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成瀬に惚れるわけを、滋賀在住15歳が考察してみた。

なぜ私たちは成瀬に惚れるのか?



「成瀬は天下をとりにいく」で本屋大賞を受賞し鮮烈なデビューを見せた成瀬あかり。

彼女の自由で爽快な青春に虜になった人は少なくない。(はず)

かくいうわたしもそのひとりで、先日でた「成瀬は都を駆け抜ける」もバッチリ読ませていただきました。これが完結らしいので、中高大と成瀬を見てきて寂しいような…

でも、成瀬は200年生きるらしいのであっちの世界でまたまた面白い人生を生きるのでしょう。成瀬のその後の人生を妄想するのが最近の楽しみです。本を出されると、答えが出ちゃうんでね。
#これが読書上級者

そんな成瀬というキャラクターになぜ私たちは惚れるのか。

私は一読者なので、本の構造よりも、彼女について考えます。本の構造とかは評論家の方よろ。


ざっくり小説のあらすじを説明すると、「成瀬は天下を取りにいく」では彼女は地域のスーパーに夏を捧げ、M-1に友達と出場し、高校でカルタをして、夏祭りの司会をする。

「次の成瀬は信じた道を行く」では京大へ進学し、スーパーでバイトする。大津観光大使に選ばれ、けん玉の特技を生かす。

成瀬は都を駆け抜ける
では、京都を舞台に成瀬がいきいきと動き回る。(まだネタバレはしません。)

ただ、いってしまえばこの程度で、これ以上に自由で型破りな主人公などいくらでもいる。ストーリーとしてはあんまり強くない小説だ。(めっちゃローカルな滋賀民以外は)

ミステリー小説などはわかりやすいが、登場人物は、あくまでも物語の構成部品や、読者にその世界を見せるカメラであることが多い。

ハリーポッターなどは、ハリーの人間性もそうだが、ハリー本体ではなく、感情の変化や成長、訪れる危機・冒険、仲間との兼ね合いを楽しんでいる。

これがいわゆる「ストーリーが強い小説」で、料理で例えると、とんでもなく美味しい素材を、人物が調味料か食器となって私たちの口へと運んでくれる。

だが、成瀬はちがう。

さっきも言ったとおり、これ以上の不思議な世界観も、作り込まれた設定も、全人類の命運を分ける戦いもない。ただの滋賀の中学生のローカルな話だ。

私たちが楽しんでいるのは物語的なストーリーではなく、成瀬本人の斬新で痛快な考えや決断、反応なのだと思う。

つまり、この小説は完全に、成瀬に惚れさせにきてるのだ。

物語が強い小説は、登場人物が調味料になるが、この小説においては、調味料こそがメインなのだ。成瀬に惚れる小説なのだ。


その上で、成瀬はこれほどまでに魅力的なのか。

その魅力を一言で言うと絶妙な人間性だ。

突然だが、成瀬の夢はなにか?



それは、




「200歳まで生きること」

親友は「流石に二百歳は難しいんじゃない?」と聞くと、彼女は平気な顔をして「その時にはみんな死んでるから確かめようがない」と言って200歳まで生きることを諦めない。それどころか、足りない雰囲気すら出てきている。

ただ一言で信念を貫くと言っても、彼女はSNSでよく見るような"正しさ"の押し付けを決してしない。

親友とM-1のネタを作っている時にも、どんどん親友のアイデアを取り入れていった。

自分のネタに対しても面白くなければ
「面白くない」
と平気で言う。

彼女は「言ったからには全力でやりきる」と言う信念があるようだ。そして、作中でそれが折れたことはない。これからも折れることはないだろう。

他にもいろんな信念が彼女にはある。
ただ私の力不足で言語化しきれないのだが、とにかく彼女は自分の中の価値観を大事にしている。

だが決して自己中ではない。
他人との間にいいぐあいの線引きがある。

他人を絶対に正しくないと思っているわけでも、
自分が絶対に正しいと思っているわけでもない。

むしろ、”両方正しい”と思っているんじゃないか。

自分の信念の中では、私の正しさを貫き、
相手の信念の中では、相手の正しさを認める。

だけども、ただ不干渉というわけでもないのだ。

例えばお笑いにおいて「面白いかどうか」は絶対的な指針だ。

彼女は自分が面白いかどうか、よりも、実際にウケるかどうかを重視しているように見えた。

「自分の面白い」を貫いておらず、「みんなの面白い」を重視している。

確かに、そっちの方がいい。だけども、ただ自分の意思を貫くだけのキャラクターはそんなことはしないだろう。

成瀬には、自分の意思を貫ぬく「自分らしさ」と、場に応じて俯瞰的に貫くべきものを変えるいわゆる「社会性」が両立しているのだ。

だから、自らの意志を貫き続けて問題ない時や、俯瞰的にみて正しいときは絶対に意思を曲げない。

痛快で斬新でアクティブで自由なキャラクターは成瀬の一つの面でしかない。

彼女は、絶妙な人間性を持ったキャラクターなのだ。


LGBTQや、自分らしさ、個性が大切にすることの重要性は昨今様々な場で語られている。

だが同時に、社会を成り立たせるための社会性も忘れてはならない。

この「自分らしさ」と「社会性」を両立させることは、今の時代に出てきた新しく、そして、会社でも学校現場でもあらゆる場で誰しもが直面してる課題だ。

実はこの課題は昔から言われている。

ヘーゲルという哲学者は、「自由に生きたいという欲求」を人間の根源的な欲求だと問いた。

またトマス・ホッブスという哲学者・社会学者は、人間がただ自由に生きようとすると、みんなが自分の自由を優先して、誰かの自由を無視してしまう「万人の万人に対する闘争」になると考えた。

国連の「植民地と人民に独立を付与する宣言(Declaration on the Granting of Independence to Colonial Countries and Peoples)」は植民地支配下に置かれていたアフリカの人々の自由への願望の表れだ。特徴的な一文を紹介しよう。

Recognizing the passionate yearning for freedom in all dependent peoples
あらゆる被支配民族における自由への熱烈な渇望を認識する

LGBTQや自分らしさが叫ばれるずっと前から、自分らしさと社会性の両立は、だれしもが憧れていた。

そして、なんとか成り立たせてきたのが今の社会だ。もちろんこれが最適というわけではないだろうし、ここからも模索が続くだろう。

だが、中世の人から見れば、現代は両立が進んでいる。
同様に現代の人から見れば、未来はより両立が進むだろう。

つまりは永久の課題となりうる。

その課題に対して、成瀬は一つの答えを、生き様で見せてくれている。

私たちが永遠に恋焦がれた生き方。

それを成瀬は体現しながら、自分がまさかそんなことをしているとは夢にも思わない様子で、毎日を生きている。


だから私たちは、成瀬に惚れてしまうのだ。



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ふみ|元不登校高校生の奮闘記 もしよければ15歳にお小遣いをあげてやってください。 いただいたお小遣いは挑戦と本に使います。

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