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自己肯定感によって飼い殺しにされる子供。

中学生やってると、学校でよく聞く言葉。

自己肯定感。

それは、あまりにも都合よく、美しく響く言葉だと思う。

まるで、それさえあれば生きていけるかのような。

まるで、それさえ高ければ正しいかのような。

けれど、ほんとうにそれは「その人自身」から生まれたものだろうか。

子どもに対して、「自己肯定感を育てよう」と呼びかけるその言葉の裏に、どこか不穏な薄明かりを感じてしまうことがある。

それは、やさしさに見せかけた、無自覚な支配ではないかと。


1. 植え付けられる感情、刷り込まれる輪郭

子どもの「自己肯定感」は、ほとんどの場合、大人からの評価や承認によってできあがっていく。

「よくできたね」「あなたはすごい子ね」「そのままでいいんだよ」

そういった言葉たちは、一見すると肯定のように思える。

でも、それらは本当にその子自身の内側から生まれた感覚ではない。
“いい子”である限り肯定される。つまり、条件付きの安心だ。

それがどれほど危ういものか、私たちは大人になってから知ることになる。

根っこのない言葉は、雨が降ればすぐに流される。
土台のない自信は、他人の言葉ひとつで瓦解する。

子どもの肯定感は、ふとしたきっかけで崩れ去る。

そのとき残るのは、「なんで壊れたのかわからない」という戸惑いだけ。
理由のない崩壊ほど、人を不安にさせるものはない。


2. 自分で作ったものなら、壊れても再生できる

反対に、自分で作り出した実感には、ちゃんと道のりがある。

過程があるから、失っても再び辿れる。
うまくいかない日があっても、「私はやったことがある」という記憶が心のどこかに灯る。

自分で悩んで、自分で決めて、自分で踏み出した肯定。
それは、崩れても“また作ればいい”と思える強さを持っている。

でも、植え付けられた肯定は、土の中から突然現れる偶像に似ている。
根拠のない“すごいね”は、心に居場所を与えない。

ただ空に浮かんで、いずれ見えなくなるだけだ。


3. 土塊――それは形のない子どもを包む仮の鎧

私には、子どもの自己肯定感が“土塊”のように見えることがある。
それは、まだ自分で自分の形を作れない子どもにとっての仮の姿。
柔らかい輪郭を一時的に保持してくれる、仮の鎧。

手でぎゅっと握った粘土のような、
まだ乾いていない、誰かの形のままの像。

たしかに、それは心を守ってくれる。
「私はこういう人なんだ」と思えた方が、
無の不安に沈むより、ずっと楽だ。

悩まなくて済む。疑わなくて済む。
自分の存在を説明しなくて済む。

けれどそれは、永久の形ではない。
むしろ、そこにいつまでも留まってはいけない。


4. 誰かが作った“私”を手放すということ

問題は、それをずっと持ち続けると「他人に形を作ってもらう人生」から抜け出せなくなることだ。
「この子は自己肯定感が高いから大丈夫」なんて、実は危うい幻想かもしれない。

なぜなら、それが“お母さん”の作った自己像だったら?
先生の期待でかたどられたものだったら?
「いい子であってほしい」という願望の残滓だったら?

いつか、その土塊は剥がれ落ちる。
そして、剥がれたあとに、自分の輪郭がなかったことに気づく。
ただの空白。誰かの手の跡だけが残る。

そのとき、「じゃあ私はなんなんだろう」と、
最初からやり直さなきゃいけなくなる。

壊すのは、きっと苦しい。
でも、必要な痛みだと思う。
それが「自分から始める」唯一のきっかけだから。


6. 「自分で作る自己肯定感」のはじまり

自己肯定感は、作られるものではなく、
自分で苦しみながら捻り出すものだと思う。

その人が、自分で悩んで、自分で選んで、自分で乗り越えたとき、初めて自分の作った自分と出会える。

そうしてできた自分は、自分の知る自分であり作り方を知ってる。

だから壊れようとも直せるし、
いくらか自由に改造もできる。

だから、いつまでも与えすぎない方がいい。

「自分は自分であればいい」がもがき苦しんだ先の結論であっても、それはあなたの結論でしかない。

それを与えられると考えなくなる。
苦しまなくて済むからいつまでも他人の自分に依存する。

それは、与えられた側からすればありがた迷惑だ。

もちろん子どもにとっての“仮の鎧”は、きっと必要だ。
そうでなきゃ生きていけない時期もある。

でも大人になっても仮の鎧を与えられてるなら
その人は誰かの依存先にはなれない。

そんな土塊でできた人間に誰が頼りたい?
親ガチャだ上司が悪いだあの時代に生まれていればだの。

まだ巣立ちができてない大人が多すぎる。

中学生から見ても見飽きた。

さっさと大人になれと言いたくなる。

さっさと親以外に依存先を見つけろ。
依存量を減らせ。
誰かの依存先になれるようになれ。

ずっと巣立ちができないことは、依存され、依存し。
自分の存在すら依存な世界でそれは致命的だと思う。

何よりそれにずっと守られていては、
ほんとうの「自分の形」はいつまでも持てない。


いつか、自分で形をつくる日がくる。

それは早すぎるのも問題だが、
早い方がいい。

反抗期はやっておいた方がいい。

私の周りの中学生は絶賛反抗期だ。
朝から父親がうざいだの。
ママが起こしてくれなかっただの。

微笑ましいね。
親の依存を減らす絶好のチャンスだ。

むしろ反抗期がない方が問題だ。

反抗期がない子供は次のどちらかだ。

すでに自分で自分を作り上げたか。
もしくは、親から与えられた自分から出ようとしないか。

つまり、精神の成長のチャンスを失っていることになる。

親に
「あなたは〇〇なんだから、そのままでいればいい」
って言われたら危険だ。

親からすればそれは子供の形を保つための優しさだ。

でも、いつまでも心が大人にならない。なれない。
親の支配下にいようとする子供を育てる。

それくらいなら放置してた方が、まだマシかもしれない。

私は、大人になることを精神を自分で再構築することだと思っている。

そのとき初めて、自分の自分になれる。

苦しいだろうが。
辛いだろうが。

そうじゃなきゃ、
いつまでも自分で責任を負えない。

その分自由もない。

自分のせいにできたとき、初めて成長できる



まだ大人になれない方へ。

もがき苦しんで自分の自分を探してみてください。
自分の存在が曖昧になろうと。
自分の価値を見失おうと。
まずは他人に与えられた土塊を捨て。
自分の髄に触れてみてください

それは心臓に直接触れるようなものです。
痛いでしょう。苦しいでしょう。
死にたいと思うかもしれません。

それでも心臓に触れてみてください。

ダメだと言われていることをやってみたり。
みんなの思ってる。
おやすらも思ってる自分のやらなさそうなことをやってみたり。

そこから始めましょう。少しずつ。



子供がいる大人の方へ。

初めは大賛成です。
そのおかげで子供は今日も生きていけます。
自殺しようとは思いません。あなたがいる限り。
まごうことなき優しさです。

でも、その優しさは、安定は。
変化を起こさせないことでもあります。
変化がなければ、その子はいつまで経っても大人になれません。
いつまで経っても自分で生きれません。
自由に生きれません。

巣立ちは不安に思わないでください。
口に餌を与えるのをやめる。
自分で餌を取る術を学ばせる。

手を離すことの勇気を持ってください。
自分で考えさせることの大切さを知ってください。

子供は巣立って初めて自由に飛べます。






最後に言います。

ここまで全ては私のエゴです。
道を示したら宗教です。

だからもう一度言います。
ここまで全ては私のエゴです。

私は最後、あなたにどうすべきかを書きましたね。

大人になれない方にはこのように。

ダメだと言われていることをやってみたり。
みんなの思ってる。
おやすらも思ってる自分のやらなさそうなことをやってみたり。

大人になった方にはこのように。

手を離すことの勇気を持ってください。
自分で考えさせることの大切さを知ってください。

もしそこで、
「その通りにやってみよう」と思ってしまったなら。

私はあなたから、どうすべきかと考える思考を奪いました。


その代わり、考える苦しみは私が引き受けました。



あなたが考えた末ならいいのですが。

これもまた土塊の鎧ですね。

さ。
どうしますか?




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ふみ|元不登校高校生の奮闘記 もしよければ15歳にお小遣いをあげてやってください。 いただいたお小遣いは挑戦と本に使います。

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