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ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』 中学生の頃に読んで悩み、30代で読み返した古典名作


中学生の頃、推薦図書として読んだヘルマン・ヘッセの『車輪の下』。

ハンスやハイルナーが抱える、繊細で孤独な思春期の心、そして救いのない結末に衝撃を受けた作品です。


今さら紹介するまでもない有名な古典ですが、大学共通テストのニュースを目にして、30代になった今、読み返してみようと思いました。

新潮文庫版です。


※ネタバレを含みます。





中学生の頃に惹かれた、自然の美しさと違和感


中学生の頃に読んだとき、まず心を掴まれたのは森や川、釣りの描写だった。

自然がとにかく美しく、物語というより風景を追いかけるような感覚でページをめくっていた記憶がある。


一方で、序盤のハンスには正直あまり好感を持てなかった。

勉強ができることで、村の人や同年代をどこか見下しているように感じられたからだ。


物語が神学校に移ってからは、空気が一変したと感じた。

先生たちは息苦しく、ハイルナーとの関係は切なく、疲弊していくハンスを読むのがつらかった。

「先生にとって都合の悪い天才はいらない」というような描写には、天才でもない自分ですら腹が立った。


なぜこんな先生たちを嫌いになってしまう作品が、読書感想文の課題図書なのか。

当時はそれが不思議で仕方なかった。


思い返すと、自分自身も中学生の頃、先生という存在にどこか不気味さを感じていた。

自分は先生達との距離感を常に測っていて、先生とニックネームで呼び合うクラスメイトを見るたび、言葉にできない居心地の悪さを覚えていた。


後半、地元に戻ったハンスにとって、美しかったはずの自然は次第に「死」を意識させる場所へと変わっていく。

釣りもしなくなってしまうのが、悲しかった。

それでもなぜか、エンマだけは理由もなく好きな存在だった。


そしてラスト。

ハンスが愛した自然、その川に飲み込まれていく結末は衝撃だった。

正直、当時はその衝撃だけが強く心に残っていた気がする。


それを素直に書くのがなぜか嫌で、感想文には「先生や大人が嫌な作品だった」ということを中心に書いた。

反抗期だったのだと思う。





大人になって読み返して気づいたこと


30代になって読み返した『車輪の下』では、ハンスよりも、彼を取り巻く大人たちに自分を重ねてしまった。

自分は誰かを、知らず知らずのうちに車輪の下へ追いやってはいないだろうか、と考えながら読むことになった。


靴屋のフライクおじさんが口にする

「もっと何かしてやれたのではないか」

という言葉は、常に自分の胸に留めておきたい。


ハンスの破滅は、個人の弱さだけでなく、社会や教育というシステムの問題でもある。

それを忘れてはいけない、と改めて思わされた。


ヘッセの学校や教育制度への怨念ともいえる恨み節は、今読むと共感できる部分もある。

自分自身、難関校を目指していた訳では無いが、同世代で受験や進路のプレッシャーから心や身体を壊していく人を見てきた。

トップ校や難関大学を目指す人たちの心労たるやと思ってしまう。



終わりに

今回は当時の読書感想文を思い出して書いてみました。

『車輪の下』は今読み返しても面白くて、『少年の日の思い出』や『デミアン』も読み返してみたくなります。

これからも古典名作からミステリーまで、幅広く読んでいこうと思います。

ありがとうございました!





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