高校生で強制参加させられたネットワークビジネスのセミナーが、一番役に立った話
「あなたは泊まりがけでセミナーに参加するの嫌だよね。ホテルは有名な〇〇ホテルで、三つ星なんだけど……」
親のチームから、泊まりがけのセミナーに行く人数があと一人足りないらしく、高校生だった私に打診が来た。
一度は断ったはずの、泊まりがけのセミナーだった。
どうやらノルマがあるらしい。人数が一人足りず、他に連れていける人もいない。
もちろん親も、小さい兄弟を置いていけるわけがない。
何とも家族への負担が大きいシステムだと思う。子供のいる主婦をターゲットにするなら、託児所でも作ればいいのに。
今ならその矛盾に、セミナーそのものの不完全さを感じるところだが、当時は高校生だったので何も引っかからなかった。
親が行って、私が家で兄弟の世話をするくらいなら、まぁ仕方ないか。それくらいの軽いノリだった。
有料セミナーで、確か4万円くらい。そんなものにお金を出すなんて馬鹿だな、と思いながらも、高校生で三つ星ホテルに一人で泊まれる機会なんてなかなかない。
ホテルに泊まっても泊まらなくても参加費用は変わらないらしく、もし親が行くなら二日間、家から通うつもりだったらしい。
でも、夜まであるセミナーで、親が家に帰ってきたところで、その間の兄弟の面倒を見るのは結局私だ。だったら、私が行った方がまだ負担が少ない。
それに、三つ星ホテルに泊まれる機会なんて滅多にない。
一生懸命、メリットとデメリットを天秤にかけて、自分に言い聞かせた。
本当は、高校生なのにこんなセミナーに参加するのは恥ずかしいし、そんなところに行くくらいなら遊園地に行きたかった。たぶん、遊園地に泊まりがけで行けるくらいの参加費だったし、それも叶ったんだろうと思う。
でも、そっちは絶対に天秤にかけてはいけない気がした。
心の中で葛藤しているうちに、セミナーの開催日になってしまった。もう逃げられない。
まるで異世界への入り口に向かうような気分で、少しの期待と大きな不安を抱えたまま、三つ星ホテルに到着した。
看板には知らない会社のロゴ。
受付では、やたら元気にあいさつしてくる大人たち。名簿にチェックを入れてもらい、部屋を教えてもらうと、案内された部屋には、知らない大人たちが数百人も座っていた。
こんなに大人数が集まる世界だとは、正直思っていなかった。
親がこの世界に足を踏み入れたきっかけは、たぶん単純だった。
子育てをしながら、どうにか自宅でできる仕事はないかと探していたところに、声をかけられたのだ。
仕事を必死に探しているときに、そういう話が舞い込んでくるのは、誰しも一度は経験があるんじゃないだろうか。
誰かを紹介するだけで、パートで働くよりも良い金額が紹介料として入る。子育て中の主婦がハマってしまうのは、ある意味必然なのかもしれない。
仕事と言いながら、意味のない会合。意味のない電話。意味のない時間。
「子育てをしながらできる」——そんな甘い蜜には、大抵毒がある。
実際に吸い取られていたのは、パートで働くよりもずっと多い時間とお金だったと思う。
一体何時間をそこに費やし、いくら使って、いくら戻ってきたのか。手元に残るのは、その辺の店で買うよりも高い商品だけだった。
子供心に「馬鹿だな」と思いながらも、どこが間違っているのか、何に違和感があるのか、これは本当に正解じゃないのか、当時の自分には何も分からなかったし、知る由もなかった。
あの頃はいわゆる「良い子」で、兄弟の面倒を見ることくらいしか自分にはできなかった。
親を止める手立てなんて分かるはずもなく、結局は親の利益のために、自分がその場に連れて行かれることになった。
セミナー会場には、大人数がぞろぞろと朝から向かっていた。開始時間よりもかなり早く着かなければならない。
理由は単純で、席が早い者勝ちだからだ。
大の大人たちの大名行列がなんだか馬鹿馬鹿しくて、心の中で少し笑ってしまった。
壇上には、このビジネスの中で上位ランクにいるらしい人たちが次々に上がった。
異様なくらい一体感のある拍手、やけに納得しているような相槌。
その反応を見ているだけで、自分が経験したことのない世界に迷い込んだんだと、改めて実感させられた。
話している内容は、どうやって自分がこのビジネスで成功したか。それはそれで、ありきたりな自己啓発本に書いてありそうな、ごく普通の内容だった。
たぶん、本を読むだけでも学べる。
あまりにも魅力的な説明に、会場全体が盛り上がり、一体感が生まれていく。
正直に言うと、私もその雰囲気に飲まれるくらいには、話そのものが面白かった。
今でも、あの時「面白い」と感じた感情だけは、はっきり覚えている。
まるで、壇上にいる成功者と同じ経験を、会場にいる数百人全員ができるかのような空気だった。でも、ふと冷静になると考えてしまう。
実際に同じような成功体験をしている人は、この会場のうちどれくらいいるんだろう、と。
たぶん、そこまでたどり着けるのは、ほんの数名なんだろうと思う。
壇上に上がると、一際盛り上がる人がいた。
この会社の社長らしい。
私からすれば、ただの腰の低いスーツ姿のおじさんにしか見えなかったが、周りの大人たちはまるで神様か何かのように崇めていた。
子供ながらに、この空間には明らかな上下関係があって、決して平等な場所ではないんだと感じた。
商品説明にはまるで興味が持てなかった。
引くほど素晴らしいものに見せる演出。聞けば聞くほど、余計に怪しい商品に思えてくる。
それが自分が子供だからなのか、それとも単純に自分に興味のないものだったからなのか、今でも分からない。
一方で、その異様な空気とはまったく別の場所で、自分の中にはものすごく子供っぽい感情もあった。
——一人でホテルに泊まれる。
部屋に着くと、自分の部屋のベッドよりも大きなベッドが二つ並んでいた。
本来は二人部屋だったらしいのだが、相部屋になるはずだった人は家に帰ったらしい。家に帰る人も部屋を取らなければならないらしく、その理屈はよく分からなかったけれど、こっちとしては知ったことではない。
ただただラッキーだった。
部屋はホテルの中層階。
窓からの眺めはそこまで良くはなかったけれど、夜の街のネオンだけは見えた。
普段なら門限がある時間帯を、誰にも何も言われずに一人で過ごせる。
その非日常感が、昼間のセミナーの異様さすら、もうどうでもよく感じさせてくれた。
他の参加者は、それぞれのグループごとに集まっているらしかったが、私は完全に自由だった。
お風呂だってゆっくり入れるし、ベッドは二つとも自分のものだ。どっちのベッドにもゴロゴロ寝転んでみた。
未成年で、親の目もなく、一人でホテルに泊まる。それだけで、なんだか特別なことのように感じて、正直に言うと浮かれながら、馬鹿馬鹿しいことをしては楽しんでいた。
今思えば、かなりちぐはぐな一泊二日だった。
このエピソードだけなら、ただの変な思い出で終わっていたかもしれない。
でも、この経験は、後になって何度か自分の判断に影響を与えることになる。
一度目は、大学生になってからだった。
親が、また別のネットワークビジネスに誘われたのだ。
誘ってきた人はやたら怪しく、そしてしつこかったらしい。親は「忙しい」を理由に何度も断り続けていたのだが、その先に返ってきたのが「だったら娘さんは?」という一言だった。
超絶迷惑な話である。
当時大学生だった私は、なぜか大学の近くで開催されるセミナーに参加させられることになった。大学の近くとなると、もう逃げようがない。
親からはありえないくらい謝られた。
まぁ仕方ない、一度話だけ聞いて、きちんと断ってこよう。無駄な正義感が働いて、参加を決意した。
気分としては、敵陣に乗り込んでいく武士のようなものだった。
もっともらしい理論に、もっともらしい言い分。
説明する人は、明らかに胡散臭かった(笑)。
お金持ち風のスーツを着た30代くらいの男性が、大学生の私からすると、まったく地に足のついていない人間に見えたのだ。
ああ、こうやって何人かで囲んで、判断を鈍らせていくんだな、というのを肌で感じた。
大学生になって、人間には心理的に動かされやすい状況があるということを、知識として知っていた。
そのせいで、人間の心理を巧みに利用しているのが見え透いてしまい、どうしても疑わしいものにしか見えなかった。
そして、以前聞いたあのセミナーの方が、明らかに完成度が高かったことに気づいてしまった。以前のネットワークビジネスの制度と比べて、今回のものは何が自分の収入になるのかがまるで不明瞭だったのだ。
あの一泊二日のセミナーが、まさかこんな形で役に立つとは思わなかった。
結局、丁重にお断りして帰宅した。
二度目は、社会人になってからだった。
新卒で入った会社の研修で、ある日突然、違和感を覚えた。最初は「先輩たちすごいな」という気持ちで受けていた研修だったのだが、だんだん雲行きが怪しくなっていく。
根性論なのか精神論なのか、とにかく自己啓発本に書いてありそうな言葉の羅列が続くのだ。
きっと次こそは業務内容の研修だろう、と期待していても、一向に業務の話には触れない。
「業務内容」と銘打たれた研修の中身は、相変わらず自己啓発本のような内容ばかりだった。
研修が終わるまで残り1週間となったところで、ようやく業務で使うパソコンのシステムについてサラッと触れられたと思ったら、またすぐに精神論に戻っていく。
……この会社、怖すぎる。
そこで、自分の脳裏によみがえってきたものがあった。いつかのネットワークビジネスのセミナーだ。
内容そのものではなく、「考えさせない空気」「拍手や一体感で正しさを補強する雰囲気」「具体より精神論が優先される構造」が、あの日のセミナーと驚くほど似ていたのだ。
一度「似ている」と思ってしまうと、人間の脳はそこから離れられなくなるものらしい。
研修をしている先輩たちの姿が、あのセミナー会場で拍手をしていた人たちと重なって見えてくる。
結局、業務で何をすればいいのかの研修をまったくしてくれないことが苦しくなって、私はすぐにその会社を辞めてしまった。
今も尚、親にはあの時の話をしていない。親はもうネットワークビジネスをやっていない。
今思えば、親の代わりに子供の自分が行くなんて、やっぱり変なことだったと思う。
どうしてもっと強く断れなかったのか。知らなくてよかった世界を、子供の頃に知る必要なんてなかったんじゃないかと今は思う。
ただ、数年前に親からぽつりと「ネットワークビジネスは好きじゃなかった。生活のためにやろうと思っただけ」と言われたことがある。
だから、そういうことなんだと思う。
もっと子供らしく、親の行動を止められていたら——そう思う反面、親にとってもあの経験は必要なものだったのかもしれない、とも思う。
今はごく普通の会社員として働いているのだから。
高校生だった私にとっては、無意味なほど大人すぎる世界を、ただ覗いてしまっただけだったと思う。
でも、その無意味だったはずの経験も、今の自分の一部として、ちゃんと活きている。
あの時失った時間やお金は、確かに戻ってこないかもしれない。
でも、経験だけは誰にも奪えない。
あの会場にいた人たちは、決して「変な人たち」ではなかった。
異様な光景ではあったけれど、そこにいた一人ひとりは、ごく普通の人たちだった。
誰かを騙してやろうという顔をしているわけでもなく、むしろ真剣に、何かを信じようとしている顔をしていた。
そして、壇上に立っていたあの「社長」も、間違いなく普通の人だった。
でも同時に、あの場にいた誰よりも儲かっているだろうことも、なんとなく分かっていた。
あの日、無理やり連れて行かれたセミナーで学んだことなんて、ひとつもないと思っていた。
自己啓発本の受け売りと、意味のない拍手と、怪しい商品説明。
得たものといえば、三つ星ホテルで一晩、羽を伸ばせたことくらいだと思っていた。
でも実際には、あの一泊二日が、後の自分を何度も助けていた。
大学生になって似たような手口を目の前にしたとき、瞬時に「これは危ない」と判断できたのも。就職した会社の研修に違和感を覚えて、傷が浅いうちに逃げ出せたのも。
全部、あの時に無理やり刷り込まれた"怪しさのパターン"のおかげだった。
一番役に立たなそうな経験が、一番役に立った。皮肉な話だと思う。
親に「行け」と言われたら、子供は断れない。
あの時は、それがただただ理不尽なことだと思っていた。
でも今なら、その理不尽の中に転がっていたものを、ちゃんと拾って自分の武器にできたんだと思う。
