異界からこんにちは。―食べ物はある。でも、食べられるものがない。
25年前のレシピカード
納戸を整理していたら、
錆びたリングでまとめられた小さなレシピカードが出てきた。
厚さは二センチほど。
「主食」「おかず」「汁物」などの、見出しつき。
台所で水にぬれてもにじまないように、
細い油性マジックで書いてある。えらい。
二十五年前のわたし、なかなか仕事が細かい。
……と言いたいところだが、
見出しは、
当時手伝ってくれた家事代行の彼女が、
使いやすい工夫として貼っていたものだ。
ただの家庭料理のメモに見えるかもしれない。
でも、これは料理メモではなかった。
わたしが入院しても、
子どもの食事が止まらないようにするための、
台所の引き継ぎ書だった。
もっと正確に言えば、
わたしの代わりに
命にかかわる判断をしなくて済むように、
家ごと作り替えた、
その記録だった。
入院より先に、子どものごはん
「手術が必要です」
「入院になりますね。早いほうがいいです」
そう言われたとき、
普通なら自分の身体のことを考えるのだと思う。
どのくらい深刻なのか。
手術はどんなものなのか。
痛みは長引くのか。
でも、
わたしの頭に最初に浮かんだのは、そうではなかった。
「どうしよう。子どものごはん……」
それだけだった。
わたしには、食物アレルギーの子どもがいた。
それも、
「ちょっと気をつければいい」では済まない、
かなり本気の除去食が必要な子どもだった。
乳、卵、ナッツ、大豆がだめ。
アレルギー用のお菓子によく使われる
ココナッツオイルやココナッツミルク、ココア、カカオ、アボカドもだめ。
コンタミもだめ。
朝食の定番である鮭もだめ。
ウインナーもハムもソーセージもナゲットも、
市販のハンバーグもミートボールもだめ。
大人の和定食に出てくる
卵焼きも目玉焼きも、
納豆も豆腐もだめ。
つまり。
朝起きて、
「朝ごはん、どうする?」の時点で、すでに詰む。
普通の家なら、いくらでもやりようはある。
バターロールを握らせる。
ヨーグルトを食べさせる。
納豆ごはんにする。
コンビニでおにぎりを買う。
時間がなければ、
保育園へ向かう車や自転車の上で、パンかチーズを握らせる。
最終手段、朝マック。笑
つまり、調理時間ゼロでも朝ごはんになる。
普通の朝には、
「ちゃんと作らなくても、なんとかなる道」がたくさんある。
うちでは、全部使えませんけど、何か?
そして。
入院が数日なら、作り置きでしのげる。
けれど、
「最低一週間。回復が遅れれば二週間」と言われていた。
作り置きでは足りない。
わたしがいなくても、
子どもたちが毎日食べられるよう、準備をしておかなければならない。
でないと、入院さえできない。
なんてこった。
病気だから入院するのに、入院はゴールのように遠い。
笑うしかない。
入院準備で病気になりそうだった。
食事を作れる人が、見つからない
まず、家政婦協会に電話をした。
電話口に出たのは、
ホーンテッドマンションの管理人さんのような、
低くてドスのきいた声だった。
「はい。かせいふきょうかいですが」
背景にコウモリが飛んでいた。たぶん。
失礼しました。ここは違う。
本能がそう言った。
その後も、あちこちに電話をした。
家政婦紹介所、シルバー人材センター、
思いつくところに、片っ端から問い合わせた。
返事はだいたい同じだった。
「掃除や洗濯ならできます、という方は多いのですが」
「食事作りができます、という方はなかなか……」
初めて知った。
食事作りは、多くの主婦にとって鬼門だった。
どうしよう……。
自分の病気でも
「どうしよう。」と思わなかったわたしが
初めて途方に暮れた瞬間だった。
実家の母にも、とうとう事情を話した。
それまで、次男の特異体質を伝えていなかった。
嘆かれるのがわかっていたから。
予想通り、母は嘆いた。
当時、
うちには小学生と幼児の
男児二匹がいた。
息子たちが生まれてから、
わたしはスカートをはいたことがなかった。冠婚葬祭以外は。
息子の母になると、パンツとスニーカーが標準装備である。
娘しか育てたことのない母に、
そんな男児二匹の留守番をお願いするだけでも、
気の毒すぎる大仕事だもん。
そのうえ、
こんなガチな除去食まで頼むのは到底、無理だ。
ああ、どうしよう。
時間だけが過ぎていった。
ポストに入っていたチラシ
そんなとき、
ポストに一枚のチラシが入った。
家事代行サービスを立ち上げたばかりの
女性のチラシだった。
救いの神。ここだ。
迷わず電話をした。
「わたしの入院中、
食物アレルギーの子ども二人と、
留守番の母の三人分の食事作りをお願いしたいんです」
「子どもの世話は実母に頼んでいます」
「朝ごはんは前の晩に用意して、冷蔵庫に入れておいてください」
「日常的に食べさせているごはんのレシピは、
全部カードに書いておきます」
「わたしの退院日まで、一日三食お願いします」
ありがたいことに、引き受けてもらえた。
彼女は開業したばかりで、まだ他の仕事が少なかった。
それは、わたしにとって天の助けだった。
判断は、人に頼めない
わたしが家にいれば、その都度判断できる。
これは使える。
これは使えない。
これは今の体調ならやめておこう。
これは大丈夫。
でも、わたしがいない。
そのとき困るのは、料理の手順ではない。
「判断」だ。
普通の料理なら、途中でいくらでも調整できる。
調味料を変える。
冷蔵庫にあるものを足す。
昨日の残りを使う。
足りない材料を別のもので代用する。
工夫する。
それは、日常の家事では「気が利く」ことだ。
でも。
重症アレルギー児の食事では、「要らない」どころではない。
その気の利かせ方が「危ない」。
「ちょっと足りないから、マヨネーズを買ってきました」
「いつものがなかったので、似たような調味料にしました」
「こっちのほうがおいしそうだったので、これを足しました」
普通の台所なら、
「素晴らしい創意工夫」なのだが。
うちの台所では、
「イレギュラーこそが命取り」になりうる。
だから。
わたしがやるべきことは、
「料理上手な人を探すこと」ではなかった。
命にかかわる判断を、「その人にさせないこと」。
その場で迷わなくて済むように、台所の条件を固定すること。
「いつもと同じが一番安全」なのだ。
レシピカードに書いたこと
その日から、わたしはレシピカードを書き始めた。
それは、
わたしの脳内を
紙と台所に移し替える作業だった。
料理名だけでは足りない。
まず書いたのは、
使える食材と使えない食材。
使える調味料。
使える主食。
使えるだし。
そこから、ようやく料理だった。
めんつゆ。
味噌汁。
しじみ汁。
じゃがいものポタージュ。
かぼちゃのポタージュ。
鶏そぼろ。
豚丼。
肉じゃが。
焼きそば。
サラダ。
煮物。
焼き魚。
茹で野菜。
特別な料理ではない。
拍子抜けするほど普通の家庭料理である。
乳も卵もナッツも大豆も使えず、
市販のだしも、コンソメも、ルーも使えない中で、
毎日の食事として成立させてきた料理だった。
カード一枚に一皿分。
それだけを見れば、何も考えずにそのまま作れる。
「何を作ろう?」
「何を足そう?」
「これを使ってもいいのかな?」
その場の判断を起こさないためのカードだった。
手伝いの人が頭をひねるとしたら、
「この調味料だけで作るのかあ」
たぶん、それくらいだったと思う。
慣れなければ、味加減は少し微妙かもしれない。
でも、全然それでいい。
この台所に必要だったのは、
素晴らしいおいしさではなく、
食べられるものが確実にあること、だったから。
アレルギーの食事を他人に頼むなら、おいしさから降りるしかない。
限られた材料だけで、食事を作るのだから。
コンソメも、だしの素も、一般的な味噌も、普通の醤油も使えず、
「砂糖と塩だけで味を決める」なんて、
やったことのない人のほうが多いだろう。
慣れない作り手は、
そのノウハウを持っていないのが当たり前なんだ。
だからね。
食べられるものがあれば、
それでもうほんとうに、充分すばらしいことなんだ。
ただ、
長期的に見ると、それだけでは足りない。
「安心してお腹いっぱい食べられるものがある」だけで満足して
日々を過ごしたら、
栄養失調と成長障害まっしぐらである。
メンタルヘルスは削られ、
パフォーマンスは落ち、
社会生活からのドロップアウトも見えてくる。
でも、まずは。
一食ごとに、「命を落とさない」のが最優先。安全第一。
この二重構造も、怖い怖い異界セオリーかもしれない。
外の「ふつう」、持ち込み禁止
保存のきく食材や調味料は買い足した。
生協と宅配で、いつも使っている肉や野菜を注文した。
そして。
調味料棚、冷蔵庫、ストック食材の戸棚から、
子どもたちが口にできない食品をすべて取り出し、
近所の人にもらってもらうなどして、
とにかく家から出した。
わたしがいない間、
「食べられないもの」が家にあるのは、危険すぎた。
いつ誰が出して使うとも限らない。
幼児の行動は読めない。小学生もだ。
家の中に置かない。
それが、いちばん安全だった。
彼女が打ち合わせに来てくれた日、わたしはカードを手渡した。
「在るものだけでやってください」
「うちにあるものは、全部使えます」
外のふつう、持ち込み禁止。
在るものだけでお願いします。
それは、節約の話ではなかった。
この家の中に在るものだけが、わたしの目で確認済みのものだった。
外から持ち込まれる「ふつう」が、いちばん危ない。
似たような調味料。
ちょっと足したほうがおいしくなるもの。
たぶん食べても大丈夫なもの。
子どもが好きそうなもの。
普通の台所では
「予想外の喜び」だったり、「親切」になるものが、
うちの台所では「危険」になる。
外の「ふつう」が入り込まないように、
家の中を小さな安全圏にしてしまう。
わたしが試行錯誤で築いてきた「安全」という小さな世界だ。
だから、「在るものだけでやってください」なんだ。
リカちゃんハウスの中で、全部やってください。そんな感じだ。
それでようやく、わたしは入院できる。
怖いのは、普通の人の「いつも」
外の「ふつう」が怖いのは、食材だけではない。
もっと怖いのは、普通の人の「いつも」だった。
重症アレルギー児の台所で怖いのは、
何か特別な失敗ではない。
普通の人が、
普通の台所で、
「無意識にしていること」だ。
たとえば、
大鍋を混ぜている途中で、お玉ですくって、
そのまま口をつけて味見をする。
普通の家では、ただの味見である。
わたしも、よその家ならまったく気にしない。
でも、
重症アレルギー児の食事では、そこにコンタミの危険が生まれる。
「ひとりの人間の口」というのは、
その人が今日、
あるいは昨日からの、
食べたものを全部、含んでいるから。
歯磨きや
口をゆすぐくらいでは、まったく落ちない。
今日?昨日?その前??
いったい、どこまで含んでいるかは、まったく想像もつかない。
そして。
クッキーを一枚つまむ。
菓子パンを一口食べる。
その手で、また調理に戻る。
夕方の主婦がよくやる手だ。
そうだよね。お腹がすくもん。
でも、
その一かけらに、乳や卵やナッツが含まれていたら。
鍋にそのひとかけらが落ちたら。
その手で食材を触ったら。
…作り直しになる。
かつお節削りの袋にひそむエージレス(脱酸素剤)が
かつお節にまぎれて鍋に落ち
あああああと思いながら、
全部捨てて、
作り直したことは何度もあった。
化学物質で最強の反応を起こした子どもだから、
何が起こるか分からない。
起こってからでは遅い。
「食べても死にゃしない。」、
それが通じない世界の子どもだ。
だから、
わたしはどれほど空腹でも、
台所に立っている間、何も口にできなかった。
大学院から帰ると、夜七時を過ぎている。
子どもたちはお腹をすかせている。
帰宅途中で
どこかに寄って、
自分だけ何か食べてから帰る余裕などなかった。
少しでもお腹が満たされたら、調理する気が無くなる。
何より、
食べ物を見るのも嫌になる。
「それでも作らないといけない」拷問を避ける知恵でもある。笑笑。
帰宅したら、即、お風呂。
アトピーの子どもは、
夕食前に身体を洗い、軟膏を塗って、
かゆみを落ち着かせる必要があった。
それから夕食の支度。
食べるのは、その後。
子どものごはんを作っても
わたし自身は
食べられないことも多かったけどね。
胃はずっと痛かったから。
食べものを見るのも、正直つらい時期が長かった。
でも。
作らなければ、子どもが食べられるものは何もない。
だから作るしかない。
それは今も変わってないなあ。
あるとき、気づいた。
「お酒ならいけるんだな。」おおおお~なんてこった。
ビールなら、万が一、
一滴落ちても子どもは食べられる。
それから、
ビールを一缶飲みながら料理するようになった。
(それ以上飲むと、お腹いっぱいになるからだめなのよ)
ママ友には笑われた。
「飲みながらごはん作るんだね」
そうです。
台所の安全管理上、ビールはセーフなのです。
いい案だと思うんだけどなあ~
家事代行さんが、三キロ痩せた
結局、
わたしの入院は
回復が遅れて二週間になった。
退院後、家事代行の彼女に会った。
「いやあ、緊張しました」
「三キロ痩せました」
そう言って、苦笑いしていた。
ごめんねえ。
本当に、よく引き受けてくださったと思う。
家の中には、アレルゲンを置いていない。
使える食材も調味料も決めてある。
レシピカードもある。
それでも、
二週間で三キロ痩せるほど緊張したんだな。
それが、厳格除去の世界かもしれない。
「一滴でもだめ」というのは、見えないキツさがある。
外から見ると、単純な料理に見える。
その反面、
作る人の身体には、きつい縛りが生まれる。
そのとき、わたしは思った。
そうだなあ。
これは、人に頼めない家事なのではない。
「頼める形にするまでが、大仕事」、なんだな。
食べ物があることと、「食べられるものがあること」は違う
今年の正月、大阪のホテルに泊まった。
夕食会場には、豪勢なブッフェが並んでいた。
ローストビーフ。
ローストチキン。
海鮮サラダ。
豆のサラダ。
色とりどりの和え物。
ケーキ。
アイス。
あんこを使った和風の甘味。
普通なら、選び放題だと思う。
でも、
次男が安心して食べられるものは、ほとんどなかった。
肉そのものは食べられても、下味やソースがわからない。
焼く場所や切る道具が、何と共用されているかわからない。
野菜そのものは食べられても、
外の料理では
「茹でただけの野菜」
「ただ焼いただけの肉」は、
めったに出てこない。
たいていは、
和えてある。
ドレッシングがかかっている。
出汁やたれを含んでいる。
下味がついている。
材料としては、全然、食べられるんだが。
「料理」になった瞬間に食べられなくなる。
デザートバーも同じだ。
ケーキもアイスもある。
シャーベットなら、いけそうかと思いきや、卵白使用でアウト。
あんこものもある。
小豆ならいけるんだが、乳使用でアウト。
結局、
次男が食べられたのは、
白飯と、
ただの葉っぱ、ただのミニトマト、ただのオニオンスライス。
味つけは、持って行ったポン酢。
デザートは、カットされたリンゴとオレンジ。
終わり。
そのブッフェは、一人五千円ほどした。
ローストビーフもローストチキンも、海鮮サラダも
ケーキもアイスも並んでいる。
でも。
食べられたものだけを拾い上げると、
五千円の夕食は、
白飯と葉っぱと果物少しになる。
高すぎくんである。
とはいえ、その日は正月だった。
どこへ行っても混んでいる。
繁忙期の飲食店では、厨房もフロアも忙しい。
慣れないアルバイトの店員さんが入っていることもある。
確認漏れ。
伝達ミス。
料理の取り違え。
そしていちばん困る、
「たぶん大丈夫だと思います」という、根拠不明の返事。
分からないなら、
「分からないです。」と言ってくれたら、
アレルゲンが入っている前提で対処するんだが。
その方がありがたいんだ。
(要は食べない、ってことなんだけどね)
移動日の夕食に、
飛び込みで入った店で
一からアレルギーの説明をするのは危険すぎる。
だから、
事前にアレルギーの連絡ができる宿の中で食べよう、
という判断だった。
安全第一。
食べられるものが少ないだろうことはわかっていた。
ここまで少ないとは、思わなかったけど。
見た目はいい。
色もきれいで、種類も多い。
普通なら、楽しいレストランなのだと思う。
でも、重症アレルギー児の目で見ると、危険が多すぎる。
和えてある。
混ざっている。
ソースがかかっている。
厨房の奥が見えない。
食べ物がたくさんあることと、
その子が食べられるものがあることは、まったく違う。
これは、二十五年前だけの話ではない。
今でも、旅先のブッフェはこういう風景になる。
普通のごはんは、自由でできている
アレルギーのない人は、
毎日、
ものすごい自由の中にいる。
朝、パンと牛乳で一食になる。
ヨーグルトもチーズも食べられる。
味噌汁に卵を割り入れれば、「ご飯と味噌汁」で一食が完成する。
卵かけごはんができる。
コンビニでおにぎりを買える。
サンドイッチが買える。
疲れた日は惣菜で済ませられる。
旅先で「何食べたい?」から、レストランを選べる。
ブッフェで「どれにしようかな」と迷える。
これは全部、ものすごい「自由」である。
その自由は、
日常の中に溶け込んでいるので、たぶん普段は見えない。
わたしも、もし何もなければ、見えなかったと思う。
でも、
重症アレルギー児のいる家では、
ごはんに「自由」はない。
「除去食」という言葉通り、
食べられないものを除けばいい、という単純な引き算では済まない。
乳・卵・ナッツ・豆がだめだと、
「除去」したら、
料理として成立しない。
お皿と鍋しか残らないよ。マジで。笑笑。
だから。
「その子が食べられるものだけ」で、成長期の身体を作る。
一日三食とおやつを、
毎日、
何十年も繰り返す。
除去食は、設計だった。
乳と卵が使えないということは、
優秀なタンパク源を捨てるということでもある。
大豆が使えないということは、
醤油も豆腐も味噌も油揚げも納豆も使えない。
おせち料理なんて、悲惨なものだ。
長い間、
そのまま食べられたのは
「なます」と「自家製きんとん」くらいだった。
だから毎年、
雑穀しょうゆで
お煮しめとお雑煮を作っていた。
お正月だと言うのに、食べられたのはそんなもんだ。
ナッツが使えないということは、
精進料理やヴィーガンのおやつの知恵も、
そのままでは使えないということだ。
同じ重症アレルギーでも、
何が食べられないかによって、制限の影響は大きく違う。
身体を造り、
日々の活動を持たせるための
栄養が摂れるかどうか。
乳、卵、大豆、ナッツのように、
家庭料理、加工食品、成長期の食事、おやつ、外食、
その中に深く入り込んでいるものが複数抜けると、
世界は変わる。
食べ物はいくらでもある。
だが、食べられるものはない。
ほんとうに、無いんだ。
この世界は、経験しないとなかなかわからない。
異界からこんにちは
あのレシピカードは、
二十五年前のわたしから出てきた手紙のようだった。
錆びたリング。
油性マジックの細い字。
水にぬれても読めるように書かれた、主食とおかずと汁物。
生まれた子どもが重篤なアレルギー児と分かったばかりの母親が、
子どもの食事をひとに託すため、
一生懸命に
手立てを考えた。
何とかして、
子どもの平和な暮らしが続いてゆくように、
自分の手術そっちのけで、子どものごはんを画策する。
安全な遂行のために、台所から危険物をなくす。
レシピを書く。
食材をそろえる。
判断をなくす。
家ごと変える。
いま思うと、異界である。
でも当時のわたしにとっては、それが毎日だった。
普通の人の暮らしが海なら、
わたしはその隣にある、汽水湖で泳いでいたのかもしれない。
同じ日本に住んでいる。
同じスーパーに行く。
同じホテルに泊まる。
同じブッフェを見る。
でも、
見えている世界が違う。
普通の人には「おいしそう」に見えるものが、
こちらには「解読不能」「食べる物ではない」になる。
普通の人には「便利」に見えるものが、
こちらには「危険」「論外」に見える。
普通の人には「ちょっとした工夫」に見えるものが、
こちらには「余計なこと」で、
「あちゃ~💦せっかく食べられたのに、もう食べられない」
になってしまう。
だから。
これは異界からの便りである。うふふ。
異界からこんにちは。
こちらの世界では、ビールは台所の安全管理上セーフです。
最近はワインも追加されました。
(日本酒も大丈夫だけど、台所の友としては好みでない笑)
五千円のブッフェで、白飯と葉っぱを食べることがあります。
(食えるものがあっただけ、まだマシなんだ、実際。)
レシピカードは、命の引き継ぎ書になります。
でもね。
悲惨なだけの世界ではなかったと思うよ。
とりあえず、子どもは育った。
食べられるものが少なくても、食卓は作ってきたよ。
家事代行の女性は三キロ痩せながら、二週間を走りきってくれた。
わたしも入院して、退院して、また台所に戻った。
主人公は死なず。
そして、
錆びたリングのレシピカードは、
二十五年後の納戸から出てきて、
わたしにこう言っている。
「ほら。あのとき、ちゃんとやったじゃない」
そうだね。
よくやった。
あれ以上はできなかったよ。
食べ物があることと、
「食べられるものがある」ことは違う。
ごはんを選べることは、大きな自由である。
疲れた日に何かを買って済ませられることは、
かなり、相当、大きな恩恵である。
今夜、
あなたが冷蔵庫を開けて、
もしくは。
「疲れたから外食で」って、
家族みんなでメニュー表を見て、
あれこれ楽しく迷って、
ただ「これ食べたいな」と思いついたものを、
そのまんま、オーダーできるならば。
それはたぶん、
思っているよりずっと、
ものすごい偉業だ。
「闇鍋に手を伸ばせる自由」とでもいうか。
それはもう、本当に素晴らしいことなんだ。
わたしだったら
「使っているすべての材料一覧と工程を、見せてください」
から始まるから。笑笑。
既知のものしか口にできない不自由さがある。
全然、ロマンもない。ワクワクもない。
「闇鍋」にならない。
だから、いつも思ってきたよ。
ヒトは、「食べ物で世界を知る」んだと。
食べたことのない料理に、手を伸ばす。
旅先で、お勧め料理を食べてみる。
差し入れを、ありがたく頂戴する。
多くの人はそれができる。
不思議な味と香りに、ちょっとびっくりする。
ちょっとうれしくなる。
これ、美味しいなあ。
その積み重ねで、
世界は少し、広くなってゆく。
だから。
その代わりに、
どんな広い世界をあの子に見せてやれるかを
わたしはずっと試されてきた。
まあ、でもね。
いいこともある。
25年後の台所
あれからざっと25年。
次男は浪人の末、大学に受かり、下宿生活になった。
慣れない下宿生活で体重が落ちた。
これはまずい。
自宅に呼び戻し、長距離通学になった。
わたしはその一年、
「飯を食わせて、身体を立て直す」ことをミッションに決めた。
うまくいった。
半年で8キロ増え、
おなかと背中がくっつく、ぺちゃんこ体型がましになり
服が入らず全部買い替えた。
大出費だが、嬉しい悲鳴だった。
無事進級して2年後、
「朝、大学に間に合わないから」と
大学の真ん前に下宿を探して父親に契約を頼み、
兄のクルマを出してもらい、さっさと引っ越ししていった。
今では週末に帰ってくる。
紀ノ国屋のでっかいクーラーバッグを下げて。
わたしは帰省に合わせて、
一週間分のおかずを作っては冷凍してゆく。
この間に、除去が解除になったのは豆だけ。
除去は続いているが、
あのレシピカードの何十倍も、レパートリーは増えたよ。
我が家の冷蔵庫はでかい。
冷凍庫の半分幅の引き出しを「次男用おかず入れ」に採用、
そこで冷凍おかずを製造している。
次男はそれを
紀ノ国屋バッグに入れて持っていき、
来るときは空容器を詰めて帰ってくる。
今週も
次男が去った日曜の晩、その引き出しを開けた。
…空っぽだった。
うれしかった。
次男の冷凍庫は容量が狭くて、たくさんは入らない。
持って帰れるということは、
ちゃんと食べて、空になっている印。
昨日は15時まで寝ていたから。
疲れると睡眠優先で食が細くなる子なので、本当に安心する。
食べられれば、身体は、ちゃんと持つ。
我が家の台所は、
今ではこんな感じになっている。
風音暁璃(かざねあかり)🍃
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