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雪が見せてくれる世界。

もうメッッチャ冬。

寒くて最近は外に出るのを控えてます。
絶対凍りついちゃう。

あと、もうすぐ受験なのもあり、絶対に風邪はひきたくないところ。

自転車に乗っていると、唯一ガードされていない顔の皮膚に、まるで鍼治療をしているかのように風が突き刺さる。暖かいところへ行くと顔が麻酔をした後かのようなそんな寒さがひしめき合ってる。

その寒さから、滋賀でも雪が降った。

帰り道、外に出たら、日が落ちるのも早くなっていて真っ暗な空に、白い雪はらはら降っていた。

家に帰る途中、自転車に乗っていると、勝手に運動エネルギーを消費して灯りがつく。

灯りがつくと、ライトの前を通る雪が照らされて、光の通り道が見える。

それだけなんだけど、私は普段から、立体的に考えるのが好きだ。

美術館などの建物は、時々、光の入り方を計算して建築されているが、その影の直線がどこへ繋がっていて、どこへ行くのか、想像の中で3D空間をイメージする。 

3Dデザインのblenderの空間に、今いる空間を入れるのだ。

そこに、影を置いたり、角を合わせてみたり、線の法則性を見出すのが楽しくてたまらない。

自分が見えていない死角のところは、想像上blenderで灰色の空間に埋めてしまう。そして、自分が左右に揺れると当然見える範囲も連続的に変わる。なので、灰色の空間も変化する。あとは灰色の空間のみを取り出してイメージして遊ぶ。

人には理解されにくい遊びだと思うけど、意外とこれが楽しい。

なんというか、想像で未知を補っているからだろうか、自分の認知範囲が増えたようで嬉しいのだ。

だから普段降らない雪のおかげで、いつも想像上ARで、黄色い空間で埋めている「光の道」が見えているのが、自分の想像の世界に入ったような気がしてたまらなく楽しいのだ。

この世界において、光の空間をは視える。
それは自転車のライトも街灯も同じで、降る雪が私の知覚の範囲を広げる。

私にとって雪は、「光の道」を可視化してくれるモノだ。

だから、雪が降った日の世界は、
新しい次元が見えるようになったかのように感じる。


…まぁだからなんだというわけではないが、雪一つで、世界がまた違って見えたという話だ。

雪一つで視える次元が増えたように感じるのは、「可視化すること」、もっというと「知覚できるようにすること」がどれだけ大切かを教えてくれる。

雪が降るだけで世界は変わって見えるのだから、私たちの「感情」はより大きく世界を歪めるだろう。ただ、客観視することが難しいから、歪んでいることを知覚できないことがほとんど。

それに加え、「個体」を超えたらもっと見えている世界は違うだろう。

あなたは雪が降っている世界は、私がここまで書いたような世界とは違っているはずだ、よね?

雪だけとっても見える世界が違い、感情もあれば、それまでの知識と経験も、世界を認知する上で作用してくる。

だから、個体を超えた世界は全くもって別物で、もっというと、私たちは生まれた時から目の中にカラコンを入れている。それが常識、偏見、経験と呼ばれるものだ。

だから、白いものを見たとしても、私からは青に見えて、あなたからは赤に見えたりする。

取れるカラコンもあれば
取れないカラコンもある。

そんな私とあなたの世界の"次元"を、超えることのできない"壁"を、こうして、コミュニケーションをとることで擦り合わせていると考えると、やはり次元を超えてまでみたい景色があるのだろう。

それはあなたの目から見た景色であり、
私の目から見た景色であり、
親友の目から見た景色であり、
母の、祖父の、恋人の見た景色で。

その景色を見るために個体を越えようとして、こうして言葉を使っていることにはなんだか美しいとすら思えてくる。


そんなことをぼんやりと考えていたら、今日も家に着いた。



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