1997年夏。我々は19世紀のフランス人として死んでいた。
1997年。わたしは埼玉県内の私立高校に通う高校2年生だった。
しかしそれと同時に、19世紀のフランスの貧民でもあった。そして銃撃戦で死んでいた。
何故なら、この年この夏のわたしはずっと「レ・ミゼラブル」の世界で過ごしていたから。
「春雨座」という団体
わたしの母校(出身高校)には「文化祭でレ・ミゼラブルを演じるためだけに存在する有志団体」というものがあった。
多分、毎年の活動期間が年度の頭から9月の文化祭までしかなかったので「部活動」や「同好会」としては扱われていなかったのだと思う。
高校1年生の春、新入生は全員この春雨座の洗礼を受ける。昼休みに上級生メンバーたちが、キーボードを携えて各教室を回り、実際に盛大に歌い、勧誘するのである。
わたしはこの勧誘で心臓をぶち抜かれたものの、1年生のときには勇気が出ず、「やります」と言うことができなかった。
演劇経験なんてゼロ
元となっている「レ・ミゼラブル」をよく知らない
歌には苦手意識が強かった
先輩たちの迫力がスゴすぎて「ここに入るなんてとてもとても…」と思ってしまった
ただ、同じ吹奏楽部の仲間にも春雨座所属メンバーがいたので、どんなことをやっているのかは何となく把握していた。
そして文化祭本番。仲間も出演したその公演を、見た。
ヤバかった(語彙力)。
「ピアニスト」という関わり方
高校1年生の間に、わたしは春雨座にはキャスト以外のかかわり方も存在することを知った。
その中で「これならできるかも」と思ったのが、ピアニスト。要するにピアノ伴奏者だった。
「レ・ミゼラブル」は、ずーーーーーっと音楽が続くタイプのミュージカルだ。よくミュージカルアレルギーの人が言う「さっきまで普通に喋っていた人が急に歌い出して怖い」みたいな現象は生じないタイプの作品である。
そして、当たり前だが公式カラオケ音源なんてものは販売されていない(一定の需要はある気がするけど。ちなみにカラオケには一部楽曲が収録されている)。
春雨座がどうやって公演を成立させていたかというと、それはピアノ伴奏。先輩たちの功績で(?)実際に帝国劇場の人たちが練習で使っているピアノ伴奏譜を入手し、それを代々受け継ぎながら使っていた。
春雨座アレンジのレ・ミゼラブルの公演時間は約1時間半。1人で弾き倒す猛者もいるが、わたしの代は2人で担当した。シーンごとに交代しながら1時間半の舞台を成立させるのが、ピアニストのお仕事だった。
余談だが、この本物の譜面で弾いていたからこそ、わたしは実際に帝国劇場の舞台に上がっていた役者の方々の伴奏をする機会に恵まれたんだと思う。詳しくは以下のマガジン第三部からどうぞ。
高2の夏、練習に明け暮れた思い出
ピアニストとして春雨座に入った高2の夏。わたしは時間のほとんどを春雨座での伴奏に注ぎ込んでいた。
母校は進学校であり、大学付属ではない。そのため、ひとつ上の先輩たちは文化祭が終わったら全員「100%受験生」にならなければならない。
ジャン・バルジャン、ジャヴェール、ファンティーヌ、マリウス、コゼット、エポニーヌ、アンジョルラス…わたしの代ではプリンシパル(主要人物役)は全員高3の先輩だった。
だから、文化祭が終わったら、少なくとも半年間は、あるいは一生、もう一緒に遊んだり出かけたりすることはない相手だと察していた。
そしてこの人たちのソロは彼女たちにとって一生の思い出になるのであろう、ということも、わたしは理解していた。
彼女たちのパフォーマンスを最高の状態にしたくて、わたしは必死でピアノを弾き続けた。ちょっとした隙間時間があれば「ソロの練習をしたい」と言われるだろうと思い、朝は校門が開く7時ジャストに登校していたし、昼はメロンパンかカロリーメイトを急いで流し込むだけの生活をしていた。
ジャン・バルジャンのI先輩、優しい性格がにじみ出るあたたかな歌声が素敵だった。エポニーヌのT先輩は惚れ惚れするほど歌が上手くて、このままプロになればいいのにと本気で思っていた。マリウスのM先輩、イケボだけど声域が少し狭くて、上から下まで歌いきれる調を探すために二人で試行錯誤したなぁ。
ジャヴェールたち他の主要人物が登場しないのは、彼女たちのソロ曲の伴奏はもう一人の子が担当していたから。別に仲が悪かったわけではまったくないものの、やはりソロの練習に付き合った人とは密度が違う。
せっかくのピアニスト2名の代だったから、「ワン・デイ・モア」や「民衆の歌」みたいに皆で盛り上がる曲は、伴奏も連弾バージョンにアレンジした。ピアノの腕前は相方の方がはるかに上だったので、負けないように全力で食らいついていったのを覚えている。
ちなみに相方も当然のようにYAMAHAのJ専出身者である。層が厚い。
わからないなりの悲壮感、を本気で汲み取ろうとしていた女子高生たち
レ・ミゼラブルに出てくる人たちのほとんどは、貧しい市民だ。
そういう意味では、年間100万円以上かかる私立高校に通い、アルバイトをする人などほとんどおらず、私立大学に行くのが「当たり前」みたいな感覚のノホホンとしたお嬢さんたちには、彼らの苦しみなんて本質的に理解できるはずがないだろう。
でも、わたしたちはそれらの苦しみを本気で汲み取ろうとしていた。
なにしろ当時大多数が上位私立大の文系学部に進んでいたわが校、みんなもれなく国語は抜群にできるのだ。
「Look Down」では本気でこのクソッタレな世の中への恨みを諦観とともに吐き出すように。
娼婦たちが歌う「Lovely Ladies」では、自身の女性性と宿命に精一杯の自己憐憫を込めて。
そして主要な学生キャストが壊滅してしまう「最後の戦い」では、本当に自分たちの国を変えるために歌い、わたしたちは死んだ。
ちなみにわたしもときどき死んでいた。
ピアニストは交代制だから、キャストに欠員が出たときには手の空いているほうが代わりに入って一緒に歌っていたのだ。
ちなみにキャストの欠員頻度と伴奏の担当割の問題で、わたしはよく「一日の終わりに」でファンティーヌをいじめる役をやっていた(笑)
アンサンブル4だっけ、お手紙を読み上げるあの意地悪なお姉さん。
岡智さんに見ていただいた「Bring Him Home」
ピアノの思い出話でも軽く語ったが、この春雨座の練習には、実際に帝国劇場でレ・ミゼラブルに出演されていたキャストの方も応援に来てくださっていた。
わたしがピアニストをしていた代だと、アンサンブルで長年参画されていた岡智さんが、南浦和の市民会館(だったかな)の練習の際にいらっしゃった。
一番熱を入れて見ていただいたのは、後半のジャン・バルジャンのソロ曲「彼を帰して(Bring Him Home)」。
I先輩の歌を一度通しで聴いた後、「歌詞を音読してごらん」と岡さんは言った。どんな風に抑揚をつけるのか、岡さん自身がお手本を見せながら、ゆっくりゆっくり、I先輩は歌詞を読んでいった。
神よ わが主よ 祈りをきかせ給え
若い彼を救い給え
家(うち)へ帰してください
御心でしょうか まるでわが子です
月日の波に追われてやがて
私は 死ぬでしょう
若い彼に 平和を与え給え
聖なる神よ 彼に命を
死ぬなら 私を死なせて
彼を帰して 家へ
バルジャンは自身も志願兵として学生たちとともに戦場へ向かう。
彼=マリウスのこと。
その後二度目の歌で、I先輩が別人になった。
なんだこれは、と本当にびっくりした。音楽って、歌って、こんなに短期間でここまで劇的に変えられるんだ。そんなこと、わたしは知らなかった。
ちなみに全体練習ではみんなが死ぬところも見ていただいた気がするけれど、なんか普通に褒められた気がする。やったぁ。わたしたちはちゃんと死ねていたのだ(?)。
「夏の思い出」
「夏の思い出」と言われると、わたしは今でも南浦和のあの会館と、そこに向かうまでに見上げた青空と、岡さんに見つめられながら一言ひとことを噛みしめるように歌詞を音読していたI先輩の姿を思い出す。
本番は9月の半ばだからそういう意味では「夏の思い出」じゃないのだが、春雨座にかんしては不思議なことに本番よりも練習の日々の方が印象に残っている。
1997年。当時はまだギャルっぽい子以外誰も携帯電話を持っていなかった。
だからあのときの仲間たちが今どこで何をしているのかも、わたしにはわからない。
そして母校は後に中高一貫化して、春雨座もなくなってしまったらしい。
流石に中学生がラブリィ・レイディを歌うのはまずかろうということだろうか、と思ったり思わなかったり…。
ラブリィレイディ 夜の花
いつでも咲いてる 開いてる
でかいの 小さいの
手当たりしだいに吸いつこう
金持ち 貧乏人
ズボンを脱いだら変わらない
要るのは 金だけさ
編集後記
投稿してからしばらくして改めてタイトルを読みながら思った。
「言うほど死んでなくね?」
実際、レ・ミゼラブルというミュージカル作品において、実は主要キャラはそこまで死んでいない。
わたしはnoteを書くときにそこまで案を練ったり推敲したりしないので「死んだ」という表現は直感的に思いついたものをそのまま書いただけだ。
17歳の歌耶子にとって、あの作品は「死」だったんだな。
と、後から思った次第。
というわけでWebライターコラボのコラム企画でした。
#Webライターラボ2507コラム企画
テーマ「夏の思い出」
Discord名:田中 歌耶子
