第一部:AI時代に改めて論じる「教育論」
はじめに
私は常にAIの最新情報を追いかけ、それがどう教育に使えるか、実際教育効果があるのかを考え、UCL、スタンフォードでの研究をはじめとし、世界で実行してきました。全ては「AIで教育を良くしよう」という信念に基づく挑戦です。
そんな中、先日AIからは離れた、日本の教育現場の最前線に立たれている教育学の教授陣、教育長、教育委員会、校長先生方との「リーダー研究会」に2日間参加させて頂きました。
教育の巨匠を前に様々な対話を経て、『教育の真髄』とは何か、その一端に少し触れることができた気がしました。私は『AIやテクノロジー』の観点からしか教育を見ておらず、
『AI x 教育』
のアプローチをとっており、
『教育 x AI』
というアプローチができていなかったことを認識し、今回は『教育 x AI』という観点から今回得た学び、そして教育とAIの共創の未来について少し論じてみようかと思います。
本ブログはこれまでの記事とは少し異なり、『教育観』について論じ、最後にその教育観をもとにどの様にAIを教育に導入できるかを記すフォーマットを取ります。本ブログは『AIの教育活用事例・手法』ではないことをあらかじめお断りしておきます。
この記事は2部構成とし、今週は『教育の本質』について、そして次週そこから考える『教育 x AI』のあり方についてお話ししようと思います。
リーダー研究会について
今回の研修は「共創型対話学習研究所」と「那須塩原市教育委員会」の共同運営で実施されました。那須塩原市は私の教育の『ルーツ』となる都市であり、この度私の恩師である山本幸子先生が教育長になられ、お招きいただき参加いたしました。共同主催の共創型対話学習研究所は対話教育・国際教育を先導している金沢大学の教育学部長の多田先生が同志を求めて立ち上げられた研究会です。
言うは易く行うは難しの『教育の当たり前』
世の中には「教師として生徒皆を豊かにする」とおっしゃる先生は大勢います。志はとても良いのですが、実際には、業務の多さや対応の難しい生徒の多さなどから実践に至らない方々が多くいるのも現実です。
そんな中、今回お会いした先生方は口で話す理念ではなく、教育は『弱き者に手を差し伸べる』ことを信条とし、体現しておられました。その様な先生方との交流は言葉にするのは難しいですが、そこで得た、簡単には気づけない『教育の当たり前』をここに記します。
まず、先生方の教育への向き合い方を象徴するエピソードがそれぞれあり、『教育のあり方』の本質を垣間見ることができました。
一人の先生は有名大学の名誉教授でありながらも、地元で小さな学び場を運営し、『東大に行く生徒』ではなく『失敗できる』生徒を小規模で育てています。彼は規模を大きくしたり受験成果を重視する事なく、私財を投じてでも『ゆっくり、将来につながる学びを与える』という自分の教育理念を通しています。先生の学び場の他の先生は「もう少し効率よく教えるべきだ」「お金をもっと取るべきだ」など言っている中、そこだけは譲らず、自身の経済的持続可能性よりも生徒の将来の為の『金銭的リターンのない投資』に全力を注いでいました。
また、二人目の教授は東大から大学教授のポジションのオファーを受けていたものの、それを断り、都心から離れた大学で教鞭を取りました。その理由は「言わなくてもできる子を育ててもつまらない。できない子を育てるのが面白い」からです。
東大という教育の『ゴール』
東大はとても優秀な生徒が揃っている日本最高峰の学校ですが、あえて東大を「ゴール」と見ない二人の先生方の考え方が、『教育の目的』について考えさせられました。少しAIの話をすると、ChatGPTは2024年には東大理3不合格だった中、2025年には理3合格、2026年には主席合格と果てしない進化を遂げています。この様な現状を見ると、教育のゴールが「東大合格」であるべきでないのは明白ではないでしょうか。
しかし、これを頭で『理解』することはできても、実行に移すのは簡単ではありません。やはり教育効果を測るには「テストの点数」や「合格実績」が一番容易という事もあり、実績が保護者の目にも留まり、生徒が入ってきます。実績がないと生徒が入らないというのが現実で、測定しにくい教育的価値を育む学び場を作ると運営や生活を維持するための資金も確保できないため、「東大合格」を効率的に成し遂げる教育機関が台頭するという現象が起こってきます。
教師は『教える』ためにも『学び続ける』存在
これらの先生方の経験談もとても強いですが、私はこの先生方2人と同室でお泊まりさせて頂き、その理念を実践できる人格がどのように形成されているのかを一部見る事ができました。同じ部屋で夜11時頃まで議論を続け、その翌日はお二人が朝の6時前から再度論じられているのを目にしました。
お二人は今の若い世代がなぜ対話を避けるのか、若者はなぜ『効率化』を重視するようになっているのかなどを論じられていました。先生方は70代半ばと80代であり、24歳の私に、私がどう考えているのかを聞きたいと対等な関係で対話をして下さりました。
この、何歳になっても『学ぶ姿勢』も教育の本質ではないのかと考えました。私は当然先生方のような専門性はまだなく、教師経験はありませんが、先生方とはまた異なる『経験』をしている、違った環境にいることから、60歳近く離れていてもそこから学べる事を見出し、自身の教育への理解を深めようとしていました。この様に誰からでも『学べることを見出す』事も、教育に欠かせないスキルではないでしょうか。
第一部、最後に
今回お話しさせていただいた先生方は文字通り教育に人生を賭け、難しい教育現場に自らを置くことで『教育のおもしろき』を感じる方々でした。研修では教育哲学を長年教えていらっしゃる上智大学の名誉教授が生徒とは『可能態』であると論じられたことが印象に残り、先生方のお話の全てにつながりました。どんな生徒でも教え方や接し方一つでで「可能性」を発揮する事ができ、生徒を『変成(メタモルフォーゼ)』できる。この「できる」という考え方が、教師が一番大切にしなければいけない箇所ではないでしょうか。教育とは、
『他を想い、手を差し伸べる』
事に尽きる気がしました。
そんな中で『教育 x AI』はどこに入り込む余地があるのでしょうか?
ここについては次週、詳しくお話していきます。
