コンカフェを訪ねて(池袋編)第1章 「池袋で全部済む街」  

戦後の焼け跡から立ち上がった池袋は、やがて巨大なターミナル都市へ変わっていく。

その中心にいたのが、百貨店だった。

今の感覚だと、百貨店は「少し昔の商業施設」という印象が強いかもしれない。
だが高度経済成長期の百貨店は、単なる買い物の場所ではない。

街そのものだった。

特に池袋では、その色が強かった。

駅に着く。
百貨店へ入る。
食事をする。
服を買う。
映画を見る。
帰る。

「池袋に行けば全部済む」。

この構造が、後の池袋文化を作っていく。


百貨店が駅を飲み込んでいく

池袋を語る上で外せないのが、
西武百貨店 と 東武百貨店 の存在だ。

池袋駅は、西武線と東武線という巨大私鉄の終点だった。

つまり、郊外から人間が大量に流れ込む。

そして私鉄会社は、その人の流れを「駅で終わらせない」ことを考え始める。

駅に来た客を、そのまま百貨店へ流し込むのである。

これは今でいうショッピングモールに近い感覚だが、当時の百貨店はもっと巨大な存在だった。

服。
化粧品。
家具。
贈答品。
レストラン。
催事場。

生活に必要なものを一通り揃える。

しかも、鉄道と直結している。

雨の日でも濡れない。
仕事帰りでも寄れる。

池袋は、「通勤導線」と「消費導線」が一体化した街になっていく。


「生活の街」としての強さ

新宿は少し特別な街だった。

遊びに行く場所。
夜に行く場所。
巨大歓楽街。

一方で池袋は、もっと生活に近い。

仕事帰りに寄る。
学校帰りに買い物する。
家族で食事をする。

池袋には、“日常の巨大化”のような空気があった。

それを支えたのが、私鉄文化だった。

西武線沿線、東武線沿線の人間にとって、池袋は「都心への入口」でもあった。

埼玉方面から電車に乗る。
池袋で降りる。
百貨店へ寄る。
夕飯を買って帰る。

この流れが、毎日繰り返される。

重要なのは、池袋が“観光地”ではなかったことだ。

毎日来る人間が多かった。

だから街が生活に最適化されていく。

この構造は後のサブカル文化にも大きな影響を与える。

「わざわざ行く街」ではなく、「つい寄る街」。

池袋には、その強さがあった。


東口と西口で違う顔

池袋を歩いていると、東口と西口で空気が違うことに気づく。

これは昔からそうだった。

東口側は、百貨店を中心とした商業エリアとして発展していく。

一方で西口側には、飲食店や雑居ビル、小規模店舗が密集していく。

巨大資本が整備した空間と、自然発生的に増えた街並み。

池袋は、その二つが同時に存在していた。

だから街の統一感が少し薄い。

だが、その“ズレ”が池袋の魅力でもあった。

綺麗に整理された街は、強い。

しかし、整理されすぎると入り込む隙間がなくなる。

池袋には、ずっと余白が残っていた。

それが後のオタク文化やコンカフェ文化の居場所になる。


百貨店は「文化施設」でもあった

今の若い世代には少し想像しづらいが、当時の百貨店は「遊びに行く場所」でもあった。

屋上遊園地。
食堂街。
催事イベント。
美術展。

家族で一日過ごせる。

つまり百貨店は、単なる商業施設ではなく、“都市型娯楽施設”でもあった。

池袋は、その巨大百貨店文化の影響を強く受ける。

駅前に人が集まり続ける。
昼から夜まで人が途切れない。

その流れの中で、小さな店も生き残る。

大資本だけで街が完成するのではなく、人の流れに寄生するように小規模店舗も増えていく。

この構造が、後のアニメショップやライブハウス、コンカフェにも繋がっていく。


「途中の街」が巨大化していく

池袋は、最初から“憧れの街”だったわけではない。

むしろ、「途中の街」だった。

通勤途中。
通学途中。
乗り換え途中。

だが、人の流れが巨大化すると、その“途中”自体が都市になる。

そして池袋は、巨大ターミナル都市として完成していく。

面白いのは、完成してもなお“雑多さ”を失わなかったことだ。

百貨店のすぐ横に古い飲食店がある。
大通りの裏に雑居ビルが並ぶ。

高級感と庶民感覚が混ざったまま拡大していく。

だから池袋は、“何者でもない人”を受け入れやすかった。

学生。
地方出身者。
オタク。
地下アイドル。
コンカフェ嬢。

後の時代、様々な人間が池袋へ流れ込んでくる。

その入口は、この「生活の巨大都市化」にあった。


次章では、1970〜90年代に入り、池袋へ若者文化とサブカルチャーが流れ込んでいく時代を追っていく。

ゲームセンター。
深夜営業。
CDショップ。
そして、アニメイト。

池袋は少しずつ、“オタクの街”へ変わり始める。

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