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わたしの人生、いいとこ、わるいとこ。[3000文字コラム]

1980年生まれ、今年で45歳の歌耶子です。これだけ長いこと生きていれば、まぁいろんなことあるよね。ってことで、良かったことと悪かったことを簡単にまとめておきます。

いずれKindleとか書くときに参考にしたくて残しておく「自分用」の記事なので、あんまり細かいところまでは触れません。

ちなみにとても重い話をめちゃ軽く書くので、メンタル系の疾患を抱えている方は読まない方がいいかもしれません。

いいとこ

自分の人生の中でうまくいったことを挙げてみます。

多分平均よりは経済的に恵まれていた

父=バリバリのサラリーマン、母=専業主婦、という我が生育環境。

父は半導体関連のエンジニア?と営業職?を同時にやっている人でした。「半導体の修理をするために表面のうっすい加工を剥がす技術」か何かで特許を取ったそうです。何のことだかさっぱりわかりません。

めちゃくちゃ裕福だったわけではないと思うんですが、かといって不自由をした覚えもなく。

わたしはピアノを15年くらい習っていましたし、自宅のピアノも途中からはグランドピアノでした。小学校時代にはそれ以外にも常に2つ3つは習い事をしていたと思います。

実は娘二人を私立高校→私立大学に行かせると「かなりきっつい」くらいの経済状況だったらしいですが、結果的に私は私立高校→国立大、妹は私立高校→系列の短大を1年で中退、したので、教育費は想定よりかなり抑えられたことでしょう。

お勉強に関する頭は悪くなかった

一応両親とも70代にして国立大を出ているので(大学の先輩後輩らしい)、世代を考えると血筋は悪くなかった、のかもしれません。

おかげさまで学業に関して困ったことは(そんなに)ないのですよね。

中3の半年間ほどはガチで勉強をしましたが、その結果偏差値73ほどの私立高校に無事(ギリギリ?)合格できましたし。その学校の教育にかろうじてぶら下がった結果、高校ではまともに予備校に行かずとも英語と国語だけならセンター9割付近くらいにはいられました。

数学はセンターでも半分くらい(/ω\)

今でも若かりし日々の知能貯金を活かして塾講師・ライターという二足の草鞋生活をさせていただいています。

国語に関してはとにかくめっちゃできた

今ライターという仕事をできているのも、国語がめちゃんこできたからだと思います。

というのも、子どものころに娯楽がある程度制限されていた家庭だったので、狂ったように読書していたのです。そして読書以外の時間には考え事をしていたので、「日本語のルールにおける謎」とかについてもめっちゃ考えていました。

今でも覚えているのは、幼稚園のときに「食べれる」と「食べられる」って何が違うのか、と考えたことですね。そういうタイプの子でした。

夫という変人と出会えた

Xなどをご覧の方は知っているかもしれませんが、うちの夫は結構変な人です。

まぁ家庭環境も複雑な方なんですが、でもちゃんとご両親のことは愛しているし、地元も愛している。この人の「ヘンさ」は、純粋に持ち前の変人気質なのでしょう。

わたし以外の女性と半年以上続いたことはないそうですが、わたしとはお付き合い開始から21年目になります。

これはお互いに変な人だからこそだと思うんですが、こんな風に同タイプの変な人同士で出会えるかどうかって、マジで運命だと思っています。

わるいとこ

あまりちゃんと書くと重たくなるから、サクッといきますね。

母も私も妹も(おそらく)なんらかの発達障害

自分がADHDであることは、検査を受ける必要もないくらいに明白だと思っているんですが(該当エピソードがありすぎる)、おそらく母もそうです。で、妹は多分軽度の知的障害かLDです。

母の妹である叔父とそこんちの子どもたち(いとこ)も明らかになんか持ってるオーラ出してるので、母方の一族が多分「そう」なんだと思います。

わたしのADHDっぽさにもまぁまぁ苦労しましたが、同じくADHD傾向を持つ母はもっときつかったのだと思います。なんせ母は均等法世代前の人なので、結婚したら「かつては多少の学があったらしい、主婦適性ゼロのADHD専業主婦」にされちゃうわけです。

まぁ、こうなったら長女は虐待されますよね。

メンヘラになった

まぁまぁの虐待(ネグレクトと教育虐待)を受けて育ったので、案の定わたしも大学生ごろに精神がパーンってなりました。体重が40kgを切って半閉鎖病棟に入院したりとかね。でも精神科の入院ライフは楽しかった記憶があります(軽めの患者さんの病棟だったから)。

投薬していたせいで記憶はあまり残っていないんですが、当時はそれなりに悩んでいたので自殺に2回くらい失敗したと思います。服毒と…何だっけ…。

自殺未遂って言葉は軽くて嫌いなんですよね。当人はみんな本気で死のうとしているのだから「自殺失敗」が正しいと思うんです。

不思議なことにこのメンがヘラっている時期から夫とは一緒にいるし今でも一緒にいるし、この人すげーな、と思います。

そう考えたらメンヘラになったことも良かったのか?って、いやさすがによくはない。

今でもお片付けと数字の管理は超苦手

まぁ、生まれながらのADHD気質が変わるわけもなく。

個人事業主でござーい、になりましたが、今でもこの辺の管理は本当に苦手です。

田中家の家事は、夫が100%やっています。わたしが下手に手を出すとむしろ仕事が増えて120%になるからいらないんだって。どんだけよ。

数字の管理もドヘタクソなので、ファミリーバンク的なアプリで監視してもらっていたのですが、最近アプデで連携が切れてそのままになってるのであっという間にピンチになっています(ダメじゃん)。

早く夫をうちの従業員として雇わなきゃ…(真顔)

今はめっちゃくちゃHAPPY!

割と「わるいとこ」がハードなのでとても不幸な人だと思われることもあるんですが、今は正直めちゃくちゃ幸せなんですよね。

母と縁を切って約20年。今ではもう、1年に数回夢に出てくるかどうかレベルになって、かつてやられたことどころか母親の顔自体忘れてきています。実家を出て数年後くらいから人生がとても楽になったので、かれこれ15年くらいはHAPPYです。

変人の夫にも救われまくっています。かつては半年に1回くらい喧嘩というか超長文のレスバみたいな揉め事をしていたのですが、お互いにそこで「自分は本当にこれが嫌だ、何故なら自分にはこういう価値観があるからだ、そのベースにあるのはこういう経験だ」までぜーんぶ吐き出しているので、20年も繰り返していればその辺もだいぶ減ってきています。

お互いの仕事も順調です。お互いめっちゃ儲かっているわけではないものの、生活できるくらいにはそれぞれが稼いでいます。

幸せだねぇ。

虐待の話とか精神科入院とか自殺失敗とか、そういうのも本当に全部笑い話というか、過去の話なんですよね。

今はいたって平穏に生きてます。

というか、自殺失敗がすごく大きな転換になったんです。

その後の人生ぜーんぶ余生になったので。

うん、今、わたしは余生を生きている。

先日青笹社長のニュースに驚きはしたけれど、「じゃあ自分は健康に気を付けよう」とは全然思わなくて。別に死ぬときゃ死ぬでいいし、夫もそう言ってるし。お互いそんな感じで余生を生きてるんだと思います。

世の中変な家庭もあったもんだとは思いますが、そういうことなのです。

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