青春漫画抄(昭和)㉑

*《 再び戦場にて 》
修羅場を幾度も経て
私の技術もかなり向上していたと思う。そんな折、
襖を隔てた隣の部屋から、奥さんと妹さんの会話が聞こえてきた・・・
当然、その内容は仕事中の先生にも私にも伝わっていた。
先生がペン入れした背景を見ながら・・・
「次郎さんのペンより、私君のペンの線が綺麗!」という話だった。
確かに絵の技術は先生には遠く及ばないが、ペンの技術に限っていえば
量をこなしていた分、先生を凌駕していたと思う。
その間、黙して作業を続けていた先生の心境は如何に?
そして私もまた、慢心の時期だったかもしれない。
私の暴走が始まったのである。
*《 桑田先生 VS 私 》
初めて先生から仕事の原稿を手渡された時
「○×■○・・・××」と、いった感じでお願いできますか?」
と、お願いされた。
私にとって神のような大先生からこんなにも丁寧な口調で
応対されるのは驚きだった。
先生のその態度はその後も変わっていないし 尊敬もしている。
先にも書いたが、先生は青鉛筆で丁寧に下描きして
私がペン入れをするといういう流れなのだが、
先生を手伝うようになって約一年・・・
仕事の手順にも慣れた私は、
(自分ならこんな風に描いてみたい・・・!)という思いが芽生え、
やがて・・・ついに実行してしまったのである。
勇気ではなく、礼儀を無視した暴挙ともいうべき行動だった。
消しゴムが効く青鉛筆で描かれた先生の下書きを・・・
思い切って消しゴムで消し、自分流の新たな絵を描いてペン入れし、
どうだ?! とばかりに先生に渡したのである!
その絵を見た先生の動きが止まり、暫しの沈黙の後・・・
「・・・いいですね!面白い表現法です。」との返答。
激怒されるのを覚悟していた私は思わず、
( やった!!)の心境となった。
そして
私のそんな冒険(表現のレベルアップ・笑)は、その後
何度も繰り返された。
『カワリ大いに笑う』の頃には、
先生が「輪郭の線を太くしましょう!」といい、
それが先生のマイブームのようになった。
だが私は背景の処理によって、輪郭の線を細くする事にハマっていたので
大いに反発! 様々なペン処理において・・・先生との戦争状態に突入した!
結果、桑田先生と私とのちょうど中間くらいの処理原稿が続いたのである。
私が感嘆したのは、私が見つけるごとの身勝手なその手法を
先生が喜んで真似してくれた事である。
小僧の私からでさえ、学ぶものがあれば学ぶという・・・
どこまでも大人であり、大先生なのであった。
その頃には、、締め切りを前にする修羅場の中でも、
先生と私との、ある種のライバル心 剥き出しの真剣勝負の空気さえ
流れる職場となっていたのである。
余談だが、桑田次郎先生の職場における、
漫画界では、決して試みなかったと思われる技法についてお話したい。
(ここはマニアックな技法についてですので、興味を持たれない方は
読み飛ばしてください。)
*《 横切る線にホワイトを想定しない 》
・・・意味が通じないと思うので説明するが、
例えば斜線が飛び交う背景の中に交差する1ミリか2ミリ程度感覚の動線が
入っていたとする。その場合、常識的な処理は・・・
重ねて描き、後に動線部分にホワイトを入れて処理するのであるが、、
先生と私の試みは違っていた。
先に1ミリ程度の動線を描き(時には数本の場合もある)、
そこに背景部分の斜線を描く場合、長い斜線でも動線の線にピタリと止め、1ミリの動線の先の線から延長し、さらに動線があっても同様に続ける。
しかも背景の斜線は、太い線から細い線に・・・筆圧を変えながら最終的には、原稿に触れるか触れないかの筆圧でほぼ透明に近い線
(もちろん印刷では消えている)のグラデーションで描かれる。
おそらく漫画界において、他には存在しない技法だったと思う。
(斜線のグラデーションの技法は私が始め、先生がマネする流れとなった)
ある意味、そんな無意味な職人的技法にも、桑田先生も私も競って挑戦し、誇りを持っていたのである。
(つづく)
