息子と旅行 ~城巡りが育てた歴史好き~
我が家には数少ない教育方針があった。その一つが「旅行」である。
きっかけは、職場の先輩から聞いた言葉だった。
「子どもには、できるだけいろいろな世界を見せてるといいよ。本物を見て、聞いて、体験させることが大切なんだよね。そして、それができるのは小学生まで。中学生になれば部活や勉強で忙しくなるからさ。」
その言葉が妙に心に残った。
経験は人を育てる。
そう信じて、息子が幼児の頃から小学生まで、とにかく家族であちこちへ出かけた。
テーマパークや温泉。山や川、海でのキャンプ。プールにスキー、登山。城、寺社仏閣、博物館、美術館、水族館、動物園、植物園などなど。
北は北海道、南は沖縄。そして海外まで。
大都会もあれば、地図を見ても「え、ここ日本?」と思うような片田舎まで。
正直、家計はいつもカツカツだった。
旅行から帰ってきて財布を開くたびに、「これ、本当に今月乗り切れるのか?」と現実に引き戻される。
それでも翌月になると、
「次、どこ行く?」
…反省という機能は、我が家には搭載されていなかった。
周りから見れば、
「また旅行?」
と思われても仕方がないくらい出かけていた。
それでも、「経験は一生心に残る」という思いだけは揺るがなかった。
そんな数え切れない旅の中で、息子が一番夢中になったものがあった。
それが城巡りである。
きっかけは、まさかの『忍たま乱太郎』だった。
忍者に憧れた息子は、図鑑や子ども向けの本だけでは飽き足らず、少しずつ専門書まで読み始めた。
すると興味は忍者だけでは終わらない。
「忍者って誰に雇われていたの?」
そんな疑問から、大名や武将へ。
そして、その武将たちが暮らし、戦いの拠点としていた城へと興味が広がっていった。
気が付けば、旅行の行き先を決める基準は、
「近くに城があるかどうか」
になっていた。
普通の家庭なら、
「近くに温泉ある?」
「美味しいものある?」
となるのだろう。
我が家は違う。
「半径30キロ以内にお城ある?」
である。
完全にマニアの検索条件だ。
姫路城、名古屋城、犬山城、大阪城、和歌山城、松山城、松本城、金沢城、安土城跡、そして皇居に残る江戸城跡。
旅先では天守を見上げながら、
「この石垣は野面積みだね。」
「この城は○○年に改修されている。」
「ここは攻めにくい地形なんだよ。」
などと、聞いてもいない解説が始まる。
周りの観光客は天守を見ている。
私は息子を見ている。
「こいつ、いったい何者なんだ…。」
最初は「へぇ、そうなんだ」と聞いていた私も、そのうち完全にガイド付きツアー状態になった。
たまに説明が長すぎて、
「ごめん、その続きは駐車場まで歩きながらでいい?」
と時間制限をお願いすることもあった。
私自身の反省にもなるが、学校で学ぶ歴史は、どうしても出来事や人物名を覚える点の勉強になりがちで、線として繋がりにくい。
しかし、実際にその場所へ行くと違う。
天守の高さに驚き、石垣の大きさに圧倒され、城下町を歩けば、
「ここで本当に歴史が動いていたんだ」
と実感できる。
教科書の一ページだった歴史が、線どころか一気に立体的になるのである。
旅行の目的は、思い出づくりだけではなかった。
何か一つでも心に刺さるものに出会えればいい。
その種が、いつ芽を出すかはわからない。
息子の場合、それが「城」だったというだけの話だ。
もしあのとき、家計を理由に「また今度ね」を繰り返していたら、この趣味は生まれなかったかもしれない。
もちろん、旅行に行けば必ず何かを学ぶわけではない。
一日中プールで遊んで終わる日もあれば、ご当地ソフトクリームの味しか覚えていない日もある。
それでもいい。
そういう「何も学ばなかったように見える日」も含めて旅行なのだと思う。
ただ、いろいろな景色を見て、土地の空気を感じ、人と出会い、本物に触れる。
その積み重ねは、子どもの中で少しずつ何かを育ててくれる。
そして今、息子は京都の大学に進学し、空いた時間を見つけては寺社仏閣を巡り、そのたびに写真を送ってくる。
石畳の道。
苔むした庭。
静かな本堂。
送られてくる写真を見るたびに、
「おっ、今回は渋いな。」
と思う一方で、
「普通の大学生はラーメンとかカフェの写真じゃないのか?」
と少しだけツッコミたくもなる。
でも、その一枚一枚には、幼い頃から積み重ねてきた「見て、感じる旅」の延長線が確かに息づいている。
あの頃、必死に連れて行った数々の旅は、ただの思い出では終わらなかった。
地図の上の点だった場所が、息子の中では意味を持つ風景になり、やがて自分の足で再び訪れる場所へと変わっていった。
親としてできたことは多くない。
ただ一緒に移動し、同じ景色を見て、時に疲れながらも、
「行ってよかったね。」
と言い合っただけである。
それでも、その積み重ねが今の息子の興味や視点を形作っているのだとしたら、それ以上の報酬はない。
本当にいい環境で大学生活を送れていることが、少しうらやましくもある。
同時に、あの頃の旅路が今もどこかで続いていると思うと、不思議と満たされた気持ちになる。
そして私は今日も思う。
旅行代は高かった。
本当に高かった。
でも、あの出費は「浪費」ではなく、息子の人生への前払いだったのかもしれない。
