卒業が近づいたある日。
屋上の扉を開けると、
先輩はいつもの場所でタバコを吸っていた。
風が少し強くて、
煙がすぐに流れていく。
僕はいつものように、
ぼんやり空を眺める。
その横で先輩は、
『人間失格』を読んでいた。
自分が隣に座ると、
先輩は何も言わなかった。
ただ、
タバコの火を軽く落として、
ゆっくり立ち上がった。
「さて、行くか」
いつもどおりの先輩だった。
でも、
なんだか胸の奥に残った。
行くのは先輩で、
残るのは僕で、
それでもその一言に、
なぜか自分は少し寂しさを感じた。
先輩は振り返らなかった。
それから卒業まで、
先輩が屋上に来ることはなかった。
「さて、行くか」
あの短い言葉が、
自分のどこか深い場所に、
そっと置かれたままになった。
なぜだろう。
先輩の背中は、
遠ざかったわけじゃない気がした。
風のどこかにまだ残っているような、
そんな気配がして、
僕は、また空を眺めた。
空は広くて、
どこへでもつながっていて、
そのどこかに先輩の影が続いているような気がした。
いつかまた、
どこかでふと会う。
そんな気がした。
