第21回 不思議な疑似母子関係?瀬戸内寂聴追憶⑬
瀬戸内さんとの関係が深まるにつれて、瀬戸内さんのさまざまな顔が見えてきて、それについて僕の感じたことを記しておこうと思う。
前回、出版部長に横山正治さんが就任したことで、「瀬戸内寂聴文学全集」企画が決まったことを書いたけれど、あるときから、他社の編集者も含めて、昭和20年代前半生まれの横山さん世代で若い頃から瀬戸内さんと親しくしてきた男性編集者たちと瀬戸内さんとの関係に、何か特別なものがあることに気づいた。
僕自身もかなり瀬戸内さんとは身近な関係になっていたのだけれど、彼らと瀬戸内さんとは、僕などの親しさとはあきらかに違うものを感じたのだ。
言ってみれば、母親と息子。
それもちょっとダメな息子と甘い母親みたいな感じなのである。もちろん横山さんたちがダメ編集者というのではなく、瀬戸内さんの前ではこの世代の男性編集者たちが、何か態度が変わって、母親に甘えるみたいな感じになるのだ。しかも瀬戸内さんがそう仕向けているきらいがあって、例えて言えば、食事中の子供の汚れた口元や食べこぼしたものを拭き取ってやる母親みたいな感じで、“ダメ息子”たちの世話を焼くのを嬉しそうにしているのである。それも僕などがいる前でも平気でそういうベタベタした関係を見せるので、いったいどういう関係なのだろうと最初は吃驚もし、とても不思議に思った。作家と編集者という関係を超えた絆というには明らかに異質な感じで、文芸の世界の作家と編集者の摩訶不思議な関係の一端?を感じたものだ。
この関係に気づいて、僕はとてもかなわないなあと思ったのだが、この不思議な関係が頭にあったので、短編全集の準備で短編小説を読む作業をしているときに、ある小説のことがこの不思議な関係と関連しているような気がしてひっかかったのである。
それは昭和32年(1957)に発表された「花芯」のすぐ後に書かれた小説で、翌年刊行された三笠書房の『花芯』に収録されている「聖衣」という作品。
ここからは僕の勝手な妄想的想像なのだが、この小説には中絶手術の経験が書かれているのだ。瀬戸内さんの小説に中絶が書かれた作品は他にはない。
瀬戸内さんの初期の作品の中でも異色のもので、主人公は亡くなった夫との間で一度中絶していて、その後に出逢ったしょうもない愛人との間で妊娠して中絶し、その予後が良くなくて、もう一度産婦人科で処置をしてもらった帰りの電車で、聖衣をまとった外人のシスターたちと同乗し、彼女たちの視線に身をすくめながら、男たちとのことを回想していくというような内容で、暗いトーンで書かれている。
僕はこの小説に書かれた「中絶」体験を勝手に実体験と考えてみた。そのとき堕ろしたのが男児で、その同世代の編集者たちに特別な感情があったのではないかと考えたのである。そう考えると、僕より10歳ぐらい年上世代の立派なオジサン編集者たちとの、妙にベタベタしたような瀬戸内さんの振る舞いに納得がいくような気がしたのである。
親しくなってみると分かるのだが、瀬戸内さんは基本的に母性の強い人なのだと思う。僕自身も、短編小説の読み込み作業で瀬戸内さんの仕事場マンションに泊まり込んでいた際、夕食を一緒にということで寂庵に呼ばれることが何度かあって、そのとき実は初めて知ったのだが、夜の寂庵では瀬戸内さんは独りでいる。昼間はいつも何人ものスタッフが忙しそうに立ち回っているので夜間も誰か泊まり込んでいるものと勝手に思い込んでいたのだけど、夕食の用意をしたらスタッフは帰ってしまう。それで僕と二人きりの食事は、瀬戸内さんが実に甲斐甲斐しく世話をしてくれるので、最初は本当に恐縮してしまって、どういう態度でいればいいのか困ってしまった。まるで世話好きの親戚のおばさんと食事しているような感じ? それがあまりに自然で「作家先生」であることを忘れてしまいそうだった。
オジサン編集者たちの甘えっ子ぶりと、小説「聖衣」の関係についての僕のこの勝手な妄想は、ずっと胸にしまっていたのだが、つい最近、親戚で長年秘書を務めた長尾玲子さんにこの疑問をぶつけてみたところ、長尾さんも「聖衣」が異色の作品であると思っていたそうで、またオジサン編集者たちへの態度が違うこともよく認識していた。オジサン編集者の一人は長尾さんに「瀬戸内さんには、何か甘えてしまうんだよね」と漏らしていたそうである。もちろん彼らが若いときからの瀬戸内担当として、長い関係があってのことではあるが。
また中絶体験があってそれが関係しているのではないかという僕の妄想も、若い頃の瀬戸内さんにはけっこうラブアフェアーがあったそうで、そういう可能性があるかもしれないね、とのことだった。おそらく小田仁二郎氏との半同棲生活の前の時期のことだろう。小田氏をモデルにした初期の作品で「訶利帝母」(昭和32年)という作品などでは、子供を作る作らないという話をめぐっての男女の生々しい内容が書かれているし、男女関係のなかで妊娠などの話が身近だった女盛りの瀬戸内さんのさまざまな体験が関係しているのかもしれない。
もうひとつ、長尾さんは断言して面白いことを語ってくれた。
「宮本さんはしっかりしているから違うのよ。瀬戸内はね、ダメ男が好きなの」と。
なるほど!である。ちょっと古いかもしれないけれど、瀬戸内さんは「ダメンズウォーカー」だったわけで、納得である。そうだとすれば、ベテランのオジサン編集者たちはそうと知って、“ダメ息子風”を装い、無理な注文を瀬戸内さんに引き受けさせる手管にしていたのかもしれない。文芸編集者、恐るべし!
確かに瀬戸内さんが深く関係した男たちは、ある種のダメ男たちであったといえるだろう。
結婚した夫は、非の打ちどころのない立派な学究だったが、そういう人との不満のない結婚生活は捨ててしまう。そして年下で夫のかつての教え子に奔るのだけど、この「涼太」は瀬戸内さんの出奔先に現われず、ずいぶん経ってから尾羽打ち枯らして現れ、瀬戸内さんは尽くしまくるのだが、結局若い女と出来て瀬戸内さんも身を引く。
半同棲生活をした作家の小田仁二郎氏も、妻子のいる自宅と瀬戸内さんのところをきっちり半分ずつ通うという律儀で変わった真面目さ。生活力はなく、妻の内職と瀬戸内さんのアルバイト原稿書きに頼っている。周囲から才能を認められながら世に出られず、瀬戸内さんを作家として世に出す支えになるのだが、そもそも自分が世に出ようとしていない感じがする。齋藤十一さんに呼ばれて『週刊新潮』に連載しろと言われ、無理やり「流戒十郎うき世草子」を書くが結局流行作家にはなれず、そういう欲もなかったのだろう。その後も鳴かず飛ばず。「涼太」が現れると「涼太」へ同情し、結局身を引いてしまう。
井上光晴氏も、精力的活動的で著名な作家ではあったが、家族からも「大嘘つき」といわれるぐらい、何が本当なのか分からないような破天荒ぶりだから、こちらも普通ではなく、ある種のダメ男の範疇に入るのだろう。
このような瀬戸内さんの男性関係の中で、僕は書かれた作品から、小田仁二郎氏との半同棲生活の時代が、一番好きだ。
瀬戸内さんのことを思い出すとき、この僕が知らなかった時代の小田氏との生活を、おかしな言い方かもしれないけれど、“懐かしく”思うのだ。
まだ下積み時代、経済的にも貧しく、でも将来に希望をもって作家修行をしていた時代。小田氏が自分のことよりも瀬戸内さんを世に出すために支えていたような印象がそう思わせるのだろうけれど、瀬戸内さんの小田氏への尽くし方も心に沁みるのだ。
小田氏が『週刊新潮』に連載したときは望外な原稿料が入って、律儀な小田氏はそれをきっちり二等分して妻と瀬戸内さんに渡していたそうだが、瀬戸内さんは、そのお金で、仕立てはいいけれど着古して裏地が破れているのを見せないようにしていた小田氏の背広がずっと気になっていたので、新たに上等な背広を誂えたという。お互いに自分のことより相手を思うような関係が、しみじみと感じられるのである。
この半同棲時代の小田氏と撮った二人の写真がある。
瀬戸内さんは小田氏の遺族が存命の間は二人のツーショットの写真を世に出すことはなかったそうだが、瀬戸内さんの部屋で、大家の娘さんが撮ったという写真の二人の表情が好きだ。
僕の勝手な推測だが、瀬戸内さんにとって小田仁二郎氏と生活していた頃が、男性との生活の中で、一番幸せだったのではないだろうか。
僕はそう思いたいのだが……。

