刈り込まれて生垣のようだ。高く伸びた夏椿も、上に伸びた枝や枯れ枝を除いてあり、風の通りが良くなって緑の葉がきらきら揺れている。幾つか丸い蕾があった。もうすぐ咲くのだろうけど、確か夏椿は、朝咲いたら夕方にはもう散っちゃうと、植木屋だった、死んだ祖父ちゃんに聞いた事があった。儚い一日花だって。平家物語に出て来る木なんだと言っていたけど、当時は何の事だかさっぱりだった。ヘイケ、ゲンジくらいは耳にしていたけれど。
 つい最近、学校で平家物語を国語の授業でやったところだ。物語の中の沙羅双樹が夏椿の事だと、祖父ちゃんが言っていた事を思い出した。栄華を誇った平家が没落していく儚さを、一日で散っていく沙羅の木に擬えたのだと。
 こんなに庭木がきれいに手入れされているのを、これまで一度も見た事がなかった。一度も手入れした事が無い訳ないのだろうけど、変わり様に驚いた。コニファーだか、洋風な木もある、新たに植えたのだろう。
 何より驚いたのは、庭の端にプレハブが建っていた。簡易的な事務所を置くとも思えないから、勉強部屋の体だ、いわゆる離れだ。
 母屋に当たる建物の辺りに動く影があって一瞬ドキリとして足を止めたが、しゃがんで植木を弄っていた、ステテコ姿の奥山の親父さんだった。軽く小さい会釈をする。鋭いというより、冷たい目が合ったが、すぐに外される。顎をクイっと上げて、プレハブをを指す。
 プレハブの窓が開いているので近づいてみると、ちょうど扉が開いて真次郎が飛び出してきた。
「よう、次郎」
 軽く手を出すと、真次郎がその手を叩き、横をすり抜け「じゃあね」と残して行ってしまう。
「何だよ」と、背中に向けて溢したら、奥山が窓から顔を出した。
「友達とゲームするからって、ソフト持って行ったよ」
「友達かよ、じゃあ、しょうがねえけど、素っ気なくないか」と、不貞腐れてみせる。
「最近、野球のクラブ入ったらしいから、友達増えたみたいだよ」 
 そう聞くと安心する。友達の影が見えた事が無かったら気にはなっていた。出遅れた分いっぱい遊んだ方が良いに決まっている。まあ、俺なんかと遊んでる場合じゃないわな。なんて巡らせていた。
「小学生に袖にされていじけてないで、入れば」
「なんだそりゃ」と、鼻頭に皺を寄せ「てゆうか、どうなってんだよ」
 ドアを開けてプレハブの中に入る。靴を脱ぐ小さな三和土があり、8畳ほどの広さに薄いカーペットが引いてある。テーブルの上にはまだ片付いていない荷物が積み上げてある。
「おー、凄いじゃん。ベッドあるじゃん。で、どうなってんのよ、急に」
奥に据えてあるパイプベッドに腰掛けて訊いた。
「ホントに急だよね、最近、庭を片付けてるなと思ってたけど、一昨日学校から帰ってきたらプレハブ建ってるから驚いたよ」
 奥山が半笑いで、呆れたように説明するけど、まんざらでもない様子だ。本棚にマイコンの古い雑誌を仕舞ながら続ける。
「まあ、理由は前から徐々に聞かされたっていうか、明かされたっていうか」
 はっきりしない言い回しを聞いていると、扉がノックも無しに突然開いて、親父さんが入ってきた。
「マサ、飯食いにいくぞ」
 視線を定めずに早口で言う。
「え、いいよ」
 奥山はあからさまに嫌な顔をするが、強くは断らない。
「いいから行くぞ」視線をこちらに向けて「お前も」と、不意に素っ気なく言われて、自分を指さして間抜けな顔をする。奥山は春彦が一緒ならいいか、と妥協した。
 外に出ると門の前に、小さな車が止まっていた。ステテコから甚平に着かえた親父さんが助手席に乗り込んで、後ろの席に乗るように促される。
「こんにちは」
 車に乗り込むと運転席の女性が挨拶をしてきた。
「どうも・・・おじゃまします」
 調子外れの挨拶をかえした。奥山のお母さんかな、とも思ったけれど、それには少し若い気がした。
「まーくん、片付け終わった?」
 運転席の女性『小母さん』は、奥山に声を掛けて、車をゆっくり発進させた。
「まだ、今やってたんだけど」
「そうなんだ、ゴメンね、明日から母屋の手直しに業者入るからね、母屋の荷物は出しておいてね」
 声は甘く優しかったが、笑っていない.斜め後ろからは、そう見えた。ウインカーをカチカチさせながらハンドルを切って曲がって行く。奥山の返事はカチカチに消えるほど脆弱な返事だった。そのやりとりを聞いていて、どんな関係性なのか察した。きっと、正解なのだろう。大人ってのは大概は子供に説明しないから、子供はなんとなく察する能力が鍛えられる。それでプレハブか、声に出しそうになって慌てた。なぜ俺が居るんだ。
 通常、庭にプレハブ部屋とかを建てる場合は、極力母屋に近づけて建てるし、母屋との出入りにも屋根を架けたりする。奥山の家の場合は庭の端、母屋から一番離れた場所だ。とは言っても、広い敷地があるからで、狭ければ嫌でも並び建つ事になるのだけれど。
 雨が降ったらトイレの度にけっこう濡れる事になるほどの歩数が必要だ。逆に、それだけ離れているのは嬉しくもあるだろうけど。
 前の席の二人は、道中会話をしていたけれど、あまり聞こえなかったし、興味も失せていた。会話と言っても、親父さんは返事するだけだった。これから外食に行くという車の中は盛り上がっていなかった。
 国道沿いの回転寿司屋に入った。自慢じゃ無いが、回転寿司なんて片手で余るくらいしか行った事が無かったので興奮した。
 テーブル席に座って、初めて面と向かって顔を見た。親父さんの顔をちゃんと見たのも初めてだった。奥山似つかず大柄で、テーブルから足をはみ出して座り、足を揺すっている。居心地が悪そうだ。小母さんは、テーブルに備え付けの湯呑を押し当てる蛇口でお茶を作っている。明るいところで見るとやはり若い。若いお母さんの家も稀にある。ウチの親で40代半ばで、同級生の大体の家はそのくらいだろう。親父さんはもうチョイと上だろうか。
 最近、五つ上の姉貴が結婚した、19歳だ。もう来年には子供が生まれる。20歳で生んだ子供が14歳になったら、母親は34歳。目の前の女性が何歳かわからないけれど、そのくらいじゃないだろうか。そう考えると母親説も年齢的には無くはない。
 女性の年齢なんてよく分からない。親よりは若いのだろう、化粧がそこまで濃くない。横山先生よりは上だろうか、もっと疲れた感じがする。
「青野、どうしたの」
 さして意味も無い考えを巡らせていて、呆けていた。
「なーに、私の顔の何か付いてるの」
 肩に伸びた髪を揺らして、インスタントのお茶の湯のみをカタンと音を立てて目の前に置いた。
 悪気があった訳ではないけど、観察するようにじっと見過ぎていたようだ。小母さんは、不機嫌そうに唇の片側だけを小さく動かして鼻で笑う。かと思えば、隣の親父さんに話しかけて笑顔になる。
「遠慮しないで、どんどん食べろ」
 親父さんが、視線を合わせないまま言ったのを合図に、レーンを流れてくる皿を片っ端から撮っては、口に放り込んだ。特別に寿司が好きな訳ではないけれど、カエルのシャツの少年が、寿司屋のカウンターで、もの凄い勢いで寿司を頬張るシーンが有名な漫画があって、子供たちは、いつかあんな風に食べてみたいとお思ったものだ。カウンターではないけれど、ここぞとばかりに食べまくった。ちょっとランクは下がるけど、夢が一つ叶った事にしていいだろう、そのくらい食べた。後はマンモスの肉だけだ。
 大人たちは、寿司が流れるレーンの内側の職人と言うより店員に直接注文していたけれど、俺たちは流れて来るのを待った、流れて来るのを取るのが楽しかった、良く分からないネタの皿を取ってしまった時は、奥山が食べた。奥山も負けじと食べて、二人で皿を積み重ねた。
「もういいだろ、そんだけ食えば」
 親父さんが苛立って言った。思いの外に食べるものだから、慌てて終わりの合図を出したが、こちらもほぼほぼ満腹になった。親父さんはブツブツと何かいっていたが、してやったりだった。
 小母さんが小皿にガリを少し載せて真ん中に置いて、お茶を新しく入れてくれた。
「君さあ、何だっけ」
 名前を聞かれたのかと思って「青野です」と言おうとしたら、奥山が先に「青野」と答えた。
 別に聞いていないと言いたげに、その答えに被せて話し出した。
「君さ、その顔の傷、ケンカでしょ」
 汚いものを見る時の視線が向けられる。いつもの事だけれど、毎度気持ち悪い。寿司の味の余韻の上から泥のソースを掛けられたみたいで、堪らずお茶を飲む。
「その制服のズボンも太いよね。とてもまーくんの友達には見えないけど」
値踏みする視線に耐えられずに右上に視線を泳がせた。それが多度悪く見えたのかもしれない。小さな舌打ちが聞こえた。
「あんたさあ」
 あんたかよ、とため息が出そうなのを堪えた。
「まーくん、イジメたりしてないでしょうね」
 今度は堪えられずに言葉が洩れた。
「いじめって」
 ため息交じりに溢した言葉を奥山が拾った。
「美和子さん、そんなんじゃないから」
 めずらしく奥山が強く行ったので、「それならいいんだけど」と、引き下がった。小母さんは、美和子と言うのだと知った。
やはり、とどめを刺したかったのだろうか、堪えきれなかったのか。
「まーくん、友達はよく選びなさいよ」
 何度か『うちの子と、もう付き合わないでくれる』と、言われた事があるけれど、大抵は本人が居ない時にこっそりと刺してくる事はあったけど、目の前で爆弾を投げ込まれたのは初めてだった。それでも、イラっとはするけれど怒りは無い。ただ残念で、もうこの場から離れたいと強く思う。奥山も口を開けて呆れている様だったけど、言葉は出なかった。
頭の中で色々な感情がぐるぐる回る。回るのは寿司だけでいいのだが。
「おい、もういいだろ、行くぞ」
 親父さんは、助けに入ったのか、ただ店を出たかったのか、苛立っていた。
「良くないでしょ、何か問題起こしたって、あたしは知らないからね、関係ないんだから迷惑かけないでよね」
 美和子は早口で言い返しながら席を立った。 
「いいんだよ」
 親父さんは、会計に向かいながら、明後日の方向に言い返した。
 帰りの車は無言だった。重くも軽くも無い、よそ行きの空気だった。そんな空気を嫌って美和子がラジオをつけた。雰囲気は変わったけれど、そのラジオがメロディアスに、悲しみがとまらない、と歌っているのが笑えた。
 
「明日から業者来るし、来週にはあたしの荷物運んでくるんから、中の机とかは今日中に出しといてね」
 美和子は門の前で降ろすと、それだけ言って、親父さんを乗せて走って行った。
 顔を合わせると、二人して大きく鼻で笑った。
「とりあえず、運ぶか、机」
「うん、あと箪笥も」
 夏椿の蕾が風に揺れている。綺麗になった玄関へのアプローチを通って母屋に入った。

「以外に狭いな」
 プレハブ部屋は、最初は広く感じていたけれど、勉強机と箪笥が入ると狭く感じた。
「今度はベッドがあるからね」
 それでも、8畳はあるので広いほうだ。学習机の椅子に座ったままでクルリと回してこちらを向く。
「なんか、悪いね」
「何が」
「いや、引っ越しとか」
「ああ、それな」
 窓から夕闇の風が抜ける、この時間になると流石に肌寒い。真次郎はもう向かいの家に帰っただろうか。
「あのさ、美和子って人、お前の母親なの?」
 椅子に胡坐をかいた奥山がイヤイヤと手を振る。
「違う違う。あれ・・・違うと思うよ」途中で自信が無くなる。
「お前の母親とは離婚してるんだろ」奥山が頷く「どのくらいの荷物か知らないけど、ここに住むって事だろ」
 奥山がゆっくり頷く。
「だからお前はこの部屋に追い出されたんだろ」
 奥山がうなだれる様に頷く。
「この部屋は気に入ってるけどね」
「でもまあ、結婚なんじゃねえの、やっぱり。ていうか、何も聞いてないのかよ」
 奥山が、両手のひらを見せて首を横に振った。
「何にも聞いてないよ、美和子さんに会ったのも3回目だし、ああ、この人ウチに住むんだ、俺の部屋作ってくれるんだあ。って、いつの間にかそういう事になってた。大人っていつも説明してくれないんだよね、だからこっちが先回りして、こう云う事かって考えなきゃいけない」
「本当だよな、大人は説明しない。この前なんて、宇田川の家の前にいたら、宇田川の親父さん帰ってきてさ、いきなり睨み利かして近づいてきたらビンタされてさ「わかってんだろ」とか言って行っちゃったんだけどさ、意味わかんねえだろ、宇田川なんて拳固で殴られてたぜ、あんなのもうヤクザだぜ」
「ちょっと、意味が違うと思うけど」と、溜息をつく「本当に何もしてないの」
「いや、まあちょっと、取っ組み合いのケンカしてたけど・・・怒鳴り合ってたかも・・・よそでやれって、前に怒鳴られたかも」
「やっぱり・・・二度は言わないってタイプだね」奥山が変な所に頷いて話を戻した「でも、流石に結婚したら言うんじゃないかな。お母さんも、何も言ってなかったし」
「そっか、確か、お姉さんと一緒なんだっけ・・・お前は一緒に行こうと思わなかったのかよ」
「踏み込むねえ」と苦笑する「いま、お母さんのところは、アパートで狭いからね。・・・実は、家を建てる事になって、この間、見に行ったんだ、更地だったけど。来年には完成するから、そしたら向こうに行く予定。僕の部屋も図面に載ってたし」
「マジかよ、つうか何処だよ」
 壁に凭れ掛かっていたのを、跳ね起きて座りなおす。
「JR駅から逆方向に徒歩20分くらいだから、ここからだと40分かな」
「じゃあ転校するのか」
「来年は3年生だし、できれば転校しないで通えたらいいんだけど、まだ分からない。同級生は幼稚園から一緒だから、転校とかって、ピンと来ないもん」
 椅子を前後に揺らしている。規則的に椅子が軋む。
「僕が出て行ったら、真次郎は・・・どうするのかな」
 大きく軋ませて、椅子を止めた。
「お前の母親とは、ダメなんだろう」
「うん、無理だと思う」奥山は、足元に大きく息を落として続ける「美和子さんともダメっぽいんだよね。お母さんの場合は、真次郎も小さかったから世話が必要だったのもあるけど、随分と歩み寄ってたっていうか、真次郎を家族として受け入れようとしていたけど、美和子さんは最初から宣言してた」
「なんだよ、宣言って」
「今年の初めころに、お父さんが初めて美和子さんを連れてきたんだけど、連れてきたっていうか、お父さんを迎えに来た時にちょっと寄ったって言って、部屋に来たんだ。その時にちょうど真次郎も居たから寄ったみたいだった。
『どうも、初めまして美和子です。お父さんの友達なの、よろしくね』
 部屋に入るなり、わざわざ膝をついて、笑顔が優しそうだったよ。僕は呆気に取られて返事も忘れていたよ。
『君が昌一君ね、お利巧そうね、美和子よ、覚えてね、まーくん』
 そう言われて、嫌な気はしなかったから『はあ、よ、よろしくお願いします』って、間抜けに答えたよ。
『君は、真次郎くんだっけ?』
 美和子さんは真次郎にも話しかけてくれたん、でも真次郎は駄目だった。
『おばさん、何しに来たの』って、目を細めて言ったんだ」
「うわあ、次郎ちゃん、やるねえ」
「やるねえ、じゃないよ、美和子さんは笑顔こそ崩さなかったけど言葉は攻撃していた。
『真次郎君は、亡くなったお母さん以外の人は受け入れないマザコンなんだってね、安心して、私はあなたの母親になるつもりは無いから』
真次郎は、母親の事言われて悔しそうにしていたよ、唇をぎゅっと結んで俯いてた。
『私、子供苦手なの、ごめんね』
 美和子さんは、更に攻撃してきた。部屋の外で待っていたお父さんが『おい、』って止めたんだ。美和子さんを廊下に出して、言い合いってた。なんでそんな事言ったんだ、とか聞こえたから、お父さんが宥めて、真次郎に謝るように言っていたみたい。
真次郎は自分の名前が聞こえて、自分の事で言い争っているのが堪らなかったんだと思うよ、耳を塞いでテーブルにうっ伏せたよ。
『嫌よ、子供の面倒はみなくていいって約束でしょう。だから寄りたくなかったのよ』
 美和子さんが声を荒げたのを、真次郎が聞いていなければいいんだけど。結局は、お父さんが僕らに美和子さんを紹介したかったんでしょ。たまたま二人揃って居たから、嫌がる美和子さんを、半ば無理やり僕らに引き合わせたんだろうね。でも、そんな簡単じゃなかった」
 その日の出来事を思い出しながら説明した奥山は、ため息交じりだけど、まんざらどころか、してやったりの顔に見えた。
「お前はどうなんだよ、美和子って人、いいの?嫌なの?」
「是も非も無いよ、どうでもいい」笑って答えていたけど「どうせ短い付き合いだし」強がりにも聞こえた。
「じゃあ、真次郎はずっと、迎いの叔父さんのところって事になるのか」
「それでも良いと思うんだけど、叔父さん家だって、娘とか大きくなったら、いま真次郎が使ってる部屋とか娘が使うんじゃないかな」
「そういう問題も出てくるわな」
 ため息しか出ない。壁に背中を預けて伸びをする。外の宵闇に窓から部屋の灯がすこしばかり漏れている。そのせいで、薄明るい場所の先に、暗い闇があるのだと思い知る。まったく先は暗いのだ。
「来年、僕がお母さんの所に行ったら、この部屋を真次郎が使えばいいと思うんだけどなあ」
「おお、それいいじゃん」思わず声のトーンが上がる。
「美和子さんと、上手くやってくれればいいんだけどね」
「結局そこか」
 壁に音を立てて凭れ掛かる。奥山も椅子の背もたれに凭れる。
「青野くらいだよ、最初から真次郎が懐いたのって」
「生意気だからな、次郎は。・・・ホントにお前の所はいろいろあるなあ」
「こういうのってさ、大人たちが考える事だよね、なんで僕らが考えないといけないんだよ」
 奥山が興奮して、椅子が軋んで揺れた。プレハブ部屋は頑丈なようで、その程度ではびくともしない。その程度の声では大人は動かないのかもしれない。大人ってのは自分の事で手一杯で、大抵は何もしないものだから。
「僕の家の事、けっこう見られちゃったけど、青野の家はどうなの」
「俺ん家?俺ん家は、いいんだよ」
 奥山は聞きたそうだったが、胡麻化した。もう窓から入る風が冷たい、立ち上がって窓を閉め、付けたばかりのカーテンを閉めて、目の前の闇を消した。

10、非日常茶飯事

「やあやあ御木本君、またあったね、塾の帰りかい。受験生は大変だね、俺もだけど」
 青野春彦の白々しい言葉にも、少し顔を綻ばせる御木本良太だけれど、つい先ほど見た光景が気になっていて、そうも、にこやかには出来なかった。
「また乗せてってくれる?」
「うん、いいけど」
 そんな気も知らぬ春彦は、帰りのバス代が浮いた分だけ浮かれていたけれど、御木本の様子に気づいた。
「ん、どうした、何かあったの?まさか、俺を自転車に乗せるのが嫌なの?」
 大袈裟に悲痛の面持ちで御木本に詰め寄る。
「ち、違うよ、そんなんじゃないよ」と、のけぞって春彦を躱す。
「良かった良かった」と、笑顔で自転車の荷台に乗り込む。御木本はペダルに足を掛けて踏み出そうと、足に力を入れたけど、どうしても気になって、その足を止めた。
「ん、どうした」走り出すかと思ったら急に止まったので、御木本の背中をポンと叩く。
「あ、青野君さあ、ベンちゃんの弟いるでしょ」
 御木本が遠慮がちに話し出す。
「ああ、次郎だろ、そういえば、この前一緒に帰るときに会ったよね」
「あ、うん、その弟くんなんだけど、先輩とかと付き合いあるのかな」
「先輩って、そりゃまあ、俺も一応せんぱいだし」
 春彦は要領を得ない歯がゆさを感じながらも答える。
「うん、そうなんだけど、もっと上の、高校生とか」
「え、何よ、御木本くん、どうゆう意味よ」少しだけ苛立ちが零れ出る。
「ご、ごめん、さっき、弟くんみたいな子が、高校生くらいの人といたんだけど、その、随分と派手なっていうか、素行が良くはないっていうか」
「悪そうな先輩といたって事」
「そう、そうなんだ、小さい町だから川名の先輩なら大体は顔わかるんだけど、見たこと無いから・・・見間違いかなとも思ったんだけど、仲が良さそうには見えなかったから気になって」
 春彦が不意に自転車を降りて御木本の前に廻る。
「ちょっと詳しく教えてよ」
 いつも御木本に話しかけてくるような気さくで明るい感じは無かったけれど、頼もしさが溢れていて、不安が薄まっていくようだった。
「塾が終わって、建物の裏側の自転車置き場に居た時なんだけど、その、柄の悪い人たちががいて、絡まれないようにと気配消してたんだ」
「御木本くん気配消せるの、忍者じゃん」
「揶揄わないでよ。派手で目立つ人達だったから、そのい3人組に付いていく、不釣り合いな小さい子がいたんだ、よく見たらそれがベンちゃんの弟くん」
「次郎ね」
「うん、次郎君だったんだ。気になって帰る振りして付いていくっていうか、同じ方向に歩いていったんだけど、すぐ先のパチンコ屋さんの上のビリヤード場に上がって行っちゃった。流石にお店の中まで見れなくて、僕は入った事も無いから。見間違いかなとも思ったんだけど、背中押されて歩いてたし、気になったけど、諦めて自転車押して歩道を歩いてたら、青野君に会ったんだよ」
「御木本君ありがとう。ちょっと行って見て来るよ、パチンコ屋の上のビリヤード場だね、また今度自転車乗せてね」
 そう言って笑うと、春彦は緩い坂をパチンコ店に向かって行ってしまった。そこまで大きな身体ではないのに、その背中は大きく頼もしく見えた。僕も、と言いかけて口を噤んだ。僕なんかが付いていって何になるんだ、邪魔なだけだ。でもあの、派手なシャツを来た人達は、店の中にも仲間がいるかも知れない。背中に大きく漢字で何か書いてあったけど、読めなかった『なんとか王』だったか、上下黒の服装からして威圧感があった。青野君・・・大丈夫だよね。
 梅雨が明けてからは、一気に気温が上がって、夜でも昼間の蒸し暑さが残っている。
シャツの下が汗ばんで気持ち悪い。建物の間から風が吹いて街路樹を揺らす。気持ちのいい風だけど、不快感は拭えない。気持ち悪いのはシャツの下だけではないのだろう。
「お兄ちゃん」
 聞きなれた声で我に返った。
「どうしたの、鳴きそうな顔して」
 急に妹が目の前にいて驚いた。誰かと居る時などは決して声を掛けてこないので、外で妹と話すなんてめずらし事なのだ。
「沙希、なんだ、お前も塾終わったのか」
 妹は、兄の僕と同じ塾が嫌で違う塾に通っているが、塾の終わり時間なんてほとんど同じなのだけど、何の気なしに訊いてしまった。
「終わってから、友達と話し込んじゃって遅くなっちゃった」
 対して遅くなってないのに、真面目な子だなと、感心する。改めて見ると、手前みそだけど、本当に可愛い妹だ。美人という訳ではないけれど、小さい時はいつも僕の後を付いて来る可愛い子だった。昔から何でも僕の真似をするから、僕が中学に入って塾に通いだした時も、泣いて愚図って、小学校のうちから塾に入った。最初は同じ塾がいいって入ったのに、塾に通いだした頃から、あまり真似をしなくなった、というか、話さなくなっていった。兄離れって言うのだろうか。あれは悲しかった。そうだ、青野君に会わなくて良かったと、ホッとした。ホッとして胸が傷んだ。
「どうしたのお兄ちゃん。具合い悪いの」
 沙希が顔を覗き込んで訝しむ。
 もしも、連れられていたのが次郎君じゃなくて、沙希だったら。僕はどうしただろうか、いや考えるまでもない。
「沙希、お前バスか」
「え、そうだけど」
「お前、僕の自転車で帰ってくれよ、頼む」
 沙希の前で手を合わせる。
「いいけど・・・お兄ちゃんは」
「ちょっと塾に忘れ物したから」と、言いながら自転車を沙希に手渡す。
「忘れ物って、カバンはカゴに入れたままでいいの?ちょっと聞いてる?」
「大通りで帰れよ、裏道使うんじゃないぞ、暗いから」
「もう、わかってるよ」沙希が不機嫌に返す「早く帰らないと、お母さんに起こられるからね」
 走って道路を横断した背中に沙希の小言が追いかけてきた。
 坂を駆け上がる身体を、初夏の夜風がぬるっと撫でて過ぎた。
 
 緩い坂の上に、派手なネオンで辺りを一際明るく照らしている店が見える、パチンコ店だ。駆けていた足を緩め、呼吸を整えてゆっくり歩く。
店の前を通る時に、自動ドアが開いて客が出入りすると、店内に大音量で流れる音楽と、けたたましい電子音が、くるくる回る光と一緒に流れ出て、人が行き交う駅前通りを非日常が染ようとするが、ドアが閉まると消える。実はこの音も含めた街の音が日常で、ただ知らないだけなのだ。今、御木本が、取っている行動こそが非日常だった。塾の帰り道以外の行動なんて、すぐ下の本屋に寄るくらいだけど、ちょうど閉店時間なのでほとんど寄った事がない。学校の帰り道も同じく、いつもと違う行動何て取った事がなかった。一歩が踏み出せないのだ。
この前に、一歩踏み出して、青野君を自転車に乗せて帰った事から、次郎君と会って、今日に繋がっている。非日常だ。「青野君にとっては、日常なのだろうか」と、一人ごちる。
青野が、日常茶飯事だよ。そう言ったのが聞こえた。
 御木本は、パチンコ店の前を通り過ぎて、脇の通路に入る。表と違って薄暗いが、景品交換をする客がいたりで、人影が無いわけではない。この通路は、建物の一本裏手の道に通じるので、昼間などは御木本も通ったことはあったが、夜には初めてだった。どちらにせよ、この通路に並ぶ者たちには、内心では周囲に垂れ流すほどに歓喜している者と、対照的に破裂しそうな負の感情を押し殺している、対の感情が混ざって独特の雰囲気を持っている。これがギャンブルというものなのだろうが、御木本には嫌悪感しか無かったので、ここを通るのは気が進まなかったが、この通路の先の建物の反対側に二階へ上がる階段があるので仕方がなかった。塾の方から裏通りに周って反対から来るべきだったか、とも考えるが、塾まで下ってから裏に行くよりは、やはりこっちの方が早いので是非もない。苛立ちをまき散らして列に並ぶ客を横目に、通路を裏手に進む。
 階段を上がらずに、そのまま一度裏通りに出る。塾から最初に次郎君を見かけて付いていった時に、気になるものを見たので確認したかった。
 パチンコ店の裏手には小さな裏口を挟むように、建物に沿って自転車やバイクが並んで停めてある。その中の一台の原付バイクに、探していた物を見付けた。
 原付バイクのサイドカバーに毒々しいステッカーが張ってある。
 崩れた漢字で「赫・耶・王」読めないけれど、あの連中のシャツに描かれていた文字だ。
「あった」
 思わず声を漏らした。おそらく、連中の原付に違いない。これが駐輪しているって事は、中に入って行ったのは間違いなく、まだビリヤード場にいる可能性が高い。
 階段の下まで行って、上の様子を覗ってみる。騒ぎが起きてる様子はないけど、ここからじゃわからない。
 やはり中へ入るしかないと、決心するが、気持ちと裏腹に足が竦(すく)んで動けない。自分がこんなに臆病だったのかと、再認識する。青野君は中にいるのだろうか、やっぱり危ない事になっているんだろうか、僕が行ってどうなるだろうか、弱気な思いに飲み込まれそうになって、強く目を瞑り、大きく見開いた。震える足を一つ叩いて階段を一段、また一段と、登りだした。
 数段登って、ふと次郎君が視界に入った。階段の下の通路を、僕が来たのと逆に通って行った。慌てて階段を折りて追いかける。通路の先に後ろ姿あった、やっぱり次郎君のようだ。
 その背を追おうと駆けだすと、建物から出てきた中年の客とぶつかってしまう。
「いてーな」苛立ちをかくさない、父親ほどの客に「すいません」と頭を下げ、通りへ出た。周りを見渡す。右か左か、これもギャンブルかなと、少し緊張が緩んだ。左を見る。パチンコ店を通り過ぎて駅の方へ歩いている次郎を見つけた。
「次郎君」大声で呼んでいた。
人の名をこんなに大きな声で呼んだ事があっただろうか、きっと無い。しかし、そんな御木本の渾身の叫びも届かずに、歩みを止めない。
 走り出して叫んだ「おーい、次郎君、次郎君ってば」流石に次郎が足を止めて、キョロキョロとするが後ろは向かない。それでも、足を止めたお陰で追いついた。
「次郎君」
 肩を掴んで声を駆けると、真次郎は反射的に振り向いて、息を切らして下を向いている御木本を訝し気に睨む。
「次郎君、やっと追いついたよ」息を整えた御木本が改めて言うと、怪訝に思っていた真次郎が知った顔に気付いたようだ。
「あれ、こ、コンバンハッス。御木本沙希のお兄さんですよね」
「ああ、覚えてくれてた、よかった」
「それは、まあ。ど、どうしたんですか」
「え、いやあ、その、じ、次郎君を見かけたから」
 次郎がキョトンとしている。それはそうだろう、共通点なんてほとんど無いし、髪の毛も、この前見た時よりも茶髪が金に近づいている。体系は同じくらいだけど、ジャンルは真逆に行こうとしている。
 街灯の明かりに照らされて次郎の髪が光って、ブロンドのように見えた。
「それは、どうも。でも、俺、次郎じゃないんですけど」
「えっ?」
「次郎じゃなくて、真次郎なんですけど」
「ええ、だって、青野君が」名前を間違えるなんて、失礼千万、自分の皮相浅薄さが情けないけど、青野は確かに次郎と言っていた。
「あの人は、前からそうなんですよ」
「ご、ごめんね、真次郎君。でもなんで、青野君は次郎って呼ぶんだろう」
「さあ、何でだったか、お前はシンなんていらねーって。可笑しいですよね」
 真次郎が破顔して笑顔を見せた。髪の色に似合わない幼い笑顔だ。いや、逆に似合っている。まるで洋画に登場する子役のようだ。
「青野君らしいね」つられて笑顔になる。
「いつか、あの人に認められて、真次郎って呼んで貰えるといいんですけど」
 真次郎が照れくさそうに後ろ髪を弄る。なるほど、自分を棚に上げて、その幼い笑顔の華奢な少年を見て、青野が心配して飛び出していく訳だなと、ひとり納得する。
 自然と二人並んで歩き出す。並ぶと御木本の方が少しだけ背が高い。華奢に見えるのは僕と同じで筋肉が付きにくい体質なのだろうか。
華奢な体格がコンプレックスで、密かに筋トレに精を出していた時期があったが、あまり効果が無いので本を読み漁って調べた事があった。薬指より人差し指の方が長いと、胎児期に浴びる男性ホルモンの量が少なかったせいらしく、これだと中々筋肉が付きにくい。いわゆるホルモンシャワーだ。これは性的指向や物事の考え方にも影響があるらしいけど、今のところはピンと来ない。他にも、薬指が長くても、遅筋線維の割合が速筋線維より高いと、筋肉が付いても付いていないように見えるらしい。薄明りの中、真次郎の手を見ると、どうやら後者のように見えた。少しホッとして、羨ましい。
「どうかしました」
 真次郎が不思議そうな顔で訊いた。じっと見過ぎていたらしい。
「あ、いや、真次郎君、手が大きいから、きっと背が伸びるんだろうなって」
「そうですか、そんなに大きくないと思うけど、皆みたいに背伸びないし」
真次郎が手のひらを広げて見せる。本当は手の大きさと身長は関係ない。身長が伸びると、一緒に手も大きくなる。それが成長なんだ。
「見て、僕の手なんて、ほら」
 真次郎の手よりも一回り小さい手を開いて見せ「ね、真次郎君は、これからだよ、これから」
 一瞬間があって「そうだと良いんですけど」と、遠慮気味に微笑んだ。勝手に秘密を明かしたような気になって親近感を持った。真次郎も同じような悩みを持つ者同士として、僅かにだが打ち解けてくれた気がする。
「青野君なんか『女子みたいにキレイな手だねえ』って、いつも言うんだよ、失礼だよね」
「失礼、あの人、失礼なんですよ」真次郎が笑う。青野の話題になると嬉しそうだ。青野が大好きなのが良く分かる。
「そうだ、青野君見なかった」
「えっ、青野先輩いるんですか」
 思わず喜んだ後に、気まずそうな表情を見せた。
「ガシャーン」
 突然、すぐ先のテナントビルから音がした。何かが割れたのか、金属が転がるような音もした。
 真次郎と顔を見合い、ハッとする。どちらともなく、街灯の薄灯りが照らす歩道を、非日常へ走り出した。

11,小さなヒーロー

 夜だっていうのに蒸し暑いな。肌に張り付く開襟シャツをクイっとが引っ張るがさほど変わらない。青野晴彦は、爽やかとは行かない初夏の夜道を急いだ。
 御木本が言っていたパチンコ店の上のビリヤード場は、行った事は無いけど、場所は知っていたので直ぐに分かった。
 階段を登ると、スモークフィルムが張られたガラスウォールの並んでいる。照明が薄く点っているけど、外からは中の様子は分からない。
 ガラスウォールの並びに大きな木製のドアがある。躊躇せずに扉を開けて店内に入った。
 中はかなり広く、数台のビリヤード台が間隔を取って並び、控えめな照明がビリヤード台の緑色を照らしていた。
 3組程が各々プレイしていて、プレイヤーが突く度に球が弾かれる小気味いい音が、控えめなBGMに乗って聞こえた。
 真次郎の姿を探して、店内を見渡していたら声を掛けられた。
「入口で何してんの、プレイするならこっちのカウンターね」
 台が並ぶホールの対の端にあるカウンターに、店員が見たので近づいて行く。L字に延びたカウンターの奥まった所にテーブル席が幾つかあって、そこに柄の悪そうな連中が足を投げ出して居座っているのが見えた。あれが、御木本が言っていた連中だろう。
「高校生?中学生かな、制服じゃあ後一時間くらいで駄目なんだけど、まあいいか」
 長髪を後ろでまとめて髭を貯えた店員が、面倒臭そうに言った。
 奥のテーブルに目を遣る。真次郎の姿はない。何人だ、イチ、ニイ・・・4人か。
「人を探してるんだけど、背の低い中学生の男子、来てないっすか?」
 奥のテーブルに聞こえる様に訊いた。長髪の店員がチラリと向いた。
「いや、来てないよ」と、淡々と答えた。
 テーブルの奥から二人が出てきて、そのまま店を出て行った。
「どうするの、兄ちゃん、やるの?」
 長髪の店員が、苛立ちを隠すように急かす。
「いや、もし来たら早く家に帰る様に言っといて貰っていいすか」
「あいよ。つーか君もだろ」
 長髪が口髭を歪めて笑ったのを後にして店を出た。
 冷房の効いた店を出た瞬間にムッとしたけれど、慌てて階段を降りて、先に店を出た二人組を探す。裏通りの坂を下っていく後ろ姿を見付けた。
「ちょっとちょっと、すいませんせーん」
 馴れ馴れしく走り寄ると、二人は声に気付いて振り返り、睨みつけて待ち構えていた。
「あー、すいませんね、友達探してるんだけど、背の小さい中学生。知らないっすか?」
 二人は、上から下へ、また上へと、舐めるように見た。首が痛くないのかと思う程に振って。
「あン、知らねえよ、なんだお前、中坊か」一人のデカいリーゼントが粘っこく言うと、もう一人の茶髪リーゼントも似たような口調で続けた。
「中坊は、早く帰って、とっとと寝とけよ、コノヤロウ」
「でもさあ、あんた等が一緒にいるところ見たっていうんだよね」
 二人が目を合わせ、一瞬の間、遅れてから凄んだ。
「知らねえよ、コノヤロウ」
 車のライトが近づき三人を照らす。すぐ横を、こちらに当たらない様に避けながら徐行して通り過ぎた。
「ちょっと来いよ」首をしゃくって、雑居ビルの入口を指す。確か、半地下に降りる入口で、店舗用だからいつもは閉まっていたはずだった。
 正規の入口は表通りからで、この半地下のテナントに入っていた店は、少し前に閉店していた筈だ。
 人の目を嫌って場所を移すのだろう。ということは、結局、荒事になるのかと、小さく溜息を落とす。
 二人組がドアを開けて先に進む。溜息をついて後に続く。
「お前何なんだよ、付回しやがって」
 半地下の閉店したスナックの前の通路で向かい合った。
「付け回しちゃいないって」鼻で笑って見せ「探してるだけっすよ、奥山真次郎って言うんだけど、知ってるでしょ」
 ドデカリーゼント頭が思わず「知ってたらどーした、コラ」と、凄む。
「やっぱ、知ってるんだ」
 ドデカ頭が仕舞ったという顔を、慌てて打ち消すように吠える。
「テメっ、誰だと思って粋がってんだ、コラ」
「おい、バカ」
 茶髪頭が、余計な事言うなとばかりに、制する。
「で、どこの誰なの?」
 すかさず訊き返したが、ドデカ頭が言葉に詰まると「うるせえコノヤロウ」と、胸倉を掴み掛って来る。掴んだ拳が顎を押し上げる。
「いたい、いたい」
 両手を上げて、抵抗の意思が無いのを示す。無抵抗と分かると更に強く推してくる。
「なんだあ、ビビってんじゃねえぞ、シャバ僧が」
 身体を揺すられながら『真次郎が戻って来たら絶対コロス』そう唱えていた。連中と一緒かもしれないし、どういう関係かも分からないからと、春彦にしては冷静に対応していた。
「いや、だから奥山真次郎を探してるだけだって」
胸倉を小突かれながらも紳士的な対応している。我ながらと、ちょっと悦に入っていた感もあった。
「知らねえって言ってんだろが」
 ドデカ頭の右拳が、左頬を打ち抜いた。少しくらい殴られても仕方がないと思っていたけれど、構えていなかったからか、結構効いた。
「痛えなコノヤロウ」
 殴られて崩れた反動で、右で殴り返す。ドデカ頭は、春彦が無抵抗だと油断していたのでモロに受け、掴んでいた手を放して一、二歩下がった。ドデカ頭が殴られた驚きと、衝撃で左頬を抑える。
「てめえ」
「あ、ごめんなさい。違うんだ」
 やってしまったと、慌てて弁解するが、ドデカ頭は逆上して殴り掛かって来る。
「だから、ごめんて」
 そのドデカい頭に血が上った右ストレートを躱すと、勢い余ってつんのめり、足を引っ掛けて派手な音を立てて転んだ。
「もう、謝ってるのに、大丈夫?」
 転がるドデカ頭に声を掛けた、その時に、視界の端に何かを投げる仕草が見えた。耳元を、ビュンと何かが飛んで抜けた。
「ガシャーン」
 すぐ後ろにあった、スナックの古いスタンド看板が割れて、「カラカラン」っと金属性の物が転がった。
 鉄パイプだ、耳を擦めたのは鉄パイプだった、茶髪頭が投げたのだ。顔を狙って投げたのか、それとも顔に飛んでしまったのか。鉄パイプなんて頭に当たったら死ぬ事も有り得るというのに。
「おいコラ、いい加減にしとけよ小僧」
 茶髪頭が、低く押し殺した声で言う。なるほど、ドデカ頭とは違うさすがの貫禄だ。こいつは、狙って投げたのかもしれない。
 別にルールがある訳ではないけど、喧嘩では急所を思い切り攻撃する事はしないものだ。出来ない、と言うのが正しい。木刀で思いきり頭を殴ろうとしても、当てる瞬間、力を緩めてしまったり、頭を外してしまうものだ。散々殴っておいてなのだけど、やはり怖いものだ。
 しかし、茶髪頭はそれが出来るようだ。イカレている。
 こんな連中と、真次郎はいったい何を・・・。
 お道化ては済ませられないような、ピりついた空気が流れる。
「お前が言ってるガキか知らねえけど、店に来たガキならとっくに帰ったぞ」
 茶髪頭が、眉を寄せて睨んだままで、静かに言った。
「それはどうも。で、どういう関係なの」
 春彦も目を離さない。目を離したらヤラレると思わせた。
「知らねえって言ってんだろ」
 ドデカ頭が起き上がって来た。三角形の位置で睨みあう。
 射すような目の茶髪頭。ドデカ頭がニヤニヤと不快な笑みを見せる。
「青野くん!」
 不意に後ろから呼ばれて降りむいた。瞬間、激痛が走っった。肩から背中を殴られた。恐らく鉄パイプだ。名前を呼ばれて振り向いたお陰で、肩にずれて当たったのだろう。耳が熱い、当たったのか、痛みが広がっていく、力が入らない、気が遠くなって行く。
やばいやばいやばいやばい、歯を食いしばるんだ。足を踏ん張れ、頭の中で叫んで身体の細部に命令する。動け動け動け。
背中を踏みつけて蹴られ、そのまま地面に倒れた。
 後ろに、もう一人別の奴がいた、そいつに殴られたと気づく。くそっ、っと、起き上がろうとするが力が入らない。
 そうだ、名前。だれが名前を呼んだんだ。誰だ、どこにいる・・・。
「お巡りさん、こっちです、こっち」
 表通りの入口の方で、叫ぶ声が聞こえた。
「お巡りさん、ケガしてる人もいます、早く」
 遠のく意識をなんとか堪えて保ちながら、その必死の叫び声に、思わず笑みが漏れた。 
「クソがあ」
 吐き捨てて、三人が足早に去って行き、足音が遠くなっていく。また近づく足音が聞こえる。
「青野君、大丈夫?凄い血だよ」
見上げると、泣きそうな顔があった。
「大丈夫だよ、まったく、無茶するなあ、御木本くんは」
 御木本の後ろに申し訳なさそうにのぞき込む顔がある。
「おお、次郎、いたか・・・わるい、ちょっと休憩」

 行先表示が赤く光る最終バスの、一番後ろの席に三人並んで振られている。
「バスあって良かったね」
 窓の外を、街灯りというには寂しい夜景が流れていく。バスはほとんど乗客が居なかった。
「まったく御木本君は、良かったねじゃないよ、もし奴らが御木本くんに向かっていったらどうするんだよ」
 耳の乾いた血を気にしながら咎めるが、怒っている訳ではない。
「ごめん、でもあの時は、そうするしか考えられないで、もう叫んでたんだ。だって、放ってなんて置けないよ、と、ともだち、だから」
 御木本が顔を真っ赤にして告げた。
「でも、今になって考えただけで、震えて来るよ」と、小刻みに揺れる小さな手を見せて、小さなヒーローがはにかんだ。
「そうだな、助かったよ、ありがとう。良太」
「えっ、うん」
 良太の頬を涙の粒が流れて、それを隠すようして笑った。つられて笑うけれど、口角を上げると耳が痛んだ。乾いた血が割れて、また血が滲んだ。
「先輩、血が」  
真次郎が手を伸ばして、血を拭こうと頬をつつく。
「いてっ」
つついた方の真次郎が、ビクッと一瞬震わせる。
「痛い、ですか?」
「コノヤロー」真次郎の腹をくすぐる。
「まってまって、先輩」
 笑いが止まらない真次郎は、手足をバタバタとさてもがく。
「まいった、まいりました」
真次郎がケラケラと笑う。
「次郎」
「は、はい」
「何か困った事あるか」
 真次郎が少し目を伏せた。
「だ、大丈夫です」
「・・・そうか。困った事あったら言えよ、俺たちがいるんだからな」
 そう言って、良太を見る。
「うん。そうだね」
良太が力ずよく頷いた。
 真次郎は「コクリ」と頷く。
 バスが大きく揺れて、小気味よい音が鳴り、運転手がマイクで「ツギトマリマース」と、独特な言い回しでアナウンスした。

12,青い春の夏

「先生、青野君がぐったりしてます」
『余計な事言うなよ』
 きのう夜中にやってた、チャレンジャー号爆発事故の特番見ていて、タバコの換気に、窓を開けたまま寝ちまったのがマズかった。記録的冷夏ナメてた。
「何、いつもだろ。どーした青野、夏休み呆けか」
『ほっとけコノヤロウ』
「なんか、顔色悪いですよ」
『そっとしとけヨ、頭痛いんだから』
「熱あるのか?誰か、おでこ触ってみろ」
「嫌だよ、殺されちゃう」
『触ったら殺すって、どんな奴だよ』
「お前触れよ」
「嫌だ、妊娠しちゃう」
『コラ、コラ』
「保健委員、保健室連れてってやれ」
 ガタンと大きな音を立てて立ち上がる。というよりも、ふら付いて大きな音になった。
「一人で行けるよ」黒板の前に立つ教師に吐き捨てて教室を出る。
 教室を出ると中がどっと沸いた。どうせ俺をネタに、くだらねえ事言って笑いを取ったんだろ。
 その笑い声もすぐに消えて、静寂が広がる。
 授業中に廊下を歩く時の、非現実的な感じの静けさは嫌いじゃない。
 ときどき、どこかの教室で教師の冗談に笑う生徒の声が、静かな廊下にまた響いてすぐ消える。
 今年の夏にしては、貴重な晴れ間が窓の外に広がってる。本当なら、夏の終わりの貴重な晴れの日に、じっとしちゃ居られないのだが、ちょっとフラつきながらも辿り着き、暗い顔で、保健室の扉を開ける。
「あら、青野君」
 養護教諭の江崎先生が、生徒の手当をしながら、こちらを振り返える。
 手当てを受けてる生徒意外に、窓際の長椅子にも座っていた。なんだか混んでいる。
 その手当をされていた男子生徒が、「コンチワっす」と、不意に大きな声で立ち上がるから「ちょっと」と、座り直させる。
「なに、またサボりに来たの、今日はちょっと忙しいのだけど」
 忙しくなかったら、サボりに来てもいいのか。とも言いかけたが飲み込んで、「違うよ、頭痛くて」
「えっ、本当に」と、顔を覗き込んで「顔色悪いね、取り敢えず熱計って」
 体温計を受け取って、長椅子にドサっと座わり込む。フラフラする、ちょっとヤバそうだ。
「青野先輩、オツカレサマです」いや働いてないから疲れねーよ。具合が悪いだけ。
「山田、先輩にちゃんと挨拶しろよ」
 手当てされてる生徒が、振り向いて長椅子に座ってる方に喋りだすから、江崎先生に「ほらっ」と、向き直される。
 言われて、長椅子の剃り込み頭の山田とか言う生徒が会釈した。
 いいね、そのくらいの挨拶でいいんだよ「どうも」と、返して、体温計を脇に射して計る。
「はい、終わり。一応、病院で診て貰ったほうがいいから、親御さんに連絡してくるね。あと、山田君だっけ、教室戻っていいよ」
 江崎先生が、腕の手当てを終えた生徒に言って席を立ち、ベッドのカーテンを開けて中に入って行く。寝てる人も居たのかと、初めて気付いた。
「松田さん、ちょっと職員室に行って来るからね」
 そう言って、江崎先生が保健室を出ていく。
「先輩、自分、2年の鈴木ッス。コイツが山田で、2学期から転校してきたばっかりで、よく分かってなくてスイマセン」
 なぜ謝るのか分からないが、その鈴木君が、俺の前に立って話し出した。良く分かってないのは鈴木君でしょ『気お付け』は止めなさいっての。
「鈴木だっけ、腕どうしたのよ」
 どうでもいい事だったけど、目の前に立ってるものだから、聞いてみた。
「いや、ちょっとフザケてたら、階段から落ちちゃいまして、腕やっちゃいました。先輩は、風邪ですか?」
「あっ、忘れてた。5分経ったか?」
「いや、多分まだです。山田と縺れて一緒に落ちたんですけど、コイツは擦り傷くらいなんですよ」
「お前が軟弱なんだよ」と、山田がチャチャを入れる。
「はあ」山田を睨み返して「コイツこんな感じで生意気なもんで、この前、宇田川先輩にぶっ飛ばされたんですよ。よせって、言うのに向って行きやがって、身の程知れつーの」
 確かに、吊り上がった目が、いかにも生意気に見える。しかし、知らない所で、そんな事が起きてたとは。
「あの宇田川に向って行くなんて、根性あるじゃん」素直に思って言った。褒めたつもりだった。
「はぁ、先輩っ、大物ぶって、上から言わんで下さいよ、宇田川先輩には負けてヤキ貰いましたけど、先輩みたいなサラサラ頭の、ただ歳が上ってだけの人にまでナメられたら、アイパーで気合入りまくりの宇田川先輩に、俺が怒られますよ」と、山田が、上体を揺らして凄む。
「山田テメー、誰に言ってるのか分かってんのかよ」鈴木君が言い返す。
「おい、鈴木君」なるべく穏やかに声を出した。
「はいっ」
「5分、経ったんじゃない?」
「ああ、はい、そろそろ」拍子抜けの声をして鈴木が答える。
 体温計を取り出すと、体温で温められてた水銀が膨張して上昇して目盛を刺している。38-2度だ。
「うは」思わず変な声を漏らした。目盛りを見ると急に辛くなってくる。
「先輩、すごい熱じゃないですか、大丈夫ですか」と、鈴木が体温計を見て心配気に言う。
「あれ、仮病じゃねーんすね」と山田は茶化す。
「お前、さっきから失礼だぞ」鈴木が声を荒げた時に、扉が開いて江崎先生が戻ってきた。
「鈴木君、お母さんが、お迎えに来られるから、すぐ帰る準備して、教室の先生に私が説明するから、早く行こう」
「マジっすか、親来るのかよ」と、嫌がる素振りで、「てか、先生、青野先輩すごい熱ですよ」
「えっ、本当に」と、寄って来て体温計の目盛りを確認し、額に手を当てて来る。
「あら、本当だね、青野君、この薬飲んだ事あるかな、飲んで何ともなかった?」と、市販の風邪薬を出して見せる。キョンキョンのヤツだ。見覚えのある薬を見て頷く。
「辛そうだね」と、顔を顰め「とりあえず飲んでて、すぐ戻るから」
鈴木に向き直り「じゃ行こう。ほら、山田君も」と急かす。
「先生、僕は、先輩が薬飲むの手伝います。もうチャイムなって休み時間だし、残ります」
 薬を飲む手伝いって何だよ、とも思ったが。山田の言い訳を受け入れたのか、江崎先生は時計に目をやって「薬飲んでね」と言って教室を出た。
「先輩、お先に失礼します」
 鈴木が、いちいち頭を下げて続いて出た。
扉が、区切りを着ける様に音を立てて閉まり、保健室がシンとなる。
 それを破って、山田が口を開いた。
「鈴木の怪我、実は俺がやったんですよ。揉み合ってて、押したんだけど、俺も引っ張られて一緒に落ちちゃって」と、笑って得意気に話し出した。鼻に付く笑い方だ。
「鈴木も、俺にやられたって、言いたく無いんじゃないかな、転校生にやられたんじゃ、アイツの立場無いっすよね」
 しかし、コイツなんで居んのかな、なんか語り出してるし、誰がやったとか、興味ないんだけどな。
「ちょっと、水くれよ」
「はぁ、嫌ですよ、そんなの自分でやってよ」山田が悪態をつく。
 なんかもう、ぶっ飛ばしちゃおうかなとも思ったけど、身体が怠いので止めておいて、立ち上がって、フラつきながらも隅にある洗面台まで行き薬を飲んだ。
「お前、手伝うって残ったんじゃねーの」手伝うって何、と想いながらも聞いてみる。
「手伝うって何すか、赤ん坊じゃあるまいし、勘弁してよ」やっぱり殴ろうかなと思う。
「俺が残ったのは、あれっすよ、あれ」
 カーテンに仕切られたベッドの方を、顎をクイっと出して指した。
「今、寝てる娘、同じクラスの松田菜穂って娘なんだけど、知ってます?結構かわいいんすよ」乗り出して小声で話してるつもりが、小声になっていない。
 確か、室戸だったか、一個下に可愛い娘がいるって騒いでたのが、松田って娘で、たぶん、あの時の娘がそうだろう。
「クラスの奴が言ってたんだけど、松田って、大学生の男がいて、ヤリまくってるらしいんすよ。頼めば大丈夫じゃねーのって」
 他人の恋愛事情に興味無いけど、こいつの話し方はなんかムカツク。
「実は俺、転校してきて速攻で告ったんだけど、フラれちゃったんすよ。今、チャンスじゃないっすか」ニヤニヤと、卑しく笑う顔はとても卑猥で見ていられない。
「フッた事後悔させてやりますよ」
 クズだなコイツ。まあ、誰と誰がどうなろうと俺には関係ないんだけど。
「先輩も行きますか?」山田がいやらしく笑い、立ち上がりながら「まあ、シャバ僧先輩は黙って見ててよ。つか、高熱でそれどころじゃないか、ハハハ」
 お道化て、ベッドに向かって歩いていく。
「松田ちゃーん、ねてるー?」押し殺した気色の悪い声を出して、カーテンを開けて、中に潜り込んで行く。
「おいっ」背後から呼び掛ける
「なんだよ、あおのっ」と、山田が苛立って振り返たところを。胸倉を掴んで引きずり出しす。
 床に転がされた山田が、急に背後に居た事に驚きながらも、急いで立ち上がる。
「なんだよ、病人がしゃしゃり出てくんじゃねーよ、それとも何、先にやらせろってか、たく、辛抱できねーのかよ」と、山田が声を荒げて、睨みつけて凄んでくる。
 ベッドを囲むカーテンがシャッと開いて、中から松田って娘が出てきた。
「あー、松田ちゃん起きちゃったじゃねーかよ」
 少し長めのスカートの松田菜穂が、レイヤーセミロングの髪を上げて、山田を睨みつける。俺とも視線が交差した。大人びたスタイルの割には、幼さの残る可愛らしさがあった。
 当然、全部聞こえていただろう。この娘は、怖くて蹲ってるだけの娘じゃないみたいだ。
 山田が、松田菜穂に近付いて手を掴む
「松田ちゃん、告白の返事聞かせてよ」
「放してよ、ちゃんと断わったでしょ」
 松田菜穂が、山田の手を振り解いて、身体をすくめる。
「一緒に寝ようよー」山田がまた腕を取る。
「おい、お前」
「だから、何だよ、人の恋路の邪魔すんじゃねーよ、青野」
 確かに、人の恋路は邪魔しちゃいけない。
「お前、さっきアホって言ったろ」だから、因縁を付ける。
「はぁ、何言ってんだよ、言ってねーよ」
「いや、聞いたぞ、アホ野って言っただろ」
「何なんだよ、言ったら何だつーのよ、センパイ、いい加減にしねえとブチ殺すぞ」と、掴みかかって来た所に、ポケットから出した右手で脇腹を叩き、腰を回して刺し上げる。
 山田が「ぐはっ」と声を上げて、上体が折れた所を、右手で頭を抑えて沈ませ、顔面のやや右側を、左膝で蹴り上げた。メリっとした感触を残して、山田が足元に崩れ落ちた。
 そこでチャイムが鳴った、終了のゴングみたいに鳴り響く中で、松田菜穂と目が合った。目を見開いて、両手で口を覆ってこちらを見ていた。完全に怯えてる。気まずい。
 長いチャイムが鳴り終わったと同時に、派手に入口の扉がガラガラっと開いた。
「春彦くーん、調子はどーだーい」陽気な声を上げて、室戸と宇田川が入ってきた。
「ん?どうゆう状況?」
 仁王立ちの俺、その足元に倒れてる山田、驚いて固まる松田菜穂。
 それを見て室戸が「仮病でバックレて、ケンカして、女の子いじめて・・・現行犯だな宇田、逮捕だ」室戸が、俺の手を取って逮捕のフリをする。
 「アホか」と払い除けたら、フラついた。熱があったのを思い出して急に怠さが蘇った。
「ありゃ、こりゃダメだな」室戸が額に手を当ててきて「熱あんじゃん」
「こっちもダメだな、顔がすげえ腫れちゃってるよ、おい、大丈夫か」と、宇田川が山田を揺すると「うぐっ」と小さく唸った。意識はある様だ。
「このかわいい娘は?」室戸が興味深々に訊いて「あれ、松田菜穂じゃん。コンチハ」
 室戸のフルネーム呼びに、小さく会釈を返えす。
「大丈夫?江崎先生来るまで、まだ寝てたら」
 声を掛けてみたけど、引かれてるのか、反応が薄い。それでも、少し落ち着いてきたのか、長椅子に腰をおろした。
「亘高、こいつ連れて行こうぜ、ここに置いとくと面倒になりそうだ」と、宇田川が室戸に声を掛けて山田を担ごうと身体を起す。
「そっち、ちゃんと持てよ」二人掛かりで上半身と足を持って、「じゃあな春彦、こいつ捨ててくっから、ちょっと寝とけよ」
 担いで運んで行こうとするけど、室戸が、長椅子に座った松田菜穂に手を振るから「おい、放すなよ」と。宇田川が文句を言ったりして、もたもたとしていた時に、また扉がガラっと開いて、先生達が入ってきた。
 一瞬、一同に静止したが、室戸が思わず手を放すから、山田が床に落ちて「うぐっ」と声を上げる。
 江崎先生と一緒に来た、学年主任の遠藤が唸った。
「お前ら何してんだー」怒鳴りながら中に入ってくる。
 江崎先生が倒れた山田を見て「ちょっと、どうしたの」山田の前に座り込み「山田君、大丈夫?」と、呼び掛ける。
「お前がやったのか」遠藤が宇田川に詰め寄る。
「あん、知らねーよ」と、突っかかる。
 気付けば、いつの間にか室戸の姿が無い。
 そこで休み時間が終わるチャイムが鳴った。
「ほら、保健室から出ろ」そう言って、宇田川を押し出そうとするが「押すんじゃねーよ」と、つかみ合いになる。、江崎先生が止めに入り、ちょと、ゴチャっとなっている。
 怠くて立ってるのが辛いので俺も長椅子に座った。
 それを見て遠藤が「お前なに座ってんだ」
 と、引かない宇田川からこっちに的を変えてきた。
「おい、テメー」と、興奮している宇田川を江崎先生が手を掴んで抑えている。宇田川は絶対に、江崎先生を突き飛ばしたりしない。
「ほら、立てよ、保健室から出ろ」と怒鳴りながら詰め寄ってくる。
「止めろよ、熱あんだよ」と振り払う。
「嘘をつくな、江崎先生に迷惑を掛けるんじゃない」遠藤も興奮している。
 これが遠藤の本音なのは、大概の生徒の知る所だ。江崎先生に良い所を見せたいのだろう。
「ほら、お前も」と、松田菜穂の腕を掴んで無理やり立たせる。
「何やってんだテメー、その娘は違うだろ」
 立ち上がって、腕を払い除けて、間に入ると、遠藤が平手で頬を叩いてきた。バチンと派手な音が鳴って、ビリっと一瞬痛みが走る。
「ほら、立て」松田菜穂の腕を強引に引っ張っる。
「痛ったい」松田菜穂が声を上げるが「ほら」っと引く。
「おい、放せよテメー」
 松田菜穂を掴んだ遠藤の手を剥がして、彼女から離す。
「おい、テメーいい加減にしろよ」
 押し除けて、松田菜穂を捕まえようする遠藤の左足を外側に左足で払う。遠藤がバランスを崩して、片足のまま左周りで後向きになる所を思い切り蹴り飛ばした。
 後に倒れる所を前に突き飛ばされ、バランスが取れる筈もなく、長椅子に躓いて、隣りのキャビネットの上にあった物をぶち撒いて、そのまま頭からが窓ガラスに突っ込んだ。
 ガシャーンと派手に音を立てる。皆の視線が遠藤集まった。
 遠藤が起き上がろうとするが、上手く動けない、何とか少し上体を上げる。
 血だらけだ。起き上がれずグったりする。
 松田菜穂の悲鳴が保健室に響いて、夏の終わりの貴重な青空に消えた。

13,ミスターロンリー

「あのガキ,ナメやがって、ぶっ殺してやりてえよ」
「気に入られてるからっていい気になりやがって」
「ぜってい潰してやるよ」
「ガキにやられたなんて、恥ずかしくて言えねえよ」
「強いっていったって小僧だろ」
「頭使えよ、あんなガキども潰すの簡単だよ」
「殺してやる」
「潰してやる」
「コロス」
「コロス、コロス、コロス、コロス」

爆音と言える程の単車の排気音が重く低く響く。音が近くなってきた。ババンと小気味よく吹けると店の前に現れて、もう一度ブオンと吹かした音が響いて、エンジンが止まった。
 紫メタリックのタンクが入口の照明に照らされて光る。XJのエンジンから湯気が登って夜の闇に溶けていくのが見えた。
 扉が開いてカランとベルが鳴る。
 パンチパーマの厳つい男が立ち上がると「お疲れ様です」と頭を下げ、「チャーッス」「橘さん、お疲れっス」と、小さな喫茶店の店内に野太い挨拶が飛ぶ。
「おう」と軽く返して、奥のソファー席に、使い込まれてあちこち 擦れて鈍く光る革ジャンを脱ぎ捨てて、ドカリと深く座り込む。その席にサッと近寄る。
「なんだよ、亘高きてたのかよ、もしかして待った」
 リーゼントパーマを揺らして、柔らかい笑顔をみせて笑う。鼻筋の通った顔と、左眉の傷がアンバランスだ。
「中坊が夜遊びかよ、まあ座れば」
 室戸が大きな身体曲げ、小さく頭を下げて向いの席に座った。
 店のBGMにオールディーズが流れている。誰の何て曲だか分からないけど、独特な音質で英語の歌が聞こえる、軽快なリズムはロカビリーというよりポップスだ。
「亘高、また背が伸びたんじゃねー、何センチよ」
「185センチッス」と、無表情で答える。
「橘さん、今日はそういう話しに来た訳じゃないんですよ」
 室戸が静かに告げると、橘恭一が乗り出して、テーブルに頬杖をつく。
「真面目な顔してどうしたよ亘高。らしくないじゃん」
「失礼します」かけ声のように声を上げて、厳つい顔で飲み物を運んで来た。テーブルにカップを置くと深くローストしたコーヒーのスモーキーな香りが漂う。
 コーヒーを運んで来た男が、厳つい顔で微笑んで「室戸も何か飲むか」と訊いてくる。軽く手を上げ目礼で断わる。男は笑って頷くとカウンターに戻って行く。ブルゾンの背中には「赫耶王」の文字が揺れる。
 この前ここに来た時、いや、呼び出されたのはカツアゲの事だった。「まさか、亘高じゃねーよな」そう言われて、その時初めて知ったのだった。
 橘はコーヒーカップを引き寄せ、ミルクをほんの少し入れて、スプーンを静かに回す。コーヒー褐色にクリームが弧を描いて混ざっていくけれど、ミルクが少量すぎてそこまで色が変わらない。
 以前に室戸が、「ミルク少な過ぎて、味変わらないんじゃないっすか?」と訊いた事があった。
「せっかくコーヒー飲むんだから、スプーンで、こう、回したいじゃん。渦巻いて混ざってくのって面白いだろ。飲み込まれて消えていく感じ。飲み込まれた方も爪痕残してる感じ」
 三つも年上の橘が、室戸に子供みたいな笑顔をみせた。その笑顔が猟奇的にも思えて肌がピリついたのを思い出した。
「ただ、ミルクはあんまり好きじゃねーのよ」と、橘は更に笑った。
 コーヒーにミルクが溶けて混ざっていくのを見つめる。元の褐色の上に、不意に乳白色が流れ込んでくる。上手く混ぜれば、何も無かった様な綺麗な色になる。けれど、前の褐色とは少し違う。無かった事には成らない。確かに流れ込んだ。問題は起きたんだ。
 頬杖をついたままでコーヒーを一口飲んで、橘が訊いた。
「この前のカツアゲの事か?あれって、えーっと、ドーなったんだっけ?なあ、ミヤ」
 違う席に座っていた宮本先輩が振り向いた。
「うちの学校の真面目な生徒にカツアゲかました奴だろ、弟がやられたつー奴もいたし。えーっと、だから、南中の小僧が詫びっつーか、来たじゃん。確か、大原とかって奴。室戸くらいデカいの」
「おー、アイツか、来た来た。亘高、知ってる奴?」
「名前くらいは知ってますけど」
 大原と室戸は事ある毎に比べられたので、よく聞く名前だった。5月の連休の件の後で、宇田川が「いつかお前と大原はヤル事になる」とか、根拠の無い事言っていたし、後輩の間で、大原と春彦のバトルが凄かったと、結構な話題になっていたのを耳にしたので、春彦に訊いたところ「あの熊公は俺がぶっ飛ばす」と、そういうのには無頓着な春彦が、珍しく鼻息をあらくしていた。
 その大原が詫びっていうのも考え憎かったけれど、もし本当ならなかなかの筋の通った男だと、いつの間にか、会ったことも無いのに親近感を覚えているのに気付いて少し笑えた。
「だから、その大原が言ってただろ、南中のモンは確かに中坊相手にカツアゲしてたけど、高校生には手出ししていない。とか言って」
 宮本が椅子をこちら向きに変えて、橘に説明を続ける。
「大原ってのも嘘は言ってねーみたいだから、まだ犯人見付かってないんだって。でも、中坊相手だろうが、カツアゲする様な奴はシメとけっ、つーからシメといたけどよ」
「中坊シメたの?イジメじゃん」
 橘がチャチャを入れる。
「お前が言ったんだよ、ヤレって、中坊相手に大勢ってのも何だし、仕方ねえから俺がやっといたんだよ。でも、まー根性あると思うよ。多分、アイツは、関係ないんだろうな。室戸の名前使ってんだから中坊共だろうけどな」
 橘が椅子に凭れ掛けて座り直す。
「亘高は、心当たりがあって来たんだろ、自分の名前使われてるしねー、放って置けないわな」
 室戸は、少し奥歯に力を入れた。そして話し出す。
「見付けましたよ、犯人」
 橘が目つきを変えて室戸を見る。宮本が、他にも数人の視線が室戸に刺さった。
「ほう、で、誰よ」
 橘がゆっくりと訊いた。
「赫耶王のメンバーでしたよ」
 一瞬で店内の雰囲気が変わった。威圧感はあっても友好的だったし、何人も知った顔がいた。それが一変して敵意に変わる。
「なんだとテメー」「もう一ぺん言ってみろコラ」と、罵声が飛ぶ。
 室戸は、心臓が高鳴り、アドレナリンが吹き出そうだったが、この面子に囲まれて凄まれると、流石の迫力だなと、悠長な事を考えたりしていた。
「おい室戸、どういう事だか説明しろ」
 宮本先輩が冷静な口振りで言うが、目は怒っている。
「だから、先輩んトコの山倉ってのと、吉村ってのが、中坊の俺の名前使ってタカリかけてやがったって言ってるんですよ」
 興奮を抑えて言ったつもりだったが、語尾が相当強くなった。
「何だとコラ、クソガキ」ガタガタとテーブルや椅子の動く音と共に怒鳴り声が飛んでくる。
「やっちまうぞコラ」
 今にも飛び掛かってきそうだったが、室戸は、ソファーに深く座って黙っている橘から、目が逸らせなかった。逸らしたら殺られる。そう感じていた。
「おい、吉村と山倉どうしたよ」
 宮本が、殺伐とした空気を遮った。
「今日は見てないです」
 まだ張り詰めた空気は残っている。
「探して、連れて来いよバカ野郎」
 宮本が怒鳴っているのを初めて見た。仲間の事を、ああいう言い方されたのが、よほど頭に来たのだろう。室戸は唾を飲み込む。
 店のBGMが知ってる曲に変わっていた。エルビスのHound Dogが小気味の良いリズムで流れる。
「二人なら、中山駅の裏の公園で倒れてなきゃ、病院じゃないですかね」
「おい、室戸テメー、手え出したのか」宮本がすかさず詰め寄る。
「カツアゲする様な奴はシメとけっ、でしたよね」
 室戸と宮本が睨み合う。
「俺の名前使ってカツアゲするなんざ、何処のクズかと思った、まさか先輩のチームの奴だったとはな」
「テメー」宮本が胸倉を掴み掛かる。
「調子乗んな」振り抜いた右拳が、室戸の右頬に真面に入り、ふらついてテーブルがガタリと揺れる。
「おい、待てって」
 宮本が続けて殴りかかる寸前で、ソファーに座って黙っていた橘が止めた。肩で息をする宮本が橘に向き直る。
「ミヤ」と、小さく頷く。
 大きく舌打ちをして「わかったよ」と、拳を下した。室戸の口の端から少し血が流れた。
「亘高、なんで避けねーのよ、ウチの仲間に手出したケジメのつもりかよ」
 周りがざわつく。橘がそう言うのを聞いて、宮本はハッとする。
「室戸、お前、わざと挑発するような事言ってたのか」
「ミヤ、冷静担当のお前が気付かないでどうすんのよ」宮本を揶揄う。少しだけ空気が軽くなる。
「亘高もちゃんと説明しろよ」橘が優しく窘める。
「すいません」室戸が頭を下げた。
「先輩らの丹波高校の生徒からカツアゲしたのは、南中じゃないってのは分かってたんで、探しました。うちの後輩に地味なの得意な奴いるんですよ、まあ当事者みたいなモンで、必ず探し出すって張り切ってって、時間掛かりましたけど見付けたんですよ」
「それが、吉村と山倉だってのかよ、信じられねーな」
 宮本の怒りはまだ収まりきっていない。
「その二人って、早渕高の1年だっけ?」
「ああ、お前はよく知らねえだろうけど、カツアゲなんてする奴じゃねーよ、礼儀正しいし、それによ、スゲエお前に憧れてるしよ」宮本が興奮して主張する。
 室戸は、以前から思っていた事だけど、この人達は仲間意識っていうか、絆が本当に強い。そう感じていた。
「俺の名前使うくらいだから、金目的じゃないんですよ」
「はあ?金じゃねえって何だよ」
「高校生相手に俺の名前出しても効果無いっすよ、実際、小銭程度しか取ってないんですよ、まあ、金額の問題じゃないけど。まあ、俺が気に入らなくて、誰かに俺を潰させたかったんでしょう。誰かに」
 橘がソファーからゆっくりと立ち上がる。
「亘高、犯人わかった時点でなんで俺らに知らせなかったのよ。理由はともかく、テメーがムカついてのモンに手を出したんだろ」
 ゆっくりと立ちながら近づく橘の視線が冷たく刺さる。室戸は気圧されて返す言葉が無い。
「吉村と山倉だっけ、奴らも、やり方はともかく、お前の事がムカついてやったんだろ、お互い様じゃん。って事はよ」
「恭一」 
室戸に近づく橘に宮本が声を掛けるが、軽く手を上げて答えて、宮本をどけて室戸の前に出る。また、緊張が走る。体格は室戸の方が大きい筈なのに、近づく橘がずっと大きく感じて、重たい空気が圧し掛かる
「希望通り『赫耶王』に手え出したケジメとって貰うかよ」
 橘が左腕を振って、室戸に肩を組んで、室戸に体重を預ける。
「なんてな、流石に中坊にヤラれてアタマが仕返ししたなんて笑われちまうよ。奴らだって恥ずかしいだろ」
 橘が笑って肩を揺する。周りの緊張が解れる。揺すられる室戸は身体を強張らせたままだった。
「まあ、でも亘高も気合入れて来たんだから、そこは汲んどかねえとな、返しとかケジメとか関係なく、俺がムカついただけだから」
 橘が室戸の顔を覗き込んで笑う。
「な、亘高」
 その、子供みたいな笑顔を見て、春彦みたいな笑い方だなと思って、やっと緊張が解れた。その瞬間、腹部に激痛が走った。足に力が入らなくなり身体が沈んでいく。頭が重く視界が黒く染まっていく。
「おい、恭一」
 宮本が声を掛けたと同時に、ドサっと音をたてて室戸が倒れた。
「わりいミヤ、西村と山岡とか、シメといて、その後の事どうするかは任せるから」
 橘が、室戸の腹に打ち込んだ右手をヒラヒラさせる。
「吉村と山倉な。室戸はわざわざヤラれに来たって事だろ」宮本が何で手を出すんだよと呆れる。
「たいした根性だよな」
 室戸を抱え起こそうとする宮本に振り返って笑って「亘高にコーヒー入れてやってくれよ」
「飲めたらな」
 店に流れるBGMのオールディーズナンバーがミスターロンリーに変わっていた。一人戦地に赴いたという男の孤独な悲愛の歌が、静かに流れていた。

14,赫然と輝く

いつの間にか、もう冬服でも暑く無くなった。
 横山から「せめて、帰る時は帰るって言ってってよ」と、言われているので従う事にした。
 流石に、クズな青野でも、この前も遠藤や山田に怪我させてるので、心なしか反省して見せている。『もう問題を起さない』と言うのが、停学が開ける時の約束だった。義務教育なので『停学』じゃなくて『登校禁止』とかだったったか。
 いくら義務教育でも、あんまり酷いと転校させられるのよと、親に脅されているので仕方が無い。
 職員室の扉を開けると、入口に松田菜穂がいて、驚いた。
 先週、渡り廊下の階段で、交際宣言されてから初めて会った。もう4日も経っている。
 横山が奥から「ちょっと待って」と声を殺して仕草で伝えてきた。
 あれから4日間、意識しない訳が無い。ずっと彼女の事を考えていたから、緊張した。
 職員室の入口に二人並んでいるのに、何か話さなくちゃと焦るだけで、無言だった。
「先輩」松田菜穂が口を開いた。
 あの笑顔は無いが、嬉しさと恥ずかしさで、胸が高鳴る。
「私と付き合うの嫌だったですか?だったら、この前言った事忘れてくれていいです」
 なぜ悲しい顔をする。身体の中心に血が集まって来る。心臓が早鐘を打つってのはこの事だ。鉛みたいなものがズシリと刺さる。
『おれ今、フラれたのか?』そう思っても何も言い返せなかった。
 松田菜穂が職員室から出て行っても動けなかった。
「なに青野、また帰る気なの」横山が入口まで来ていう。
「いや、帰らない」
「えっ、なに?」横山が聞き返す。
「帰らないよ」と言って、職員室を飛び出して廊下に出た。
後で「ちょっと、アオハル」横山が叫んでいる。
「松田っ」先を歩く松田菜穂が振り返った。
 廊下の端の彼女に走り寄る。
「嫌じゃ無いって」と告げるけど、上手く声が出なかった。
「えっ」と、聞き取れなかったのか、彼女が驚いた様子で聞き返してきた。
「だから、嫌じゃないよ。忘もねーし」
 彼女が俯いた。肩が震えている。泣いているのか。
「今日、一緒に帰ろう」そう言って、彼女の頬に手を当てる。震えが伝わってきた。
 彼女が抱きついて、俺の棟に顔を埋めた。
 中庭を挟んで、廊下の反対の教室のベランダで、俺たちに気付いた生徒が「あ、アオハル先輩が抱き合ってる」と、騒ぎ出す。
 釣られて他の生徒も顔を出すから、ベランダが生徒でいっぱいになる。
 こちらから見ると、学年別のジャージの色がフロアごとに別れていて、まるでどこかの国旗のようで可笑しかった。

 夕暮れの体育館裏で、二人が向かい合っている。
「あの、誕生日のプレゼント、貰ってください」と、少女が顔を赤く染めて包を差し出す。
「俺、彼女いるんだけど、知らないかな」
 青野春彦が、気まずそうに答える。
「知ってます。ダメでも伝えたくて、ごめんなさい」
「こっちこそ、ごめんね」
 少女が振り返って走り去る。
 春彦が大きく溜息を着く。
「いやーモテルねーハルちゃんは」冷やかしながら室戸亘高が顔を出す。
「泣いてたんじゃないか」宇田川健が、さも心配してる風で続いて来る。
「春くん」松田菜穂が春彦に近付いて「ちゃんとフッて上げた?」
 そう言って覗き込んだ菜穂の頭を春彦が撫でると、菜穂の笑顔が弾ける。
「誕生日おめでとう。春くん」そう言って春彦に腕を絡めて歩き出す。
「何あれ、2人の世界。冷たくないかー、宇田よー」亘高がふて腐れて宇田にすがる。
「でも、12月生まれは、堅実で優しいんだ」
「なに、宇田、占いかよ」
「当たるんだって」
「引くわー」こちらも2人でジャレている。
 時に激しく赫然と怒り、時に眩しいほどに赫然と輝く。
「たくっ、『アオハル』よー、青春だねー」
 腕組んで前を歩く2人を茶化す。
「見てらんねーぜー」
 二人が振り返る。

「ほっとけよバカヤロウ」
 二人の声が揃って、笑い声になり、冬の赫い夕焼け空に響いた。
                       (おわり)

#創作大賞2024 #オールカテゴリ部門
#小説

いいなと思ったら応援しよう!