自分を置き去りにしていた
人のボンビーばかり見ていた
自分を置き去りにしている人は、
自分を置き去りにしていることに気づいていない。
私も、その一人だった。
あの頃の私は、
人のボンビーを見つけるのが得意だった。
「あの人、教えたがりボンビーやな。」
「また解説ボンビー出演しとる。」
「出た!無自覚ボンビー」
そんなふうに、人の癖はよく見えていた。
今思えば、一番元気だったのは自
分の評価ボンビーやったんやと思う😆
でも、不思議なことに。
自分のボンビーだけは、まったく見えていなかった。
最初に違和感を覚えたのは、自分じゃなかった。
相手やった。
話している途中で、ふっと表情が変わる。
返事が少なくなる。
時には黙る。
その空気を感じるたびに、
「……あれ?」
と思うようになった。
最初はそんなに気にしてなかった。
でも、何度も同じことが続く。
そのたびに、
「なんかやってしまったか?」
そう思う瞬間が少しずつ増えていった。
もちろん、その頃の私は、
自分にボンビーがいるなんて
思ってもいない。
だから理由を探した。
言い方が悪かったんかな。
説明が足りなかったんかな。
もっとちゃんと伝えたら分かってもらえるかな。
今思えば、違った。
伝え方じゃなかった。
私自身やった。
その頃は、何かあるたびに説明していた。
「違う違う、私が言いたいのは…。」
「そうじゃなくて…。」
今思えば、相手に伝えたかったというより、
自分の正しさを伝えたかったんやと思う。
それがボンビーなんて、全く思ってなかった。
そんなある日。
人の話を聞いていると
「あの人、教えたがりボンビーやな。」
と笑っていた。
すると返ってきた。
「きよ、それお前もやで😆」
「……え?」
「あっ
これ、私もやってる!?」
これ人のボンビーやと思ってたのに、自分のボンビーやん😆」
初めて、自分のボンビーが見えた瞬間やった。
でも、その頃の私は
ボンビーを無くそうとしてた。
ただ
「余計なことを減らす」
それが、自分を取り戻す最初の一歩だった。
余計なことを減らしてみる
人って、不思議なもんで。
何かを変えようと思ったら、まず増やそうとする。
本を読んだり。
勉強したり。
新しいことを始めたり。
私もずっとそうやった。
だから最初は、自分を変える方法を
探そうとしていた。
でも、その時ふと思った。
「増やすんじゃなくて、減らしてみよう」
何を減らしたらいいのかなんて、正直よく分かってなかった。
でも、一つだけ分かったことがあった。
私は、多くのことをやり過ぎている。
そして余計なこともしている。
だから、そのやり過ぎてることや余計なことを減らしてみようと思った。
まず決めたのは、
教えようとしない。
正解を言わない。
否定しない。
評価しない。
まとめようとしない。
焦らない。
できるかどうかなんて考えてなかった。
ただ、
「やる」
そう決めただけやった。
最初は、もちろんできないこともある。
気づいたら説明してる。
気づいたらまとめてる。
「あっ」
「またやってる」
その繰り返しやった。
でも、不思議やった。
できるようになったから続けたというより
続けると決めたから、気づけるようになっていった感覚が強い。
そして、その頃の私はまだ知らない。
余計なことを減らし始めたら、
減っていくのは言葉だけじゃなかったことを。
静かになった
余計なことを減らそう。
そう決めてから、しばらくして変化が起きた。
それは、思っていた変化とは少し違っていた。
何かが増えたとか
急に前向きになったとかでもない。
ただ、静かになった。
それまで当たり前のように投稿していたnoteも、書かなくなった。
書こうと思えば書けたけど、
書く気が起こらんし無理して書こうとは思わなかった。
今振り返ると、不思議な時間やった。
ぼーっとしているような。
湖の波のような落ち着いた気持ち。
そんな感覚やった。
ちょっと前の
「これを伝えたい」
という気持ちもほぼなくなっていた。
これでいいんか?って不安もあったけど焦りはなかった。
「今はこれでいい」
そう思えていたからだと思う。
投稿も減ったし自身の動きもだいぶ減った。
でも、止まっていたわけじゃない。
自分の中で何か変わっていく感覚はあった。
その時は分からなかったけど今なら思う。
あの一か月は、なんか濃い時間やったなって。
戻りきよ
静かな時間を過ごしてから、
少しずつ投稿も戻り始めた。
前みたいに、
「書かなあかん」
じゃない。
書きたいと思った時に書く。
そんな感覚やった。
でも、その頃の私は、
もう一つ考えていたことがあった。
「自分に戻るって、何やろ」
考えていたと言っても、
答えを急いでいたわけじゃないし特に
焦りもなかった。
むしろ、
「これは必要な時間やな」
そんな気持ち。
ある日、
ショート動画を撮っていた。
いつも通り話していると、
最後に自然と言葉が出てきた。
「戻りきよ」
自分で言うて、
「なんや今の🤣」
と思って笑った。
昨日まで一度も考えたことのない言葉やったから。
でも、不思議としっくりきた。
私は、
自分に戻ることを教えている人じゃない。
私自身が、
自分に戻り続けている人。
今日も戻る。
明日も戻る。
たぶん来週も戻る。
腹が立つ日もある。
調子に乗る日もある。
落ち込む日もある。
でも、
戻るのが早くなった。
それだけやった。
だから最近思う。
自分に戻るって、
完璧になることじゃない。
戻り続けることなんかもしれん。
そんなある日。
知り合いの女性と店で話していた。
私たちは仲良くしようなんて思って
話していたわけじゃない。
ただ、いつものように話していただけやった。
すると店の人が、
「お二人、仲がいいですね。」
と笑って言った。
昔の私なら、
「そんなことないですよ」とか、
「たまたまです」
と言っていたかもしれない。
でも、その時は違った。
「そう見えますか😆」
それだけやった。
不思議やった。
仲良くしようと思って
仲良くなったわけじゃない。
距離を縮めようと
頑張ったわけでもない。
ただ、余計なことを減らして、
自分に戻ることを続けていたら、
気づけば、自然に笑って、
自然に話せる関係になっていた。
だから
「仲いいですね」
その一言は、
関係を褒められたというより、
「自然な自分に戻れてるよ」
そう言ってもらえた気がした。
ボンビーは消えなかった
少しずつ投稿も増えた。
動画も撮るようになった。
前みたいに、
「書きたい」
という気持ちも戻ってきた。
だから最初に思った。
「また前みたいになるんちゃう?」
動画を配信すれば反応も見る。
noteを書けば数字も気になる。
そうなったら、
また評価ボンビーが元気になるんちゃうか。
そんな疑問が、出てきた。
でも、不思議やった。
確かにボンビーは出てくる。
「あ、評価しとるな」
「あ、焦っとるな」
そんな日は、今でもある。
でも、
前とは何かが違った。
前は、ボンビーが出てきたら、
そのまま引っ張らがちやった。
何日も。
何週間も。
でも今は違う。
「あ、また出てきたな😆」
そう思える。
すると、
自然と戻れる。
ボンビーを追い出したわけじゃない。
戦って勝ったわけでもない。
ただ、
戻り方を知った。
それだけやった。
だから私は思う。
ボンビーは消えない。
でも、
戻るのは、少しずつ早くなる。
戻るのが早くなった
気づけば、
腹が立つことが減っていた。
もちろん、
今でも腹が立つことはある。
落ち込む日もある。
調子に乗る日もある。
ボンビーも普通に出てくる。
でも、
前みたいに長くは続かない。
「あ、またや」
そう思ったら、
自然と戻れる。
それだけで十分やった。
昔は、
ボンビーをなくそうとしていた。
完璧になろうとしていた。
でも今は違う。
戻れたら、それでいい。
そう思えるようになった。
不思議やけど、
そう思えるようになってから、
人を見る目も少し変わった。
前は、
「なんでこの人は……。」
と思っていたことも、
今は、
「今、この人もしんどいんかな。」
そんなふうに思うことが増えた。
たぶん、
自分に戻れるようになったから、
相手にも戻る時間があることを
信じられるようになったんやと思う。
だから私は、
誰かを変えたいとは思わなくなった。
答えを教えたいとも思わなくなった。
ただ、
その人が自分に戻る時間を、
一緒に過ごせたらいい。
そう思うようになった。
自分を置き去りにしていた
自分を置き去りにしている人は、
自分を置き去りにしていることに気づいていない。
私もそうやった。
だから今は、
戻りたくなった人が、戻ってもいい時間や場所を作っている。
そんな時間を、一緒に過ごしている。
そして、これを書いている今も
戻りながらボンビーとも遊んでます😆
本日も戻りきよボンビー中😆
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