大学生になりたくない!と泣いた日のこと
子どもの頃は、小中高大って、全部つながっているんだと思っていた。
「近所のAちゃんもB君もCちゃんも、み~んな小学校に行く」ということは知っていたので、その後も全員が中学に行って高校に行って、いつかは大学生になるのだと本気で思っていた。
これはおそらく、当時ガクレキを知っているオトナが「同じ大学の先輩後輩だった両親・◯◯音大を出たピアノの先生・学校の先生」くらいしかいなかったからだと思う。
だから自分もいつかは自然と大学生になるはずだ。そう思っていた。
でも……
小学生のときに一度だけ、大学生になるのが嫌だ!!!!!!と泣きながら母に訴えたことがあった。
それは、テレビでジュリアナ東京を見たときのことである。
わたしはもともと、幼稚園時代から「お姫様ごっこ」が大好きな、要は花柄とかフリルとかレースとかリボンとか、そういうものを好むタイプの子どもだった。
小学校入学以降はピアノを真剣に習っていてクラシックの世界に生きていたこともあり、基本的に「上品でおしとやかであることが好ましい」とされる価値観の中で生きてきたと思う。
持っている洋服はすべてスカートだったし、基本のカラーはピンク。ブラウスの襟にはレースが付いているのがお気に入りで、お呼ばれの際にはワンピースとボレロに、つるつるのエナメル靴がお約束。
将来は大学で思いっきり学問に打ち込んで、卒業したら福武書店(※現ベネッセ)に入社して、知的な旦那様と幸せな家庭を築くんだ――なんて思いながらフワフワと生きていたのである。
小学校中学年くらいからか、ニュースを見ているときに「世の中は今めっちゃ景気が良くてイケイケ」みたいな話が増えてきたように思う。その流れで(?)、自然と「ジュリアナ東京」とか「アッシー君・メッシー君」みたいな映像も目に飛び込んでくるようになる。
けばけばしいメイクに、ぴっちりとしたボディコン。パンツが見えることも気にしていないかのような極度に短いスカート丈。大胆に脚を露出して、足元にはピカピカのハイヒール。
初めはそういう人たちは「なんかそういう職業の人」だと思っていた。当時「お水」という言葉は知らなかったが、多分そういう世界の人だと認識したのだと思う。
しかし彼女たちは自分のことを女子大生だと名乗るわけだ。
こ、これが大学生なの!?
衝撃だった。
もちろん今なら、「大学生の中には派手に遊びまわっている子もいた」というだけの話だとわかる。わたしは思いっきりアムラー世代でルーズソックスも履いていたが、日サロに行ったことはないし茶髪ワンレンにしたこともない。ファッションもライフスタイルも自分の好きなジャンルを選べばいい、ただそれだけのことだ。
でも、当時のわたしは、彼女たちの姿を見て「大学生になったらこんな破廉恥な服装をして、同じように振る舞わなければならないのかッ」と誤学習してしまった。
そして、それを嫌だと思う自分はヤバいのではないか!?と思ってしまったのだ。
その夜、母に「大学に行きたくない」と泣きながら打ち明けた。
このときは「世の中の一般的な流れに乗ることができない自分が悔しい」と泣いていた。ボディコンを着たくない、不特定多数の男性にパンツを見られるような丈のスカートを履きたくないと思ってしまう自分は、いずれ世の中から落第してしまう。きっといつかはホームレスになってしまうのだ!と。
当時1~2ヶ月に一度新宿の病院に通っていたのだが、あの頃は通路に段ボールハウスのおじさまたちがたくさんいらっしゃったんだよね…
当然のことながら、母には大爆笑された。そして母自身の大学時代の写真も見せてもらった。ボディコンは着ていなかった。普通に小花柄のワンピース姿だったと思う。
「あ、これだったら大丈夫だ」と思えて、ものすごく安心したのを覚えている。
結局、中1のときにクラスメイトに「歌耶子ちゃんって大学行くの?」と聞かれたことがきっかけで、わたしは世の中の全員が大学に行くわけではないということを知る。
「ボディコンを着たくない人は大学生になれずに人生詰む」なんてーのは、知っているセカイがめちゃくちゃ狭かったあの時期だからこその勘違いだったのだ。
このエピソード自体はちょっと微笑ましいな、と思う。でもその一方で、今でも同じように、自分の知っている範囲のジョーシキを「世の常識だ」と思い込んでいることがあるんじゃないか?と思うと、ちょとゾクゾクしてしまう。
「ああはなりたくないわ」と思っているものから目を背け続けたら、また同じ勘違いをしてしまうのかもしれない…ということは常々意識しながら年を重ねていきたいな、と思う。
(1,887字)
こちらの企画に参加させていただきました\( 'ω')/
